戦争で長男と婿殿を亡くした両親は老いの体で悲しみに耐えて田畑を守っていた。私は兵器廠を後に田舎に帰省した。家の奥に異様な面相の人たちがいた。やせ細った顔、顔、顔。一瞬、ギョッとした。言葉が出ない。すると「今戻ったや」。母の声だ。どうしたと。赤痢にやられた。下痢が続き、苦しい伝染病だった。村人たちも皆伝染したとのこと。よし、俺が看病すると決意した。幸い田舎に疎開している薬局があった。持ち金はたいて食糧や薬を買い一生懸命看病した甲斐あって、全員回復、まずはめでたしの夏だった。
霧島市 楠元勇一(79) 2006/8/13 掲載
霧島市 楠元勇一(79) 2006/8/13 掲載