満を持して(?)ドイツレポートを致します。
水沼さんのレポート「01逢いたや」に合わせて報告いたします。
水沼先生のレポートを青字で表記して、私の報告をいつもの黒文字(と言うより殆ど写真?)で並行して進めて参るつもりです。
1980年3月、ドイツ民主共和国、当時の共産圏である東ドイツ、ザールフェルド駅近郊、冷たい霧雨の中から長いデフレクター、真っ赤な動輪のパシフィック、01型蒸気機関車がいきなり現れた。 隣にいた地元のファンが呆然とつぶやいた。「ドレスデンの動態保存機だ、01型原型機の01 2204だ!なぜ、ここにいるのだ?」
当時はオイルショックと呼ばれた世界的石油不足で、共産国だった東ドイツでは石油節約のため蒸気機関車を次々と復活させていた。 このニュースを聞いて私は、観光旅行の欧州巡りの2日間だけを東ドイツに割り当て、幸運なことに世界で最も有名な蒸気機関車、01原型機に出会えたのだ。 01原型機は本当にバランスがとれた美しい機関車だった。 01 2204は特に丁寧に磨かれた状態で、後年見た中国やアメリカのSLより遥かに美しかった。 いつかまた01に逢いたやという気持ちは年が経つほど強くなり、立派な01中毒になっていた。
1. マンハイム:
2014年5/6月にドイツで蒸気機関車の祭典があるという。 その名もダンプスペクタケル(Dampf spektakel;蒸気スペクタクル)という。 ドイツらしいKが二つも入った野暮ったいネーミングだ。 ドイツ蒸機を代表する01が3台、貨物用の41型、52型、古い38型も大集合する会になるらしい。 東十条のたぬき会では半年前から話題になっていた。 国鉄時代編集長の山下さん、その親友の矢野さんが前々から綿密な準備をしているらしい。 グーグルアースを駆使して沿線風景や駅の標高から類推される勾配など全てチェックしているらしい。 また井門さんの所属する慶応鉄研OB会(鉄研三田会)からも多くのメンバーが参加すると伺った。 井門さんは旧友の機関士デトレフさんに会いにバーバリア地方のネルトリンゲンの鉄道博物館に行きたいという。 ネルトリンゲンでは昨年会ったバイエルンの女王S3/6が再び走るという。 だが個人的には01を追いかけたい、それも原型機だ。 主催のホームページを覗くと参加する01はフランクフルトの原型機01 118、西ドイツ型の01 150, 202の3台だ。 他には旅客、貨物併用の41, 貨物用の52型、古い38型も参加するらしい。 デトレフが言っていた言葉を思い出す。 41は燃費も良くて運転しやすく保守も楽だそうだ。 52も第二次世界大戦期に1万台も作られた機関車で壊れにくく、運転しやすいらしい。 01は世界で最も美しい蒸機だが、少し古い感じがするらしい。 原型機で今でも走行可能なのはバイエルンの01 066、フランクフルト歴史鉄道の01 118だ。 01はバラエティーが多く西ドイツで生き残ったのは門デフのような排煙板を持つ西独型だ、今回参加の01 150、 01 202がそうだ。 3気筒のグループも居て、昨年秋にみた01 1066がそうだ。 東独で改造されたのは01 5の番号で日本ではD51のナメクジ型に似たドーム形状からナメクジ01とか共産圏に所属していたことから人民01というあだ名で呼ばれる。 01が3台も参加すると聞けば居ても立ってもいられない。 思い切ってシカゴの会議途中にドイツに寄ることにした。 地球を2/3周するかなり強引な計画だが5月の最後の3日を使うことができる。 便利な時代になってネットで簡単にホテルを探すことができる。 今回の計画の中心地、ノイシュタット ヴァインシュトラーゼは小さな町ですでに予約で一杯だった。 そこから東へ少し、このツアーの真ん中と言ってよいマンハイム駅前のホテルが空いていた。 DB直営のその名もインターシティーホテル、ドイツの高速列車の名前を冠している。 日本でいえばツバメホテルというところだろうか。 駅に隣接しているので、万が一はぐれても電車で帰ることができる。 今回走る蒸気機関車のかなりがここを通過する。 いつもは一人旅だが今回はたぬき会の常連が参加する。 井門さんが団長で常連の林先生、井門さんの古い「鉄」仲間の奥井さん、関西のプロカメラマン阪上さんが来られることになった。 北海道から増田さんも来られるという。 5人ではいつものポルシェでは乗りきれない。 林先生の希望でベンツのEクラスのワゴンも借りることにする。 5月27日と28日、普段は超多忙なおじさん達はバラバラの飛行機でドイツ・フランクフルト空港に降り立った。 空港のレンタカー屋でいつものようにポルシェを借りた。
P;奥井さん
今回はまだ走行距離が1000km未満のピカピカのオープントップの黒い911カレラ4Sだ。
井門団長車は銀色のベンツのワゴンで井門さんと林さんが運転手だ。 カーナビを今日の宿泊地マンハイム“Mannheim”にセットした。 ナビの指示を見ると距離は100kmと少しを示した。 それでは蒸機が忘れられない親父6人衆の旅の始まり!始まり。
水沼さんは27日NH223羽田11:25→16:35フランクフルト
林さんが27日JL407成田11:35→16:40フランクフルト
相前後してフランクフルトに着いたお二人は合流してフランクフルトに宿泊、中央駅でヴルスト(フランクフルトソーセージ)を食べながらビールに舌鼓を打っているらしいです。
(フランクフルトはサマータイムなので日本時間の7時間遅れです)
奥井と井門は28日NH203羽田00:55→06:05フランクフルトです。
札幌から増田さんが、大阪から坂上さんが国内線からの乗り継ぎで同便に乗り込みます。
さらにこの便には山下さん、矢野さん、鈴屋さん、十川さんなど知った顔が沢山乗りこんでいます。
P;奥井
羽田の搭乗カウンターです。 左隣は鈴屋さんです。
井門、矢野、坂上、山下、増田、前列奥井で記撮です。
もう直ぐ搭乗です。
これはBEM(バイエルン鉄道博物館)に持って行くユーハイムのバウムクーヘンです。
実は神戸でもケーニヒスクローネも買ってきています。
このあたりならドイツ人たちの口に合うだろうと考えました。
飛行機はB-787です。 良い飛行機ですね。
実は私はビジネスクラスです。 でもCクラスではなくDクラスです。
安い切符です。Cクラス並みには「マイル」が付かないDクラスです。
デトロイト海山、エンペラー海山列、チヌック海溝、ネッケルリッジ・・・・
飛び立ちました。 地図が好きで映画は無視してこればかり見て居ます。 日本で目立つのは利尻という文字かな・・・
ジャッキー海台・・・こんな日本の近海にヤンキーな名称が・・・利尻が北海道から離れすぎ?
B-787のエコノミー席は3-3-3です。 2-4-2と聞いていたのですが日本独特の詰め込み作戦か?
機内面積の半分近くを占めるビジネスクラス。 トイレ群で別れて2群に別れています。
席配置は2-2-2ですが、半ずれになっていますので隣の席とは隔絶され、フルフラットになります。 夢の様な環境です。
機内誌には天賞堂搭乗!いや登場。 まだまだとてつもなく大きな「力の差」を感じますね。
何時でも自由に発注できる軽食、‘サラダ’と‘とんこつラーメン’を頼んでみました。
なかなか美味しい!JALへの対抗心も感じます。 これが競争で実現した楽園でしょうか。
火葬場を連想させるテーブルです・・・
席をフラットにして
CAのお姉さんに寝台セットを頼んでしまいました。
奥井さん撮影による「窓の外の様子」です。
まだ夜中の午前3時(現地時間では午前2時かな)ですが、夜が明けてきました。
しかも北からの太陽です。
こんなところを飛行中です。 P;奥井さん
井門側の窓の様子です。
手前の窓はボタン操作で光を通さない方にしてあり、向こうは通すようにしてあります。
シベリア上空です。 私の席は進行方向左向き=南向きです。 まだ真夜中なので気になるけれどもさっさと寝てしまいます。
こんな位置を飛行中また目が覚めました。
トイレの窓から右側を見るとやや後方向に太陽か・・・
更に少し進んでこんなところを飛行中です。
サンクトペテルブルク上空の様です。
レニングラードですね。
北からの太陽がまだ燦々と照っています。
シカゴとかジャカルタ、蘭州・・・
朝食のお時間です。
ヤンマイネン海嶺・・・ウルムチもまだ頑張っています。
意外なほどヘルシンキが近い!
30年前ヘルシンキで30ノットの超高速フェリー“フィンジェット”の入港を撮影しました。 (一応家具の展示会を見に行ったのです)
この地図で如何にフィンランドが湖だらけなのか判ります。
ドイツの地図も検討しておきます。
朝食は和食を選びました。 (少し前の私では考えられない事です)
和食の朝食です。
コーヒーを頂きます。
窓を「光通さない」にするとこんな感じだが、
「通す」にするとこんな感じです。
北極圏=白夜の世界を抜け出しそうな感じになっています。 やがて正しい真夜中に戻りかけますが、同時に朝もやってくるという微妙な設定です。
ベルリンを通り過ぎました。 この時点でまだ現地時間午前4時半です。
昔、ノルウェイのベルゲンからスタバンゲルまで船で移動しました。 オスロ→ベルゲンの車窓は素晴らしいスペクタクルですが、スタバンゲル→オスロも乗りたかったのです。 結構乗り鉄してますね。
まだジャカルタが頑張っています。
ウルムチも頑張っています。
ファローアイスランド海嶺、ウィーヴィールトムソン海嶺、ビスケー平原、海底の地名が面白いです。
ポーランド、グダニスクは連帯の本拠地だったところ、カトヴィツェはアウシュヴィッツに近い所だったはずです(2回訪問しています)
ブルノでは駐車中、夜間にレンタカーの窓ガラスを割られた事が有ります。
おおおっ!!ベルリン、ドレスデン、プラハ・・・
フランクフルトのちょっと先、トリールの「ル」やカールスルーエの「カ」の文字の辺りは今回のダンプスペクタケルの舞台だと思います。
フランクフルトに着くかと思ったらUターンです。
着陸の順番待ち? 管制官がトイレに行く時間を要求した?
無事フランクフルトに到着しました。 1時間も早着しました。
クラシックな感じの表示板です。
うわっ・・・此処は北京空港か?
P;奥井
これはどこを歩行中でしょうか・・・
P;奥井
坂上さんはコーヒーを飲もうとしています。
通関を終わって待合室です。 山下さん矢野さん、鈴屋さん十川さんは先に出発して行きました。
我々は水沼先生や林先生(どちらもドクターですね)を待って合流してレンタカー手続きをします。
1時間早着は早すぎです。
P;奥井
レンタカー屋に向かいます。 レンタカー屋で合流です。
林さんが予約したのはハーツです。
P;奥井
ベンツEクラスのワゴン(日本語ナビ付)を予約したつもりだったのですが、用意されていたのはボルボのワゴンでした。
林さんがEのワゴンにしたのは国内で乗っている車だから最初から操作方法が判って便利だからです。
同じクラスだと言われますが同じクラスというのもまた随分乱暴な話ですよね。
大きさだけ同じだから同じクラスとは?
AUDIとVOLVOなら同じクラスですがBENZは誰が考えたって同じクラスではないです。
レンタカー屋に注意、警戒が必要ですね。
P;奥井
少し高くなるが写真のCLSでどうだと言います。
ポルシェと競争はできませんが、付いて走る事を考えるとこの車なら良さそうです。
我々もトラブりましたが水沼先生も大変な状況でした。
当初我々の車もAVISで水沼先生一括で予約、しかしHerzの「お得」コースに惹かれて林先生の予約に振り替えてキャンセルしたものが間違えてポルシェをキャンセルしてあったのです。
西ドイツからドイツになってドイツ人はふやけてしまったか?
ここで時間を大きくロスして今日の撮影に暗雲が・・・
まあ、私は「鉄」としてよりデトレフと飲みにドイツに来たのですから・・・
ようやく終了、まずは我々グループ全員集合の状態で記撮です!
増田泉さんは此処から列車で直接ネルトリンゲンに向かい、デトレフと一緒にカマの修理をするのです。
修理するカマは昔からデトレフが担当している 44 2546 です。
巨大駐車場の中にレンタカーも停まっています。 指定された場所に向かいます。
ベンツの宣伝コーナーもあります。
ナビはドイツ語です。
林さんが持って来た日本のスマホ(世界バージョンの地図入り)をセットしています。
ナビとして使える筈です。
さあ出発です。
奥井さんは水沼先生のポルシェに行きました。
パーキング出口で待ちます。
こんな車です。 3500㏄のディーゼル。
アウトバーンに乗り最初のパーキングで会う事に成功しました。
いよいよ出発です!
水沼さんのレポート「01逢いたや」に合わせて報告いたします。
水沼先生のレポートを青字で表記して、私の報告をいつもの黒文字(と言うより殆ど写真?)で並行して進めて参るつもりです。
1980年3月、ドイツ民主共和国、当時の共産圏である東ドイツ、ザールフェルド駅近郊、冷たい霧雨の中から長いデフレクター、真っ赤な動輪のパシフィック、01型蒸気機関車がいきなり現れた。 隣にいた地元のファンが呆然とつぶやいた。「ドレスデンの動態保存機だ、01型原型機の01 2204だ!なぜ、ここにいるのだ?」
当時はオイルショックと呼ばれた世界的石油不足で、共産国だった東ドイツでは石油節約のため蒸気機関車を次々と復活させていた。 このニュースを聞いて私は、観光旅行の欧州巡りの2日間だけを東ドイツに割り当て、幸運なことに世界で最も有名な蒸気機関車、01原型機に出会えたのだ。 01原型機は本当にバランスがとれた美しい機関車だった。 01 2204は特に丁寧に磨かれた状態で、後年見た中国やアメリカのSLより遥かに美しかった。 いつかまた01に逢いたやという気持ちは年が経つほど強くなり、立派な01中毒になっていた。
1. マンハイム:
2014年5/6月にドイツで蒸気機関車の祭典があるという。 その名もダンプスペクタケル(Dampf spektakel;蒸気スペクタクル)という。 ドイツらしいKが二つも入った野暮ったいネーミングだ。 ドイツ蒸機を代表する01が3台、貨物用の41型、52型、古い38型も大集合する会になるらしい。 東十条のたぬき会では半年前から話題になっていた。 国鉄時代編集長の山下さん、その親友の矢野さんが前々から綿密な準備をしているらしい。 グーグルアースを駆使して沿線風景や駅の標高から類推される勾配など全てチェックしているらしい。 また井門さんの所属する慶応鉄研OB会(鉄研三田会)からも多くのメンバーが参加すると伺った。 井門さんは旧友の機関士デトレフさんに会いにバーバリア地方のネルトリンゲンの鉄道博物館に行きたいという。 ネルトリンゲンでは昨年会ったバイエルンの女王S3/6が再び走るという。 だが個人的には01を追いかけたい、それも原型機だ。 主催のホームページを覗くと参加する01はフランクフルトの原型機01 118、西ドイツ型の01 150, 202の3台だ。 他には旅客、貨物併用の41, 貨物用の52型、古い38型も参加するらしい。 デトレフが言っていた言葉を思い出す。 41は燃費も良くて運転しやすく保守も楽だそうだ。 52も第二次世界大戦期に1万台も作られた機関車で壊れにくく、運転しやすいらしい。 01は世界で最も美しい蒸機だが、少し古い感じがするらしい。 原型機で今でも走行可能なのはバイエルンの01 066、フランクフルト歴史鉄道の01 118だ。 01はバラエティーが多く西ドイツで生き残ったのは門デフのような排煙板を持つ西独型だ、今回参加の01 150、 01 202がそうだ。 3気筒のグループも居て、昨年秋にみた01 1066がそうだ。 東独で改造されたのは01 5の番号で日本ではD51のナメクジ型に似たドーム形状からナメクジ01とか共産圏に所属していたことから人民01というあだ名で呼ばれる。 01が3台も参加すると聞けば居ても立ってもいられない。 思い切ってシカゴの会議途中にドイツに寄ることにした。 地球を2/3周するかなり強引な計画だが5月の最後の3日を使うことができる。 便利な時代になってネットで簡単にホテルを探すことができる。 今回の計画の中心地、ノイシュタット ヴァインシュトラーゼは小さな町ですでに予約で一杯だった。 そこから東へ少し、このツアーの真ん中と言ってよいマンハイム駅前のホテルが空いていた。 DB直営のその名もインターシティーホテル、ドイツの高速列車の名前を冠している。 日本でいえばツバメホテルというところだろうか。 駅に隣接しているので、万が一はぐれても電車で帰ることができる。 今回走る蒸気機関車のかなりがここを通過する。 いつもは一人旅だが今回はたぬき会の常連が参加する。 井門さんが団長で常連の林先生、井門さんの古い「鉄」仲間の奥井さん、関西のプロカメラマン阪上さんが来られることになった。 北海道から増田さんも来られるという。 5人ではいつものポルシェでは乗りきれない。 林先生の希望でベンツのEクラスのワゴンも借りることにする。 5月27日と28日、普段は超多忙なおじさん達はバラバラの飛行機でドイツ・フランクフルト空港に降り立った。 空港のレンタカー屋でいつものようにポルシェを借りた。
P;奥井さん
今回はまだ走行距離が1000km未満のピカピカのオープントップの黒い911カレラ4Sだ。
井門団長車は銀色のベンツのワゴンで井門さんと林さんが運転手だ。 カーナビを今日の宿泊地マンハイム“Mannheim”にセットした。 ナビの指示を見ると距離は100kmと少しを示した。 それでは蒸機が忘れられない親父6人衆の旅の始まり!始まり。
水沼さんは27日NH223羽田11:25→16:35フランクフルト
林さんが27日JL407成田11:35→16:40フランクフルト
相前後してフランクフルトに着いたお二人は合流してフランクフルトに宿泊、中央駅でヴルスト(フランクフルトソーセージ)を食べながらビールに舌鼓を打っているらしいです。
(フランクフルトはサマータイムなので日本時間の7時間遅れです)
奥井と井門は28日NH203羽田00:55→06:05フランクフルトです。
札幌から増田さんが、大阪から坂上さんが国内線からの乗り継ぎで同便に乗り込みます。
さらにこの便には山下さん、矢野さん、鈴屋さん、十川さんなど知った顔が沢山乗りこんでいます。
P;奥井
羽田の搭乗カウンターです。 左隣は鈴屋さんです。
井門、矢野、坂上、山下、増田、前列奥井で記撮です。
もう直ぐ搭乗です。
これはBEM(バイエルン鉄道博物館)に持って行くユーハイムのバウムクーヘンです。
実は神戸でもケーニヒスクローネも買ってきています。
このあたりならドイツ人たちの口に合うだろうと考えました。
飛行機はB-787です。 良い飛行機ですね。
実は私はビジネスクラスです。 でもCクラスではなくDクラスです。
安い切符です。Cクラス並みには「マイル」が付かないDクラスです。
デトロイト海山、エンペラー海山列、チヌック海溝、ネッケルリッジ・・・・
飛び立ちました。 地図が好きで映画は無視してこればかり見て居ます。 日本で目立つのは利尻という文字かな・・・
ジャッキー海台・・・こんな日本の近海にヤンキーな名称が・・・利尻が北海道から離れすぎ?
B-787のエコノミー席は3-3-3です。 2-4-2と聞いていたのですが日本独特の詰め込み作戦か?
機内面積の半分近くを占めるビジネスクラス。 トイレ群で別れて2群に別れています。
席配置は2-2-2ですが、半ずれになっていますので隣の席とは隔絶され、フルフラットになります。 夢の様な環境です。
機内誌には天賞堂搭乗!いや登場。 まだまだとてつもなく大きな「力の差」を感じますね。
何時でも自由に発注できる軽食、‘サラダ’と‘とんこつラーメン’を頼んでみました。
なかなか美味しい!JALへの対抗心も感じます。 これが競争で実現した楽園でしょうか。
火葬場を連想させるテーブルです・・・
席をフラットにして
CAのお姉さんに寝台セットを頼んでしまいました。
奥井さん撮影による「窓の外の様子」です。
まだ夜中の午前3時(現地時間では午前2時かな)ですが、夜が明けてきました。
しかも北からの太陽です。
こんなところを飛行中です。 P;奥井さん
井門側の窓の様子です。
手前の窓はボタン操作で光を通さない方にしてあり、向こうは通すようにしてあります。
シベリア上空です。 私の席は進行方向左向き=南向きです。 まだ真夜中なので気になるけれどもさっさと寝てしまいます。
こんな位置を飛行中また目が覚めました。
トイレの窓から右側を見るとやや後方向に太陽か・・・
更に少し進んでこんなところを飛行中です。
サンクトペテルブルク上空の様です。
レニングラードですね。
北からの太陽がまだ燦々と照っています。
シカゴとかジャカルタ、蘭州・・・
朝食のお時間です。
ヤンマイネン海嶺・・・ウルムチもまだ頑張っています。
意外なほどヘルシンキが近い!
30年前ヘルシンキで30ノットの超高速フェリー“フィンジェット”の入港を撮影しました。 (一応家具の展示会を見に行ったのです)
この地図で如何にフィンランドが湖だらけなのか判ります。
ドイツの地図も検討しておきます。
朝食は和食を選びました。 (少し前の私では考えられない事です)
和食の朝食です。
コーヒーを頂きます。
窓を「光通さない」にするとこんな感じだが、
「通す」にするとこんな感じです。
北極圏=白夜の世界を抜け出しそうな感じになっています。 やがて正しい真夜中に戻りかけますが、同時に朝もやってくるという微妙な設定です。
ベルリンを通り過ぎました。 この時点でまだ現地時間午前4時半です。
昔、ノルウェイのベルゲンからスタバンゲルまで船で移動しました。 オスロ→ベルゲンの車窓は素晴らしいスペクタクルですが、スタバンゲル→オスロも乗りたかったのです。 結構乗り鉄してますね。
まだジャカルタが頑張っています。
ウルムチも頑張っています。
ファローアイスランド海嶺、ウィーヴィールトムソン海嶺、ビスケー平原、海底の地名が面白いです。
ポーランド、グダニスクは連帯の本拠地だったところ、カトヴィツェはアウシュヴィッツに近い所だったはずです(2回訪問しています)
ブルノでは駐車中、夜間にレンタカーの窓ガラスを割られた事が有ります。
おおおっ!!ベルリン、ドレスデン、プラハ・・・
フランクフルトのちょっと先、トリールの「ル」やカールスルーエの「カ」の文字の辺りは今回のダンプスペクタケルの舞台だと思います。
フランクフルトに着くかと思ったらUターンです。
着陸の順番待ち? 管制官がトイレに行く時間を要求した?
無事フランクフルトに到着しました。 1時間も早着しました。
クラシックな感じの表示板です。
うわっ・・・此処は北京空港か?
P;奥井
これはどこを歩行中でしょうか・・・
P;奥井
坂上さんはコーヒーを飲もうとしています。
通関を終わって待合室です。 山下さん矢野さん、鈴屋さん十川さんは先に出発して行きました。
我々は水沼先生や林先生(どちらもドクターですね)を待って合流してレンタカー手続きをします。
1時間早着は早すぎです。
P;奥井
レンタカー屋に向かいます。 レンタカー屋で合流です。
林さんが予約したのはハーツです。
P;奥井
ベンツEクラスのワゴン(日本語ナビ付)を予約したつもりだったのですが、用意されていたのはボルボのワゴンでした。
林さんがEのワゴンにしたのは国内で乗っている車だから最初から操作方法が判って便利だからです。
同じクラスだと言われますが同じクラスというのもまた随分乱暴な話ですよね。
大きさだけ同じだから同じクラスとは?
AUDIとVOLVOなら同じクラスですがBENZは誰が考えたって同じクラスではないです。
レンタカー屋に注意、警戒が必要ですね。
P;奥井
少し高くなるが写真のCLSでどうだと言います。
ポルシェと競争はできませんが、付いて走る事を考えるとこの車なら良さそうです。
我々もトラブりましたが水沼先生も大変な状況でした。
当初我々の車もAVISで水沼先生一括で予約、しかしHerzの「お得」コースに惹かれて林先生の予約に振り替えてキャンセルしたものが間違えてポルシェをキャンセルしてあったのです。
西ドイツからドイツになってドイツ人はふやけてしまったか?
ここで時間を大きくロスして今日の撮影に暗雲が・・・
まあ、私は「鉄」としてよりデトレフと飲みにドイツに来たのですから・・・
ようやく終了、まずは我々グループ全員集合の状態で記撮です!
増田泉さんは此処から列車で直接ネルトリンゲンに向かい、デトレフと一緒にカマの修理をするのです。
修理するカマは昔からデトレフが担当している 44 2546 です。
巨大駐車場の中にレンタカーも停まっています。 指定された場所に向かいます。
ベンツの宣伝コーナーもあります。
ナビはドイツ語です。
林さんが持って来た日本のスマホ(世界バージョンの地図入り)をセットしています。
ナビとして使える筈です。
さあ出発です。
奥井さんは水沼先生のポルシェに行きました。
パーキング出口で待ちます。
こんな車です。 3500㏄のディーゼル。
アウトバーンに乗り最初のパーキングで会う事に成功しました。
いよいよ出発です!