ほるほる

矢作川のほとりから枝下用水(豊田市)をながめ
徐福・百済王など日中韓の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

2016年5月20日 第3回徐福文化国際研究協議会佐賀大会

2016-05-21 07:15:17 | 徐福伝説
2016年5月20日、第3回徐福文化国際研究協議会佐賀大会がおこなわれ参加してきました。
日本徐福協会が設立して初めての大会です。

去年佐賀の徐福イベントに参加なさった方からは、だいぶ会場が小さいですねと言われましたが、
100人ほどの大会議室がいっぱいになっていて、それはみな徐福に関わる方たちということを考えると、
かなり熱い大会となりました。
この徐福熱を広げていくのは今後の課題でしょう。

今回の大会、午前には元韓国総領事の柳洲烈さんの講演がありました。
この協議会は徐福を世界文化遺産にという目標を掲げているのですが、
私は全く知識がなく、日中、日韓で仕事をしてきたからこその話を聞くことができ、
また人柄もたいへん穏やかで、徐福の会議にはとても新鮮でした。

午後は先ず中韓日それぞれにこれからの取組みにあたっての現状報告。
私は日本徐福協会設立をゴールにした話をということでしたので
近現代の徐福を取り囲む状況、
決して近代、徐福顕彰を病めることはなかった事例をあげて
日本徐福協会の設立までを話しました。
(写真なし、誰かください)
私の報告の中国語訳が間に合わず、話し終わったあとに会場にいらしたWさんが手を上げ、
もう一度中国語で内容を話して下さいました。
大きなイベントではちょっとできないことですが
そんなところもみなさんあたたかく、感謝感謝でした。

午後のメインは徐福の共同研究を進めていくうえでの研究分野の確定のための協議です。
徐福は「徐福学」という言葉が出てくるほど、考古学、歴史学、地理学、文学、民俗学、文化人類学、社会学…、
いろんな視点からの研究が可能です。
ですからこの研究分野の確定は実はとても難しいのです。
それぞれ好きにやればいいけれど、共同研究ですから。

という難解な協議の司会を仰せつかり、あたふたしましたが、
いやいや実際大変だったのですが、
(写真なし、誰かください)
中国徐福会副会長の李武さんが
「相手と戦うときには、10本の指を傷つけるのではなく、1本の指を切り倒そう」と
いかにも中国らしい発言で流れを一つにしてくださって、
なんとか決めるべきところは決めることができました。
そしてまた、今回の会議で、中国は本気だなと感じることもできました。

そして最後には中国の徐福のドラマ制作発表会がありました。

60回の連続ドラマとのことです。
私が以前関わった市川森一さん、荒俣宏さんとの中韓日の連続ドラマ企画は
結局ながれてしまいましたが、そのことも、制作発表会の中ではドラマができるまでの経緯として
紹介されました。

会議が全て終わり、それから協議会のなかで言い合いになってしまったような場面もあったので
その方にお詫びの挨拶をし、熱い思いを聞きました。
そう、みな徐福に夢中なのです。
だからこそ、白熱してしまうのです。
そういう方たちがあっていまに至ることを実感して、佐賀の大会は終わりました。

最後に日本の徐福仲間との打ち上げ。
佐賀のソウルフード、シシリアンライスというのを食べてみました。美味しかった!
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2016年5月19日筑紫野市天山経由で佐賀へ

2016-05-20 08:04:18 | 徐福伝説
2016年5月19−20日の日程で第3回徐福文化国際研究協議会佐賀大会があり、佐賀に来ています。
この大会は徐福伝説を世界文化遺産に!という呼びかけのもと、韓国、中国、日本という順番で開かれているものです。

19日朝、福岡空港に到着した私は、佐賀行き高速バスの乗り場でこれから徐福の温泉=武雄温泉にいくという大阪の徐福仲間Iさんと一停車場までご一緒し、筑紫野下車。
そこには「天山(あまやま)ふれあい会」のIさんが待っていてくださいました。

実はもうずい分昔から筑紫野に「童男丱女岩」(どうなんかんじょがいわ)があるという文献記録はあったのですが、全国にはここに徐福にまつわるこんなものがあったんだよなあとという話は多く、ここもそれを伝える人がいるということを聞いたことがありませんでした。
数年前に筑紫野の「童男丱女岩」があったという話を聞いたのですが、機会がなく、
3月に佐賀で日本徐福協会設立の会議があったときに、管理をしているというボランティアグループ「天山(あまやま)ふれあい会」の方たちにお会いすることができました。

というわけで、佐賀入りする前に筑紫野の「童男丱女岩」を確認です。
迎えに来てくださったIさんは天山で自治区会長をつとめて8年になるそうで、
「童男丱女岩」を見に来てくれてありがとう!というような
天山を愛している感じがにじみ出ている方です。
ちょっと山登りになるからと靴と靴下まで準備してくださっていました。感謝感激!
さあ出発!

10年ほど前にIさんら八天会(はってんかい)=天山の8人の会(飲み会?)のみなで
昔、山の上に岩あったなあ、登ってみるかと登った時にはもう荒れ果てた状態だったそうですが
いまはその会が名実ともに「発展」して、天山ふれあい会という50人ほどのボランティアグループになって、いろいろと整備を進めています。ですから、行く気になったらだれでもハイキングと思って出かけることができる場所になっています。これまでであった「徐福の会」ではないところもこの天山の面白いところです。

20分ほど山を登ると見晴らしのいいところに出ました。(パノラマ撮影)
ここに「童男丱女岩」がありました。

切り立ったところにあるので、遠景で撮れないのが残念。
この石、組んでおいてる感じがしませんか?

なんでもIさんらは徐福の岩なんて聞いたことはなくて、
「東南官女岩」(とうなんかんじょいわ)と言っていたんだそうです。
それでもなんかこの石は中国(東南の方角?)から何かが来たというおぼろげな話はあったそうですが。
小さい頃は薪が必要で、共有林のあるここまで来て、
この岩のところからは薪になる木を持って草スキーで一気に降りていったんだそうです。
昔からの遊び場でもありました。

それで一体どんな岩なんだとインターネットで調べ始めて、「東南官女岩」ではなくて「童男丱女岩」なのかと知ったということです。
こういうこと、これからもおきてきそうな感じです。
そうそうもう少し下のところには船繋ぎ岩と呼ばれるところもありました。


こうした伝説の生まれるところにある共通したことや歴史など、
また農業用水に関わるようになって、その地域の人たちの水の問題なども思いを馳せることができるようになったことで
あれこれと話は盛り上がり、
人気のお蕎麦屋さんで仕上げをして、Iさんお手製のブルーベリーワインをいただいて佐賀に向かったのでした。

晩は集まった中韓日の徐福関係者との夕食会。
早速、天山に行った話をさせていただきました。


こういうところに出ていくと、徐福を取り囲む人たちが新たに増え、逆に出てこれなかった人たちのこともまた思い出します。
今回は中国の徐福の連続ドラマの撮影班がたくさん来ています。60回もの連続ドラマとのこと。
成功するといいですね。

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2016年GW 熊野へ

2016-05-04 08:10:10 | 徐福伝説
厳密に言うとGWの少し前なんですが、先述の中国からの研究者Sさんが徐福伝承地の熊野を訪ねたいということで
はじめは私は行く予定ではなかったのですが、
観光学が専門のSさん、ご紹介していた民泊「あかくら」にぜひ泊まりたいということで、
ここは一日一組限定、Sさん一人では可哀想というわけで、オーナーのNさんから
「逵さんもおいで〜」と言われ、一度泊まってみたかったので「いくよ〜」となって
ならば、中国人留学生でいつか熊野に連れて行ってと言っていたKさんに声をかけると「行く行く」というわけで、
東京から出発してくるSさんを熊野市駅で迎えるのは夕方4時、
留学生Kさんと私は名古屋を朝出発し、それまでに観光をしておくことになりました。

日頃は人任せの熊野。でも今回は私が案内人。
苦手な車を走らせ、先ずは鈴鹿での渋滞を乗り越え、尾鷲まで来ると三重県立熊野古道センターへの案内板をみつけました。
実はまだ行ったことがなかったので、ここで寄り道。
中に入って見ていくと、徐福の説明があったので立ち止まってみていると、
職員の方が「徐福、このセンターのなかで一番人気なんです。全国に沢山あるんですけどね」と言われました。
頑張れ徐福!

そして再び車を走らせいよいよ熊野市へ。
先ずはやっぱり波田須の徐福の宮を見下ろせる徐福茶屋へ。
休日なのに閉まっていたのは残念でしたが、Kさんが「この景色知ってる-」と叫びます。
そうですね、私が講義で徐福の話をするときはかならずここからの写真を使っているから。

そして鬼ヶ城へ。
新姫ソフトクリームを食べようと思ったのですが、中国人のKさんはお腹を冷やすことを極端に嫌うので(?)、
賛成してもらえずここは素通り。
テラスで食事をしていた人もいたのですが、以前、案内していただいたあそこに行こうと出発。

トンネルを超えたら七里御浜の鯉のぼりがきれいだよ、といったのですが、
残念ながらちょっと早かった。GW限定なんですね。

そして道の駅パーク七里御浜の2階にある「辻さん家」。
とにかく海が果てしなく見える絶好のロケーション。
前に来た時には、〜御膳というものがあったのですが、休日だったためビッフェスタイルの日でした。
えー、そんなに食べられないし、ビッフェはなあと躊躇したのですが、じゃあ他所に移動するというのも面倒になって
いいや、景色いいしと入店。
するとするといいんですこれが。
先ずはこの道の駅に来たら絶対飲みたいみかん100%ストレートジュースが飲み物にあるんです。
そして、焼きそばとかチャーハンみたいな、お腹膨らませてくださいみたいなものはなく、
かなり凝った小鉢がいろいろとあって、ごはん類も。

これは大人が嬉しいビッフェでした。1500円、文句なし!

それから再び南下し、新宮へ。速玉大社へ行って、徐福公園に行って、
そしたら行かずにおれない香梅堂
つれあいの夢は、ここの鈴焼を抱きかかえるようにおいてたべることなのだそうで、
その程度の夢なのかと思わないでもないけれど、10袋購入。
でも後からくる地元の人は「30袋」と続けて注文していて、ああまだ地元の人にまでは到達できないと思いました。
Kさんも感激の味!

それから長年お世話になっているBさんと獅子岩のところで会いましょうということになり、北上。
途中、ここの干物美味しいのよと浜峰を指差したら、
窓際によく見た頭を発見。間違いなくBさんです。急いで引き返し入って行くと、なんと浜街道店で店番をしているのは大将。
こんなことは初めてでした。

そこからは私の運転を全く信じていないBさんが私の車を運転し丸山千枚田へ。
そして引き返して16時、熊野市駅ではるばるやってきたSさんを迎えたのでした。

Bさんに甘夏をお願いしていたので、それを取りに行っていただく間、
観光協会のWさんとも合流し、みなで花の窟へ。

ここから私たちは宿に向かうわけですが、これでもし帰宅しても、十分に熊野を一日楽しめた感じです。
ほんとうに便利になりました。

そして私たち(Sさん、Kさん、私)は民泊「あかくら」へ。
オーナーのNさんにとっては目をつぶっても走れるような道かもしれませんが、私の技術ではどうなることやら。
Bさん、心配して、あの山奥まで誘導してくださいました。感謝感謝!
あかくら到着!


Kさんが「携帯はいらない-」と嘆きます。そう、ここは携帯は通じない。テレビもラジオもない。
さあお風呂に入るには薪割りからだよと言われて私たちは薪割りをし、点火!



そうするうちに、外のテーブルにアマゴ料理(刺し身、串焼き、燻製、卵の和えたのなどなど)、
いやいやそればかりじゃない、たけのこの刺身、ぼたん鍋、鹿肉の燻製、
観光協会のHさんが熊野古道麦酒を差し入れてくださって、美味しさ倍増!(ありがとう!)
山がゆっくりと暗くなっていくまで、Nさんにこの地域のお話を聞いて過ごしました。

山からの水だからなのか、温泉のようなお風呂で、ツルツルになって、
なんだか時計をなくしたように、ああ暗くなったから寝ようかと21時半には就寝。
星空を愉しめばよかったのですが、気づけば朝。

茶粥とアマゴの干物、イタドリの炒め。お漬物。
昨夜残したものはイノシシの餌にしたと言われて、ああ、もっと食べておけばよかったとイノシシを恨みました。
アマゴの刺し身なんて、どうなの?って思うでしょうが、きかなきゃサーモンです。ほんとうに美味しかった。

というわけで、そこから大丹倉、神社などを案内していただき、山を降り、私とKさんは帰路につきました。
朝に?もったいないと思うかもしれませんが、月曜の夕方の講義があって、
本当に休講にはうるさい昨今の大学。
月曜夕方は今後も休みにせざるを得ない事情が出てきそうなので、頑張って帰りました。

それから熊野を満喫したSさんとは先述したように数日後に再会するわけですが、Sさんも熊野の方々の暖かさにすっかりファンに。
留学生Kさんも、友人たちにSNSで流したようで、いただいた資料をバイト先の喫茶店において
今後は常連客に熊野を語るんだそうです。
すっかり熊野が気に入って、「先生、今度熊野行く時、必ず連れて行って!」といわれました。

長年通っている熊野ですが、今回、あかくらに泊まって、新たな熊野を見つけた気がしています。
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2016年GW 杉本美術館へ

2016-05-01 23:01:54 | シホのホ(雑記帳)
2016年GW なぜ私が杉本美術館か。
それは2年前に遡ります。
徐福のイベントは日本だけでなく、中国、韓国でもおこなわれ、切り口は違っても同じ徐福に取り組む仲間として、たくさんの出会いがあります。
2年前、韓国で出会ったSさんは、中国人で観光学が専門の大学教授の女性。その時はそれほど親しく話した覚えもないのだけれど、その後、中国のZさんが延岡に調査に行きたいということがあって、私が延岡の方と調整しているときに、Sさんが通訳を兼ねて来てくださることになって助かったということがありました。
親しく話すようになったのは、去年の秋、中国連雲港カンユでの徐福のイベントがあったときのことです。アイロンを使いたかったSさんが、どうやら外国人の客室のほうが部屋も広く、備品も整っていると聞いて、「逵のところに行ったらアイロンがあるだろう」ということで、Sさんと私は大きな客室をくまなくアイロン探ししました。でも見つからず、私のシワ取りスプレーで代用したのでした。
その翌日、今度は地元共産党のご招待があり、Sさんが私の隣りに座ってずっと通訳をしてくださいました。その翌日、主催者が準備してくださった青島空港行きの車のなかであれこれとお話し、今度熊野に調査に行きたいわということになって、その時は連絡してくださいねと言って別れたのでした。

そしてこのGW、大々的な調査日程を組んでSさんが来日することになりました。熊野行きについては別に書くことにしますが、行程を確認しているときに、ちょっとお願いしたいことがあるとおっしゃいました。なんでも名古屋に30年来の友人がいるのだけれど、全く連絡もとっていないから、昔の住所にいらっしゃるかもわからない。探しだしてほしいのだけれどということでした。
できるかな?と思ったけれど、「杉本健吉という画家の娘さんです」ということだったので、これは簡単、言われたところで連絡が取れなかったら、美術館に聞けばなんとかなるだろうと思いました。

そして電話。初めて話すKさんは、Sさんの名前を告げると、会いたいと思っていたのが通じたみたいととっても喜んでくださって、それから再会の日まで私はお二人の伝達係をつとめたのでした。
とここで終わってもいい話なのですが、たまたま豊田市平戸橋の職場(資料室)の近くで本多静雄の旧宅が「民芸の森」として一般公開されることになり、ちらとめくった本多静雄の全集に杉本健吉の名をみつけ、伝達係をしていたときに思い出して尋ねてみると、二人は杉本美術館の初代館長を本多静雄がつとめるほどに親交があり、Kさんも何度も本多邸を訪ねていらしていたことを知りました。
そして「民芸の森」オープンセレモニーで、私は初めてKさんとお会いすることができました。この時、顔を知らない方と会うことがどんなに難しいかを知ったわけですが、まあそれはおいておいて。

そして一昨日、熊野から名古屋に移動したSさんを無事にKさんが名古屋駅で迎え、その晩、私もお二人の再会に同席させていただきました。
Kさんのご自宅に伺うと、山ほど写真のアルバムが広げてあり、そこには1980年からの中国の旅の写真がありました。二人で懐かしい写真を見ていたのでした。私も中国は1985年から行っているのでその頃のことは大変懐かしく、また、写真を見ると、様々な分野の方が旅のなかで交流していることも知りました。
Sさんが通訳ガイドという仕事を当時していなかったらこういう出会はなかっただろうし、私はもっと知らない世界のことです。

そういうわけで再会のお邪魔をしたわけですが、とにかくほんとうに素敵なお家で、玄関にかかっている「幡」は後から本を見てわかったのですが、東大寺の大仏開眼1250年の大法要のときに健吉がつくったものを小さくしたものでしたし、河合楽器の昭和初期のミニピアノがおいてあったり、全部写真に撮らせてもらいたいくらいでした。
翌日は杉本美術館に連れて行っていただきました。名鉄電車に乗っていると、杉本美術館のことは案内されていて知っているような気持ちでいたのですが、絵文字の般若心経、曼荼羅、そして全く知らなかったデザインを仕事にしていた時代の「トヨダのトラック」ポスター、名鉄のマーク、名古屋地下鉄のマーク、「青柳ういろう」のあのカエルのマーク、知らないうちに見ているものがたくさん杉本健吉の作品だと知りました。
東大寺の観音院というところがかつては文化サロンだったようで、吉川英治や写真家の入江泰吉などともそこで出会ったようです。観音院の蔵に窓を作ってもらい、そこをアトリエにしていた時代もあり、東大寺の絵馬は36年も描き、上記の幡や散華など、描くだけでなくどのように見せるかにも凝っていたようでした。そしてふざけてるといいたくなるような可笑しい作品も多く、焼物や彫刻もあり、これは美術館に来なくてはその魅力はわからないと感じました。
帰ってきて何人かに話したら、生前、美術館で会ったという人が何人もいて驚きました。生前は地下にアトリエをもっていて、日々通っていたのだそうです。
この絵を描いている時はねという話がKさんからいろいろお聞きできて、また丁寧な解説を学芸員の方もしてくださって、美術は全くわからない私ですが、一つ一つの作品に生き生きとした姿が見えてきて、こちらも生き生きとさせてくれるような時間で、それはそれは楽しいものでした。

お昼に連れて行ってくださったのは、すぐそばの「盛田」。残念ながらお休みだったのですが、伏見の「ねのひ」や名古屋駅のミッドランドスクエアにあるお店はここ(工場見学ができて食事ができるところ)がスタートのようです。
話戻って、以前、名古屋に能楽堂ができた時、たしか杉本健吉が能舞台に描いた松が若松で、それがニュースなので話題になったのを遠くで覚えていたのですが、今回作品を見て、話を聞いて、いかにも健吉らしいと思いました。

ああ、なんていいGWのスタートでしょう。
こんなに心が満たされて、日頃仕事が山積みになってあたふたと過ごしていることが恥ずかしくなりました。
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美味しかった「狸うどん」

2016-04-18 22:29:51 | シホのホ(雑記帳)
今日は月1回の「枝下用水を歩こう」。本日は旧狸山用水路を歩きました。
ならばこの記事は豊田土地改良区資料室のブログ「枝下用水日記」に書けば?といいたいところでしょうが、
話の内容はどう考えてもこの「ほるほる」なのでご安心ください。

さてさて6.08キロを歩いた私たち。お昼は地元のうどん屋「しら川」へ。
この間「釜揚げうどん」食べたからなににしようかなあとメニューを見ると「狸うどん」とあります。
自分の人生のなかで「たぬきうどん」とひらがな書きでない「狸うどん」を初めてみて、
そりゃあやっぱり狸山歩いてきたんだから「狸うどん」と張り切って注文しました。
でふとみると、注文を取りに来た方もきちんと伝票に「狸う」と書いています。
他の5人は誰一人同意してくれず、ひとり「狸うどん」を待ちました。

漢字とひらがなの違いはあったものの、それは普通にたぬきうどん、久々で、おいしくいただきました。
それで気になったのは、このお店、「狐うどん」はなかった。なぜ?

そんなどうでもいい話を師匠の研究室のEさんにメールしたら(用事があってですよ、狸うどん話だけしたいわけではない)

  狸山用水路のおうどん屋さんの狸うどんっていかなるものでしょう!?天かすうどんのこと?
  私はほぼ大阪文化で育っているので「たぬき」といえば甘いあげさんの入ったおそばのことなんです。
  たぬきはそばであってうどんはありえません。

という返事が来てのけぞりました。
「たぬきうどん」て天かすうどんでしょ!揚げが入ったのは「きつねうどん」でしょ。
そういえば餅入りうどんが昔から好きなんですが、これも「力(ちから)うどん」とは関西は言わなかったのでは?
久々に地方差を思い出しました。
でもこれって私のは東京都下暮らしがベースです。

名古屋近郊に越してきて、「うどん、ころにする?」といわれて全く意味がわかりませんでしたが、
「ころうどん」というのがあって、これは汁を冷たくしておくんです。
ざるうどんではなく、見た目は普通のうどんなのに汁が冷たいのを「ころうどん」といいます。
名古屋版「冷やし中華はじめました」みたいなものです。

締め切り過ぎた仕事を抱え、罪悪感を抱えながらのブログ更新でした。
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