コマギレお好き?

2009-01-22 14:47:25 | 塾あれこれ
肉ならお値段が安いからコマギレでもよろしい。
話のコマギレはいただけないですよね。

当ブログもまとめて書くなり、投稿をまとめるなりす
れば、ご覧下さる方はさっと読めますよね。
それが出来ていないのが弱点の一つです。

じつは書く側=私の都合でコマギレが多いのです。
時間が取りにくいのに毎日書きたいのです。
間を空けるとナマケモノが顔を出しますから。

「今日は書いたか?」というプレッシャーをかけないと
続かない私なのでした。

さらに(書きながら話がずるずると引き続く、追加が出る)
という構成力のなさも災いします。

なんとかマトメを頑張って書くときもありました。
けれどもそれらは堅苦しかったり、ひとりよがりで
文意が不明だったり、ほとんどオクライリになります。

え?
投稿したものすら分りにくいですか?

しみましぇん。


アナロジーの話が途中でした。
ABC三種類あると書きましたが、続きです。

Bのうち「託す」というアナロジーは危険なことが
あると書きましたね。

暗喩のような言い方をされる人がおられます。

「今こそ濁流を前にした革命の先人の心構えが必要」
という風に、何だか分らなくはないのだが
具体的にはさっぱり分らない事が多いでしょ?

昨日のオバマ大統領演説ならば文意は鮮明でしたね。

似たような事を言っても文脈で違ってくるのです。
つまり、言いたいことの方向がはっきり見えていない
ものなら「思いを託し」ても伝わらないのですね。

意思を伝達する際の宿命として、自分は分っている
から、伝わるものだろうという思い込みが強く働き
伝わらなかったり、間違って伝わったりすることに
思いが至らないのです。

伝わらなければ、いくら思いが深くそれを託したと
しても表現としては無価値無意味なんですよね。


わざと「禅問答」にして高級そうに見せるとか
自分の考えの不鮮明を誤魔化す、あるいは
つっこまれて体面を汚されたくないとか、
暗喩を好まれる方のクセではないでしょうか。
日本では大きな肩書き「~長」という方が
しばしば使われる手です。

明らかな比ゆであるとかアナロジーAだとかで
はっきりと仰ればよいのですが
見栄の一種で、なかなか直らないようです。


Cのアナロジーは有効なことが多いようです。

「そうか、塾のプリント管理もトヨタのカンバン
 方式が応用できそうだ」なんてね。


佐藤信夫は「レトリックとは思考そのものである」と
言われました。
政治家が操る雄弁詭弁のタグイばかりがレトリック
であると私も思っていましたが、それは間違い。
もっともっと幅広いことなのです。

三浦雅士は佐藤を解説する中でこう書いています。

佐藤の本を読めば分ってくる大切なこととして
「レトリックは人間の本質にかかわっている」と。


「ボクは初めから一貫して同じ事を言ってますよ」
と言いつつ実質的に話を変えてゆくどこかの国の
トップの姿勢もその人の本質が見えることですし、
人々に責任を呼びかけながら分りやすくて美しい
言葉を使う新大統領演説もその人の本質を見せて
くれるものでした。

言葉こそが民主主義である、それが生きている国=
アメリカは、問題が多いし好きな国ではないのですが
やはり大した国家を作っていますねえ。

日本は「言葉の力」を教えることから見直さないと
いけませんね。