肉ならお値段が安いからコマギレでもよろしい。
話のコマギレはいただけないですよね。
当ブログもまとめて書くなり、投稿をまとめるなりす
れば、ご覧下さる方はさっと読めますよね。
それが出来ていないのが弱点の一つです。
じつは書く側=私の都合でコマギレが多いのです。
時間が取りにくいのに毎日書きたいのです。
間を空けるとナマケモノが顔を出しますから。
「今日は書いたか?」というプレッシャーをかけないと
続かない私なのでした。
さらに(書きながら話がずるずると引き続く、追加が出る)
という構成力のなさも災いします。
なんとかマトメを頑張って書くときもありました。
けれどもそれらは堅苦しかったり、ひとりよがりで
文意が不明だったり、ほとんどオクライリになります。
え?
投稿したものすら分りにくいですか?
しみましぇん。
◎
アナロジーの話が途中でした。
ABC三種類あると書きましたが、続きです。
Bのうち「託す」というアナロジーは危険なことが
あると書きましたね。
暗喩のような言い方をされる人がおられます。
「今こそ濁流を前にした革命の先人の心構えが必要」
という風に、何だか分らなくはないのだが
具体的にはさっぱり分らない事が多いでしょ?
昨日のオバマ大統領演説ならば文意は鮮明でしたね。
似たような事を言っても文脈で違ってくるのです。
つまり、言いたいことの方向がはっきり見えていない
ものなら「思いを託し」ても伝わらないのですね。
意思を伝達する際の宿命として、自分は分っている
から、伝わるものだろうという思い込みが強く働き
伝わらなかったり、間違って伝わったりすることに
思いが至らないのです。
伝わらなければ、いくら思いが深くそれを託したと
しても表現としては無価値無意味なんですよね。
○
わざと「禅問答」にして高級そうに見せるとか
自分の考えの不鮮明を誤魔化す、あるいは
つっこまれて体面を汚されたくないとか、
暗喩を好まれる方のクセではないでしょうか。
日本では大きな肩書き「~長」という方が
しばしば使われる手です。
明らかな比ゆであるとかアナロジーAだとかで
はっきりと仰ればよいのですが
見栄の一種で、なかなか直らないようです。
○
Cのアナロジーは有効なことが多いようです。
「そうか、塾のプリント管理もトヨタのカンバン
方式が応用できそうだ」なんてね。
◎
佐藤信夫は「レトリックとは思考そのものである」と
言われました。
政治家が操る雄弁詭弁のタグイばかりがレトリック
であると私も思っていましたが、それは間違い。
もっともっと幅広いことなのです。
三浦雅士は佐藤を解説する中でこう書いています。
佐藤の本を読めば分ってくる大切なこととして
「レトリックは人間の本質にかかわっている」と。
◎
「ボクは初めから一貫して同じ事を言ってますよ」
と言いつつ実質的に話を変えてゆくどこかの国の
トップの姿勢もその人の本質が見えることですし、
人々に責任を呼びかけながら分りやすくて美しい
言葉を使う新大統領演説もその人の本質を見せて
くれるものでした。
言葉こそが民主主義である、それが生きている国=
アメリカは、問題が多いし好きな国ではないのですが
やはり大した国家を作っていますねえ。
日本は「言葉の力」を教えることから見直さないと
いけませんね。
話のコマギレはいただけないですよね。
当ブログもまとめて書くなり、投稿をまとめるなりす
れば、ご覧下さる方はさっと読めますよね。
それが出来ていないのが弱点の一つです。
じつは書く側=私の都合でコマギレが多いのです。
時間が取りにくいのに毎日書きたいのです。
間を空けるとナマケモノが顔を出しますから。
「今日は書いたか?」というプレッシャーをかけないと
続かない私なのでした。
さらに(書きながら話がずるずると引き続く、追加が出る)
という構成力のなさも災いします。
なんとかマトメを頑張って書くときもありました。
けれどもそれらは堅苦しかったり、ひとりよがりで
文意が不明だったり、ほとんどオクライリになります。
え?
投稿したものすら分りにくいですか?
しみましぇん。
◎
アナロジーの話が途中でした。
ABC三種類あると書きましたが、続きです。
Bのうち「託す」というアナロジーは危険なことが
あると書きましたね。
暗喩のような言い方をされる人がおられます。
「今こそ濁流を前にした革命の先人の心構えが必要」
という風に、何だか分らなくはないのだが
具体的にはさっぱり分らない事が多いでしょ?
昨日のオバマ大統領演説ならば文意は鮮明でしたね。
似たような事を言っても文脈で違ってくるのです。
つまり、言いたいことの方向がはっきり見えていない
ものなら「思いを託し」ても伝わらないのですね。
意思を伝達する際の宿命として、自分は分っている
から、伝わるものだろうという思い込みが強く働き
伝わらなかったり、間違って伝わったりすることに
思いが至らないのです。
伝わらなければ、いくら思いが深くそれを託したと
しても表現としては無価値無意味なんですよね。
○
わざと「禅問答」にして高級そうに見せるとか
自分の考えの不鮮明を誤魔化す、あるいは
つっこまれて体面を汚されたくないとか、
暗喩を好まれる方のクセではないでしょうか。
日本では大きな肩書き「~長」という方が
しばしば使われる手です。
明らかな比ゆであるとかアナロジーAだとかで
はっきりと仰ればよいのですが
見栄の一種で、なかなか直らないようです。
○
Cのアナロジーは有効なことが多いようです。
「そうか、塾のプリント管理もトヨタのカンバン
方式が応用できそうだ」なんてね。
◎
佐藤信夫は「レトリックとは思考そのものである」と
言われました。
政治家が操る雄弁詭弁のタグイばかりがレトリック
であると私も思っていましたが、それは間違い。
もっともっと幅広いことなのです。
三浦雅士は佐藤を解説する中でこう書いています。
佐藤の本を読めば分ってくる大切なこととして
「レトリックは人間の本質にかかわっている」と。
◎
「ボクは初めから一貫して同じ事を言ってますよ」
と言いつつ実質的に話を変えてゆくどこかの国の
トップの姿勢もその人の本質が見えることですし、
人々に責任を呼びかけながら分りやすくて美しい
言葉を使う新大統領演説もその人の本質を見せて
くれるものでした。
言葉こそが民主主義である、それが生きている国=
アメリカは、問題が多いし好きな国ではないのですが
やはり大した国家を作っていますねえ。
日本は「言葉の力」を教えることから見直さないと
いけませんね。