ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
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逵(つじ)志保のページです

誕生日のびっくりパーティー

2005-11-13 23:22:45 | シホのホ(雑記帳)
サホたち小4のクラスの子どもたちが、担任の先生の23歳の誕生日にびっくりパーティーをしたらしい。
1ヶ月近く前からあれこれと、新任の先生はやたらと研修で出張があるらしく、その度にいろいろとクラスで打ち合わせているようだった。
わざわざ休みの日にB紙にプログラムを書こうと男女数人で集まって作っていたこともあった。
「泣かなかった-!」と残念がってはいたけれど、自分たちが企画して人を喜ばすことができたことに感激しているようで、うんと褒めてあげた。

私にも同じ経験がある。
小6の3月、卒業間近に担任M先生の誕生日があり、クラスのみんなで、驚かせようということになった。そこで一人ひとつ手作りのプレゼントを持ってきて、教卓を山盛りにしようということになった。
帰りの挨拶の時に、係りからの連絡と一緒に「じゃあ明日、約束どおりに」みたいなことを言った覚えがある。
翌朝、みんな思い思いのプレゼントを教卓に乗せた。M君だけがどうしても作れなかったと花束を持ってきた。クラスで一番やんちゃだったS君が職員室に偵察に行き、「来たぞー」と言って教室に駆け込むと、私たちは皆で立ち上がって、入ってくる先生に「ハッピーバースデー」を歌った。黒板にはみんなのお祝いの言葉、教室に入ったときの先生の顔。

あの時のことは今もはっきり覚えている。
先生は号泣した。先生のメガネが曇ってしまって、みんなで顔を見合わせたくらいだった。
実はM先生は、その年度の春に夫を癌で亡くした。私たちは先生の夫を知らなかったのだけれど、熱心な小学校の先生だったらしい。頭が痛いって言いながらずっと我慢していて、入院してからあっという間だったように思う。M先生が時々教室を飛び出していくこともあったし、隣のクラスの先生がくることもあった。そんな闘病を支えるM先生の姿を見ていて、そしてとうとう亡くなってしまったことがわかった時には、生きたいという人がいて、それでも生き続けることができない現実があることを私たちなりに受け止めた。
そう、私たちは何より、人が死ぬということはこれほど周りの人に悲しみを与えるのだということをそのM先生の姿を見て思った。

私たちは先生を励ましてあげようと思ってやったのだったろうか?
やろうやろうと盛り上がったきっかけは思い出せないのだけれど、先生が泣きながら、「去年の誕生日は夫がケーキを買って帰ってきたのでした。今朝、そのことを思い出していました。」と話を始めた。
あの時の先生の歳が今の私の歳。大変だったんだろうなあとつくづく思う。

びっくりパーティーを10歳で企画したサホたちをすごいなあと思いながら、12歳だった自分を懐かしく思い出しました。私たちもすごかったなあ。