何事によざず、夫と妻の間で、言い分が大きく違うことが多い。
定年離婚という話は、そのあたりの事情があるのだろうか。
夫は真剣に働いた。わき目も振らずとは言えずとも、そっちの方へは行かず、家族のために働いた。
少なくても、夫自身は、そのように思っていた。
ところが、定年になって、夫がほっと一息入れようとしたら、
「あの-……」とばかり、妻から離婚届を出されてしまった。
こんな話は、さほど特別なことではないらしい。
離婚届にまでは行かないにしても、主客転倒して、夫が手ひどい反発を喰らう例は多いらしいのだ。
この際、私自身のことはさておくとして、いろいろな実例を聞かされている。
夫の側からすれば、妻子のために働いたことは確かなのだ。
しかし、妻の側としては、屈従の日々だった。これは夫の想像を超えた感情なのだ。
子育てを丸投げされ、その上、当然のように思われながら、亭主の面倒をみてきた。
場合によっては、舅・姑はおろか、小姑の面倒まで見させられた。
妻としては、「定年までは……」と我慢してきた。
舅・姑がほどよい時期に他界し、子供が巣立って行った。
妻としては、解放されるのを待っていたのだ。
夫としては、理不尽な客筋や身勝手な上司から、やっと解放されるのが定年。
「ヤレヤレ、あとは好きな趣味でも見つけて……」
これが定年を迎えた夫の胸の内だ。
夫と妻の食い違いは大きい。
さあ、どんな答えを出せばいいのだろうか。
夫と妻、所詮は他人同士。
しかし私は、「共に戦った戦友でもあったではないか」と思いたい。
私の場合、あることによって、子育ての大変さを味わった。
もちろん、子育てを楽だと思っていたわけではない。認識の狂いに気づかされたのだ。
それは私の想像を越えていた。任せきりだったことを、大いに反省もした。
さほどの愚痴を言われなかったことに、今はとても感謝している。
「今ごろ感謝されても遅い!」 世の妻は、そのように怒っているのかもしれない。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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私と同じ世代は、家庭内のことについて、あまり言いません。
特に、妻とのかかわりについて、会社や友人との話題にはならない傾向が強いです。
だから、よその家庭がどのようになったいるか知らないし、知りたいとも思いませんでした。
それだけ、反省する機会もありませんでした。
しかも、「猛烈社員歓迎時代」でもあったので、家庭内の問題は「秘すべきこと」でした。
私も子供が生まれる前は、カミさんとよく出歩きましたが、子供が生まれてからは、子供連れのレジャーでもなければ、外へは出ませんでした。
その延長線のまま、家にいるようになっても、一緒での外出は、私が買い物の荷物持ちや足がわりになるときくらいになってしまいました。
今になって、「映画に行こう」と誘っても、「億劫だわ」と断られるような気がします。
夫が定年退職をして、毎日家に居る様になると、奥さんのストレスは相当のようですね。
私の周りにもそうゆう方は何人も居られます。
私が勤めていた時も、一世代上に上司に「猛烈社員」と言われる方が何人か居られました。
仕事一筋、その当時の私にとって、以上にも見えましたが、反面憧れでもありました。
一つに事にに輝いていました。
勿論、背後にある家庭の雰囲気は微塵もありませんでした。
家庭を顧みる、又話の中に家庭の雰囲気が垣間見える、そういったことを恥じるような雰囲気があったように思います。、
多分、私達団塊の世代辺りが節目のように感じています。
私のように結婚当初から、あるいは退職後、夫婦で映画を見る人種が現れたのは、大袈裟ですが日本人始まって以来でしょうか。
私達夫婦も、お互いに干渉しないと言うことを基本にしています。
只私は、料理、洗濯、掃除、一切しません。
その点、家内には不足があるかもしれません。
全てを理解すると言うことは不可能です。
基本は自分の好きなことをしたい、と言うのが本音です。
若い世代は知りませんが、私など昭和一ケタ世代は、「以心伝心」とか、「眼は口ほどにものを言う」とか、「沈黙は金」などという言葉を信奉していましたし、不器用なのだと思います。
カミさんを従者として扱ってきたのではなく、まさに最良の伴侶と信じてきたのだと思います。
それ以降の世代も、きっとそのような感覚でいたのでしょうね。
しかし、妻氏としては、「言ってもらえなければ分からない」という感じだったのでしょう。
特に、「いて欲しかった時にいてもらえなかった」という点、私の胸にも、グサッときました。
まさにそのとおりでした。
その点、今の若い男性は、子供の出産にまで立ち会うそうです。
テレビでの話ですが、上の子供と一緒に、その場面を見ているのには驚きました。
(もっとも、これには私は反対ですが)
日本の男性も変わってきているようです。
それはいいことなのだと思います。
とは言いつつ、私はいい時代の男だったのだと思います。
これからわずかな時間ですが、死ぬまで、マメに感謝を口に出します。
女性の皆さんのコメントを読ませていただき、今さら、「うーん、そうだったのかー」という思いです。
外の男性は知りませんが、私にとっては、思っていたよりも重たい感触(後悔も含めて)を抱きました。
分かってくれていると思っていました。
しかし、それは片想い。
たとえ夫婦でも、言わなければ分からないということでしょうし、夫氏が理解していた以上に、妻氏の日常は大変だったということなのでしょう。
皆さんのコメントで、だいぶ勉強させていただきました。
今日のお題 は 私は ふふふふ~(笑; で男性にお気の毒ですね、 やはり 日本のひよどりさん世代は口に出して相手に伝えるのが不得手なのでは、分かって呉れていると言います気持ちですね、それが やはり夫婦でも相手が何を心の中で思っているかなんてわかりません、当然 相手は自分では無いからではないでしょうか。
そういいます私も 6回の海外転勤の度に一人で引越し荷物を片付けて 彼の本社出頭と言います辞令に合せて長年生活してきました が LA に暮らすようになり 彼もサラリーマンを退職し、独立してからは 私も 一人で事業を立ち上げて来まして 殿方の気持ちが分かるようになりました、子育てはしなかったけれど 社会でビジネス面でそれは 苦闘をしました、人を使うと言います大変さ、事業が少しでも利益を上げねばと思う苦しさ思うぞんぶん味わいつくしてきました、今は 静かにわが世界に浸りたいのに この相棒は何かとちょっかいを出されて不愉快な思いを重ねています と 私は世間の女性方と違った DINKS な生活をしてきましたから 夫が何も言わない方が楽です が アメリカの男は
口まめですから 当たり前のように日常的に おいしかった、楽しかった、気にしていた などなど 言いますね、これが無くなれば 離婚です と 同じ殿方としては 日本の男性は 恵まれているんでは無いんでしょうか、しかし私は言わなければ相手には伝わらないと思います。
急に、橋のない川の住ゐすえさんを思い出しました。
あの畑で、黙々と麦踏みする姿が見えました。
定年離婚のお話し、順序としてこうなる、という見本みたいです。
ほとんどの妻が、一度ならず考えたことではないでしょうか。
そうでない夫婦もいるけど。
それは、ほとんどの妻には通じない家庭ですね。
今我が家は、諦念同居!?
わが家も同じです。
言い争いは少なくなりました。
決して理解されたのではなく、諦められたのかもしれません。
家事。子育て、親戚との付き合いなどを丸投げし、その上、沢山の病気をしていたので、私はカミさんに頭が上がりません。
尻に敷かれて暮らします。
わが家のカミさんも、きっと同じようなことを言うと思います。
特に私としても辛いのは、「一番そばにいて欲しい時、仕事優先でいなかった」という点、です。
それを言われると、私も二の句が告げません。
「夫は頑張っただけ、役職と収入が得られるが、妻は評価されない」という点は、少し違うのではないかと思います。
夫氏を評価している立場の人は、「内助の功」をしっかり見ていたはずです。
夫氏もそうだったでしょうが、私も、評価する立場と評価される立場におりました。
ある人物を評価するに際し、「家庭がしっかりしているか?」という点を見ていたと思います。
人物評価は「総合」です。
蘭子さんの存在があったから、今日の夫氏がある筈です。
夫族は、それを照れずに言えばいい!
「お前がいてくれたので、本当に助かったよ。さすがに賢夫人だよ」とでも言えばいいのに、私もいまだに言えずにおります。
お互いに咎め合わないで、「私はわたし、あなたは貴方」を、合言葉に収めるようにしてます。
いずれにしても、この年迄お互いに健康で居られることに感謝してます。
私は昭和一ケタ世代の最後です。
戦中、戦後の窮乏時代に生まれ育ち、結婚しても住宅難の時代でした。
四畳半の新婚生活でしたから、苦しさは十分に味わってきたつもりです。
「家の中のことは、女房まかせ!」
夫婦ともども、そのように割り切って、いつの間にか高齢者になっていました。
そして今、子供たちの子育てを見て、「子育てって、とても大変なことだったんだなァ」と、感じている次第です。
カミさんからは恨み言はありませんが、きっと沢山あったのに違いないと思っております。
「熟年離婚」という話を聞くたび、カミさんに対し、密かに、「詫び言」を言っています。
その内、はっきりと「いやー、ありがたかったなァ!」と言うつもりでおります。
日本の男の欠点は、妻に対してはっきりと言葉にして、感謝や愛の表現をしないこと!
私も同じです。
悪いことに、「一生懸命に働いていること、女房も分かってくれている」と思いこんでいます。
私がそうでしたから、夫氏の気持ちはよく分かります。
ところが、妻氏も一生懸命やってくれていました。
愚痴も言いたかったし、慰めても欲しかったでしょう。
時には褒めても欲しかったに違いありません。
私個人の場合、それを怠っていたように、今、強く反省しています。
歳をとった今、お互いに干渉し合いながら、ブツブツ言い合っています。
昇進の度に私は嫉妬を感じました。
夫は頑張っただけの「役職」と「収入」が得られるが
妻は頑張っても何も評価されない。
一番そばにいて欲しい時、夫はいつも仕事優先でいなかった。
これが離婚のきっかけになるなと思うことが何度もありました。
役割をほぼ果たした今、夫も大変だったのだと相手を思いやる余裕が生まれました。
「愛するとは捨てないこと」最後まで付き合う覚悟です。
今、男女共同参画社会などと言う考えのもと、男の育児が話題になっていますが、男女何れが外に出て何れが家事を担当するかと言う事はその家庭にとって有利な道を選択すればよいのであって、家事・育児のみが大変だ!と言う事はないのではないでしょうか?
結婚生活で苦労してきたから、煩わしい課題に区切りが付いたので離婚しましょうという考え方はあまりにも寂しく、その人間性を疑いたくなります。
即ち、その様な人達は数十年の結婚生活期間を打算と義務感のみで過ごしていたのでしょうか?
例え他人の為に苦労を背負ってもその目的によっては喜びと感じられる事もあるのではないでしょうか。
定年退職後は、夫も妻もお互いを干渉しないことが一番だと思います。生意気なことを書いてしまいました。
世の中には、変な悪い夫氏もいるでしょうが、大方は、家庭を顧みなかったり、外遊びをしていたでしょうが、家が何よりの居場所とは思っています。
定年になって、「あれもしようこれもしたい」と思い、その中には、「女房と旅行だ!」と意気込んでいたヤツもいました。
多くは、思うとおりには運んでいないようです。
今、居場所に窮屈に感じている男がいます。
いい奴だったのですよ。
長年の暮らし方にもその後を左右する要因は大ですが、まずは自立して、妻を女性と観るように心がけてほしいですね。
しみじみと顔を観てやってくださいね。
夫族のほとんどは、妻に対して、心から感謝はしているのです。
言わずにいるのは、上手に言うタイミングを失ったからです。
「今さらなによ!」と言われそうなので、素知らぬふりをしています。
しかし、今、やや逆の傾向が出ていることに、一抹の危惧を感じています。
我が夫ちゃんも世間一般の男性郡と同じです。
子育て丸投げ・・ 経済も丸投げ・・ 私は家出したい回数数え切れませんでした。それでも今あるのは・・なんでかな?? 世界中で夫ちゃんの事を
心配しているのは私だけ・・と云う自負かな(大笑)