健康で過ごすには、「ときめき」が必要だ。
多くの識者が言っている。
それはそうだ。「ときめき」は脳を刺激し、必要な細胞を活性化させる。
ところが、この頃の私は、その「ときめき」が少なくなってきた。
もちろん、「ときめき」と言っても、「色恋」のことだけを言っているわけではない。
月を見て感動し、花を愛でる気持ちも、「ときめき」だ。
怒りですら、ときには「ときめき」となる。
ゴルフに負けようものなら、帰ってからすぐに練習に行ったこともあった。
ところがどうだ。今は負けても、「それが当然だ」という顔をして、ニコニコしている。
なにしろ、口惜しくないのだ。これでは技倆が劣化する一方だ。
かつてなら、居酒屋の女将さんの割烹着に、ひどく愛着を感じたものだ。
今やそんな光景も、荒れた野辺のヒッツキ虫を見る程度の感情だ。
感受性が鈍ったのか、面倒くさくなったのか。驚いた変化ではないか。
と、まあ、こんな事態が察知されたので、気合いを入れ直すことにしている。
照りもせず散りもできずに枯れ葉かな 鵯 一平
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。
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わたしも、この頃ときめきや感動することが少なくなりました。当たり前というか、こんなものでしょうというか、気持ちが高揚しなくなりました。寂しいです。
もう一度、何かにこころを燃やしてみたいなぁ・・と
思いますが・・・
ときめかなくなったのには困っています。
「まあ、こんなものかあ」
すべてにそんな感じですね。
老化による鈍磨。
いやな言葉ですが、実感があります。
でも、ある日突然、なにかにトキメクことがあるかもしれませんよ。
私はまだまだトキメキます。
ときめく心は失いたくないものです。
それほど達観したわけでもなく、やや諦めの境地かなあ。
感動をしなくなったらおしまいです。
負けても当然、とニコニコ…
心の奥にはきっと情熱がひそんでいると思うのですが。
荒れた野辺のヒッツキ虫を見る程度とは面白い表現ですねぇ。
私は刺激を頂きました。
復帰なさったのですね。
いま、いろいろ工夫をしているところです。
何をどのようにすれば、生活の効率化ができるか。
75歳らしくのんびりすればいいのですが、まだまだ悟り切れません。
困った男です。
敢えて、ときめくと言うなら、週1回のダンス教室で、可愛いパートナーとレッスンする時かナ?。
ダンス教室へ通っているとは凄いことです。
私も社会人になり立ての頃、2~3回レッスンに通いましたが、性に合わず、すぐに止めました。
ダンスは続けたほうがいいですね。
そうですか?
ときめきですかー
私はこうしてブログでときめいています
ほんとよ ほんとです
でも何らか自分で気がつく「ときめき」も欲しいです
ギァチェンジに触発されて私も今何かを見つけているところです
いいですねぇ。素敵な感情をこの17文字にこめられるとは。
こうして、だんだんと仙人に近づいていくのでしょう。でも、長い衣の内に、行く雲に恋する心が隠されていたりして・・・・