同じ死ぬにも、「死に時」があるのだそうです。
それを逃がすと、やはり悲惨な思いをするらしい。
しかしそんなことを言われても、自分で選べるわけではありません。
神さまがお決めなさること。
だから困るのですね。
「死ぬこと」は「虚空へ旅立つこと」。
文筆家も医師も宗教家も、そのようなことを言っておりましたっけ。
死ぬ瞬間、身体から魂がすーっと抜け、天井あたりから自分を眺める。
周囲の状況も客観的に見ることができる。
これは立花隆氏の「臨死体験」です。
その後、新たなる進化に向けて、次の旅へ向かうのだそうです。
「新たなる進化へ向けて」ということ、私は特に好きです。信じたいとも思います。
人間は生まれ替わりながら、「人」の進化に関わって行く。
「生まれ替わり」を信じてのことですが、「新たな進化に向けて」という点、納得できます。
だって、動物も植物も、進化の結果として現在があるのですから……。
「生きた証し」を携え、「死んだ後」は「新たな進化」に向けて「生まれ替わる」。
福島大学経済学部の飯田信彦助教授も、同じような説を書物にしておりました。
元気の出る話ではありませんか。
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。
ご覧いただけると嬉しいです。
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死はいつ どんな形で
どうかピンコロリが希望ですが、
どうもそうはなりそうにもない・・・
新たなる進化に向けて生まれ変わる
それなら死ぬまで頑張らねばと思いました。
現実は厳しいですね。
母はまだ迎えが来ない早く来てほしいとよく言ってますが、現実になるとどうになるかわからない現況です。
きっともっと生きたいと粘るかも。
おそらくわたしは混乱すると思います。
混乱したまま、旅立つのだろうという気がします。
だれしも逃れられない宿命をどう迎えるのか、
やっぱり恐怖です。
もしその時がきてドンドン進化していくならば
こんどまた
父と母の元に行きたいです
悪女です、いとおしんでくださったので、もっと絡みたくなります。
臨死体験というのは、よく聞きますが。
有り得る話しかもと・・・
死ぬ時があるのは、一種の天命みたいな?
難しいお話しでした
然し,この「絶えず進化」の記述を、残された人生の生き方の一つとして、頭に収めて置こう。
ほとんどの人は、上手い具合には死ねない。
それが現実でしょうね。
そんなに悟りきれるものではありません。
私も自分のことはわかりませんが、今のところ、タイミングは上手にしたいと思っています。
しかし、決めるのは私ではありません!
死ぬことは理解出来ても、痛みなどの苦痛は恐いですね。
今は緩和ケアの考えが進んでいるので、すこしは安心しています。
私たちは役に立つために生まれてきました。
(反面教師的なことも含めますが)
終わりも格好良く行きたいですね。
悪女のだんだんさんだったとは思いもよりませんでした。今夜の発見です。
臨死体験はありそうですね。
だから、「人の死」判定は難しいと思います。
進化説を私は信じています。
そうでないと、生きた甲斐がなくなります。
だからと言って、ピンピンコロリとは行かないかもしれない。
これは神さま次第です。