健康で過ごすには、「ときめき」が必要だ。
多くの識者が言っている。
それはそうだ。「ときめき」は脳を刺激し、必要な細胞を活性化させる。
ところが、この頃の私は、その「ときめき」が少なくなってきた。
もちろん、「ときめき」と言っても、「色恋」のことだけを言っているわけではない。
月を見て感動し、花を愛でる気持ちも、「ときめき」だ。
怒りですら、ときには「ときめき」となる。
ゴルフに負けようものなら、帰ってからすぐに練習に行ったこともあった。
ところがどうだ。今は負けても、「それが当然だ」という顔をして、ニコニコしている。
なにしろ、口惜しくないのだ。これでは技倆が劣化する一方だ。
かつてなら、居酒屋の女将さんの割烹着に、ひどく愛着を感じたものだ。
今やそんな光景も、荒れた野辺のヒッツキ虫を見る程度の感情だ。
感受性が鈍ったのか、面倒くさくなったのか。驚いた変化ではないか。
と、まあ、こんな事態が察知されたので、気合いを入れ直すことにしている。
照りもせず散りもできずに枯れ葉かな 鵯 一平
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