ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

「徐福伝説的創造」

2005-11-16 01:03:31 | 研究業績ほか(2004年12月~)
研究業績
【業績:その他】

2005年4月〈中国〉 「徐福伝説的創造」26-27頁(中国語)
(中国国際徐福文化交流協会主編『徐福文化交流2005』、中国国際徐福文化交流協会)

  本論は「徐福伝説的創造/徐福伝説が創られるとき」として、2004年5月18日に第6届徐福故里文化節曁経貿洽談会(中国山東省龍口市)で発表しました。中国語への翻訳は、愛知県立大学大学院の楊潔さんにお世話になりました。下記の「走近徐福」という頁でも公開されています。
http://www.wansongpu.cn/xufu/xf-cknews.asp?id=86
日本語の文は、過去の「ほるほる」の頁で公開しています。
http://www.geocities.jp/horuhorushiho/johukuryuko.htm
  
  
コメント (4)
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春日井シンポジウム「伝説に歴史を読む」に行ってきました

2005-11-16 00:41:53 | シホのホ(雑記帳)
11月12日(土)・13日(日)、地元愛知県の春日井市で毎年行なわれている春日井シンポジウムに出かけました。13回目の今回のテーマは「伝説に歴史を読む‐東海を中心に‐」です。発起人が考古学の森浩一さんであるため、日ごろ私たちが伝説というときに当たり前としているところが当たり前ではなく、証拠品とされるモノの話が多かったように思います。
例えば私は熊野で徐福が残した「すり鉢」やその時代の証拠となると伝わる中国の古銭「半両銭」を度々見せていただいていますが、これらが本当に証拠としての歴史的な価値をもってるかどうかには、私は興味を持っていません。それらの「証拠品」を運んでくる人の思いの中に伝説があると思うからです。ところがシンポジウムではそうした様々な証拠品そのものに対してパネラー同士の質問が飛び交いました。

その中で「小野小町伝説はこうして作られた」を発表された錦仁(にしきひとし)さんの会場に向けて話された「伝説はみなさん方のものなのですから、一緒に考えていかなくてはなりませんね」といった言葉が気になった。事前に送られてきた論集を読んでいたら、錦さんの文章の最後の注に「…伝説内容を研究する郷土史家を非難したり疎外したりすることがあるならば、それこそアカデミック・ハラスメントである。」(109頁)と記してあった。
錦さんは文学の立場から伝説の変容を追っているということだったけれど、このあたりのことをもっと聴くことができれば、私がこの間のシンポジウムで発言した、「伝説の厚み」というものがもっと見えてくるのではないかと思った。
同じ伝説を扱うにしても、これほど専門分野の違いが伝説の意味を変えてしまうものとは思わなかったが、だからこそ、自分がどういう視点から取り組んでいけばいいのかを気づかせてくれたように思う。
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