無限の空間と無限の時間の中に生きている。そう考えると、人間なんてちっぽけだ。
蝉は数年間ほど地下で幼虫時代を過ごし、地上に生まれ出た後、一週間ほどで寿命が尽きる。哀れと言えば哀れだ。
しかし、蝉だけが哀れなのではない。
無限の空間と時間の中に生きている人間だって、蝉と変わりははしない。
かつての人間は、「人生わずか五十年」と言われていた。
今や平均寿命は80歳を超えている。
いや、超えていると言ったところで、50年が80年になった程度。無限の空間と時間を考えれば五十歩百歩だ。
つまり、長生きしたいと足掻いたところで、80歳が85歳になる程度のこと。
そんなことを考えると、禁酒・禁煙なんぞは虚しい仕儀。
あれほど見事に咲いていた桜が、今や見る影もない。醜い姿をさらして葉桜を待っている。
決して絶望しているのではない。自暴自棄に陥っているのでもない。
無限の空間と時間を考えたとき、日頃の些事で一喜一憂していることの虚しさを言っているのだ。
虚しさをことわりとして花は葉に ひよどり
どう足掻いてみても、いずれは土となります。
痛い苦しいは嫌ですから、それさえなければ御の字です。
というわけで、私もなるがままの生き方をしていくつもりです。
おたおたしても生きているからいろんなこともできるんじゃと。今の年代というかひよどりさんや両親世代とか私たち世代って昔から比べると精神年齢も肉体年齢も10年若いそうですね。
仰ることよく判ります。
些細なことに一喜一憂、わたしもよくあることです。
特に一憂することはしょっちゅうですね。
喉元すぎればなんとやら、なのに・・・。
もっとどんと構えてやり過ごせないものかと
自分に苛立つこともあります。
「花は葉に」ちょっぴり寂しい季語ですが
桜以外にも爛漫に咲く花がこれから沢山、
楽しみであります。(*^_^*)
私はすでみかなりワガママな日々を送っています。
(自覚しているわけではないのですが)
「人には厳しく、自分には甘い」
そのようにはなりたくないと思っています。
「前向き」はなによりのことです。
私は必ずしもそうはなれずにいます。
むしろ「悲観的」かもしれない。
「事情が悪化したら、どうすればいいか!」
そんなことばかりを考えてきた一生でした。
楽天家であったら、どんなにか楽だろうと思ったことがありました。
「明日は晴れ」と気象情報が出ても、「寒かったらどうしよう」と考えたりして。
それでいて、備えを怠り、余分な傘を買い足しています。
つまり、「悲観的なくせに備えない」の繰り返し。
だったら、いっそのこと、楽天的に徹したほうがよさそうです。