リハビリしながら、アメリカに勝つ考察をする・・か?

2009-01-21 08:39:27 | 塾あれこれ
年末年始を挟んだので医者も患者も治療に専念できません。
リハビリは継続が大切なのにね。
他人事のように言うのはいけませんか。

私が怠けたセイか未だにリハビリが成果を上げず
病院があせり?はじめておられます。

「いや、ちょうど入試前で忙しくどうしても
 自分でやるのが不十分で」
「ええ、分りますが、今やっておかないと」

 むぎゅう! 

 で、私はイテテテテテテテ。

「痛いでしょう、固くなってるんですよ。
 いつか後でまたやればよい、というもんじゃなく
 今やっておかないとですね・・」

と、叱られております。


向こうのお立場よく分ります。
私がその立場なら怒ってるハズです。

患者としての私は(仕事のセイにして)最悪!

とはいえ一人で塾やるの、大変なんだけど・・

「寝てるときと食事と仕事、これ以外のときは全て
 リハビリにあてるのが正しいんです」

心で「だから、その(以外)ってのがですねえ」 


では、仕事とリハビリ(=私事)と天秤にかけますか?

ホンネでは私もリハビリです。
自分の体ですから。

でもそれを表に掲げられないじゃないですか。
少なくとも私達は「私事より仕事優先」
格好つけてタテマエを言うわけです。

ここでいくら頑張って仕事を優先させてもだれも
評価なんかしてくれません。
分っとりま。
ハイ、自己満足、そのとおり。

でも、その文化で育っちゃった。


世界中のプラグマティックな文化の人間ならば
役にも立たない自己満足は否定するでしょう。

ただ、愚考するに、そういった文化がアメリカと
対等に戦後戦ってきた原動力ではなかったか?
アメリカに勝つにはこれしかない!!!

へへへ。
たかが手のリハビリで叱られたからといって
アメリカに勝つ、なんて大きな話。。。
おっさん、相変わらずでんなあ。

博多ば良か、ね~

2009-01-20 15:06:18 | 塾あれこれ


デパ地下観光をしてきました。
先日、帰りの新幹線に乗る前のお定まりです。

博多って、よかね~。

博多って本来は小さな町の名前でしょうけれど
福岡というより味があるような気がして
つい全体を「博多」って思ってしまいます。
地元の方、すみません、ヨソモンの勝手でした。


近頃の個人的話題ですがカミサンの友達がどこか
人口が5万くらいの小さな町から数百万の都会へ
転居されたのだそうです。

「いっぱいお店があって楽し~」と言われてるとか。

分りますよね。

まあ、お金がないとツライ面もあるでしょうけれど。


人口だけでいうと広島も百万を越えているのですが
博多とはずいぶん違います。

福岡から広島に転勤になればきっと寂しいでしょう。

福岡なら大阪ほどではないにしても売り場は広いし
品揃えも豊富そうだし、見て歩くだけでも楽し~!

岩田屋や三越の「デパ地下」は良いですねえ。

もちろんウィンドーショッピンばかりです。
美味そうな大根が安くても新幹線を思うと買いそびれ
刺身のパックなどもそうです。

自分へのお土産に辛子明太子のハギレっていうのか
そんなのを買ったりして欲求を誤魔化しています。

それにしてもスイーツ、特に洋菓子のキレイなこと。
あまり得意でない世界ですがそれでもため息が。
商品も陳列も店員も見事です。

苺のケーキの美しかったこと。。
美術館より目が楽しみます。
パンなどもセンスがよいし・・などなど。

博多で暮らせないかねえ。

アナロジーは危険でもある

2009-01-19 18:39:43 | 塾あれこれ
授業で使うのはオシム監督よりも
慎重にならざるをえないでしょう。

そのアナロジーが本当に成り立つのかどうか
あるいはどういう制限の下でなら大丈夫か
などに注意を払わねばなりません。

自分勝手に(大丈夫だろう)とか(うまく説明した)とか
思い込むことも多いのではないでしょうか。
扱い易い手法、効果が期待できるやりかた、である分
危険性も十分に認識しておく必要があります。
無意識に罪作りなことをしてはいけません。

例の「水伝」
エセ科学を子供に教えるとして批判されました。

とある寺院のお坊さんが説教のときにネットから
写真を引いてお話になられたので驚きましたね。
(尾道の天寧寺ではありません、念のため)

良い言葉を聞かせた水で氷を作ると綺麗な結晶ができ
反対に悪い言葉を浴びせた水は良い結晶ができない
という「怖ろしい」説です。

人間も同様に日頃から良い心を養い、良い言葉を話す
必要があるというのですが、水に言葉が分かるなんて
大変なエセ科学ですね。
これはアナロジー以前の問題かもしれません。

どこかの校長が「道徳を教えるために良かれと思った
先生もおられる」なんて発言されましたが
(良かれ)と思えば何でもアリ?

いかに苦し紛れとはいえ、教育という事をどのように
お考えであるか理解に苦しみます。


受験シーズンはどうも口が悪くてイケマセン。
アナロジーの話でしたね。

アナロジーには大きく三つの形態があると思います。
(私の勝手な考えですが)

A自分が伝えたいことの手段でアナロジーを使う
B自分と同じ考えを別の事項に再発見・再確認する
C何かから自分が今まで気づかなかった新発見を得る

Aは案外と気を使っているでしょうから危険は小さい
と思います。
もちろんアナロジーが成立するかどうか、日ごろから
チェックをしておく必要はあります。

部分的な不成立を承知で使い、しかるべきときに修正
という方法もありますね。

アナロジーの成立は証明できれば一番でしょうけれど
も、統計的な推論が成り立つ場合もあれば、根拠不明
ながら昔からこうだ、あるいは世間での常識なども
一応根拠の一部にはなりえます。

Bは自分の考えを何かに投影しているのです。
そのことに気づかない場合もありそうです。
ミスがおき易いでしょうね。

投影を気づいている場合「思いを託す」と言います。
アリンコを見て「一生懸命だね、僕も頑張らなくちゃ」
感情移入が激しいときは間違いを犯しそうです。

レトリックなどで安物の「詩人」がよく使う技法です。
気色悪いですね。

作文指導などで私はそんな事をするな、と言います。

もちろんそれを理解できる人は国語力がある方で
もしも、使う当人が気の利いた表現と思い込んでいる
場合には説明しても理解してくれないでしょう。

一番メダマのつもりで気取ったのに、それを否定され
たら面白くないですよね。

(すみません、また途中で・・)

ネコねむる

2009-01-18 11:07:34 | 塾あれこれ



『叱られて眠たくなりて毛づくろひ』


『びーびーと泣きたるネコが膝の上
       寝息をたてるぬくもりや好し』


『美味いもの食べたる夢か口動く寝言イビキの
               あげく寝ぼける』


『前足で両目隠して眠るふり透かしてみれば
                 黒目ぱっちり』

違うってば

2009-01-17 10:54:09 | 塾あれこれ
違うのに、といってもアチラさんからすれば仕方ない
そんなことがありました。

14日に塾向けのセミナーがありました。
その日、そういえば別の○社も行うだろうな、と。
ウェブサイトに展示会の日時は載っていますが
セミナー申込をどうするのか分りません。
念のため電話することにしました。

「○日に展示会をやられますよね。
 その時のセミナーの扱いについて伺いたいのですが」

「ああ、葉書ですか?」

「いえ、それは頂いていないと思います・・」

「営業担当が今いないのでそちらへお出ししているか
 どうか分らないのですが」

「それは大丈夫、不要です。セミナーがあるとして
 申込の必要があるかどうかだけ確認したかったので
 構わなければ当日伺いますから、ええ、大丈夫です」

いつもどおりなら予約の必要はそれほどないであろう会
であることは例年のことから推測できますし、一杯なら
聞かなきゃいいだけですから。

できればその電話で申込を受付て頂けちゃったりしたら
一番有難かったのですがねえ。


電話から二日目の夕方、郵便をチェックしますとクダン
の会社から「ご案内の葉書」が来ています。

先の問い合わせを案内の督促だと思われたようです。
日ごろの行いが悪いとそう思われるのですねえ。

そうじゃあなくて。

とはいえアチラの立場からは私が実は督促タイプかも
しれませんし無視はできなかったのでしょう。

この葉書ご持参の方に粗品進呈と印刷してあります。

もしかして、粗品をもらいたいのに案内がこないから
督促したのだと思われたのかなあ。
やだなあ。

最近は当方からの発注も少ないし、それで案内を
省略されたとも思います。

それならそれでも構わないのです。
必要なら出向くだけですから。

付き合いが多ければすぐに電話で
「お出ししたと思うのですが申し訳ありません」
とウソでもいいから(営業)しますよね。

ポンと送ってきたのは「取引も少ないのに」と
思われたか・・
まあヒガミではありますが。
でも貧すればなんとやら、も人情なんです。

こうなればゴミになるだけの粗品なんて不要。
いままでも出されて断るのも失礼と思い
持って帰ってただけですからねえ。
某社の手帳以外に粗品で要るものなんて、ない!


貧しくても志あれば啄木のように
『友がみなわれよりえらく見ゆる日よ・・』
と名歌をモノにできますが私では小さくなります。

『寂しさは落ち目になりて周りみな離れ去りゆく
                わが身の非力』

『とりたてて騒ぐほどでもなしと知る
           さりとて残る一抹のもの』

アナロジーの活用

2009-01-16 10:50:13 | 塾あれこれ
~は・・と同じ、というのがアナロジーです。
小学校低学年くらいに物事を説明するには便利。
戦争の話をするのにケンカから説いてみたり
動物愛護を言うのに友情を持ち出してみたり

「戦争ってケンカと同じなんよ。 
 ケンカしたら嫌でしょ?」  なんてね。

塾の先生もよく使う手だと思います。
何か訊かれた時に上手いアナロジーがアドリブで
出るようになれば塾ジンとして一人前でしょう。

正面からゴチャゴチャと説明するより、多少不正確で
あってもまずポンと納得させるのが肝心です。

真面目な先生は正確に説明すべく、細かく話す傾向が
強いものですが、結果として相手が分らなければ
説明はムダ。あるいは逆効果。
ひょっとすると犯罪的行為になりかねません。

ちょっと聞いてみたら何かワケワカランのを延々と
言われて、反対に質問までされたりして・・
それで理科が嫌いになったり、数学が苦手になったり
説明を受けた側を「こわす」恐れがあるのです。

まず分かった気になってもらう・・重要ですね。

それは危険だという人が学校だけでなく塾でも多い
と思われますが、逆にこう伺いましょうか。

「きちんと分るってどこまで分ればよいの?
 説明する側が適当に線を引いているだけじゃ?」


私なら、例えば中1で正負の数が出たときには
まず寒暖計でざっとの感覚を掴んでもらい
すぐに計算できるように導きます、
ほぼ計算が出来るようになって正負の概念を
話し始めますね。

うまく行って、わかり易いなあと思ってもらえたら
シメタものです。
相手は心理的な距離が近くなり、きちんとした説明も
付いてきてくれるようになります。


アナロジーそのほかのレトリックが上手かったのが
サッカーのオシム監督でした。

選手が足をつった(肉離れ?)ときの有名なセリフ
「ライオンに襲われたうさぎが走れないなんてある?
 走れないのは日ごろの備えが足りないからだ。」

部外者やメディアの人、サッカーの外の人までにも
わかり易いですよね。
この場合「本当は科学的に言うと・・」などという
考察は不要です。
オシムが言いたいことが伝わればよいのですから。

もちろん、言いたいことが正しければ例えは大間違い
でもよいなどとは言えません。
例の「水の伝説」などひどい話ですね。

(to be continued )

昨年末のネコがやってきた話は導入だった

2009-01-15 14:38:19 | 塾あれこれ
寒い夜にネコがやってきた、と書きました。(昨年12/27)
ネコ好きと分かっているから来るのでしょうが
まるで神様の思し召しのように思えました。

子供達はすくすくと育ち、寂しいけれど親元から
離れてゆきました。
最後に残ったのが中では一番頼りないヤツ。
母離れが出来なかったのかもしれません。

「おかーちゃん」と「こべーちょー」と名付ました。
わが台所はジャックされてしまいましたが
楽しい時が続きました。

ノラまたはそれに近い生活だったでしょうから
何でも食べました。
仔猫もそれに習いますね。

カニカマなど「うはうは」と食べていました。
それがいつの間にかレアな魚がよくなり、
一山いくら、でよかったのがお刺身になり
一年くらいのうちに高いお刺身じゃないと
喜ばなくなってしまいました。

年に何度かは1パック千円以上の刺身を我々も
食べますが、それには大騒ぎでした。
ネコは美食家です。
吾らでもメッタに食べないものの味が分るのです。

ネコの缶詰でも値段が分っているかのように
反応していましたね。
高いものは喜んでよく食べました。
安いものは殆ど食べない。。

夜遅くの会議があると出前の握りずしを頂くのですが
私は持ち帰ってネコと食べます。
タイやヒラメなど値段が張るものはネコ様に・・

今我が家の娘達はカリカリしか食べません。
鼻先へ持っていこうが舐めもしません。
いまひとつ面白くないやつらですね。


ネコは美味しいものを食べると満足の顔が違います。

「食った~」

ただし、そう見えるのも一種のアナロジーです。

多分人間と違わないとは思うので正しいのでしょうが
本当のところはネコに聞いてみないと分らない。

高い刺身をウハウハと食べ
カニカマなどは余り食べなくなる、そのうえ
顔つきも食べる勢いも違えば
(ネコは美味しいものが分る)と言えそうですよね。


ネコの美食ならば、ごくごく当たり前のことですが
世の中には当然のように思えても見直しておかねば
ならないことは数多くあります。

~と○○って同じよね、と言われて当たり前に思える
そういう中に間違っていることがあるのです。
(続きは明日)

皆実全国一

2009-01-14 14:36:14 | 塾あれこれ
私は小学生だった。
あの日の青空はよく覚えている。
今の子供達も半世紀後に覚えているかもしれない。


皆実がサッカーの全国高校選手権で優勝をしました。
広島県としては久しぶりですね。
熱心には見ていないのですが、生徒のまとまる力が
すごかったようですね。

初戦でそれほどに見えなかったファウルが一発退場に
なり、そのことが気力を盛り上げた?
審判にも感謝・・なんてヘンな話ですか。

もちろん監督の指導法も優れておられ、今時の
学生に受け入れられる熱血タイプというように
お見受けしましたがどうでしょう。

サッカーではあちこちに優秀な指導者が増えている
ようですね。

余談ですが新聞に皆実高出身有名人の名前が
載せられていました。
吉田拓郎、奥田民生、為末大とくればなんとなく
校風も自由そうなイメージかなあ、という気に
なってきますね。


ところで、半世紀前の話です。
(ほら、始まりましたよ、昔話)

広島市の中央にある千田小学校に通っていました。
ある日ランドセルを背負って下校していると
セスナが低く飛んできました。

飛行機が飛べば皆見上げた時代です。
友達と青空を見ているとビラを撒いています。
地元の中国新聞が号外を出したのでした。

修道がサッカーの全国大会で優勝、確か総体でも
優勝していたのですね。
後のメキシコ銅メダルMFなどで著名な森孝慈先輩
などのチームでした。

中学一年の時その森さんたちが母校にシュート練習用
のボードを寄付されました。
グランドの西端にブロック塀を建てペンキで?バーと
ポストを描いてあります。

野球で塀に一人キャッチボールをするように一人でも
シュート練習ができる「設備」です。

中1ですから皆で「すげー」
ところが、畏れ多いか何かの理由で一般学生はそれへ
ボールを蹴ることが禁止なのでした。
我々には目障りなブロック塀ができただけの寄付
でしたねえ。

そんな時代でした。

今の生徒には通用しない世界ですね。


新しい指導法で以前よりはるかに強くなった日本の
サッカーですが、個人の力としてはまだまだ。

近頃の指導法がよいのか、人気が高くなったので
よい選手が増えただけか、結論はまだ出ませんね。

クリスチャン・ロナウドみたいな選手がでてくる様に
なれば指導法も本物でしょう。
個人の力だけでは出来ないものですから。


号外のセスナが飛んだあれから半世紀。
あっという間です。

少年老い易く学成り難し、しみじみ実感しますね。
青空の記憶くらいしか残らない人生・・

それを思うと教育って大切ですね。

九州国立博物館のがっかり

2009-01-13 11:03:00 | 塾あれこれ

今やっている特別展示には心底落胆しました。

KY首相の国際会議がいけなかったのかな?


毎年この時期に九博に行きます。
今までは仏教美術などジミであってもけっこう良い
特別展を見ることができました。

ただ、今思うに少しずつテンションが下がっていたの
かもしれません。
首脳会談の所為にしてはいけないかな?

会場に向かうときからイヤ~な予感。
人が少ないのです。

展示を見て納得しました。
これじゃあ客は来ない。

入った客がバカにされているわけで、1200円も取るか!
九博も日本人を舐めてはいけません。
私はナメられちゃったけれども・・・(キモ)

九博のHPをご覧頂ければいかにインチキを誤魔化す
努力をしているか、よく分ります。
(過去の伝統工芸展出品作をもってきただけです。
 やる気があるのなら一番新しい作を並べるとか
 それくらいしなきゃ、羊頭狗肉でしょう)

相撲で言えば十両の取り組みばかり見せられたような
もので、九州ではこんなに多くの作家がこれほど
つまらない似通ったものを製作してナリワイがたつのか
なかなか良い勉強になります。

さすがに拙いと思ったのか最後辺りになって超有名な
作家のものを一つずつ並べてあります。

十両の取り組み後、引退した横綱の名勝負を見せられ
ると先の下手な相撲が目だってしょうがない・・


池辺晋一郎が言ってましたが、音楽も少し前まで
名人、巨匠の名にふさわしい人が数多くいました。

現代はそのスケールがありません。

13代今右衛門、柿右衛門と当代を比べれば同じこと
が言えるのです。当代は両方ともイマイチ。

現代の作家は技術ばかりで芸術性に欠けます。
個性がありません。
一見、スタイルがあるように見せているだけ。

戦後教育で個性の何のと言い始めてから、実はダメ。

技術は教えればすむ、楽しく個性を発揮するのが大切
だ、ということで、技術だけはある人が沢山いるが
本当に良いものを作れる人が激減しちゃった。
音楽家なども同様です。

ただし世界的な傾向のようですから現代エセウヨクの
評論家が「戦後日本の教育は」と嘆いてみせるのとは
一線を画しておきたいと思います。

それにしても今回の、特に現代の陶芸作家、
よく恥ずかしくもなく平凡なものを出品できますね。

人間国宝の肩書きを頂けばあとは金儲け、なんて先輩
の後を皆で追っかけているのでしょう。
「さもしい」とまでは言えないでしょうが情けない。
仲間内で褒めあうしか能がないようです。

まあ、文句があるなら今回の九博に来なかった客を
こさせるようにしてから言って下さいね。

結婚しました・・のメール

2009-01-12 11:23:48 | 塾あれこれ

結婚しました、というEメイルが届きました。
お母様からではなく、本人からです。
人間関係からいうと母親の方が近いのですが・・

それが昨年暮れ。
お祝いを持参したところ病院に行って戻ってこない
とやらで会えません。
確かに年末の病院はできれば避けたほうがよろしい。

事前に行くといったときは通院は聞いてなかったけど。
年が明けるまで遅くなってもと、仕方なく郵便書留。

で、三が日が過ぎ、世間では仕事が始まるころに
なっても「届いた」の連絡がありません。
カミサンが郵便事故?なんて心配するし
いやらしいけれど「届いた?」と確認をしなければ
なりません。

とても、とっても、フユカイ。

何で送った側が気を使いながら訊くの?
しかも訊かれた側は、まず百%
「ま~。お礼の督促だわ、ルセエじじいだねえ」
となるに決まってます。

届いたと言わなければ、事故で届いていないかとか
届いたのではあるが気に入らないのであるかとか
相手がいろいろ考えてしまうことを思わないようです。

三が日はアっという間に過ぎますしね。

しかたないけれど『督促』に及びました。


しばらくして当人からも
「頂きました、お礼が遅れてすみません」とメイル

まあ、ここまではよくある話です。

ここからもよくある話の(復路)

上記メイルに「○○から心ばかりの内祝いを送った」
と通知をしてあります。
うるさいオッサンにまた何か言われるといけないから。

それが二日たち、三日たち。届きません。

さあ、また困りました。
「届かないよ」は督促めいていけませんし、
届いているのにこちらからの返事が遅れているように
思われてるかもしれないし。
「送ったのは督促するくせに届いたとは言わない」

私も小さいことが気になるタイプ。。。

送ったという日から六日目、昨11日夜届きました。

まあ、すぐメイルはしておきましたが。
何よりも、やっと終わったのが嬉しい。

ところで昨日の内祝い

11日との配達指定日が書いてあった・・