アナロジーは危険でもある

2009-01-19 18:39:43 | 塾あれこれ
授業で使うのはオシム監督よりも
慎重にならざるをえないでしょう。

そのアナロジーが本当に成り立つのかどうか
あるいはどういう制限の下でなら大丈夫か
などに注意を払わねばなりません。

自分勝手に(大丈夫だろう)とか(うまく説明した)とか
思い込むことも多いのではないでしょうか。
扱い易い手法、効果が期待できるやりかた、である分
危険性も十分に認識しておく必要があります。
無意識に罪作りなことをしてはいけません。

例の「水伝」
エセ科学を子供に教えるとして批判されました。

とある寺院のお坊さんが説教のときにネットから
写真を引いてお話になられたので驚きましたね。
(尾道の天寧寺ではありません、念のため)

良い言葉を聞かせた水で氷を作ると綺麗な結晶ができ
反対に悪い言葉を浴びせた水は良い結晶ができない
という「怖ろしい」説です。

人間も同様に日頃から良い心を養い、良い言葉を話す
必要があるというのですが、水に言葉が分かるなんて
大変なエセ科学ですね。
これはアナロジー以前の問題かもしれません。

どこかの校長が「道徳を教えるために良かれと思った
先生もおられる」なんて発言されましたが
(良かれ)と思えば何でもアリ?

いかに苦し紛れとはいえ、教育という事をどのように
お考えであるか理解に苦しみます。


受験シーズンはどうも口が悪くてイケマセン。
アナロジーの話でしたね。

アナロジーには大きく三つの形態があると思います。
(私の勝手な考えですが)

A自分が伝えたいことの手段でアナロジーを使う
B自分と同じ考えを別の事項に再発見・再確認する
C何かから自分が今まで気づかなかった新発見を得る

Aは案外と気を使っているでしょうから危険は小さい
と思います。
もちろんアナロジーが成立するかどうか、日ごろから
チェックをしておく必要はあります。

部分的な不成立を承知で使い、しかるべきときに修正
という方法もありますね。

アナロジーの成立は証明できれば一番でしょうけれど
も、統計的な推論が成り立つ場合もあれば、根拠不明
ながら昔からこうだ、あるいは世間での常識なども
一応根拠の一部にはなりえます。

Bは自分の考えを何かに投影しているのです。
そのことに気づかない場合もありそうです。
ミスがおき易いでしょうね。

投影を気づいている場合「思いを託す」と言います。
アリンコを見て「一生懸命だね、僕も頑張らなくちゃ」
感情移入が激しいときは間違いを犯しそうです。

レトリックなどで安物の「詩人」がよく使う技法です。
気色悪いですね。

作文指導などで私はそんな事をするな、と言います。

もちろんそれを理解できる人は国語力がある方で
もしも、使う当人が気の利いた表現と思い込んでいる
場合には説明しても理解してくれないでしょう。

一番メダマのつもりで気取ったのに、それを否定され
たら面白くないですよね。

(すみません、また途中で・・)


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