昭和49年3月 標茶駐泊所
汽車製造大阪工場=1552
1938-03-09 製造→ 配属;大阪局
1945-09-30 現在;深川
1949-03-01 現在;深川
1955-08-01 現在;標茶
1962-03-00 現在;標茶
1964-04-01 現在;網走→ 釧路
1974-10-12 廃車;釧路
保存;北海道苫小牧市「青少年科学センタ-」
(レールマガジン300号付録 沖田祐作「機関車表」より)
最初は大阪ですが、戦争終了時には既に北海道へ渡り昭和20年代のうちに標茶に来ていた標津線の「ぬし」の様な機関車です。
電化線の近くに居たためしがないので「架線注意」が無い機関車です。
例によって加工前に写真を撮っておきます。
反対サイド、ナンバープレートがそれほど荒れていないのでこの機関車はそのまま使う事にします。
まずはブレーキ装置、先輪、従台車などを外していきます。
塗料が回り難いエアタンクと車体の間、冷却管の奥をエナメル「セミグロスブラック」で筆塗りします。
汚す前のシリンダーブロックです。
動輪のオイルレスメタルを小さく作って外から見えないように工夫しています。
C55以外のスポーク動輪の機関車を作るときはこの「見えないオイルレスメタル」が重要です。
シンガーフィニッシュ様の汚しを掛けたシリンダーブロックとフロントデッキ。
これからつや消し(と言っても1/4艶位の)黒を吹いて全体を整えます。
マスキングした状態です。
今年10月にキャブに入れて貰ったC11171です。
蒸気機関車のキャブは当然乗務員室の淡緑に塗ってあるのが当然です。
かつて16番「モデルパシフィック」のC53のキャブ内側が塗られていたのが印象的でした。
C11は塗りやすそうなのでこのC11133は塗ってみる事にします。
エナメル「スカイ」に多少他の色を加えて作ってある塗料を塗りました。
色々な業者がこの淡緑を持っていますが、私の作ったこの色が一番良いと思っています。
これは黒を吹いた状態です。
反対サイド。
蒸機のキャブ内は通常過激に汚れて真っ黒です。
わざと吹き込ませてウェザリングしたわけです。
しかし、汚れ色は下から多く吹くので折角塗った室内色が全滅しないようにキャブ内へ行きにくいように軽いマスキングをします。
動輪その他、こんな具合にマスキングします。
吹き終わりました。
キャブ内ボイラーバックプレートはこんな具合。 ブレーキハンドル単弁、自弁を研き出します。
シリンダーブロックはこんな具合になりました。
動輪タイヤを筆塗りするために回します。
タイヤを塗った状態です。 乾くと自然な感じに馴染むはずです。
窓ガラスを貼ります。
石炭が減った状態を表現する事にします。
蒸機末期、大概の機関車の炭庫の中は錆びて真っ赤なものです。
IMONで扱っている「ウェザーシステム」を使って錆を作りました。
エコーのウェザリングベンガラと同じようなものですが錆を表現するのに3色用意されていて組み合わせるようになっています。
そしてまた安直ですが選ばないで片端からUPしてしまいます。
C11133は二次型なので、落成時は重見式給水加熱器が付いていた、その名残でこういう形の梯子になっていたんじゃないでしょうか。
天窓からブレーキハンドルが見えます。
古いタイプの天窓なので(C11三次形を含む)近代機の「天窓に2本レール」はありません。
室内の淡緑は見えるのですが、写真には写ってくれないものです。
少しは新しい角度をやって見ようと中間を考えたりいろいろやってみました。
蒸機は全く面白いです。