ほるほる

矢作川のほとりから枝下用水(豊田市)をながめ
徐福・百済王など日中韓の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

豊田市近代の産業とくらし発見館企画展「枝下用水130年史」開催のお知らせ

2016-12-05 13:45:42 | 豊田土地改良区資料室
下記のページにお知らせを書きました。ぜひお出かけください。
http://blog.goo.ne.jp/shidareyousui/e/ce1900c6855a188d5c4145be12b721eb





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2017年の師走祭り(宮崎県美郷町神門神社-木城町比木神社)は1月20日-22日です

2016-11-18 08:23:33 | 百済王伝説
昨日、神門神社にほどちかい南郷温泉から荷物が届きました。
開けると「どんタロしゃん」からの手紙とどんタロ愛用者へのプレゼント、
えー、こんなにいいのーと言うくらいの盛りだくさん。
どうも毎年どんタロの誕生祭をやっているのです。
たしか去年もいただきました。

で、どんタロってなに?どんタロしゃんてなに?と思う方、ぜひHPを見てください。
http://www.nango-spa.co.jp

十数年前、祭りの最終日に南郷温泉から届いたたくさんの「どんタロ」を、帰っていく木城町の比木神社の方たちが嬉しそうに買っていくのを見て、なにこれ?私も一本買ってみよう…というのがスタートで、私の基礎化粧品は以来「どんタロ」シリーズなんです。
友だちと「化粧品なにつかってる?」という話題になるときだけは「どんタロ」という名前に気恥ずかしくなるのですが、
これ、もともとは地元豪族の呼び名ですから、恥ずかしがってちゃいけませんね。
長年全て使って、私の定番は
どんタロの「泉しゃん」(洗顔フォーム)、「美神の泉水」(顔洗ったらこれで全てOK)、「どんタロ」(元祖!保湿化粧ジェル)です。
ぜひ、一度みなさん使ってみてください。

でも本当はこの南郷温泉にぜひ入ってみてほしい。とーってもいい温泉なんです。
(この長年のファンぶりが評価されて、いつぞやは南郷温泉のスタッフTシャツを贈呈していただきました!)

ナバ(しいたけ)も美味しいし、きんかんも美味しいし、イノシシもシカも、
神楽の後の鶏汁、あーたまらない。
そうそう、今年の祭りのときには最終日に早朝に釣った大きな鯛が奉納されてうれしかったなあ。
来年も奉納してくれるそうだから今から期待大!

なんてこと言ってると、あと2ヶ月って思います。
2017年の師走祭りは1月20日(金)〜22日(日)です。
師走祭りでおあいしましょう。
法被着ている人に聞いてくだされば、私の居場所はわかります。そのときは「つじちゃん」と聞いてください。
モーニング娘が流行った時期からの師走祭り調査だったため、いまもみんな「つじちゃん」です。

言い忘れましたが、グルメ旅しに行くんじゃなくて、祭りの調査に出かけています。←もう遅い!?


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『SKIP終結宣言 私たちNPOを解散します』刊行のお知らせ  

2016-11-01 22:51:03 | シホのホ(雑記帳)


託児付きイベント企画SKIPの20年の活動を終えるにあたり、
40回の編集会議をおこない、一冊の本に思いをまとめました。
本日刊行です。

『SKIP終結宣言 私たちNPOを解散します』 
詳細:2016年11月1日 第1刷発行
A5判 ブックレット 94ページ
定価1000円+税
編著者 SKIP編集委員会
発行所 風媒社
ISBN978-4-8331-3174-2


「最後の会報を編集後記にしよう!書きたいだけ書こう!」と書いたのですが、私の編集後記は長すぎてバランス悪く、カットして掲載することになりました。というわけで会報にのりきらなかった編集後記オリジナルバージョンをここに記しておきます。
これまでSKIPの活動を支えてくださった多くの方に心から御礼申し上げます。

         ツジヘン再び

 SKIPの活動をはじめたころ、みんなが活き活きと動いている姿を見て、私ができることってなんだろうと考えて、会報『やっほぉ〜』の編集をさせてほしいと手をあげました。それから私はいつも『やっほぉ〜』のことを考えて、誰かと目が合えば「書かない?」と声をかけるようになり、その後「一緒に編集しない?」とSKIP内に編集委員の大所帯をつくっていきました。そのせいで、編集をおりたあとも、SKIPではツジヘン(=逵編集長。一説には逵変)と呼ばれ続けてきました。
 あれから十数年、今回、ブックレットが完成するまでの間、久々に名実ともにツジヘンを楽しませてもらいました。編集会議の記録もきちんと取っていきました。いま、改めて第1回編集会議のまとめを見ています。
 2014年3月15日、集まった私たちは、SKIP解散にあたって積み上げた多くの書類をそのまま廃棄するには忍びなく、一冊にまとめてSKIPを終えようというところから話をはじめました。そして話をしていくうちに、その一冊をいったい誰が読みたいと思うだろう?ということになりました。SKIPのメンバーに懐かしんでもらうためだけに、労力をかけて本をつくる意味はいまあるんだろうか?誰に読んで欲しい?
 私たちの20年、SKIPを閉じようというときはこれが初めてではありませんでした。それでももうちょっともうちょっとと踏ん張っていたはずなのに、いま、心地よく受け入れられるようになっています。この私たちの変化を含めて、どうして私たちがNPO法人を解散することにしたのか、SKIPのあゆみを、これからグループで活動を始めようとする人たちに正直に伝えたいという思いに至り、SKIPの残金はこの本をつくることに当てようと話がまとまりました。
 その日の記録には「先延ばしにはしないが、丁寧な作業をする」と決意が記されています。ですが、そこにはまた、「2015年中に発行」とも書いています。私たちは当初、ゴールを一年後に置いていました。目次づくりを念入りにすすめ、執筆を担当する章を決め、それぞれ書いてきた文章をたたき台にして、編集会議で修正していくことにしました。
 編集会議の日、プロジェクターを会議室に持ち込み、原稿を壁いっぱいに映しだし、それをみなで声に出して読みながら、一字一句確認していきました。内容に誤りはないか、文意は伝わっているか、そんな修正のつもりではじめたのですが、驚いたことに、映しだされたその文章は、それぞれが当時どのようにSKIPと向き合ってきたかを明らかにさせ、それが互いの新たな発見となっていったのです。
 私は随分SKIPと深く関わってきたと思っていますが、事務局が本当に苦しんでいた時期のことをほとんど理解できていなかったし、事務局のなかでもその捉え方は異なりました。どこにSKIPのあゆみがあるのかを確認していく作業は、そして私たちひとりひとりが納得できる言葉を探し出していく作業は、頭を抱えたこともありましたが、いつのまにかその作業にのめり、結果、私たちは最後にSKIPを大いに楽しめたように思います。
 今回、ブックレットのなかに上野千鶴子さんの講演会やそのあとの座談会の記録を入れることになったのは、この編集作業のなかで、私たちSKIPのありかたをここまで問うてくれた人はなかったということを再確認できたからです。上野さん、SKIPを懐かしんでくださり、原稿に目を通し、私たちの終活に理解くださいました。それだけでなく、現在活動の場とされているNPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)のWeb上の図書館に、私たちの会報を所蔵することをご提案くださいました。SKIPはブックレットとともに、WANの図書館のなかでも生き続けていくことになりました。
 気づけば編集作業は2年半が経とうとしています。ですが先延ばしにしたという感覚は全くありません。40回もの編集会議で、ようやく私たちはSKIPの活動、そのあゆみを明らかにできたように思います。どうしてもこの回数は必要でした。だって、みんな全く妥協しないんだもの。たたき台を書いた人に気の毒なくらい、修正の赤が入っていくんだもの。人任せにしないSKIP、それはやっぱり20年変わらないものでした。
 これまで多くのグループがフェードアウトしていくように、いつのまにか活動を終わらしていくさまを見てきました。だからこそ、私たちはこの終活を一度しっかりやってみようと臨みました。終えてみてわかるのは、この終活には時間も労力も大いにかかること。きっとその余力をここに使うよりも、次のことをはじめようと多くの人たちが「いつのまにか」を選択してきたのだろうと思います。でも私たちはSKIPの終活をやって本当によかったと思います。SKIPが自分を支えてきたことを、そしてこれからもきっと励みになることを確認することができたように思います。そしてこれからグループで活動しようとする人たちにも、わずかながら、伝わるものがあるのではないかと思います。
 ただひとつ反省するとしたら、この楽しみをもっと多くのSKIPのメンバーと共有できたらよかっただろうというところです。そこまでの発信の余力がなかったこと、紙面をもってお詫びします。でもきっとブックレットを読んで、私たちが真っ赤に修正を入れたように、自分のあのころを思い出し、話したくなるんじゃないかと思います。そんなときはぜひ声をかけてください。ぜひこのブックレットをネタに、みんなで話しましょう。あのころ『やっほぉ〜』は 
そんな狙いでつくってきたのでした。
 ツジヘン再び、それは本当に忘れがたいSKIP再びとなりました。ありがとう、SKIP!

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2016年10月22日 2016富士山徐福フォーラム国際大会(日本・富士吉田)

2016-10-23 22:33:13 | 徐福伝説
さあ徐福月間の最終回です。
20日、青島空港の免税で「おお安い!」と青島ビールを1ケース購入。日本入国の税関で引っかかり納税(考えたら当たり前の話だけれど、こんな買い物したことなかったので気づきませんでした。でもトータルでもかなり安かったからよし!)。そして深夜帰宅し乾杯!
そして翌日21日23時名古屋駅発、22日8時着富士山駅の深夜高速バスで富士吉田へ。登山客に紛れて?と思っていたら、手前の富士急ハイランドで殆どの客が下車。こういうルートで富士吉田に行けることを初めて知りました。
富士山駅まで迎えに来ていただき、みなさんが宿泊しているホテルで身支度。懐かしい顔と再会再会。

中国のZさんとは今回の徐福月間を全て一緒に過ごしたのだけれど、Zさんのおつれあいとはここが数年ぶりの再会になりました。Zさん夫婦は私の両親と歳が同じで、Zさんの息子も私と歳が同じ。私が初めて徐福を知った20歳のときに、地元テレビ局の人としてであっているので、もう30年の付き合いで、中国の父さん母さんと呼んでいます。
2012年に象山で私が表彰されることになったとき、中国のお母さんは私の表彰だから見に行くよと言ってくださっていたのですが、それが開催延期となって、結果4年ぶりの再会でした。中国のお母さんだけはいつも会うと私を見て「痩せたんじゃない?」と気にしてくれます。いえ、全然痩せてませんから!

午前は宮下文書を拝見に行くという方たちがあって、せっかくなので連れて行っていただきました。

宮下家の方たちが「自分たちはよくわかっていなくて、よっぽどこれらの本読んでもらったほうがわかります」と雑誌『ムー』などを見せてくださって、きっといろんな方が訪ねて来るのだろうなあと思いました。

そして午後から2016年10月22日、主催富士山徐福学会、共催神奈川徐福研究会、実施団体富士山徐福フォーラム国際大会実行委員会による「2016富士山徐福フォーラム国際大会」が開催されました。


開会には富士山火焔太鼓があり、

途中休憩の後には、サプライズ!元ふきのとうの山木康世さんの歌とギターがありました。「私なりに徐福を理解して」と歌った徐福の歌には「徐福は友だち」というフレーズがあり、それがとても新鮮に響きました。

確かに徐福は地域に根付いた神であったりして、かつては熊野でも「徐福さま」と呼ばれていました。それがいまではどの地域でも新宮のように「徐福さん」と言われています。熊野市でもすっかり「徐福さん」になりました。これは徐福に対する信仰心がなくなったと嘆くよりも、徐福に対する思いが変わってきたのだと思います。「徐福は友だち」というのも、いま頷ける気がします。これはメッセージと受け取りました。

私も最後のパネルディスカッションに登壇しましたが、今回、全国各地、あるいは中国も含めて、これだけ多くの人が集まったのは、長年この地で徐福を顕彰してきた土橋寿さんを思ったからだと思います。国際会議をするのに不慣れなところはあったものの、それでも新たな人が徐福に興味を持ってくれるきっかけにはなったように感じました。
大学院生が調査研究のために大会に参加している姿もあり、それも大いに励まされました。

翌日23日は伝承地の見学。今日は本当によく晴れて、山中湖から望む富士山は素晴らしかったです。

これまでに伺ったところも何年も経って様子は随分変わっていて、また新たな伝承地もあって勉強になりました。

帰りはIさんの車に乗せていただいて、中国から参加の友人2人と一緒に送っていただきました。Iさんは中国語がバッチリなのですが、私が話せないため、車中は携帯の翻訳機を駆使して楽しいドライブ。いろんな話ができて、こういう時間が大切なことも実感しました。

これにて徐福月間は終わります。嬉しい悲鳴の徐福月間、たくさんの収穫と課題を得て、これからもまた頑張りたいと思います。



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2016年10月19日 2016徐福文化と「一帯一路」都市文化産業国際フォーラム(中国江蘇省贛楡)

2016-10-23 00:41:17 | 徐福伝説
2016年10月18日、セントレアから朝の便で2時間半ほどで中国青島へ。すぐあとに釜山から同じく2時間半ほどで到着したKさんとともに、贛楡からの迎えの車に乗って約3時間、昨年と同じ会場の和安湖国際大酒店へ。

とてもきれいな日本語を話す通訳のSさん、聞くと贛楡に暮らす日本人。おつれあいの故郷に暮らしているとのこと、時代は変わってきたなあと思います。今から29年前、私が贛楡に行ったのは、戦後初めての外国人の団体ということで、ようやく許可が下りたときでしたから。
そんな私の贛楡との出会いの歴史もあって、今回、地元のテレビ局からのインタビューで、「初めて来たときと贛楡はどう変わったか?」という質問がありました。
いやいや本当に変わりました。
29年前、高速道路はまだなく、長江に近い揚州だったかどこかから、一日かけてプラタナス並木のガタガタ道を延々と北上し、晩に連雲港市に入ったものでした。
それが今では青島空港から高速道路で3時間。
来年には、遅くとも再来年には青島から贛楡まで新幹線が通り、1時間で来ることができそうです。

10月19日「2016徐福文化と「一帯一路」都市文化産業国際フォーラム」が開催されました。

今回はかなり急な開催となったのですが、国務院発展研究センター元副主任・陸百甫さん、文化庁元副長官・周和平さん、韓国からは元文化観光長官で韓中親善協会会長・李世基さん、日本からは日本在中大使館公使・石川浩司さんなどが開会式を盛り上げてくれました。
今回報告すべきところは徐福文化国際フォーラム(贛楡)事務所の設置です。2015年の大会で宣言していたように、ここを拠点として世界文化遺産登録に向けて動き出していこうということでした。(Qさん写真ありがとう!)


私も2015年の大会を受けて、日本徐福協会が設立されたことなど、今後の課題ととともに報告しました。
現在のように頻繁に集まりがあると、気になるのは韓国での開催時は「韓中日…」、中国では「中日韓…」、日本では「日中韓…」と入れ替わります。これって徐福の集まりなのだから徐福の移動方向を考えて「中韓日」でいいのでは?これは日本徐福協会設立のときに発言し、賛同を得たので、ここでも提案しました。
また、せっかく盛り上がってきた徐福ですが、こんなに頻繁に各地の事情で開催されていては体が持たない。良い調査報告もできません。それは複数参加している人から声が上がり、これも計画的に進めたいという話になりました。
まだまだどこまで上手く進めていけるかはわかりませんが、「徐福で集まる私たち」という考え方がだんだん出てきていることは嬉しいことだと思います。

まだ嬉しいことがあります。それは今回、日本からOさんが参加してくださったこと。ぜひ徐福を語って欲しいと思う研究者が、こうした集まりに来てくださって報告してくださることはなによりも励みになりました。そして参加したくなるような大会を開いていきたいと思います。

そして今回も北京から同時通訳の方たちが駆けつけてくれて、会議はリアルタイムで理解していくことができました。4人の通訳のかたがブースに入っておこなうのですが、うち私の親しい友人が2人、会議後直帰するはずだったのを、私と一晩ゆっくり話そうと残ってくれました。夜のホテル周辺を女3人でおしゃべりしながら散歩し、部屋でお疲れ様の乾杯!徐福が縁でこんなにも打ち解けて過ごせる仲間ができたこと、何よりも感謝です。

さて、最終日を待つ間もなく、Zさんは上海へ、Qさんは北京に向かいます。お二人とも次の日本での徐福イベント参加のために出発です。
10月20日、午前中、大会の見学コースを離れ、30年ぶりに連雲港市内の孔望山にあそび、美味しい海鮮料理をいただいて夕刻の青島発の便で帰国しました。

帰りに中国徐福会会長・張雲方さんから「私と徐福」という日本語で書かれた文章をいただきました。これは昨年から折に触れて私に聞かせてくださっていた話でしたが、まもなく会長を退任するにあたり、ご自身で文章にしたものでした。私だけでなく多くの日本で徐福に関わってきた人たちへのメッセージでもあると思いました。機会を見つけてお伝えしたいと思います。
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