先月、日本国内の徐福渡来伝承地を取材していらした中華遺産雑誌社(中国・北京・中華書局系列)発行の『中華遺産』で、今春、江蘇省連雲港市贛楡県の特集が組まれます。
贛楡県の特集なのか徐福の特集なのか、どちらが表になっているかわからないのですが、贛楡県で徐福を無視するわけにはいかないでしょう。(徐福村があります。)徐福についてのページの中に、拙論《从日本文学角度看徐福》(=日本文学から見た徐福)の掲載が決まったという連絡をいただきました。「特向您表示祝賀!」とメールにはあるので、きっと喜ぶべきことなのでしょう。「多謝!」と答えました。(これくらいしか言えないのです。)
その雑誌をパラパラと見ていると、この雑誌は中国国内だけでなく海外にも出ているもののようで(ISSN 1672-8971)、つまりは徐福が中国から飛び出していく。それはなんとも嬉しい気がします。
さて、この拙論掲載は編集側が決めてくださったようなのですが、李連慶主編『徐福賛』(1996年、中国徐福会・世界知識出版社)133-137ページに既に所収されており、もう少し遡れば1994年10月、中国徐福会によって北京で開催された国際学術研討会において発表したものです。
古い!と思われるかもしれませんが、そこに書いたのは、日本文学の中では初めから徐福の日本渡来が記されてきたのではないということです。白楽天(白居易)の「海漫漫」という詩が徐福のことを記し、その詩を通して、教養として徐福は日本文学の中に登場することとなったのです。しかも、その詩の中では徐福は日本へ渡来したとは記されておらず、船の中で童男童女が老いてしまったという終わりにしています。その姿が長くそのまま日本文学の中で披露されてきたのです。
『中華遺産』は上質なカラー雑誌で、きっと日本の渡来伝承地の数々が今回、素敵な写真とともに紹介されると思いますが、そんな中で対照的なこの拙論を掲載してくださること、地域の盛り上がりとは別の視点を置いてくださること、嬉しく思います。
贛楡県の特集なのか徐福の特集なのか、どちらが表になっているかわからないのですが、贛楡県で徐福を無視するわけにはいかないでしょう。(徐福村があります。)徐福についてのページの中に、拙論《从日本文学角度看徐福》(=日本文学から見た徐福)の掲載が決まったという連絡をいただきました。「特向您表示祝賀!」とメールにはあるので、きっと喜ぶべきことなのでしょう。「多謝!」と答えました。(これくらいしか言えないのです。)
その雑誌をパラパラと見ていると、この雑誌は中国国内だけでなく海外にも出ているもののようで(ISSN 1672-8971)、つまりは徐福が中国から飛び出していく。それはなんとも嬉しい気がします。
さて、この拙論掲載は編集側が決めてくださったようなのですが、李連慶主編『徐福賛』(1996年、中国徐福会・世界知識出版社)133-137ページに既に所収されており、もう少し遡れば1994年10月、中国徐福会によって北京で開催された国際学術研討会において発表したものです。
古い!と思われるかもしれませんが、そこに書いたのは、日本文学の中では初めから徐福の日本渡来が記されてきたのではないということです。白楽天(白居易)の「海漫漫」という詩が徐福のことを記し、その詩を通して、教養として徐福は日本文学の中に登場することとなったのです。しかも、その詩の中では徐福は日本へ渡来したとは記されておらず、船の中で童男童女が老いてしまったという終わりにしています。その姿が長くそのまま日本文学の中で披露されてきたのです。
『中華遺産』は上質なカラー雑誌で、きっと日本の渡来伝承地の数々が今回、素敵な写真とともに紹介されると思いますが、そんな中で対照的なこの拙論を掲載してくださること、地域の盛り上がりとは別の視点を置いてくださること、嬉しく思います。