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01逢いたや2015秋(1)

2015-12-01 | 海外蒸機
水沼先生の01逢いたや2015秋『最終章』をお送りします。
   ドイツへ行かれたのは水沼先生で、写真も勿論全て水沼先生です。



1.オーバーヴェーゼル:

2015年も秋になった。
ドイツに留学中の松岡秀樹君からメールあり、10月3日のドイツ統一記念日にバイエルン鉄道博物館の01が走るという。 今年久々に復活した 01 066 と 01 180 の2台らしい。

01 066 は東ドイツの原形機関車で4年前ドイツのTV番組“アイゼンバーンロマンティック”主催のツアーで会った機関車だ。 01 180 は西ドイツ型の機関車でスイスの富豪の個人コレクションとして、どこか奥に保存されていたが2012年にネルトリンゲン鉄道博物館で動態に向けて修理が始まった。 予算のせいかなかなか修理は進まなかった。 博物館の機関士デトレフ メゴウさんが来年は動くと毎年のたもうたが4年目の今年の春についに復活した。 2015年の春のドレスデン蒸気機関車祭“01祭”に2台とも参加したのだった。 しかしこの2台は期間中機関区から一歩も出なかった。 大活躍する 01 118 や 01 1066 を尻目にターンテーブルで回るばかりだった。

しかし今回はこの2台が主役だ。
現在勤務する病院の退職が2週間前に決まり、最後の学会がウィーンで開かれた。 帰りはフランクフルトで飛行機を降り‘鉄’をすることにした。 しかしフランクフルト近辺で2日間‘鉄’をするも全くやる気がしない。 定年とはこういうものか、仕事ばかりか‘鉄’分も失せる。

秋晴の続くライン川河畔をInter Cityに乗り食堂車でビールを飲む。 コブレンツで降り、再び各駅停車でオーバーヴェーゼルへ向かう。 古い塔の前を次々と列車が現れる。









しかし1時間も過ぎると飽きてしまった。
帰りのフランクフルト行き列車は1時間以上待つ。 うんざりしながら時の経つのを待つ。 いっそ早く日本へ帰ろうと思いホテルの予約サイト“Booking com”を見るとキャンセル不可になっている。 何と前日から100%チャージだ。 大した額ではないがキャンセルはもったいない。 やはり最後は01に会ってからにしよう。 仕方なく木曜日は予定どうりネルトリンゲンの駅前のホテル“アム リンク”に泊まることに決してフランクフルト空港でレンタカーを借りることにした。 今回はコンパクトカーで節約と思ったが、フォードをみるといかにもつまらない。 いつもの様にポルシェにするか? しかし週末は松岡君ともう一人の日本人が合流する。 カメラや三脚等の重装備が入らない。 仕方無くベンツを借りる。 現れた車はCクラスのワゴンだ。

工事で大渋滞する中いつものようにアウトバーン3号線から7号線へ移る。 そしてバイエルンの広大な日没を見ながらネルトリンゲンへ向かった。

ベンツCクラスはスピードが出ない。150km/hからの加速がとんでもなく遅い。 シートが911のようにバケットシートになっていないからカーブ毎に体が揺れる。 おまけに180km/hで追い越し車線にいるとバックミラーにBMWやらアウディやら、新型のポルシェ911があっというまに追いついてきてミラー一杯に写る。 その度に、あわてて走行車線に移る。 結局、平均時速は150kmくらいでポルシェのより1.5倍の時間を掛けてネルトリンゲンに着いた。


DSGの旧型食堂車


01 180


01 066


01 066




S3/6は去年と同じ位置に留まっています。


01 180


01 180


01 066


高性能ボイラーに載せ替えられ、エプロンも撤去されたゼロイチ 01 180 はウィッテデフも似合って精悍で格好良いと思います。 ただし現役時代は下回りが赤いかどうかも分らない程汚れた状態で使われていましたので精悍という言葉は掛けて貰えませんでした。


ネルトリンゲン駅


ホテル“アム リンク”

宿泊のホテル“アム リンク”は去年井門さん、林先生らと楽しく過ごしたが今回は一人だ。 食堂で夕飯を黙々と済ます。 それでもビールで良い加減になってふらふらと駅へ向かう。 機関区に煙は上がっている。 01だ!

罐に火が入り運転室では誰かが夢中で作業している。 急に明日が楽しみになった。





“ドレスデン蒸機祭”三日目

2015-06-24 | 海外蒸機
水沼先生のドレスデン蒸機祭レポート第三日目、最終日です。


第3日

 今朝は35型の重連が走る。
 日本でいえばC58というところだ。 今朝も松岡君は撮り鉄モード全開になっている。 鹿山、田柳ご両人と合流しドイツの撮り鉄達に混ざって午前中はこの列車を追っかけた。
DLの補機がないせいかもうもうと黒煙を上げてやってくる。 昼間にドレスデンへやってくるラインゴルトを撮りたかったが、35型重連の魅力に負けてこれを追いかけることにした。
 
 最初の撮影はタラント峠と呼ばれるところだ。 最初の築堤に松岡君がどっと登って行く。 あぜんとするばかりの速さだ、線路に到達した瞬間、3気筒のブラストが森中に響き 01 1066 が悠々と姿を現した。 なんと!時刻表には無いチャーター列車だ。 奥にはドイツテツ集団が何人もいた。 ファインダーに入ったのはまちがいなくさぞかし迷惑だったろうが彼らは罵声一つ浴びずに済んだ。 大人の国といわねばならない。

 しばらく待つと響き渡るブラスト音と共に、35型重連が現れた。







 列車が通過するとドイツテツ達は一斉に動きだして、車に飛び乗っていく。

松岡君撮影
 
 磐越西線あたりのC57追っかけとそっくりだ。 我々もこの‘撮り鉄’自動車レースに参加して都合4カ所で写真を撮った。















 午前中は雲一つない青空だ。 初日の唯一原型機が走った日にこの空だったらどんなによかったろう。


 
 お昼には機関区に戻る。 本日の夜間撮影パスがない鹿山さん達の手配とデトレフにお別れをいうためだ。



 博物館の前にはインダストリアルナローがゆっくり走っていく。



 名物 19型も今では静態になって置いてある。

 関係者と思われる老人に訪ねたところ、あちこち一緒にまわってくれて、最後に機関区詰所のようなところで遂にチケットを手に入れた。

 ふと見ると 01 204 の銅板がある。 01 の中でも動態保存機として大事にされていた1台だ。 ザールフェルドで1980年に私の見た原型機はこの 01 204 だけだった。




1976-07-25 01 204 D378【Istropolitan】Dresden Hbf 雰囲気が近い写真! 井門義博

 今は小さな博物館に売られ、消息もはっきりしないらしい。 何とか逢いたいがかなえられそうもない。 機関車の運命も人の運命に似ている。 増田、井門さんがドレスデンで追いかけた 01 は10両を少し超える数だったろうか。 1980年にエースだった 01 204 はどこかで朽ちかけている。

 そのうち 01 118 は本線を走り続けている。 01 066 はボイラー代わりで余生を過ごしていたが奇跡の復活を遂げた。 この2両のみが動態保存で 01 137 はこのドレスデンに残ったがここしばらくは火がはいっているのを見たことはなくこのまま静態保存と思われる。

 午後は再びエルベ川沿いに向かう。



 松岡君は昨日の写真のピントが合っていなかったらしく、この晴天にリベンジを狙い、同じケーニッヒシュタイン駅付近の丘に登った。 今回の私はただ彼について行くだけだ。 

 遠くから汽笛が聞こえてきた。 快晴と思っていたが小さな雲が上空にさしかかり、視界が暗くなり少々あわてるが、それも一瞬のことでまた快晴に戻った。



 降り注ぐ太陽を浴び 01 509, 35 1097 の重連が通過していった。 01 509 は最後まで煙は全く出さずで、一回り小さい 35 が盛大に煙を上げていた。

 今回のツアーはまずまず晴れに恵まれてこれにて終了、テツの神様は味方してくれたらしい。



  明日からフランクフルトで検討会、翌日はミュンヘン大学で会議が待っている。 皆に別れを告げドレスデン空港へ向かった。



35形について;

ドイツのC58と言ってよさそうな1-C-1プレーリー機です。

戦争の激化で増産が捗らなかった23形は2両で製造を終わり、東西ドイツでそれぞれ100両余のモデルチェンジ版23形が作られました。 この35-10形はその東ドイツの23-10形で1956年(私の生まれた年)が製造初年という妙に新しいカマです。
C63みたいなものです。

増田・井門組はドイツの9600と言うべき58形(1-Eデカポット機、特に狙いは3000番台となっていないカマ)を狙いに行き、そこで多数の35-10と遭遇しています。

水沼・松岡組が35形を撮ったのはドレスデンの南ですが、増田・井門組が39年前の1976年に撮った Döbeln(デーベルン)はドレスデン~カールマルクスシュタット(現ケムニッツ)線を挟んだ北側、ほぼ真西30㎞程のところに有ります。

35 1030 1976-07-25

35 1045 1976-07-25

35 1030 の牽く客車列車が発車。 1976-07-25(実は 01 204 の写真と同じネガで日付も一緒なんです・・・3000番台ではない58が撮影できたのはこの2日後です)

我々はこの地域(このデーベルンHbfの地下通路だったかも・・・)で警官に呼び止められました。

いつもの緑色っぽい制服の Volkspolizei ではなく Schutzpolizei を名乗りました。 警官が言う趣旨は
「君達は昨日はXXXXXに居たね、いつも見張っているからね」
ということでした。

その警官との接触後はまことにいや~な気分が続きました。

今にして東ドイツは暗かったですが(蒸機が元気だったからか?)なかなかすばらしい世界だったような気がします。 あの地獄はご免だという意見が大半かもしれませんが、今が幸せかどうかもよくわかりません。

すみません、僕らには天国でした。





“ドレスデン蒸機祭”2日目

2015-06-16 | 海外蒸機
水沼先生の“ドレスデン蒸機祭”レポートをお送りします。

っと、その前に東独時代のドレスデン中央駅の様子を紹介します。

1976/77冬、ドレスデン中央駅遠景


1977-01-02 01 066 現役時代 D378“Istropolitan”

ドレスデン中央駅は中央部分が地上階終着駅行き止まり式ホーム、両側各2面4線程度の通り抜け式高架ホームに成って居ました。 通り抜けるとチェコスロバキア方面に繋がって居り、国際列車は高架ホームに発着です。 01 066 が停車しているのは高架ホームの中でも一番南東側の19番線、列車はスロバキア・ブラチスラバからチェコ・プラハ経由でベルリンに向かう【イストロポリタン】1976/77冬この区間186kmを途中4駅停車で9:23発11:34着所要2時間11分表定速度85.2km/Hです。


1976-07-23 01 207 D678

これが中央部=地上部分です。
SSV「都市間急行」など国内列車は此処からの発着でした。 ベルリンやライプチッヒ、ゲルリッツ方面だけではなくカールマルクスシュタット方面行き(機関区脇を通ります)も此処からの発着です。
写真奥、突き当り駅舎には“Mitropa Express”というセルフの人民食堂が有り20:00を過ぎる温かい料理の提供が終了して冷たくて堅いパンと腸詰めだけになってしまいます。 D678 が発車するのは20:16ですから温かい食事にありつく公算は低いと言えました。
(ホテルで食事をすると言う発想は有りませんでした…朝も早い…4:37発に乗車ですし)

それにしても、あまりにも変わっていない3連ドームの中央駅の姿に衝撃を受けます。

    しかも、「DB」のマークが掲げられています。



第2日

 翌朝、目を覚ますと一部に晴れ空が広がっている。 しかしドイツのこと油断はできない・・・予報では曇りになっている。
 今日はドレスデン中央駅へ向かう。 ドレスデン中央駅は大きなアーチが特徴の駅、午前9時に35型の牽く列車が出発予定だ。







ホームには無火の 03 が古い客車とともに止まっている。





 35型がバックでやってきた。







 松岡君はホームより陸橋を好む、いつもの様に駅のそばの陸橋へ向かった。 架線がうるさいがここで撮影することにする。











 晴れた空の下、勢いよく煙をあげ、35型の牽く列車がドームから飛び出してきた。 この短い時間にも次々と列車が現れ、ここがいかに交通の要衝の地かがわかる。

 この後は名取さんの情報でオシャッツへ行き、ナローゲージの列車を捉える。 アウトバーンを急ぐが、今回のベンツはディーゼルのCクラスで時速200kmがやっと、カーブも結構ふらつき怖い。 昨年の井門、林のベンツ組は自分のポルシェ911によく付いてきたモノだ。 
 結構時間ぎりぎりにオシャッツに着くと、昨日お会いした日本人3人を見かけて横で撮らせていただく。





 少し時間に遅れて煙を全く出さずに 99型が通過していった。
 このあたりはかなりナローゲージの鉃道が残っているようだ。 

 午後はエルベ川へ向かう。 松岡君はかなり予習してあるようで、まずピルナ駅前で午後一番の並走を狙う。



 しかしそこはドイツ、ぴったり並んでくることはない。
 まず、01 509 の牽く列車が全く煙をあげずに通過していった。





 待つ事しばし、緑色の電機機関車が現れた、直後に煙が上がっている。





 このE77型機関車は、古生代の生物のようだ。 緑色に3連接の車体、ロッドをクルクル回らせながら通過して行く。



 続けて 01 1066、客車の列がすぎると最後は 118型ディーゼル。



 ルーマニア製で1980年代のザールフェルトには結構居た。 蒸機末期の日本のDD51のように嫌われていたが、今はUボートと呼ばれて結構人気らしい。 この辺もDD51と同じだ。

 このかなり奇妙な3重連のあと、この2列車はピルナ駅で合体し、エルベ川沿いを走る。 結構川幅が広く、回りの山も深い。 先回りして、ケーニッヒシュタイン駅のそばの丘に昇る。
松岡君は民家の裏庭をどんどん登って行く。 山系の苦手な私は追いついていくのがやっとだ。 丘を登ると10人を超えるファンがいたが、日本人が6人位いる。 撮り鉄はやはり日本人がメジャーなのか。



 雲が多く、かなり暗い。



  もうチェコ国境付近らしく、東欧風の機関車や国際列車も現れる。





  少し遅れて蒸気列車が現れた。 かなり長い。 結構なスピードでやってくる。



 先頭の 01 1106 がホイッスルを鳴らすとほんの一瞬、日が差し込んで2台の 01 を照らしてくれた。



 撮り鉄は釣りに似ている。
 お天気まかせで、ある時は一瞬で曇り、ある時は一瞬で晴れる。 今日はかなりついているがその後も雲は増え続けている。 



 松岡君とこの付近で帰りの列車も迎え撃つことにした。 駅前広場のレストランでランチ、ピザとスパゲッティ、ドイツの「味の平均」は結構低いが、この店の人は感じがよい。 

 ドイツが統一されて25年が過ぎた。 ここは旧東ドイツだったせいか西の諸州に比べて少し暗い気がする。 目の前を過ぎて行く列車も旧共産圏という感じだ。





 再び丘に登ると日本人が多い。 またも半分以上だ。 
 地元&少数派のドイツ人はいつものように動画が多い。
 なぜか日本の撮り鉄がたくさんドイツの国境付近の丘に取り付いてカメラを構えているのかは興味深い。 蒸気機関車が好きならばいろいろなアプローチがある。 蒸機列車に乗って汽笛やブラスト音に酔うのもよし、機関区に行って飽きる程ながめるのもよし、ボランティアになって機関車のパーツを磨くのもよし、極めればデトレフのように機関士になるのもよしだ。 

 撮り鉄は一瞬で、しかも肝心な瞬間に躍動する機関車はレンズ越しにチラ見するばかりだ。 おまけに山登りまでして、息をこらえて列車がくるのを待つ。 一体どこが楽しいのか?





 多分これを見て哀れんだザクセンの山の神でもいたのだろう。 遠くから汽笛が聞こえたと思うと、雲がその場だけ除かれ日が差し込んできた。

 にわかに明るくなり、あわててISOを下げると今度は背中から対向列車の音が大きく聞こえてきた。 赤いSバーンが左からレンズの中に入ってきた。

 おまけに駅の進入で減速をはじめた。



 東京から1万キロ離れたこのドイツの片田舎でかぶりか? そりゃないだろう。

 東十条なら京浜東北線に北斗星がかぶってもたぬきで苦笑いして飲んで終わりだ。 数分毎に来る京浜東北線はともかくSバーンなんて1時間に1、2本だ。 まさかの不運に呪いの一声を吐きそうになった。 しかし、蒸機列車は汽笛2声、駅でSバーンとすれ違うと悠々と目の前を通過していった。





 長い客車の列の後半はかぶっているが、何とか許せる範囲だ。 展開した小さな奇跡に歓声があがった。 隣のドイツ人も「ゼアーグート」と満足そうに。 仮に我々が撮り鉄の魅力から離れられないのならこの瞬間があるからだろう。

 ドレスデンに帰る途中デトレフに電話する。
 今日はコンサートがあるので機関区で飲もうということになった。 スケジュールを見るとなんとDampf and Dixieland (蒸気機関車とジャズ) という名のコンサートになっている。 松岡君がドイツ語で全部やってくれるので、楽だがさっぱりわからない。
 
 機関区へ着いた。 残照に照らされて01達が美しい。













 デトレフは満面の笑みで迎えてくれ 01 066 の運転室へ入れてくれた。

 



 男の仕事場という感じのキャブ内だ。 制限時速は120kmになっている。 鹿山さんがホイッスルに触るとボーッと大きな汽笛が響く。

























 01 118 の若いクルーが運転室に招待してくれた。



 01 118 の機関士さんはクリスチャン ボーデンス(Cristian Bodens)さんという名前だ。 運転台は高くてよじ登ると結構高い。 室内はより整然としている。 速度制限の表記はなんと時速130kmだ。







 クリスチャンさんは多分助手だと思うがまだ若い。 まだ20代前半と思われるが蒸気を熱く語る。 数ある 01 の中でこの 118 が急行機関車の牽引機であり続けたという。







 確かに増田、井門組はこのドレスデンで国際急行を牽く 01 118 を追いかけた。 山下、鈴木さん達もこの機関車を撮影している。
 ネルトリンゲンの 066 は永い間、ボイラー代用だった。
 137 は21世紀になって静態になってしまった。
 確かにこの 118 だけが尊厳を保ち、急行列車の先頭に立ち、今でも元気で活躍している。

 扇形庫は右端の 01 137 から2線分が空けけられステージが設置されている。 ビールとソーセージが用意されている。







 カルテットのコンサートが始まった。

 ドイツ人も上手だが、本場のニューオリンズで聴いた倦怠感と哀愁は表現できていない。 











 ここは昔、井門さんたちが東ドイツ警察にしょっぴかれ尋問されたドレスデンの町だ。立ち入りが厳しかったはずの機関区で40年後に片手にソーセージ、片手にビール、01の群れに囲まれてジャズを聞く。

 バーベキューの肉を焼く匂いと 01 の石炭の匂いが混じる。 01 には火が入っていて、時々に蒸気が漏れてくる。



 ほろ酔いかげんで地ビールを片手に構内をふらふら歩く。 01 180, 01 202, 01 118の赤い動輪の間を歩き回る。 外には 01 066 がいる。 ときおり蒸気が流れる。 ライトアップされていない暗さがちょうど良い。 01 オタクとしてはこのまま時が止まるのを願うばかりだ。








“ドレスデン蒸機祭”

2015-06-04 | 海外蒸機
水沼先生の“ドレスデン蒸機祭”レポートをお届けいたします。




01逢いたや 2015 春

序章、ドレスデン 1975

 ここに一冊の洋書がある。 題名はDie letzten 01-lokomotiven bei der DR, Masuda/Imonとなっている。 訳すと「ドイツ国鉄最後の01型機関車」で1981年に西ドイツ、フランク社より出版された原型01の本だ。 著者は増田泉、井門義博さんだ。 彼らは日本の蒸気機関車の運転が終了した頃からこの「世界の名機」に取憑かれたのだろう、1979年頃まで当時の共産圏、東ドイツへ通い続けた。

 当時は入国も簡単ではなく、入国後もしばしば警察に尋問されたという。 そうまでして彼らを惹き付けたのはドレスデン~ベルリン間を走る原型01が牽く国際急行列車だった。 それは本来の01型蒸気機関車の役目でありその魅力は筆舌に尽くせないものだったという。 今、再びこの本を開けるとドレスデンの町や、東ドイツの野原を走る01、ドレスデンの機関区で整備を続ける01が写っている。







 それから40年の歳月が流れた。

 ドイツでも蒸気運転はとっくに終了し、ドイツのお金“マルク”もなくなった。 秘密警察もベルリンの壁も“東ドイツ”という「国」自体がなくなってしまった。

 しかしこの国は機械好き、職人好きの国だ。 また彼の地に01が集結する日がやってきた。
 今年は01型蒸気機関車生誕90周年になるという。 それに合わせて01がかつての東ドイツの大都市ドレスデンに大集合するという。
 お祭は“ドレスデン ダンプロックフェスト”という毎年行われている蒸気機関車の祭典だ。 昨年一緒にノイエンマルクトへ行った大学生、松岡君はベルリンへこの4月から留学している。 彼の情報によるとドレスデンの博物館のホームページを見ると集合する01は9台になる。 これはなんとしても行かねばならない。

集結する機関車は

01 0509, Pressnitztalbahn

01 1066, UEF

01 202, Verein Pacific 01 202

01 118, Historische Eisenbahn Frankfurt

01 180, BEM Nördlingen

01 066, BEM Nördlingen

23 1097, IG 58 3047 e.V.

23 1019, LDC e.V.

52 8154, EMBB Leipzig

03 2155, "Berlin macht Dampf"

V60 1264, RIS Sachsen GmbH

E77 10

From Czech Republic the Diesel multiple unit M131.1280

これはなんとしても行かねばならない。

 4月15日、いつもの様にフランクフルト経由でドレスデンに着いた。 前日なので賑わっているかと思い鉄道博物館の入り口を訪ねてみると静まりかえっている。



 守衛が一人おり「明日は午前9時からだ」と教えてくれた。 松岡君は翌日夜にベルリンからやってくる。 ホテルへ引き返す。 かなり安っぽいホテルだ。 今晩はピザとビールのみとし明日に備えた。

第1日
 ..いつもの曇り空で目が覚める。 ホテルの前は線路で、貨物列車が次々と通過して行く。 時差で目が覚めてしまいもう寝れない。 ベンツを転がしドレスデン中央駅のドームを眺めながら博物館に向かう。 ドームはかなり大きい。 沿線の風景はどこかで見たことがある。 多分、増田泉氏井門義博氏の本で何度も出てきた駅だからだろう。

 今日は機関区のあたりに何筋かの煙が見える。 これは集結しているなと思い、わくわくしながら入り口へ向かった。
 今日は若いお兄さんが交通整理をしており、入場は10時からだという。
 がっかりした顔をすると、近くの陸橋を指差して「あそこに行けば写真とれるよ」と教えてくれた。 言われた通り博物館の端へ向かい陸橋を登った。
 登りきるとそこには夢のような風景が広がっていた。





 狭いラウンドハウスに01がずらりと並んでいる。 右端のドレスデン所属の 01 137 は静態だが、他は全て火が入っている。 フランクフルトの原型機 01 118、そして我らがネルトリンゲンの 01 066 と 01 180 が並んでいる。 遂に復活したのだ。
 その横にはスイスから来 た 01 202、3気筒のウルムからきた 1066、そして東ドイツ型の 01 509 だ。 さらに35型が2両、52型も構内を走り回っている。


ディーゼルに牽かれた 03 001 が中央駅で展示されるため、横を通過していった。

01202, 35型、そして本日走る 01 118 と 01 509 が次々とターンテーブルで転線し給水、出発の準備にかかる。




原型機01は3台が横並びだ。 井門さんや山下さんが見たら昇天しそうな光景だ。





 そして午前10時、ターンテーブルで回転中の 01 118 がホイッスルをならすと全機がホイッスルを鳴らして、いよいよお祭りの開始だ。







 幸運なことに曇り空の切れ間から日が当たりだした。 ターンテーブル上の蒸機の車体が輝きだす。 目の前で原型機がターンテーブルを1回転してくれる。



























 ネルトリンゲンの 01 066 は4年ぶりの動態復活だ。 私が2011年に逢い、嵌まったのもこの機関車だ。
 デフに“FDJ”とかいう変なステッカーが張ってある。 ドイツ青年団という意味らしい。 番号も末期の 01 2066-7 になっている。









 しげしげと眺めていると「ノブー!!」という大声がした。 振り返るとネルトリンゲンの蒸気機関士、デトレフ メゴウ氏が大股でやってくる。

 昨日、2両の01、01 066 と 01 180 を運転して8時間あまりかけてバイエルン地方ネルトリンゲン博物館から有火で回送してきたという。 なんと!松岡君も01の機関室に同乗させてもらったらしい。 この2台は4年間ネルトリンゲンでお邪魔する毎に修理中だった。 ついに2台とも動態になり目の前で蒸気を上げている!何とも感慨が深い。 デトレフと転車台の 01 118 をバックに記念写真を撮った。



 ここで鹿山さん、田柳さんというベテランにお会いした。 昨年ノイエンマルクトでも御一緒させて頂き、今回はこのまま一緒に01を追いかけることになった。 今日は午後にチェコの国境付近のチッタウに行く便が1便だけだ。 01 118 と 01 509 が担当機だ。 どちらも調子が良いらしく何度か走行シーンを撮影したが煙を吐かない。

 予習を全くしていなかったので日本へ国際電話し、お立ち台通信編集長の山下修司さんに撮影地を訪ねる。 終点のチッタウまで、電話をかけながらCクラスのベンツを走らせることにした。 今回もポルシェは選ばなかった。 あの車を運転していると楽しすぎて撮り鉄を忘れてしまう。 山下さん推薦の池の回りを狙うも、線路の両側は防風林、防雪林がずっと立ち並んでいる。 やむなく小さな駅のホームの端で構える。 01 509 を先頭に時速120km以上で目の前を通過していった。



 続けてまた小さな古い駅を見つけた。 ここは単線になっている。 駅名表示はNeukirch Ostと読める。 白い古風な駅舎だ。 防風林が切れるところが少なく、また、時間の余裕もない。 空はますます曇ってきた。 ここで勝負をかける。 今度は 01 118 が先頭、01 509 号機が後補機になり駆け抜けて行く。





 01 509 は長時間停車の駅で先頭機から列車の後に移り、後補機になったらしい。 ほとんど鉄道模型で遊んでいる「ノリ」だが変化があって撮る方も楽しい。 ただ 01 118 がやってくる時は曇りか煙は吐かないというジンクスは今回も守られた。
 最後に山下さんお勧めの大カーブを探しているとなんと列車が通過していってしまった。 今日は20分も早着だそうで、01 118 とは相変わらず縁が薄い。 列車のスピードは速くもう捉える機会はない、このままチッタウ駅へ向かった。 すでに列車は着いていた。


 乗客達はここからナローゲージの線へ乗り換える。 この鉃道はZittauer Schmalspurbahn という名前だ。 結解学氏の著書「ドイツの蒸気機関車」にはオーバーライズイッツ鉃道という名前で登場している。
 駅につくとあまり時間がなくすぐに出発してしまった。 このあたりは旧東独でナローゲージの鉃道が多く残っている。 チッタウ駅の小さなホームでこのナローの列車の発車を見送った。











 反対側には来週予定の特別列車が止まっている。 標準ゲージの貨車を乗せたフラットカーが繋がっている。











 本線の駅へ戻ると 01 118 と 01 509 が 方向転換の最中だ。 家族連れやテツ達がゆっくりと01との邂逅を楽しんでいる。 01 118 はこの日に合わせて銘版の機関区がドレスデンに代わっている。 長い間ドレスデンにいた同機にふさわしい演出だ。

























 帰りは行きに失敗したチッタウから数kmのところで一回目をやった。
 直線を01が飛ばしてくる。 ファインダーに映ったかと思うと凄い勢いで大きくなってくる。 01 509 が前だ。 今回も全然、煙は吐いていない。 両機、素晴らしいスピードで目の前を通過していく。 最後尾の 01 118 が珍しく黒煙を上げ2mの大動輪は大回転している。







 日本で撮り鉄をしていてもこの迫力には絶対ありえない。
 C61より断然大きいし凄みがある。 北斗星等より断然速い。 本場の標準軌の本線急行用機関車とはこういうものかと改めて思い知らされた。 01が現役だった20世紀はドイツと日本の性能の違いは半端ではなかったろう。

 最後は午後8時近くになった。 01 118 が前の重連で蒸気をあげながら通過して行った。 結局明るい日の下で煙を上がる原型機は今回もものにできなかった。 しかし01の迫力を再確認し大満足だ。







 夜は機関区で撮影会だが、すでにチケット売り切れで入れない。 デトレフともうまく合流できず、朝と同じ橋の上での写真で済ませた。 ライトアップが少々きつすぎる気がするがライトであざやかに赤い動輪が浮かび上がる。









 ホテルに戻ると松岡さんが待ってくれていた。 ホテルの上の小さなレストランで安いピザとビールで乾杯し、翌朝に備えた。





約40年前のドレスデン・アルトシュタット機関区です。


01 118 1977-08-09


1977-08-09

水沼先生の写真と見比べるとあまりに変わっていない事に驚愕します。

橋も、橋に付けられた照明も変わっていません。
ただ、背景に見えるゴミ焼却場らしきものは無くなっています。
旧東独地域の発展が何十年経っても遅れているという話は聞こえて来ます。

(この時代、勿論1ヶ月東独滞在して一人の撮影者にも遭いませんでした)


この写真は水沼先生から送られてきた驚愕の一枚です。

こんな夢の様な情景が展開されるとは・・・・

う~ん、悔しいです。

01原形タイプが多数配属されていた時代のドレスデン機関区は、明るい時間は所属機は殆ど出払っていて空っぽに近かったから余計に「夢」のような情景だと言う事が出来ます。

(もう一つ・・・ドレスデンでは扇形庫には頭から突っ込んでいました)

Die letzten 01-lokomotiven bei der DR の中身の写真にドレスデン・アルトシュタット機関区の情景が写されていますが、いずれも増田 泉さん撮影による他ならぬ 01 137(給水の水が溢れ出したシーン)と 01 118(転車台上)です。

(末期のドレスデン機関区配属の01は7~8両でした)




写真展“ドイツ鉄道の祭典”

2015-06-02 | 海外蒸機
写真展“ドイツ鉄道の祭典”見に行って来ました。


新宿御苑駅真上のアイデムフォトギャラリー“シリウス”

山岸起一郎さんと写真に収まりました。

同じ時のダンプスペクタケルに行ったわけですが、私のナサケナイ戦果と比べ此処に展示されたすべてがあの時写真です。
素晴らしい!

写真展は明日が最終日です。