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おもちゃの機関車

2018-06-29 | 海外蒸機

鉄道趣味の大先輩から凄い頂き物をしました。

鉄道おもちゃ、

大きさはルーペとボールペンを横に置いています。 割合小さいモノです。


箱の絵とは違う中身。

中国蒸機前進です。


緑色。

面白い、かつ鋭い緑色。

HOスケール!まさにそんな感じ!


右側シリンダーに電池のON/OFFスイッチとしてのPETのフリップが付いています。

先輪は付いていませんが妙にリアルな外観。

コンパクトなパッケージの中からBIGな機関車が登場です。


素晴らしい、なかなかに凄い並々ならぬ造りです。


テンダーが凄い! これは復水式か?


この模型は(おもちゃじゃないかも)こんなメーカーの製品です。

さて、こんなテンダーは目にしたことがあります。

手持ちの資料の中に発見しました!


この写真集です。


中国蒸汽机車世紀写真集

21世紀の初年、2001年の発刊です。

重くて分厚い写真集、288元(4000円位)です。


QJ前進Ⅱ形0001号でした。

解説を見て意味を以下のように解釈しました。

大同機関車工場で、QJ形蒸気機関車をガスパワー機関車に試作改造を1981年に開始、6年後の1986年9月にこの試作「ガスパワー機関車」が完成しました。
そして試験走行が成功裏に進行していたようです。
しかし、
その時既に将来の鉄道の主力動力車をディーゼル機関車と電気機関車にしていくことが決定されていました。
そのため試作ガスパワー機関車開発プロジェクトは継続されなかったということです。


電池の接触を回復した状態でテンダー後端を下げる力を加えたり、機関車とテンダーを連結するとヘッドライトが点灯、それぞれ違う音のアクションが楽しめます。

また、チョロQとして機能します。


先輪省略のおもちゃにこの難しそうなガスパワーテンダーが付いた理由は謎です。

また「ガスパワー」とはいったい何なのか私には解りません。

ガスタービンとは違う気がします。

タービンではなく発生させたガスでシリンダーを駆動するシステムということでしょうか。

そのチャレンジ魂も良しですが、その凝ったテンダーを作ったチャレンジ(単にもっと簡単で良い事が解らなかった?)魂に拍手!



さて、この前進Ⅱ形蒸汽機関車について一夜明けて新しい情報が入ってきました。

この前進Ⅱにおいても、過熱蒸汽をシリンダーに送り込んで駆動するのは同じですが、ガス発生装置を使って火室内に燃焼ガスを送り込むモノのようです。

そしておもちゃではなくバックマンのHOモデルが存在することが判りました。

http://www.chinesemodeltrains.com/encyclopedia_qj2.html

中国国鉄、大連機関車工場で1981年QJ 6191 を使って改良実験が始まったようです。実験的な長方形排出器と修正されたブラストパイプ(前進型に時折装備されているギースルエジェクターの事と思われます)、および増大した過熱装置エリア。
QJ2 0001は、鉄道科学の中国アカデミーと連携してデザインされた非常に斬新な機関車であった。普通の前進型の火室にバーナーを設置してそこにテンダーに搭載された石炭ガス化プラントから供給されたガスを吹き込んで燃焼させるというものです。

QJ2はわずか3回の不満足な試運転をしただけで、結局普通の前進型に改造され、1992年にQJ 7291として国鉄から産業に売られたようです。

石炭ガス化プラントを乗せたテンダーは沈陽のパシナの様な青に塗装されて大同蒸汽机車陳列館で見ることが出来そうです。



“Red Devil”開発者として有名なディビッド・ウォーデール(David Wardale)氏が中国前進型改良型開発を実現するために1980年代半ば大同機関車工場で従事していました。テストはGas Producer Combustion Systems (GPCS)を2両の前進型に装備しました。
1両目〈QJ 7036〉は低気圧性GPCSによって再構築された従来機関車で、それは後でオリジナルに復元されて1988年に売られた。
2両目〈QJ 8001〉は新しく従来のGPCSによって築かれた。
QJ 8001はホフホトと包頭の間の数ヶ月に亘ってテストされたましたが1988年中国国鉄の方針はディーゼルおよび電化に方針を転換したようです。

ディビッド・ウォーデール氏は1989年に中国を去ったようです。

http://www.jcoal.or.jp/coaldb/shiryo/other/c3-8.pdf

https://translate.google.com/translate?hl=ja&sl=en&u=https://www.martynbane.co.uk/modernsteam/ldp/gpcs/gpcs-rc.htm&prev=search

https://www.google.com/search?q=Gas+Producer+Combustion+Systems&client=firefox-b&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwj96rz0g_jbAhVIrJQKHfP2Da0QsAQISQ&biw=1536&bih=1399





40年振り鉄道ファン誌に登場

2018-06-22 | 海外蒸機

鉄道ファンの最新刊です。 (ぜひ買ってください!)



P130~のヨーロッパ鉄道ア・ラ・カルト“中央ヨーロッパの基幹夜行列車”中村卓之さんの記事に関連していにしえの中央ヨーロッパの基幹夜行列車として使っていただきました。

印刷の具合は「良い感じ」なのですが、スキャンして見たらつぶれ気味でした・・・・私がもっと上手にスキャナーを使いこなすべきみたいです。


最後の一枚、1977-08のD1275【Metropol】メトロポール号です。

カマは 01 2118-6 今も保存機となっている機関車、ワグナーデフを残した原形タイプのなかでも綺麗(←砂箱にバケツを被っていない)な一両でした。

バケペン+150mmF2.8 でシャッター速度は1/125か1/250か・・・

ベーラ~バインベーラの大築堤カーヴを駆け下ってくるところです。

このD1275メトロポールはドレスデンHbf17:52着、ギラリが狙える列車なので3シーズンに亘って何十日間もこの一枚に賭けて狙ってきた一枚です。

しかし


フランク社“Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR”では使ってもらえなかったという因縁の一枚です。

彼らに写真の選定を一切任せてしまったのがマニア(←日独そう違いは無い)的には間違いだった感じがします。

鉄道ファン、是非買ってください m(_ _)m








宴会そして写真展訪問・宴会

2018-03-18 | 海外蒸機

湘南“鉄”の会


この日はLSEホームライナー藤沢行最終日でした。


ファンが大勢乗り込んでいました。


紙袋に載せてセルフタイマーを使った記撮です。


品川東口、品川インターシティC棟2F


ニコンミュージアム企画展「Fの時代 広田尚敬」開催中。


広田尚敬さん使用のNikonFと広田先生の当時のメモ

この日企画展連動イベント「広田尚敬トークライブ」がありました。

対談相手は山下修司さんです。


同じ日、同志社大学鉄道研究会OB懇親会が有り、鉄研三田会からも数人乱入致しました。 私もその一人です。


富士フォトサロンで田中 晋さん写真展が有り、その機会に有名中国“鉄”ガイド2名が来日、その時に併せて中国“鉄”大宴会が有りました。


広田尚敬先生がサプライズゲストとして来られて大集合写真です。

中鉄宴会の顔・阪上晶貴さんは仕事で欠席です。


富士フォトサロンを訪ねました。



http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s2/18031602.html




郷ひろみさん、笑福亭鶴瓶、左とん平さんです。

https://middle-edge.jp/articles/6HQCt


冗談はさておき、スチル写真に真正面から取り組む姿は素晴らしいです。

大勢のお客様で大盛況。 何よりです。





去りゆく2016年と言えばゼロイチ!

2017-01-05 | 海外蒸機
2017と言えば・・・私の愛車という事はありましたが、2016というのはゼロイチに居ましたね。


012016-2 1976-07-23 ベーラ ~ ヴァインベーラ 先頭の客車はDRではなさそうです。

この写真は(ポップアップします)中央部はピントが合っていますが前後がボケています。 理由はすでにネガが大きく反り始めているからです。

ようやく去年辺りから昔のネガのスキャンが出来つつあります。 あと数年、出来れば20年早くスキャンしていればと悔しく思っています。


1976-07-25 ドレスデン中央駅 国内急行を牽いて中央駅行止線に到着しました。

ゼロイチは製造初年1925年、C53より少し古い機関車です。

01016 は原形・石炭炊きなので2000番台を被って 012016に成りました。

01016 は初期型、先輪径850mmタイプですがあちこち改造され非常に変わった形態です。

① 先輪径1000mmの後期型同様の先台車に交換されています。
② 44形の上前角が丸いワグナーデフを装備しています。 44形がウィッテデフに交換された時に外されたものだと思われ、外に数両居ます。
③ 従台車にもブレーキが装備され、動輪のブレーキは日本同様の片押し式ですが最高速度130km/hでした。(ベルリン・オスト機関区所属で01-5と共通運用だった事からの改造と推定されます)

外に特徴は、砂箱増量が無く、シリンダーブロックは原形の鋳物という美しい機関車です。

ところで今年2017年は、ドレスデン ~ ベルリン で本線優等列車先頭のゼロイチがDLに交代して40年の節目になります。

其れを記念して特別列車が運転されます↓


01066(元ドレスデン機関区所属、現BEM所属)を使って催されるイベント。


デトレフ→水沼先生→井門という奇跡の流れで知り合った松岡君です。

BEMの仲間マックス君のフェイスブックから掠ってきた画像です。 カメラは大井店熊田店長です。



'76年夏&冬'77年夏の間中このドレスデン ~ ベルリン で撮影していましたが、後の79、80年の様に他の鉄道カメラマンに会った事はありませんでした。 と言う事はこのイベントそのものが増田 泉・井門義博組のために催されたもののように思います。 しかし流石に4月初旬のこの時期にドイツに行く事は出来ません。 まさに残念至極!






01の訂正 m(_ _)m

2016-05-03 | 海外蒸機
画像消え、文字化け事件後なので気持ちが乗らないちぐはぐな再掲載になりそうです。

01の画像について様々な人から間違いを御指摘を頂き、訂正を書きます。


此方の写真。BEMから送られてきた 01 066 の昔の姿です。

01は1号機落成時はこの小型デフでした。

間違いその1;
「従来10号機までがこの小型デフ、11号機から大型のデフと認識されていました」

高木宏之(本当は梯子段の高ですが書き込み不能文字です)さんが海外鉄道研究会季刊誌‘ペンデルツーク’に寄稿された記事

「1930年の01077以降が大型デフで竣工したと思われます」

というものが有りました。

それが正しいという事がはっきりしたというだけのことだったのです。


こちら、篠原正瑛著‘全盛時代のドイツ蒸気機関車’が私のバイブルなのですが


此処に~01010 までが小型デフ、01011~が大型デフで落成と書かれています。

写真といい、資料といい、読み応え満点の凄い写真集なのですが後年の資料の発掘恐るべし!と思います。

間違いその2;
「東西分割後の姿」というのは間違いでした。

ベルリンの木村さんから指摘を頂きました。

「東西分割後の姿というのは誤りで、第2次生産型の特徴である小型のデフを付けていますから、製造の1928年から遅くとも1930年代半ばまでの写真だと思われます。この小型デフは煙をキャブ上方に流すのに効果がなかったため、第3次製造型(1930/31年製造)から大型のものが取付けられるようになりまし たが、2次製造型も順次大型デフに交換されましたので(66号機の交換時期は判然と しませんが)、遅くとも30年代半ばにはこの小型デフを失っていたと思われます。
 補機類の形態等からみてもこの写真は多分新製直後(1928年)のハノーファーに おける姿だろうと思われます。」

とのことです。
余りにも鮮やかな写真なので、またスナップとして撮られた感じなのでかなり後年だと思ったのですが、よく見るとテンダーは原形と思われますし、キャブの円筒状の汚れ止めもありません。

だいいち、共産圏時代の東独に写真を撮る余裕も風潮も無かったですし、背景の文字が書かれた建物には「自由」の雰囲気が有ります。

全く迂闊だったと思い反省いたします。

(前々回のブログも文面だけ訂正させて頂き、お知恵拝借の記録としてこの回のブログも残しておきます)

今回、篠原さんの写真集を見て気になる文面が一つあります。

上の画像(‘写真集’の説明書き“01”の項の一部)に有ります。

(おもな外観上の変更のひとつとして)はじめ、空気ポンプおよび給水ポンプは、外観上の配慮から煙室の左右外部、除煙板の内側に取付けられていたが、のちに機体のほぼ中央部の両側、第2動輪と第3動輪のあいだの渡り板の下側に移されたこと、などである。」
と有ります。

此処に関しては、増田・井門組の見解があります。
フランク社写真集‘Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR’にアルフレッド・ゴットヴァルドさんの訳で書かれているのですが、要点を述べると

① 01設計者は、軸配置「パシフィック」の欠点を「先台車=2軸、従台車=1軸」であるが故に動輪としては重心が後ろ側に偏り勝ちであると考え、重量のある補機類を機関車前端付近に集中する必要を感じて設計したと思われる。

② 東西ドイツの全ての蒸機は整備性の良いウィッテデフに交換して仕舞いましたが東独の01だけは重心が後に偏る欠点を持つパシフィックで大幹線の重量国際急行列車を牽引する必要が有るので、ワグナーデフを使い続ける必要があった。 小型のウィッテデフでは補機類が障害して煙の誘導効果が不十分となる事を恐れた。

③ それが全蒸機の除煙板をウィッテデフに交換したにも係らず01だけはワグナーデフのまま使われ続けた「可能性として残された唯一の理由」ではないか?

と言うわけです。




西独形01の例

日本の幹線用大形蒸機と同じ様に整備性の良いランボード半ば、第二動輪~第三動輪に掛けての両側にエアーポンプと給水ポンプを持ってきています。


デトレフが送ってきた一時的にウィッテデフに付け替えた 01066 です。

煙室前端両側、シリンダーブロックの前にエアーポンプと給水ポンプを配置していることが判ります。

日本のC59は外観上から見ても煙室が前にせり出すようになっていてフロントデッキ周りがせせこましく成っているという問題が有ります。 この原因は重心後寄りを少しでも解消したかったためと言われています。

アメリカ型蒸機の場合煙室前端に重量補助機器を付けてしまうと言う手段を選ばぬ作戦を実施していますが、01の選んだ位置はなかなか良いバランスじゃないかと思う次第です。

01の大きな悩みが動輪上の重量が後寄りになり勝ちであった筈であるという根拠のもう一つは“人民01”の形態を見ると判ります。


ベルリン市内、信号場で停車した011511石炭炊き人民01です。

0110三気筒140㎞/hの重パシフィック機を全て西側DBに持って行かれた東側DRがソ連風に大改装した01で対抗しようとしたものです。

重量補器類はシリンダーブロック前側に持ってきたうえにランボードを階段一段分高くして補機類を覆い、そのうえでウィッテデフとしたものです。

西側のゼロイチが旅客用としてはかなり早くから二線級の運用に転じていたのとは違って東では戦争前提だったがために電化は無く、優秀なディーゼル機関車も無く、蒸機が第一線に立ち続けなければならなかったが為の作りと言えます。


同じくベルリン市内、信号場で停車した01118です。 (この様なものを撮っているとすぐに警官が来ますのでご用心・・・と言っても逃げ場が有りませんが)

重量が嵩む補機類はシリンダーブロック前側、ランボード下ではなく一緒にランボードを構成するような位置に置かれています。

重量バランスは人民型01と同じく理想的です。 10~11連の国際急行列車を常時120~130㎞/h、ドレスデン⇔ベルリン間を表定速度90㎞/h台で牽き続けるには必要な事だったのだと思います。

一方西独型01の整備性は実に驚くべき向上が為されています。

せせこましい場所からランボード両側中央部に移された補助機器は扱いやすそうですし、何よりもウィッテデフが便利そのものです。

ドイツのワグナーデフ(←世界の除煙板の元祖)日本の普通デフ、日本の門デフでは庫内手、整備要員はランボード上デフの内側を通行します。

それに対してウィッテデフは煙室からの距離を大事にしていますので煙室から直接足を生やしていて、デフ下側に足は有りません。 庫内手、整備要員はデフの外側を通行します。

ワグナーデフは車両限界近い位置にありますが、ウィッテデフは煙室からの距離に縛られて居り、車両限界とは基本的に関係が有りません(多くの場合車両限界よりもかなり内側にありますのでランボード上、デフに掴まりながら外側を楽々歩いて通行できるのです。
(ボイラーの太い01でもウィッテデフ付 01202 や 01066 の写真を見れば通って行ける事が判ります)

庫内手、整備要員が頭をぶつけない様にデフ取付ステーを大きく曲げて取り付ける日本とはずいぶん大きな違いだと思いませんか?

(私は恰好が良いのは日本の門デフとドイツのワグナーデフだと思います)