SLふくしま復興号試運転

2012-08-03 | 今鉄
東北本線郡山~福島間を走った“SLふくしま復興号”の試運転を撮りに行ってきました。


どうせ行くならと東北新幹線からの撤退が近いE4系Maxに乗って行きました。


自由席も東京駅からはがらがらです。 防音壁の上から見られる2階席、日の当らない左側です。


チキン弁当を頂いてみます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E5%BC%81%E5%BD%93


洋食っぽい駅弁を食べる発想は無かったのですが「懐かしの」という雰囲気に負けました。


レモンの搾り汁をかけて食べます。 これはチーズというものに近いです。

思ったより美味しくて満足感がありました。


電柱だらけですがMax二階席からの眺めは上々です。


“たぬき”の流し撮りです。


日和田~五百川は既に激パ状態です。


道路の様子です。 午前5時で立錐の余地なしという本宮の先の水路橋から流れてきた人も居ました。


単9146レ、 ED75を予想して居たらEF81が来てしまいました。


4055レ


4083レ 本当はこれが最高のリハーサル列車なのですが油断している時に来てしまいました。

http://www.mapion.co.jp/m/37.44837034685531_140.38748569482362_9/


試9541レ 来ました。






本宮~杉田です。

http://www.mapion.co.jp/m/37.53600026786767_140.40204633428303_9/


踏切通過。 昨日は幼稚園児の見送りとゆるキャラが現われたそうです。 幼児は今日も居ます。


煙が残る中を追います。 杉田の街です。


金谷川~南福島

http://www.mapion.co.jp/m/37.68017661104374_140.45183663277552_9/

昨日はトンネルまで開けていたそうですが今日はほぼ絶気です。


配9133レ

使わなくなった211系を疎開させているそうです。
この8両は今日仙台へ持ち込み、明日そのうち4両をまた福島に戻すと言う情報でした。


福島~東福島

http://www.mapion.co.jp/m/37.77976557869233_140.46195763926764_9/


阿武隈急行の電車が行きます。 この日下り長距離列車が遅れており、待った貨物列車が現われず、仕方なく昼食へ向かいました。


福香亭

 鶏肉からげとラーメン¥680ライス付?


「ナスの」と「め」の級数と書体が違うなど“外国で見る怪しい日本語メニュー”そのものです。


「ネギ」と「め」ですね。 本当に福建省で印刷したのかもしれません。


私のメインはこれです。 


面白そうですが多すぎるのでやむなくボツ。


中華店でラーメン¥380は“物価が東京とは別世界”の予感。


四川ナスの豚肉辛味炒(辛)780


鉄板が牛じゃない!! でもお蔭で更にボリューム満点。


相方奥井が食べるラーメンセット¥680!

餃子は3個づつ食べる約束です。


フカヒレあんかけラーメン 820

ニセ物フカヒレが殆どでしたが・・・


大満足でした。

「値段も味のうち」と言う言葉があります。

同じものでも安いと美味しい。 高いとなったらちっとも美味しくない事を一言で表わしています。







やっぱりか。

2012-08-03 | 喰いだおれ
行ってしまいました。 「やっぱり」と言われそうです。

『梅むら』

比較したくなってしまうのは当然です。


以前より“開店している”外観と感じます。


2010-08-02の梅むら 意外にも変わっていません。


2009-04-26の梅むら なるほど! 暖簾の色が変わったんですね。

黒いのれんだったらタイルの色を閉まったシャッターと勘違いして、のれんに気付かずUターンしていた事も頷けます。


関東風の鰻の「正統派」として城南地区のうるさいやつらで知らぬ者はなかった『梅むら』


「竹」¥2600 相変わらず美味しい。 口の中で溶ける様な鰻です。


現在の価格です。 値上げの幅は「思った位やや低め」でした。 ¥2600~2800と思っていましたので。

そして、うな丼が消えました。

紙を重ねて3種類あった鰻メニューを2種類に隠しています。


これが以前のメニューです。

梅むらについて更に詳しく解説致します。

かつて梅むらには

うな重¥1500
玉 丼(昔の値段;知りません)

の2種類位のメニューしかなかったそうです。
玉丼は、鰻が嫌いな人を連れて行ける様に用意したモノだそうです。

店内で食べて居るのか外なのかはっきりしない様な店だったことを憶えています。 並ばずに食べることは殆どできませんでした。
車で一国(第一京浜国道・・・国道15号線)を通ると、鰻屋に並ぶ大きな人だかりが目を引いたものです。


昭和50年代の何処かで建替えをします。

営業中なのに「あれっ、今日はシャッター閉まって臨時休業かしら?」と引き返した時代の始まりです。
私が定休日ではないはずだからと諦めきれずに店を見詰めていて、のれんが出ていることを発見しなかったら私も「健在」を知らず、無くなったものと諦めていたはずです。

建替えを機に新価格になります。

松 ¥1300(だったかな・・・うな丼です!)
竹 ¥1800
梅 ¥2200(だったかな・・・)

梅むらだから「梅」と言いたいところですが、店に確認したら「うな重」の伝統を引き継ぐメニューは「竹」といわれました。

そして一回食べてみてこれは「接待」乃至「お大尽用」と判断して「竹」だけを見る事にします。



その次の時代の価格が↑上に紹介した「竹¥2100・梅¥2620」のメニューだと思います。
「松」という称号を廃止して単なる「うな丼」にしていますね。
お客様の勘違い・・・「梅」がよかったのにうな丼が来ちゃった・・・が多かったのかなと思います。



親父殿が亡くなって息子さんが継ぎ、「伝統の作り」を引き継いでいます。

息子さんは天ぷら職人として相当の腕だそうです。

だから「天ぷら定食」や「天丼」が加わったのです。

「天ぷらも凄い」という井門憲俊の証言ですが、私は海老がニガテなので食べたことはありません。