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30年前デビューの車から(C34ローレル)

2023年01月05日 | クルマネタ

とっくに正月が終わってしまいましたが、新年明けてから何も更新してませんでした。いまさらながら本年もよろしくおねがいします。

といってもネタがないので、以前撮っておきながらブログにアップしそこねたクルマネタを出題しましょう。

日産ローレルの7代目モデル、C34型です。


日産のアッパーミドルカー、ローレルは今からちょうど30年前の1993年1月に7代目となるC34型に世代交代されました。先代までは小型車規格、すなわち5ナンバーの設計だったのがC34型では完全に3ナンバー専用設計となりました。車体はサッシュレスドアの4ドアハードトップを踏襲するものの、衝突安全性の観点からセンターピラーレス構造からセンターピラー付きとなりました。
このC34型は好評だった先代C33型のイメージを引き継ぎながらも、さらなる高級感ならびに性能アップと先代の欠点だった居住性改善が主な趣旨だったのでしょう。
しかしながら、先代C33型が好評だったゆえに逆に変化を恐れて保守的になってしまい、さらに居住性改善のために前後ピラーの角度を起こしたものの、その割には屋根は低いなど全体的にはチグハグ感が拭えず、なんだか中途半端なモデルチェンジをしてしまったという印象でした。そのためか、新車で発売されてた当時から新鮮味が薄い車でありました。やはり当時でも販売は苦戦気味でした。

その後、1994年9月には大掛かりなマイナーチェンジが行われ、外観デザインを大きく手直し、しかもテールランプ形状変更に伴いリヤフェンダーまで形状を変えるという規模の大きい改良をされましたが、いくらイジくり回しても焼け石に水だったようで…。

ちなみに、この時期の日産はローレルだけでなく、他車でも変化による失敗を恐れてか、守りに入って中途半端なモデルチェンジをした結果商業的に失敗し、後年に大規模な手直しが行われるという事例が結構ありました。あるいは無理に変えなくていいものを無理やり変えて失敗したケースもあったりと…。

さて、今回ピックアップしたC34ローレル、そんなに遠くない過去の話だと思ってたんですが、30年も前のことなんですねえ…。そりゃあ歳をとるわけです。90年代の車も旧車の部類といっても差し支えないので、もっと記録しておかないといけませんねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 


第12回呉オールドモータースミーティング

2022年10月12日 | クルマネタ

10月10日、呉ポートピアパークで、呉オールドモータースミーティングが開催されたので行ってみました。毎年開催されてるイベントですが、2020年と2021年はコロナウイルス感染拡大の影響もあってか中止となりました。久しぶりの開催となりました。

 

エントリーされた中から、独断と偏見でワタシ個人的に目に付いた車両をいくつか掲載してみましょう。

初代トヨペットクラウン?いや、マスターラインではないですか!

商用車のマスターラインは、もともとはクラウンとは別の存在でしたが、2代目にモデルチェンジされるにあたり、クラウンとの共通化が図られるようになりました。要するにクラウンバンの御先祖様です。

 

トヨタスプリンターシエロ。6代目80系スプリンターの5ドアハッチバックモデルです。これは新車で販売されてた当時から稀少でした。

 

トヨタマークⅡ、6代目80系。バブルの時代は飛ぶように売れた車ですが、さすがに30年も経過すると見かける機会は少なくなってきました。

 

日産グロリア、3代目モデル。プリンスが手がけたグロリアとしては最後のモデルでした(1966年にプリンスと日産は合併、グロリアは次世代からセドリックと共通化)。適度なサビ具合がええ雰囲気です。

 

いすゞ117クーペの並び。117クーペは何台もエントリーされてましたが、この3台の並びに注目。

なんと、前期、中期、後期の各モデルが並んでいました。まさに117クーペの歴史を物語る3台です。
前期(真ん中):ハンドメイドモデル、1968年~。

中期(向かって右):大量生産化モデル、1973年~。

後期(向かって左):大量生産化モデル、1977年~。

 

いすずフローリアン、いや、ファスター?んん?

ファスターはフローリアンをベースにされたピックアップトラックとして登場しました。しかし、この個体、ハンドルが左になっておる?なんと、これはファスターではなく米GMのシボレーブランド向けのOEM供給車、LUVだという!

 

ここに掲載した車両以外にも、多くの車両がエントリーされ、来場者も多く賑わっていました。まだまだコロナウイルスからは逃れられそうにはないですが、日常が戻ることを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 


来て見て乗ってみん祭2022

2022年08月23日 | クルマネタ

8月21日、マツダスタジアムにて、マツダの協力会社でつくる東友会協同組合のイベント、来て見て乗ってみん祭2022が開催されました。マツダ車がいろいろ出展されるとのことで行ってまいりました。撮影した中から何台か掲載します。

 

マツダGA型3輪トラック「グリーンパネル」。

1932年にマツダ(当時は東洋工業)は、初の自動車となる三輪トラックDA型を発売されました。その後1938年にGA型を発売。エンジンの排気量や最大積載量がアップされた他、ミッションが3速から4速へアップされるなど、機構面でのアップデートが図られました。愛称のグリーンパネルとはメーターパネルが緑色に塗られていたことが由来とのこと。

戦時中は軍需品の生産が優先されたため、一時生産休止となってしまいますが、終戦後に生産再開。画像の個体は終戦後の1945年に生産されたモデルとのことです。その後、1949年まで生産されました。つまり、戦前~戦後に渡って生産された車でした。

以下、真横と後ろ姿。

 

K360。

ケサブローことK360は、1959年に発売された軽自動車規格の3輪トラックです。色違いの3台が展示されました。軽3輪トラックで人気を集めていたダイハツミゼットへの対抗馬といえる存在でした。スタイリッシュなデザインや明るいツートンカラーが好評を博したそうです。

 

R360クーペ

マツダ初の4輪乗用車は、1960年に発売された軽自動車のR360クーペでした。現在の軽自動車よりもかなり小柄で、しかも2ドアクーペで、外観からは想像がつかないかもしれませんが、それでも後席を備えた4人乗りでした。廉価だったこともあり、市場では注目されました。これを皮切りに、キャロルやファミリアなど乗用車のラインナップの拡充が図られました。

 

キャロル

上記R360クーペに続いて、1962年に発売された軽乗用車で、こちらは3ボックススタイルのセダンボディを構築、後席の居住性も重視されるなど、ファミリーカーとして実用性を高められました。また、当時の軽自動車では珍しい水冷4気筒&4サイクルエンジンを搭載するなど、ハード面も力が入れられました。

 

コスモスポーツ。

マツダが社運を賭けて開発したロータリーエンジンを初めて搭載した車種で、1968年に発売されました。
軽量小型でパワフルなロータリーエンジン、そのエンジンだからこそ実現した未来的な専用設計のボディが注目を集めました。マツダの歴史を語るうえでは外せない1台といえます。

コスモスポーツは白色のイメージが強いですが、この個体は赤色というのが珍しいですねえ。

 

ファミリア(5代目)

MAZDA3やアクセラのルーツともいえるファミリア、1980年に通算5代目へモデルチェンジされました。当モデルでは時流に乗って、これまでのエンジン縦置きFRからエンジン横置きFFレイアウトに一新、FFのメリットを生かした機能的なパッケージング、その新しいパッケージングを表現したスタイリッシュなハッチバックボディ、高い走行性能などが注目され、歴代最大のヒット作となりました。
この代のファミリアは上級グレードのXGが注目されますが、この個体は中間グレードのXLとなります。

 

オートザムAZ-1

1992年、オートザムブランドより発売された軽自動車規格のスポーツクーペで、FRPを多用した軽量ボディやガルウイングドアなど凝った車体設計、エンジンをキャビン後方に搭載したミッドシップレイアウトを構築するなどスポーツカーならではの存在感を演出されました。マニアックでレアな存在ということもあってか、根強いファンが多い車であります。

 

そういやあ、T2000の移動販売車がいました。

よく見ると、前半分はたしかにT2000ですが、後ろ半分はまるっきり違う箱を合体させたような造りになってました。

 

つづいては新しいマツダ車を。

 

広島マツダとアンフィニ広島が出展されてました。その中からふたつほど。

MAZDA2のレーシング仕様。

外観はもちろんのことカスタマイズされ、内装も運転席以外のシートやドアの内張りが外されるなど、とことんスパルタンに仕立てられています。

 

9月より本格的に発売されるCX-60。

ラージ商品群の第一弾となるモデルで、CX-5よりも上位に位置する上級志向のSUVです。ラージ群は、ロードスター以外のマツダ車では久しぶりとなる、エンジン縦置きのFRレイアウト(またはFRベースの4WD)となります。実車は写真で見るより重厚なサイズ感に加え、豊かな面で構成された立体的な造形であります。

 

以下、おまけ。

会場をあとにしたら、CX-9が走っていました。

CX-9は北米やオーストラリアなど、海外市場向けの大型SUVであります。全長5メートル全幅1.9メートル超えの巨体ゆえに日本国内では未発売ですが、これをベースに車体サイズを最適化するかたちでCX-8が登場することになりました。

 

 

 

 


赤いプレリュード2台

2022年07月07日 | クルマネタ

かつてのホンダのスペシャリティカー、プレリュード。赤いのを2台見かけたのでブログネタにしてみましょう。

 

まずはコチラ。


1982年に登場した2代目モデルです。
ただでさえ1.3メートルを下回る低全高の2ドアクーペですが、当モデルはリトラクタブルヘッドライトの採用や、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)でありながらフロントサスをダブルウィッシュボーン式にすることでフロントノーズを低くしたり、ボディをフラッシュサーフェス化するなど、当時としては日本車離れした斬新なスタイリングを実現、結果、若年層の支持を集め、デートカーとして一世を風靡したのでありました。
もちろん見た目だけでなく走行性能も重視され、エンジンは新開発され、オートマは4速化され(マニュアルは5速)、前述の外観デザインによって空力特性が改善されました。新たな技術としては国産車初の4輪ABSの採用が特徴でした。

 

 

もうひとつはコチラ。


 

1987年登場の3代目です。
上記2代目がホンダの歴史に残るヒット作となったということもあり、2代目のイメージを色濃く残したキープコンセプトのモデルチェンジとなりました。それでも、ホイールベースの大幅な延長でプロポーションは大きく変わり、全体的に絞込みが強くなるなど、より洗練された雰囲気となりました。
機構面ではダブルウィッシュボーンのサスペンションをリヤにも採用、つまり、4輪ダブルウィッシュボーンに。さらに量産乗用車としては世界初となる機械式4WS(後輪操舵)が採用されたのも大きな特徴でした。
 

 

その後、プレリュードは5代目まで続くのですが、しかしながら、1990年後半になると、2ドアクーペに代わってミニバンやSUVなどRV系の車両が注目を集めるようになり、ホンダ自身もオデッセイやCR-Vなどがヒットするのですが、一方でプレリュードは低迷していき、2001年を以って幕を閉じることに…。時代の流れと言われればそれまででしょうが、もはや現在は車内空間が狭く後席のドアのないクルマは支持されなくなってしまいましたねえ…。

 


クルマネタ2点

2022年04月20日 | クルマネタ

バスの撮影の合間に、路上で見かけた懐かしの車両から出題してみましょう。

 

まずはスズキワゴンR、初代モデル(CT21S)。

 

1993年9月に発売されたスズキのワゴンR、当時のアルト/セルボモードをベースに背を高めたワゴンボディを構築、軽自動車という制約の中で生まれた機能的なパッケージングは好評を博し、スズキの想定を上回るヒット車となりました。ワゴンRの登場は他社にも影響を与え、背の高い軽自動車が現在主流になったのも、このワゴンRの功績でありました。
ちなみに、この個体は特別仕様車のLOFT(ロフト)であります。生活雑貨のロフトとコラボしたこの仕様は、外観上は黄色いサイドデカールと大型サンルーフが装備されてたのが特徴でした。
そういやあ、ワゴンRも来年で生誕30周年です。

 

 

つづいてはニッサンマーチの初代モデル(K10)。

 

マーチの初代モデルは1982年10月、日産の底辺を担う世界戦略車として登場しました。軽量コンパクトな車体で、高い基本性能を持つ合理的な設計で、ベストセラーとなりました。最初からロングスパンを前提とされており、10年近くに渡って生産・販売されてました。さすがにモデル末期は古さが否めなくなってたものの、機能的で廉価でもあったので、販売は好調で、ニッサンの屋台骨を支えていた車種でした。この個体は1989年以降の後期型です。かつては大量に走っていましたが、上に掲載したワゴンR同様に基本的に消耗される実用車ゆえに、一気に見かけなくなるのですが、久しぶりに実動車を拝むことが出来ました。
なお、マーチは本年で40周年だが、しかしながら2022年現在、新車で販売されてる4代目マーチはまったく存在感がないねえ…。