2005年1月28‐30日、宮崎県児湯郡木城町の比木神社の御神体が、東臼杵郡南郷村の神門神社へ向かいます。
この往復90キロに及ぶ「師走祭り」が終わると、ようやく新しい年が来るのだそうです。
この両神社には百済王漂着の伝説があり、それがきっかけで祭りの調査に出かけるようになりました。
宮崎というと暖かなところを思い浮かべるでしょうが、南郷村は山の中。寒さとの戦いでもあります。
一年目は神門神社側に同行しました。
前前日の晩の星祭りから、比木の神を迎えに出て、迎え火や神楽、そして見送ったあとの火の神祭りまで。
二年目は比木神社のお伴のひとりとして参加しました。
朝からひとつひとつ旅所をまわり、社務所で寝泊りを御一緒させていただき、別れの儀式を終えてまた神社まで。
三年目はどんなかたちで祭りを担う方たちと接していこうか、今から楽しみにしています。
既に私がこれまで調査に出かけている他の百済王伝説を持つ土地の方から、
私たちも行きます!の声が届いています。
佐賀県の加唐島のみなさん、宮崎県の田野町のみなさん、寒い夜空にお会いできるのを楽しみにしています。
この往復90キロに及ぶ「師走祭り」が終わると、ようやく新しい年が来るのだそうです。
この両神社には百済王漂着の伝説があり、それがきっかけで祭りの調査に出かけるようになりました。
宮崎というと暖かなところを思い浮かべるでしょうが、南郷村は山の中。寒さとの戦いでもあります。
一年目は神門神社側に同行しました。
前前日の晩の星祭りから、比木の神を迎えに出て、迎え火や神楽、そして見送ったあとの火の神祭りまで。
二年目は比木神社のお伴のひとりとして参加しました。
朝からひとつひとつ旅所をまわり、社務所で寝泊りを御一緒させていただき、別れの儀式を終えてまた神社まで。
三年目はどんなかたちで祭りを担う方たちと接していこうか、今から楽しみにしています。
既に私がこれまで調査に出かけている他の百済王伝説を持つ土地の方から、
私たちも行きます!の声が届いています。
佐賀県の加唐島のみなさん、宮崎県の田野町のみなさん、寒い夜空にお会いできるのを楽しみにしています。
南郷村は、大学時代(10年以上前です)民俗学の課題レポート作成のためのフィールド・ワークのため訪問したことがあります。翌々年には師走祭りも見学しました。
今では、南郷村や百済王伝説には縁遠くなってしまっていますが、疑問に思っている点があり、書き込みをさせていただきました。
伝説を記した「比木大明神本縁」に、「珠を投じて住む場所を決めた」というくだりがありますが、このように「ものが落ちた場所に居を構える」という一種の占地の風俗は、日本国内のほかの地域にも見られるものなのでしょうか。
『三国遺事』には、凧を飛ばしてそれが落ちた場所に居を定める例があり、
http://www.buddhist-canon.com/history/T491011c.htm
済州島の建国神話にも、矢を放って落ちた場所に居を定める例があるようです。
http://home.megapass.co.kr/~sinjia/kankou/jejusi/sanseike/sanseike.htm
(↑原典史料を見つけ出せませんでした。観光案内のようなページですが、ご容赦ください)
南郷村の百済王伝説の珠を投じるモチーフも、これに類似したものだと思いますが、これが朝鮮に特徴的な占地の風俗が伝来したものか、判断がつきかねます。
日本国内に類似の説話が伝えられているならば速断はできない、と思うのですが、日本国内の説話に暗く、わかりません。
「ものが落ちた場所に住居を定める」という説話を他に御存知でしたら、御教示いただきたいのですが。
よろしくお願いします。
こういう見方というのもあるのだなと、大変勉強になりました。ありがとうございます。
確かに宝暦五年(1755年)の『日州児湯郡高鍋比木大明神縁起』の中に、そうした記述がありますね。
ただ、私にはそれを「一種の占地の風俗」と捉えるべきなのかどうかが判断できないのです。
と言いますのは、地名由来などの多くは、そうした話ではないでしょうか?
例えば、これは徐福伝説ですが、佐賀県の諸富町には、徐福がどこに上陸しようかと盃を有明の海に放ち、その盃がたどり着いたところが徐福の上陸地「浮盃(ぶばい)」という地名になっています。
これも、見方によっては解釈が変わってくるのではないかと思います。
ただ、「ものが落ちた場所に住居を定める」という類型で集めてみると、今まで注目しなかった新たな発見があるのかもしれません。
是非、御教示いただきたいと思います。
諸富町の例も、「偶発的な要素にまかせて、ものがたどり着いた場所に赴く」という点では同様のものですね(潮の流れを調べる、ということなら、科学的な根拠も少しはあるような気もしますが)。
私が『比木大明神縁起』の「珠を投じる」というモチーフを占地だと考えたのは、『三国遺事』の記事が、任東権先生の論文『三国時代の巫・占俗』(『韓国の民俗と伝承』桜楓社、1984)で紹介されていたためです。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/03166903
その後、済州島の建国神話にも類似のモチーフがあったことを思い出したのですが、南郷村、『三国遺事』、済州島の三つしか、こうしたモチーフのものを知らなかった次第です。
国内各地に類似のモチーフの説話があるなら、朝鮮半島との関わりは希薄、ということになるかもしれませんね。
話は変わりますが、一昨日、九州ローカルの番組で南郷村が採り上げられていました。 南郷村は九州ローカルのテレビ番組で採り上げられる機会が結構多いようで、私が同村を知ったのもNHKの番組でした。
今回は、『九州街道ものがたり』というKBC九州朝日放送制作の番組でした。
懐かしい風景をみることができ、また村の変貌もみることができました(私が訪れたのは西の正倉院が建設中の時期でした)。
この番組、九州各地の博物館でアーカイブを観ることができるようですので、URLをご紹介しておきます。
http://www.kbc.co.jp/tv/kaido/kaido.html
15分の番組ですし、アーカイブは500回まで、ということで、今回の放送が入るのは未定ですが、関心がおありでしたら、近くまでいらしたとき、お立ち寄りになったらいかがでしょうか。
また、いろいろと御教示ください。
南郷村の番組について、やはり離れていると、そうした情報が入りにくく、ありがとうございます。
たしかに師走祭りは毎年取材がありますね。今年は取材の方たちから「次はどこに行けばいいですか?」と繰り返し聞かれました。
ぜひまた足をお運びください。私ももちろん参ります。
この2冊、今、図書館から借りてきています。
この2冊に収められた師走祭関連の論文は、原本を持っていたはず。
『日本学報』のコピーを初めて南郷村を訪問した際に役場の方からいただき、『日本の中の百済文化』は韓国国際交流財団の非売品のものを学生時代よく通っていた尼崎の錦繍文庫からコピーさせてもらったものです。
今はどちらも行き場が判らなくなってしまっているのですが。
大学ででっち上げた卒論の研究テーマが朝鮮半島の歳時風俗で、任先生の御著書はいろいろと参考にさせていただきました。ソウルに行った際は『韓国歳時風俗研究』を買い求めましたっけ。
任先生の研究テーマは、他に説話・民謡など多岐に渡り、どれも労作ですね。
任先生以外の研究で、南郷村の百済王伝説に関する論文は御存知でしょうか。よろしければ御教示ください。
しほさんの論文も探してみます。
南郷村教育委員会編『日向南郷神門神社・木城比木神社の師走祭調査報告書』(1998年、南郷村教育委員会)、
松永和人「宮崎県東臼杵郡I山村の神事に見る『左肩』の習俗」(松永和人『左手のシンボリズム』、1995年、九州大学出版会)、
芦田徹郎「祭の復権と村の再生‐師走祭りと百済の里づくりをめぐって‐」(宗教社会学の会編『新世紀の宗教‐「聖なるもの」の現代的諸相‐』、2002年、創元社)、などです。
論文ではありませんが、
松永年生編『百済へそして未来へ‐宮崎県南郷村の挑戦‐』(1993年、西日本新聞社)、
南郷村・鉱脈社企画編『小さな村の大きな挑戦‐ドキュメント・百済の里づくり‐』(1994年、鉱脈社)、
金達寿「九州山地 なぞの百済王伝説」(NHK歴史発見取材班編『歴史発見』15、1994年、角川書店)、
南郷村役場企画観光課編『百済伝説 神門物語』(1995年、南郷村)、などは南郷村が注目されていく過程がよくわかります。
拙論は「百済王伝説の現在‐宮崎県南郷村の師走祭りと百済の里づくりにおける渡来人伝説‐」(日本昔話学会編『昔話‐研究と資料‐』32号、2004年、日本昔話学会)です。入手しにくいようでしたらお知らせください。