はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

嬉しい贈り物

2008-03-27 19:17:29 | アカショウビンのつぶやき
 更年期障害から体調を崩し、会うことすらかなわず、ただ遠くから祈りつつ見守ることしかできなかった友人○○さん。今年に入って時々「編み物を教えて…」と遊びに来てくれるようになった。
 指もスムースに動かない手で、一生懸命ソックスを編む彼女に「無理しちゃ駄目よ…」としか言えない私だった。

 彼女が昨日、可愛い花束と私のために焼いてくれたパウンドケーキを持って御祝いに来てくれたのだ。彼女は私の誕生日を覚えていてくれた。
 
嬉しかった!! 誰の贈り物よりも嬉しかった。
料理上手な彼女が焼いたケーキはしっとりとしてほんとうに美味しい。
ぼつぼつ始めた花作りも楽しそうで、庭の写真を見せてくれる彼女の表情は以前と変わらない。
「もう大丈夫、焦らず、ゆっくりゆっくり歩いていこうね…」と心の中でつぶやきながら別れた。

はがき随筆2月度入選

2008-03-27 18:38:00 | 受賞作品
 はがき随筆2月度の入選作品が決まりました。
△出水市武本、井尻清子さん(58)の「平凡な幸」(25日)
△出水市武本、中島征士さん(62)の「白い道」(8日)
△霧島市霧島大窪、久野茂樹さん(58)の「親友をしのぶ」(9日)
──の3点です。

 寒くて厳しい冬が終わり、3月を迎えました。2月度は、日常の健康を大切にしながら幸せに感謝する作品が数点寄せられました。
 井尻清子さんの「平凡な幸」は<平凡な幸>という言葉をくり返し書きながら冷静に文が展開するところが平凡でないと思われます。情景スケッチのほかに思索する姿勢が見られていいですねえ。中島さんの「白い道」は、雪深い林の中を韓国岳めざしてゆっくり歩いて行く様子が巧みに描かれました。夫婦が楽しい会話を元気よく交わしながら。
 久野さんの「親友をしのぶ」は、中学時代からの無二の親友が、突然に難病を患い逝ってしまわれたのです。久野さんが現役を退き、日々の生活に活力を欠いている時でもありました。親友の闘病末期の生きざまにひかれるところもあり、友人の好きな歌をCDにして送りました。精神的な友情の交流が文中ににじみ出ており、描写も具体的でわかりやすいのです。
 東郷久子さんの「すきなもの」(4日)は、書く中心を光らせる表現技術が効果的に使われました。口町円子さんの「バドミントン」(7日)は、場の様子と雰囲気をよく表現し、構成もよくできました。中田テル子さんの「卒業」(26日)は、誤診による病気で卒業が延びた辛さを感じながら、高校を卒業した喜びを率直に書いています。
 一木法明さんは、教え子M君の成長ぶりに感動したことを「48年目の来訪者」(14日)に詳しく述べました。上村泉さんの「小正月」(3日)は、<ナレナレ棒>の風習をわかりやすく説明し、後段に書き手の姿勢を述べてよくまとめています。伊地知咲子さんの「厄払い」(5日)は、内容がユニークで明確な表現が効果的ですね。末尾の結びの文を書かれるともっと有効だったでしょう。
 文章は、書き手の感情を率直に述べ、状況もわかりやすく表現することで読み手によく伝わるのです。
 (日本文学協会会員、鹿児島女子短大名誉教授・吉井和子)
 係から
 入選作品のうち1編は29日午前8時20分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。
 

その御手に

2008-03-27 16:08:57 | はがき随筆
 「よかったら行ってみない。千手観音様がいらっしゃるの。紅葉でも有名なお寺で、景色もいい所よ」
 うつうつとした気分から抜け出せない私を見かねた友人が雷山の千如寺(せんにょじ)へと誘ってくれた。
 厨司の扉があけられ、1丈6尺の堂々たる観音様に、私は息をのんだ。光背には実際に千の手が彫ってあるという。彩色ははく離しているが、憂愁のまなざしには深い慈愛とすべてを見透かしてしまう力を感じる。
 千数百年もの間、人々の悩み苦しみをその御手(みて)に受け止めてこられたのだろうか。そう思うと胸が熱くなってきた。
   出水市 清水昌子(55) 2008/3/27 毎日新聞鹿児島版掲載

いつも18歳

2008-03-27 07:11:31 | はがき随筆
 祖父54歳、祖母58歳。今でいうと早死にである。祖父は私が生まれる前に亡くなっている。
 養子続きの家系に男の子が生まれて祖母は大喜び。目に入れても痛くない可愛がりようで、母に「私が死んでもこの子をいじめるな」と口癖のように。散歩の途中、少しでも肥料の足しにと道路に落ちている牛馬のふんを拾って、自分の畑に投げ込んでいたのが印象的だ。
 母に「私はいつも18歳の気持ちだよ」と。今そのことがよく分かる。気持ちを若く持てとのことだと思う。祖父母の年をはるかに越した。先祖の供養をしなければと思うこのごろ。
   薩摩川内市 新開 譲(82) 2008/3/26 毎日新聞鹿児島版掲載