九州ではC55もC57も多数の強烈な個性を持った門デフ機が存在しました。
経歴から言ってもC57151は“とびきりの1台”と言える「価値ある1台」です。
昭和27年10月、国鉄80周年記念の祝賀行事の展示機関車として「天女と羽衣と富士山」(羽衣を纏った天女と富士山)の装飾を付けたK-3型門デフを装備して特別即就車として出場した機関車です。
C5711の「鴎の羽と波頭」の飾りデフ(K-7)に先んじる事1年半。
C622に「つばめ」マーク取り付け(鷹取工場)に遅れること1年半です。
当時C57は小倉工場受け持ちでは最高の旅客用機関車ですから常に最高の切り取りデフが装備される傾向が有ります。
(それに対して試験的要素が強いデフは100%C55に装着されています)
鹿児島工場がC6113にKG-1デフを装備する気持ちもわかります。
K-3は結果として僅か1両のみ、追ってステーを湾曲させて「色々試した」K-3’は8両にもなりますが唯一の原形K-3装備機はこのC57151です。
C57151は広島工場タイプの様な十文字で中心部丸型の中に穴が4つ開いている煙室ハンドルなので、ハンドルとナンバープレートを後付できる様に、取り付けずに納車されました。
仕上がりとして問題点はキャブ右側だけ艶が強い事です。
色々弄る私にとって何の問題点もありません。
テンダー側面は「まあまあ」の仕上がりです。
4個組リベット2組に注意しながら
サンドペーパーを掛けます。
炭庫内部もヤスリを掛けます。
煙室扉のハンドルは1/80も含めて原宿店で捜したこの三つを比較検討してみることにしました。
左から「珊瑚」「IMON」「エコー」です。
C57151の煙室扉ハンドル、実際は中心部の円形の中に4つ丸穴が開いています。
むしろ「珊瑚」「エコー」がそのタイプであり、「IMON」は似ているけれど丸穴が僅かに長円になったタイプを模型化しています。
しかし、選んだのは「IMON」でした。
殆ど差がないと思ったものの、やっぱり1/80は大きい・・・・それは致命的です。
IMONで丸穴を製作した暁には交換する事に致します。
金色に光る煙室ハンドルは黒一色が大好きな私としては嫌ですがC57151は「磨出し」になっていましたので仕方なく無塗装で最後に取り付けます。
そして、そのまま取り付けると奥まで入って仕舞い「はなぺちゃ」になってしまうので真鍮線を曲げたスペーサーを用意しました。
スペーサー;使う位置に糊付けして黒吹付け時に色が付くようにします。
悩んだ揚げ句ランボードに白線を入れます。
西野天祥堂の虎の子の「筆」があるのでその気になりました。
白線は強く!強く!オーバー目に入れます。
はみ出しても、周りに付いても構いません。 簡単に削り取れますので。
(キャブ内部の色差しは最初からやって頂いて居ますので私の作業ではありません)
整えてすっきりしました。
熊本の至宝C57151について更に書きます。
C57151が熊本に来たのは戦時中です。
「天女と羽衣」の物語にちなんだ「絵」が飾られた門デフを装備、4両目の門デフ機となりました。
門デフを装備してから18年間熊本を動いていません。 (装飾は取り外されました)
たった1台のC57になってもず~~っと手放しませんでした。
熊本から八代往復の鹿児島本線旅客列車に充当され続けました。
熊本から撤退を余儀なくされた1970年9月22日、転属先は吉松でした。
吉松での生活は3年間、徐々に姿を変えています。
前部暖房管を装備していなかったので美しかったランボードの白線は徐々に薄れ、最後は塗り潰されました。
煙室扉ハンドルも普通のモノに取り換えられました。
しかし、最後まで緑ナンバーは美しいままでした。
1973年夏休車となりそのまま廃車になりました。
我々仲間内では「K-3」と呼ばれていました。
末期のC57のコレクションとするならば普通の煙室ハンドル、白線無しで良いのですが、その生涯の殆どを過ごした熊本時代の姿が残った状態でこそのC57151です。
経歴から言ってもC57151は“とびきりの1台”と言える「価値ある1台」です。
昭和27年10月、国鉄80周年記念の祝賀行事の展示機関車として「天女と羽衣と富士山」(羽衣を纏った天女と富士山)の装飾を付けたK-3型門デフを装備して特別即就車として出場した機関車です。
C5711の「鴎の羽と波頭」の飾りデフ(K-7)に先んじる事1年半。
C622に「つばめ」マーク取り付け(鷹取工場)に遅れること1年半です。
当時C57は小倉工場受け持ちでは最高の旅客用機関車ですから常に最高の切り取りデフが装備される傾向が有ります。
(それに対して試験的要素が強いデフは100%C55に装着されています)
鹿児島工場がC6113にKG-1デフを装備する気持ちもわかります。
K-3は結果として僅か1両のみ、追ってステーを湾曲させて「色々試した」K-3’は8両にもなりますが唯一の原形K-3装備機はこのC57151です。
C57151は広島工場タイプの様な十文字で中心部丸型の中に穴が4つ開いている煙室ハンドルなので、ハンドルとナンバープレートを後付できる様に、取り付けずに納車されました。
仕上がりとして問題点はキャブ右側だけ艶が強い事です。
色々弄る私にとって何の問題点もありません。
テンダー側面は「まあまあ」の仕上がりです。
4個組リベット2組に注意しながら
サンドペーパーを掛けます。
炭庫内部もヤスリを掛けます。
煙室扉のハンドルは1/80も含めて原宿店で捜したこの三つを比較検討してみることにしました。
左から「珊瑚」「IMON」「エコー」です。
C57151の煙室扉ハンドル、実際は中心部の円形の中に4つ丸穴が開いています。
むしろ「珊瑚」「エコー」がそのタイプであり、「IMON」は似ているけれど丸穴が僅かに長円になったタイプを模型化しています。
しかし、選んだのは「IMON」でした。
殆ど差がないと思ったものの、やっぱり1/80は大きい・・・・それは致命的です。
IMONで丸穴を製作した暁には交換する事に致します。
金色に光る煙室ハンドルは黒一色が大好きな私としては嫌ですがC57151は「磨出し」になっていましたので仕方なく無塗装で最後に取り付けます。
そして、そのまま取り付けると奥まで入って仕舞い「はなぺちゃ」になってしまうので真鍮線を曲げたスペーサーを用意しました。
スペーサー;使う位置に糊付けして黒吹付け時に色が付くようにします。
悩んだ揚げ句ランボードに白線を入れます。
西野天祥堂の虎の子の「筆」があるのでその気になりました。
白線は強く!強く!オーバー目に入れます。
はみ出しても、周りに付いても構いません。 簡単に削り取れますので。
(キャブ内部の色差しは最初からやって頂いて居ますので私の作業ではありません)
整えてすっきりしました。
熊本の至宝C57151について更に書きます。
C57151が熊本に来たのは戦時中です。
「天女と羽衣」の物語にちなんだ「絵」が飾られた門デフを装備、4両目の門デフ機となりました。
門デフを装備してから18年間熊本を動いていません。 (装飾は取り外されました)
たった1台のC57になってもず~~っと手放しませんでした。
熊本から八代往復の鹿児島本線旅客列車に充当され続けました。
熊本から撤退を余儀なくされた1970年9月22日、転属先は吉松でした。
吉松での生活は3年間、徐々に姿を変えています。
前部暖房管を装備していなかったので美しかったランボードの白線は徐々に薄れ、最後は塗り潰されました。
煙室扉ハンドルも普通のモノに取り換えられました。
しかし、最後まで緑ナンバーは美しいままでした。
1973年夏休車となりそのまま廃車になりました。
我々仲間内では「K-3」と呼ばれていました。
末期のC57のコレクションとするならば普通の煙室ハンドル、白線無しで良いのですが、その生涯の殆どを過ごした熊本時代の姿が残った状態でこそのC57151です。