愛知県西尾市天竹(てんじく)町にある天竹神社には、日本に初めて綿の種を持ってきたという崑崙人が祭られています。
ある年には大変な賑わいを見せたその天竹神社は、数年前にインド大使が訪ねてくるなど、この伝説をきっかけにした国際交流が始まっているようです。
さて、11月4日の読売新聞に、西尾市内の小中学生約660人が、ミュージカル「西尾茶浪漫伝説」を上演したという記事が出ていました。
http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo051104_2.htm
臨済宗を開いた栄西が中国に渡り、茶の種を持ち帰ったことをきっかけに、西尾で茶づくりが広まったという内容なのだそうです。
渡来人伝説は海の向こうからやってくる人が主役となりますが、
このように、行って帰ってきたという形でも海を渡るストーリーは生まれてくるのですね。
茶の種か、綿の種か。西尾の歴史ロマンは広がります。
ある年には大変な賑わいを見せたその天竹神社は、数年前にインド大使が訪ねてくるなど、この伝説をきっかけにした国際交流が始まっているようです。
さて、11月4日の読売新聞に、西尾市内の小中学生約660人が、ミュージカル「西尾茶浪漫伝説」を上演したという記事が出ていました。
http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo051104_2.htm
臨済宗を開いた栄西が中国に渡り、茶の種を持ち帰ったことをきっかけに、西尾で茶づくりが広まったという内容なのだそうです。
渡来人伝説は海の向こうからやってくる人が主役となりますが、
このように、行って帰ってきたという形でも海を渡るストーリーは生まれてくるのですね。
茶の種か、綿の種か。西尾の歴史ロマンは広がります。
http://www.city.nishio.aichi.jp/kaforuda/40iwase/
私は必要な資料が隣の市立図書館にあったために、すぐそばまで行きながら、まだ岩瀬文庫を訪れたことがありません。
こうした地域の中の文化の拠点づくりに尽力した人のことを思うと、一層そうした資料を生かしていきたいと思いますね。
初めて作ろうとしたとき、「主婦」の私をつかまえて
熊野組のみなさんが「できるか?」と心配したことを思い出します。
料理人が多くて困ります。
茶粥の炊き方は奥が深いので、私自身は恥ずかしながら自分では成功したことがありません。
熊野のタキばあさんとこで食べさせてもらったら、
なんだか全然違いました。
それにタキばあさんとこの粥の鍋、大きかったですよねー。
思い出になってしまったことが悔やまれます。