佳木斯(チャムス)21:00発 Y210次哈尓濱(ハルピン)行に乗った一行は 4:06 綏化(ソイホワ)で下車しました。
綏化はハルピンの北北東、黒河(別名黒竜江、アムール川)に向かう綏北線とチャムスに向かう哈佳線が分かれるところにある鉄道の要衝です。
日付は1999年2月11日です。
午前4時6分 中国「鉄」の朝にありがちな時間です。
吐く息が白い! 中国の站の出口は常にこういう眺めです。
冷たい朝食を食べて真の闇の中、手探りで撮影地を捜します。
踏切で「此処はどの線か?」「煙を吐く火車は走ってくるか?」等聞きます。
哈佳線より綏北線に蒸機が多いという情報ですので北を目指して移動します。
綏化市の説明ですが、1月の平均気温-21.4℃とのこと。
年間平均気温2℃少々というのがなまじじゃない感じです。
予報では今日の最低気温は-27℃とのこと。
快客608次は残念ながらDLでした。 そう甘くはないですね。
夜が明ける頃寒さが絶頂に至ります。
-28℃だったとのことですが、風もないのに記憶に残る寒さでした。
更に北の北安では-32℃、-33℃まで下がりますがこの時の綏化ほど寒く感じませんでした。
睡眠不足が寒さに耐えられなくしている事が判ります。
数年前、樺南の蒸機撮影で寒さで死亡した人が居ましたが、睡眠不足も原因の1つと推察致します。
上り貨物列車
綏化は未解放地区です。
ですから市の役人2人が我々に同行しています。
それも站に午前4時に出迎えて最後は午後9時までです。
その大変さに頭が下がります。
(この時の旅行2月8日にやはり未解放地区「勃利・仏嶺」で警察に捕まっています・・・・しかし警官は職務に熱心ではありませんでした)
余りの寒さに急いで車に乗り込みます。 ガラス窓やメガネが寒さを示しています。
この直後「助けてくれ」と言って車に乗せて下さいと訴える人民が居ました。 (役人はきっぱり断ってくれました)
奥井チームが「黒河」に向かうので綏化駅にやってきました。 するとホーム上をロバが行きます。
奥井チームを見送って情報を集めながら先程よりも先へ行きましたが驚くような撮影地には行き当たらず、模型資料を得るべく綏化機務段に向かいました。
綏化機務段
「土佐犬の横綱」前進3255が居ます!
大勢の人は「水が無くては走れない蒸汽機関車」のせいで「水が氷となって線路を覆い隠そうとする」のを防ぐため、人海戦術で氷を割って貨車に積み、遠くへ捨てに行く作業をしているところです、
厳管理第一流の標語はこの機務段入口に同じ書体で書かれており、この機務段の宝と言うべき機関車で有ることを感じさせます。
[3255]の3の文字が逆さまになっているのもこの頃から変りません。
午後9時まできっちり私達に付き合ってくれた綏化市のお役人にひたすら感謝です。
我々は午後12時、北安(ベイアン)で下車して宿泊、夜のあける前に出発してまた撮影の一日が始まる事になります。
この後、連日氷点下30℃を下回る北安で何度も[3255]に出会う事になります。
しかし、力行列車の先頭に出たところをとらえるチャンスはありませんでした。 この時も次位でした。