はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

こぼしたミルク

2009-08-26 15:22:18 | 女の気持ち/男の気持ち
 トイレから出ようとした時のこと。いつもサッと脱げるスリッパが何かにひっかかったかのように脱げない。イライラして力いっぱい脱いだ途端にひっくり返って左ひじをつき、骨折した。2月6日朝のことだ。
 金属を装着する手術を受け、8日間入院した。リハビリしないと以前のように手が動かないと説明を受けた。その言葉通り腕の曲げ伸ばしに四苦八苦する。お茶わんを持てない、顔を洗えない……とできないことばかり。利き腕ではないと軽く考えていたのは大間違いと思い知った。
 16年前に脳外科手術を体験しているので、精神的には強いと思っていたが、自分をコントロールすることもできずにオロオロして落ち込んだ。
 20年以上も住んでいる家の中でなぜ転んだのか、何度も悔やんだ。こぼれたミルクを嘆いても仕方ないということわざ通りの状態。ここからはい上がるには何をどうすべきか、その術を見いだせぬまま暗い気持ちで過ごした。
 「リン、リーン」
 トイレの横に吊した風鈴が心地よく響いている。やさしい気分になっていく。けがをした時は寒かったが、もう夏の盛り。リハビリの効果があって腕の可動範囲も広がってきた。
 こぼしたミルクはとっくに乾き、跡形もない。空っぽの器だけ残った。器さえあれば、また元気にやっていける。そっと拾い上げた。
  鹿児島市 馬渡 浩子・61歳
2009/8/26 の気持ち掲載


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