01逢いたや2014②-2

2014-08-19 | 海外蒸機
ドイツ撮影旅行のレポートを続けます。

5月28日は52型の列車一つだけが走りました。
それは支線に入り、途中まで戻り、また2回3回と支線に入ってからノイシュタットへ戻るという走り方をします。

ノイシュタットへの最後の「戻し」の撮影が残っています。

(特記無き写真は水沼先生の写真です)

P;井門
ヴィルガルツヴィーゼンの駅にやってきました。

P;井門
西側に大きな教会が見えます。 こちらの方向から蒸機は走ってきます。

P;井門
ホームにある自動販売機。

P;井門
「怖いぞ」と恐怖を煽る注意喚呼看板。

P;井門
さて、実は井門のメインはいつも通り〝動画”です。

シネマイオスC100を新調してきましたが、いくつか大きな問題点が有ります。

(1)使い方が判らないくせに取扱説明書を日本に置いてきてしまった。

(2)三脚に上手く取付できない(写真のような有様です)

使い方が悪いせいかな?という疑問もちょっとは有ったのですが、結果判ったのは三脚が壊れていたのです。

原因は、全日空が『壊れ物;フラジャイル』の札をつけ忘れていた事でした。

はっきり判っているのは
①『フラジャイルの札』札付属の壊れても航空会社は責任は無いという紙片にサインがある
②『フラジャイルの札』が付いていなかった
の2点ではっきりしています。

フラジャイルを受け付けて札をつけ忘れたのです。 (あまり怒っていませんが)

専用ケースに入ったこの軽量なザハトラー三脚はよほどの衝撃でなくては破損しません。
スーツケースなら角がつぶれるか、相当なダメージがある・・・スーツケースが壊れる程度の衝撃は受けたのです。

6月2日フランクフルト空港でこの点を全日空に報告するように空港窓口職員(日本人女性)に伝えました。

P;井門
これは帰ってきて自宅で修理した当該三脚“ザハトラー・エース”の運台です。

後方から見た姿です。 (これは壊れた状態です)

左真ん中付近に出っ張ったアルミ色の大きめの「でっぱり」はカメラに取り付けた三脚ベースが後方から矢印の様に滑り込んでくると引っ込んで受け入れます。

三脚雲台上でカメラマン希望の位置まで三脚ベースを前後調節し、それを終えてからアルミパーツ外側の大きなつまみを回して三脚ベースを動かない様に固定します。

ところがこの時(ドイツ滞在中すべて)アルミのでっぱりが引っ込まないため三脚ベースを雲台に取り付ける事が出来なかったのです。

途中まで入った、引っ掛かった状態にまでしかできない・・・それでもツマミで締め付けると一応怖いけど固定した状態にはなります。

その状態がこのヴィルガルツヴィーゼン駅でのC100の姿の写真です。

P;井門
分解します。 ザハトラーに修理など出しません。 自分で直すのが無料で「超」早いからです。

P;井門
プラスビスでも六角でもないこんな工具が必要でした。

P;井門
さらにこれらのパーツも外さないと分解できません。

アルミパーツで三脚ベースを締め付ける為の『ツマミ』が左上の大きなパーツです。

P;井門
いよいよ開けてみます。

P;井門
軽量化を極めたという感じの構造をしています。

P;井門
メイド・イン・コスタリカに衝撃を受けますね。 ドイツ製じゃないんですね。

 「動画用の三脚」の世界で‘頂点’はイギリスのヴィンテンとドイツのザハトラーです。

そしてこの雲台上板は「上」が「後」です。

引っ込まなくて困ったアルミのパーツは右に見えています。

飛行機で壊されたのは『ツマミ』(牡ネジ)が付いた雌ネジパーツがツマミごと上板の内側に「打ち込まれた」状態になってしまい、ネジを締めていないのに「常時締め」になった事です。

大きなマイナスドライバーと大きな金槌で正規位置まで叩き戻して修理完了です。


三脚ベースを雲台に取り付けて置けば壊れないところだったのですが・・・

しかし三脚ベースは常時カメラ側に付いているのが「正しい」です。


東行鈍行が左側線路から接近です。 

待避線有効長が極端に長い駅なのか単線並列なのかこの時点では判っていません(最後までわけが分からないのですが)


何故か蒸機列車は右側ホームに入線してきました。

P;井門
東へ数駅行ったアンヴァイラー・アム・トリフェルスの東側の踏切にやってきました。

ヴィルガルツヴィーゼン駅とともに腕木式信号機が残っている駅です。

P;井門
古城をバックに撮ります。 テンダーファーストとしてはこう撮るしかない様なところです。


草むらの中に親子鉄が。

P;井門
ランダウの先まで追い掛けてもう一発狙います。 子供に囲まれるポルシェです。


ランダウ~ノイシュタット間で蒸機を待ちます。


そして52型今日11回目の撮影です。

P;井門
マンハイム、インターシティーホテルに到着しました。 マンハイム中央駅は左側直ぐです。

荷物と人を降ろして、

P;井門
駅前地下駐車場に回ります。 正面に見える建物が駅本屋です。

P;井門
パーキングの発券機でカードを受け取ります。

P;井門
駐車して階段を上ると駅舎間際に出ます。

P;井門
市内電車の中央駅前電停です。 5連接かそれ以上の大きな電車が頻繁に走っています。

P;井門
インターシティーホテルの入り口を入ったところです。 フロントのお兄ちゃんは全然だめなので重要な交渉は明日の朝する事にして部屋に入ります。

(マンハイムでの宿泊日程を明確にしておきたいのですが私には権利が無いという逃げ方をします)

P;井門
客室です。

P;井門
客室からの眺めです。

P;井門
それもこんな具合に見えます。 おっ、ICEみたいです。

P;井門
クハを先頭にして右方向へ発車して行きました。

P;井門
ベット

P;井門
バスルーム/洗面所です。

P;井門
駅本屋は左側に見えます。

P;井門
皆でまず駅に行きます。

P;井門
駅本屋中央部です。

ホームへは地下通路を通ります。

P;井門
お店を物色しながら1Fと地下を回ってみます。

P;井門
ドイツの「みどりの窓口」でしょうか。

P;井門
ドイツの自販機です。

P;井門
このスーパーマーケットでミネラルウォーター等を買います。 此処で買えば安いです。

下手なところ(=大多数のお店)で買うとコーラやビールより高いのが“水”です。

P;井門
さて、次は夕食です。 (夕食後はスーパーが閉まってしまうのでこの順序は正しいのです)

P;井門
駅本屋です。 駅前広場に出ました。

P;井門
市電の線路を越えます。

P;井門
右を見ると我等がお宿“インターシティーホテル”です。

P;井門
ケバブ屋です。 昔は全くなかったものです。

井門がドイツに来たのは18年振りです。

ヴルストを食べられる店を探しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8

P;奥井
散々歩き回って見つからず、駅前の一角でお客さんに声を掛けて教えてもらおうとします。

P;奥井
林先生が呆れた顔で戻ってきます。

P;奥井
なんと「市電で何駅も行った街の中心部でないと無い」との事です。

そんな馬鹿な!

P;井門
ケバブ屋で今日の夕食宴会をすることにします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%90%E3%83%96

P;井門
なるほど店員を見ればドイツ人とは思えぬ黒い髪の移民でしょうか・・・

P;奥井
席が無いのでカウンター近くの立ち席で席が空くのを待ちます。

ところで待望の鉄研三田会の先輩方に会いました。 この店の外側の席でもう宴会が終わろうとしていました。

P;奥井
カウンターに張り付いて注文物が出来てくるのを待つ井門です。

P;井門
乾杯です。

P;井門
カリーヴルスト でもこんなのはヴルストじゃない!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88

P;井門
ケバブ

P;井門
ピザ

P;奥井
昔は無かった様なメニューばっかり・・・

流石にハンバーガーは頼みませんでした。

  P;奥井
「烈しいおじさん達」のファーストナイトは盛り上がるのでした。

P;井門
お店の正面で記撮です。

P;井門
地下駐車場の車の前でも記撮です。 (一応車に用事が有ったのです)

P;井門
地下駐車場の眺めです。

P;井門
遅い時間でも走り回っている市電を交わしながらホテルに

P;井門
帰ります。

実は明日からが本番、今日は予行演習みたいなものなのです。

(いちおう井門がドイツに来たのはデトレフと飲みに来たのですが、汽車が走るなら適当に頑張りますぅ)








01逢いたや2014②ダーン

2014-08-12 | 海外蒸機
 2.ダーン:Dahn

 空はドイツらしい曇り空、低い雲に覆われている。 初日に走るのは38型のはずで、サイトの地図によると途中から支線に入る。 空港を出るとすぐにアウトバーンに入る。 いつもだと時速200kmで巡航するのだが、今回は林先生のベンツが後ろから付いてくる。 左ハンドル、右側通行に慣れるまではじっくり走る。 わがポルシェのスピードメーターは180km/hを指しているのにバックミラーにフェラーリが現れるとあっという間に抜いて行った。

(特記無き写真はすべて水沼先生撮影)

P;奥井
あっという間に200㎞/hを突破する水沼先生

(水沼先生は予想の50倍位飛ばします!!凄い!レンタはポルシェしか眼中にない訳です)

P;井門
道は混んでいるので必死で200㎞/hで追えば遅い車に進路を塞がれたポルシェに追いつきます。

P;井門
後席で観念して大人しくしている阪上さん。

P;井門
ひじょうに交通量が多いアウトバーンです。

P;奥井
ポルシェのバックミラーに捉えたメルセデスCLS。

P;井門
片側3車線の混んだアウトバーンから片側2車線の路線に移ります。

P;井門
140㎞/h辺りからの加速力が桁違いなのであっという間に置いて行かれます。

‘S’ですから3.8ℓの方です。

P;井門
林先生もアウトバーンに馴れていますが、平均200㎞/hの「巡航」には馴れていません。

P;奥井
突然後方からフェラーリ登場!

P;奥井
そのフェラーリを追うポルシェ! (ベンツの存在が無ければ競り掛けたのでは?)


P;井門
アウトバーン65号線でノイシュタット過ぎてランダウに向かう途中で一般道へ降ります。

ポルシェの排気管から爆発的な排気! ポルシェとは思えない強烈なエグゾーストノート炸裂!
(ドイツの国道は制限速度100㎞/hですよォ!)



 ノイシュタットを過ぎるとワイン畑が広がってきた。 ノイシュタット ヴァインシュトラーゼはワイン通りの新町という意味だ。
 線路が見えたと思うと、彼方から煙が上がった。 いいタイミングだ。
 当初は古い38型が参加することになっていた。 しかし現れたのは5つの小さな赤い動輪に、船底テンダーの、・・・あれれ!52型だ。
 後で聞いたところによると38型は故障で参加できないとのことだった。 動態蒸気機関車王国のドイツもSLの年齢は上がり、年々保守が難しくなっているという話が現実的に感じる。 3台集まるはずの01も01 150は故障で走行不能とのことだった。 かわりに41 型がやってくるという。



3軸、ボギー混合の客車列車を牽いて踏切に近付く 52 4867。

P;井門
井門も急いでシャッターを切ったのですが、カメラが〝たぬき”モードになっていました。 シャッター速度優先;1/20秒でした・・・

ポルシェ組は「アウトバーンじゃなくては追い付けないから」と言い残し、方向転換して走り去りました。
ベンツも負けじと方転して走りましたが見失いました。

その後ベンツの3つのナビ;
①井門
②車載ナビ(1目的地を打ち込めない 2縮尺が変えられない 3「現在地」が出来ない)
③スマホ利用のナビ(一回目の目的地を消去できない)
その全てが全然役に立たず・・・更に地図も無いのでアウトバーン65号線も判りません。

(最初の契約では「車載日本語ナビ」だったのですが・・・)

P;井門
彷徨した末、先程52型を撮影した踏切に舞い戻ってしまいました。
そこへ変なDCが来てしまい、待たされます。
泣きっ面に蜂です。
自棄糞?

   結局ベンツ組は唯一の手がかり、ダンプスペクタケルの粗い地図を頼りに一般道を行きます。
   地道に・・・

一方ポルシェは南北に走るアウトバーン65号線から東西に延びる国道10号線に入って今日唯一の52型の列車が走る方(西)へ向かいます。

あっ!いい場所!と思ったところで山下さん、矢野さんの後姿も発見、近付きます。

P;奥井
ポルシェで行くと反対側から牛の大群が接近!

P;奥井
あっという間に取り囲まれます。

P;奥井

P;奥井
奥井さんも水沼先生も車から降りられず牛の大群を満足に撮る事が出来ず、

P;奥井
山下さん、矢野さんはポルシェが邪魔になって牛の大群を撮る事が出来ませんでした。(牛に囲まれるポルシェは撮れたかも・・・?)


ポルシェ組2枚目はこんな情景でした。

P;井門
ベンツ組です。 ‘鉄’が構えているから蒸機列車を追い越したことを知った次第です。

ランダウから西に向かってきた線路が分岐する場所、ショップ峠経由カイザースラウテルン方向へ行く北西方向への線路と南へ向かうダーンへ繋がる線路が分岐する付近で先程の列車を捉えるところまで来ました。

P;井門
運転の林先生もしっかりカメラを構えられました。

P;井門
ヒンターヴァイデンタール・オルト駅手前の地点、ベンツ組2発目です。

P;井門
ベンツ組3発目は視界の広い直線で大勢の「鉄」の砲列です。

井門は動画(シネマイオス使用)を撮る都合で砲列を入れて撮影しました。

左の方に矢野さんの姿も見えます。

P;井門
ベンツ組がポルシェ組に追いついたのはここです。 Dahnの次の駅Dahn-sub駅付近です。


Dahn(ダーン)の有名な岩山をバックに撮ります。


 今日唯一の列車を追っていくと少しずつ山の中に入って行く。 奇妙な形をした岩山が現れる。 このDahnは岩山で有名らしい。 よく見ると岩山の上には鉄道ファンがたくさん陣取っている。 目が慣れてくるとあちこちに「鉄」が待っているのに気がついた。 こちらのてつは動画が多い。 これは2011年にお邪魔した鉄道TV番組“アイゼンバーン・ロマンティック”の影響らしい。

P;井門
ポルシェカレラ4Sカブリオレ

P;井門
返し1本目ブーゼンベルク・シントハルト周辺です。 撮影地を探して走り回るポルシェ。

P;奥井
ポルシェ組の駐車状態です。

P;井門
2本目をどう撮るか作戦会議です。

P;井門
燃料大食いのポルシェの為早めの給油です。

P;井門
給油ポイント近くに「ワニを虐める男」の像です。


車を止めてまずロケハンします。

P;奥井
砲列に加わって撮ります。


有名なダーンの岩山(我々が付けた名前は勿論瞰望岩(がんぼういわ)です。

「鉄」が一杯乗っています。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/9236/ghost/tr0112.html

P;井門
井門は反対側からです。 反対側にも露頭が見えます。

P;井門
移動します。 バックミラーに水沼先生を捉えました。


車を安全な位置に停めて‘返し2本目’です。

P;井門
ダーン・スート駅

P;井門
ダーン・スート駅の観光案内看板

P;井門
その裏面です。


返し2本目来ました。

P;井門
井門は少し後方からです。 (じつは停車中です)

P;奥井
奥井さんは街を入れて (発車しました)


左端に居る変な「鉄」が井門です。

P;井門
井門の位置からの後追いです。

P;井門
ダーン・スート駅を見下ろすレストランに入ります。

P;井門
水沼先生が発注の取り纏めです。 (語学力が超絶していますので)

P;奥井
井門にコーラが届きました。 カメラの向きが怪しげです。 どんな時も狙っています・・・

P;井門
乾杯! ドイツ最初の乾杯です。 水沼先生と井門がコーラ(=午後の運転手)です。

P;井門
サラダ

P;井門
パン

P;井門
ランプステーキ

これは美味しかった!

P;井門
記撮をお願いしました。 写真上手い!

P;井門
おばあちゃんが御芋を持ってきました。

P;井門
じゃが芋色々。 ポンフリー=カルトオッフェル=フライドポテト=揚げ芋はできれば避けたい。

P;井門
可愛いお嬢ちゃん(お孫ちゃん)も登場です。

P;井門
さあ午後のドライブです。

 
 何度か追っかけをして峠の撮影ポイントを目指す。 驚いたことにここは日本人が多い、半数位は日本人だ。 カメラが重装備なのですぐわかる。 井門さんは早速何人かに話しかけられた。 慶応鉄研のOBの皆さんか?

 時間ぴったりに52型がやってくる。 船底型のテンダーを持った52 4867号はフランクフルト歴史鉄道の機関車で、01原型機の118号とともに参加している。 2台とも調子が良いらしく、あちこちで活躍している。 風景を良くみると奇妙な形をした岩があちこちに見える。 その岩にてつが一杯登っている。 けっこうな俯瞰がとれそうだ。


P;井門
実は鉄研三田会の皆様に会えると思っていたのですが、三田会勢だけが居ません。

P;井門
むしろ稲門鉄研が多い皆様です。


大勢の「日本人鉄」の前を快調なブラストを響かせて駆け抜ける'52 4867'

P;井門
Dahn駅にやってきました。

P;井門
ダンプスペクタケルのポスターが掲示されていました。

P;井門
烈しい人達ばかりの一行による記念写真です。

P;井門
駅前に埋まった線路とMANのトラック。

P;井門
そして主役のひとり?ポルシェ君です。


 一日52を追いかけて、宿泊先のマンハイム インターシティホテルへ向かった。 駅前は路面電車が元気に走っている。 ホテルは駅の目の前だった。 駅から次々とインターシティーや、ICEが発車していく。 何人かの部屋は駅がよく見え、回送の蒸機が発車していくのが見えた。








慶應鉄研80年展

2014-08-11 | 国鉄時代
ドイツレポートが始まったばかりですが割り込みです。

明日8月11日から16日まで有楽町交通会館で〝慶應鉄研80年”を開催します。

http://krc.gr.jp/


準備が整いつつある本日の会場です。


1934年 → 2014年 一年毎の「日本の鉄道の歩み」のコーナーです。

私の写真も使ってもらっています。 とても嬉しいです。


鉄研の出版物と会員著作の出版物です。 「増田・井門」も掲載してもらっています。


模型の展示です。 スクラッチビルドの世界から始まります。


JM(1/80 13mm)の始まり、TMS誌昭和33年3月号の白取剛さんの記事です。

白取さんは原宿店でテクニカルアドバイザーをお願いしていた時期があります。


三田祭の展示に使われた1/10スケールナハ10のカットモデルです。

我々も1/10のオシ14カットモデルを作りましたが現存しているかどうか・・・
(在るとすれば我家ですが引っ越し時に失われたか・・・)

P;森

『鉄研80年の歩み』のコーナーに私が写っている写真が在ってびっくり!ネムタクのダルマをバックに。

内容の充実は『物凄い』です。 まさに必見!!

12日に受付当番の村樫四郎さんから「是非この日に見に来てほしい」との伝言も有りました。

伝説的な人物(村樫さんは日本のファンに夜間バルブ撮影を広めた「趣味界の功労者」です)の話を聞けるのも貴重なチャンスです。






01逢いたや2014①

2014-08-05 | 海外蒸機
満を持して(?)ドイツレポートを致します。

水沼さんのレポート「01逢いたや」に合わせて報告いたします。
水沼先生のレポートを青字で表記して、私の報告をいつもの黒文字(と言うより殆ど写真?)で並行して進めて参るつもりです。

 1980年3月、ドイツ民主共和国、当時の共産圏である東ドイツ、ザールフェルド駅近郊、冷たい霧雨の中から長いデフレクター、真っ赤な動輪のパシフィック、01型蒸気機関車がいきなり現れた。 隣にいた地元のファンが呆然とつぶやいた。「ドレスデンの動態保存機だ、01型原型機の01 2204だ!なぜ、ここにいるのだ?」
 当時はオイルショックと呼ばれた世界的石油不足で、共産国だった東ドイツでは石油節約のため蒸気機関車を次々と復活させていた。 このニュースを聞いて私は、観光旅行の欧州巡りの2日間だけを東ドイツに割り当て、幸運なことに世界で最も有名な蒸気機関車、01原型機に出会えたのだ。 01原型機は本当にバランスがとれた美しい機関車だった。 01 2204は特に丁寧に磨かれた状態で、後年見た中国やアメリカのSLより遥かに美しかった。 いつかまた01に逢いたやという気持ちは年が経つほど強くなり、立派な01中毒になっていた。


 
1. マンハイム:
 2014年5/6月にドイツで蒸気機関車の祭典があるという。 その名もダンプスペクタケル(Dampf spektakel;蒸気スペクタクル)という。 ドイツらしいKが二つも入った野暮ったいネーミングだ。 ドイツ蒸機を代表する01が3台、貨物用の41型、52型、古い38型も大集合する会になるらしい。 東十条のたぬき会では半年前から話題になっていた。 国鉄時代編集長の山下さん、その親友の矢野さんが前々から綿密な準備をしているらしい。 グーグルアースを駆使して沿線風景や駅の標高から類推される勾配など全てチェックしているらしい。 また井門さんの所属する慶応鉄研OB会(鉄研三田会)からも多くのメンバーが参加すると伺った。 井門さんは旧友の機関士デトレフさんに会いにバーバリア地方のネルトリンゲンの鉄道博物館に行きたいという。 ネルトリンゲンでは昨年会ったバイエルンの女王S3/6が再び走るという。 だが個人的には01を追いかけたい、それも原型機だ。 主催のホームページを覗くと参加する01はフランクフルトの原型機01 118、西ドイツ型の01 150, 202の3台だ。 他には旅客、貨物併用の41, 貨物用の52型、古い38型も参加するらしい。 デトレフが言っていた言葉を思い出す。 41は燃費も良くて運転しやすく保守も楽だそうだ。 52も第二次世界大戦期に1万台も作られた機関車で壊れにくく、運転しやすいらしい。 01は世界で最も美しい蒸機だが、少し古い感じがするらしい。 原型機で今でも走行可能なのはバイエルンの01 066、フランクフルト歴史鉄道の01 118だ。 01はバラエティーが多く西ドイツで生き残ったのは門デフのような排煙板を持つ西独型だ、今回参加の01 150、 01 202がそうだ。 3気筒のグループも居て、昨年秋にみた01 1066がそうだ。 東独で改造されたのは01 5の番号で日本ではD51のナメクジ型に似たドーム形状からナメクジ01とか共産圏に所属していたことから人民01というあだ名で呼ばれる。 01が3台も参加すると聞けば居ても立ってもいられない。 思い切ってシカゴの会議途中にドイツに寄ることにした。 地球を2/3周するかなり強引な計画だが5月の最後の3日を使うことができる。 便利な時代になってネットで簡単にホテルを探すことができる。 今回の計画の中心地、ノイシュタット ヴァインシュトラーゼは小さな町ですでに予約で一杯だった。 そこから東へ少し、このツアーの真ん中と言ってよいマンハイム駅前のホテルが空いていた。 DB直営のその名もインターシティーホテル、ドイツの高速列車の名前を冠している。 日本でいえばツバメホテルというところだろうか。 駅に隣接しているので、万が一はぐれても電車で帰ることができる。 今回走る蒸気機関車のかなりがここを通過する。 いつもは一人旅だが今回はたぬき会の常連が参加する。 井門さんが団長で常連の林先生、井門さんの古い「鉄」仲間の奥井さん、関西のプロカメラマン阪上さんが来られることになった。 北海道から増田さんも来られるという。 5人ではいつものポルシェでは乗りきれない。 林先生の希望でベンツのEクラスのワゴンも借りることにする。 5月27日と28日、普段は超多忙なおじさん達はバラバラの飛行機でドイツ・フランクフルト空港に降り立った。 空港のレンタカー屋でいつものようにポルシェを借りた。

P;奥井さん
今回はまだ走行距離が1000km未満のピカピカのオープントップの黒い911カレラ4Sだ。

井門団長車は銀色のベンツのワゴンで井門さんと林さんが運転手だ。 カーナビを今日の宿泊地マンハイム“Mannheim”にセットした。 ナビの指示を見ると距離は100kmと少しを示した。 それでは蒸機が忘れられない親父6人衆の旅の始まり!始まり。



水沼さんは27日NH223羽田11:25→16:35フランクフルト

林さんが27日JL407成田11:35→16:40フランクフルト

相前後してフランクフルトに着いたお二人は合流してフランクフルトに宿泊、中央駅でヴルスト(フランクフルトソーセージ)を食べながらビールに舌鼓を打っているらしいです。

(フランクフルトはサマータイムなので日本時間の7時間遅れです)


奥井と井門は28日NH203羽田00:55→06:05フランクフルトです。

札幌から増田さんが、大阪から坂上さんが国内線からの乗り継ぎで同便に乗り込みます。

さらにこの便には山下さん、矢野さん、鈴屋さん、十川さんなど知った顔が沢山乗りこんでいます。

P;奥井
羽田の搭乗カウンターです。 左隣は鈴屋さんです。


井門、矢野、坂上、山下、増田、前列奥井で記撮です。

もう直ぐ搭乗です。


これはBEM(バイエルン鉄道博物館)に持って行くユーハイムのバウムクーヘンです。

実は神戸でもケーニヒスクローネも買ってきています。

このあたりならドイツ人たちの口に合うだろうと考えました。


飛行機はB-787です。 良い飛行機ですね。


実は私はビジネスクラスです。 でもCクラスではなくDクラスです。

安い切符です。Cクラス並みには「マイル」が付かないDクラスです。


デトロイト海山、エンペラー海山列、チヌック海溝、ネッケルリッジ・・・・

飛び立ちました。 地図が好きで映画は無視してこればかり見て居ます。 日本で目立つのは利尻という文字かな・・・


ジャッキー海台・・・こんな日本の近海にヤンキーな名称が・・・利尻が北海道から離れすぎ?


B-787のエコノミー席は3-3-3です。 2-4-2と聞いていたのですが日本独特の詰め込み作戦か?


機内面積の半分近くを占めるビジネスクラス。 トイレ群で別れて2群に別れています。


席配置は2-2-2ですが、半ずれになっていますので隣の席とは隔絶され、フルフラットになります。 夢の様な環境です。


機内誌には天賞堂搭乗!いや登場。 まだまだとてつもなく大きな「力の差」を感じますね。


何時でも自由に発注できる軽食、‘サラダ’と‘とんこつラーメン’を頼んでみました。


なかなか美味しい!JALへの対抗心も感じます。 これが競争で実現した楽園でしょうか。


火葬場を連想させるテーブルです・・・


席をフラットにして


CAのお姉さんに寝台セットを頼んでしまいました。


奥井さん撮影による「窓の外の様子」です。

まだ夜中の午前3時(現地時間では午前2時かな)ですが、夜が明けてきました。

しかも北からの太陽です。


こんなところを飛行中です。 P;奥井さん


井門側の窓の様子です。

手前の窓はボタン操作で光を通さない方にしてあり、向こうは通すようにしてあります。


シベリア上空です。 私の席は進行方向左向き=南向きです。 まだ真夜中なので気になるけれどもさっさと寝てしまいます。


こんな位置を飛行中また目が覚めました。


トイレの窓から右側を見るとやや後方向に太陽か・・・


更に少し進んでこんなところを飛行中です。


サンクトペテルブルク上空の様です。


レニングラードですね。


北からの太陽がまだ燦々と照っています。


シカゴとかジャカルタ、蘭州・・・


朝食のお時間です。


ヤンマイネン海嶺・・・ウルムチもまだ頑張っています。




意外なほどヘルシンキが近い!

30年前ヘルシンキで30ノットの超高速フェリー“フィンジェット”の入港を撮影しました。 (一応家具の展示会を見に行ったのです)


この地図で如何にフィンランドが湖だらけなのか判ります。


ドイツの地図も検討しておきます。


朝食は和食を選びました。 (少し前の私では考えられない事です)


和食の朝食です。


コーヒーを頂きます。


窓を「光通さない」にするとこんな感じだが、


「通す」にするとこんな感じです。

北極圏=白夜の世界を抜け出しそうな感じになっています。 やがて正しい真夜中に戻りかけますが、同時に朝もやってくるという微妙な設定です。


ベルリンを通り過ぎました。 この時点でまだ現地時間午前4時半です。

昔、ノルウェイのベルゲンからスタバンゲルまで船で移動しました。 オスロ→ベルゲンの車窓は素晴らしいスペクタクルですが、スタバンゲル→オスロも乗りたかったのです。 結構乗り鉄してますね。


まだジャカルタが頑張っています。


ウルムチも頑張っています。


ファローアイスランド海嶺、ウィーヴィールトムソン海嶺、ビスケー平原、海底の地名が面白いです。


ポーランド、グダニスクは連帯の本拠地だったところ、カトヴィツェはアウシュヴィッツに近い所だったはずです(2回訪問しています)

ブルノでは駐車中、夜間にレンタカーの窓ガラスを割られた事が有ります。


おおおっ!!ベルリン、ドレスデン、プラハ・・・

フランクフルトのちょっと先、トリールの「ル」やカールスルーエの「カ」の文字の辺りは今回のダンプスペクタケルの舞台だと思います。


フランクフルトに着くかと思ったらUターンです。

着陸の順番待ち? 管制官がトイレに行く時間を要求した?


無事フランクフルトに到着しました。 1時間も早着しました。


クラシックな感じの表示板です。


うわっ・・・此処は北京空港か?

P;奥井
これはどこを歩行中でしょうか・・・

P;奥井
坂上さんはコーヒーを飲もうとしています。


通関を終わって待合室です。 山下さん矢野さん、鈴屋さん十川さんは先に出発して行きました。

我々は水沼先生や林先生(どちらもドクターですね)を待って合流してレンタカー手続きをします。


1時間早着は早すぎです。

P;奥井
レンタカー屋に向かいます。 レンタカー屋で合流です。


林さんが予約したのはハーツです。

P;奥井
ベンツEクラスのワゴン(日本語ナビ付)を予約したつもりだったのですが、用意されていたのはボルボのワゴンでした。

林さんがEのワゴンにしたのは国内で乗っている車だから最初から操作方法が判って便利だからです。

同じクラスだと言われますが同じクラスというのもまた随分乱暴な話ですよね。
大きさだけ同じだから同じクラスとは?
AUDIとVOLVOなら同じクラスですがBENZは誰が考えたって同じクラスではないです。

レンタカー屋に注意、警戒が必要ですね。

P;奥井
少し高くなるが写真のCLSでどうだと言います。

ポルシェと競争はできませんが、付いて走る事を考えるとこの車なら良さそうです。


我々もトラブりましたが水沼先生も大変な状況でした。

当初我々の車もAVISで水沼先生一括で予約、しかしHerzの「お得」コースに惹かれて林先生の予約に振り替えてキャンセルしたものが間違えてポルシェをキャンセルしてあったのです。

西ドイツからドイツになってドイツ人はふやけてしまったか?

ここで時間を大きくロスして今日の撮影に暗雲が・・・

まあ、私は「鉄」としてよりデトレフと飲みにドイツに来たのですから・・・


ようやく終了、まずは我々グループ全員集合の状態で記撮です!

増田泉さんは此処から列車で直接ネルトリンゲンに向かい、デトレフと一緒にカマの修理をするのです。

修理するカマは昔からデトレフが担当している 44 2546 です。


巨大駐車場の中にレンタカーも停まっています。 指定された場所に向かいます。


ベンツの宣伝コーナーもあります。


ナビはドイツ語です。

林さんが持って来た日本のスマホ(世界バージョンの地図入り)をセットしています。

ナビとして使える筈です。


さあ出発です。

奥井さんは水沼先生のポルシェに行きました。


パーキング出口で待ちます。


こんな車です。 3500㏄のディーゼル。


アウトバーンに乗り最初のパーキングで会う事に成功しました。


いよいよ出発です!