人間は愚かです。過ちが茶飯事なのは当然です。
私も沢山の過ちを犯してきました。
やはりそんな中で、「やり過ぎによる過ち」に後悔が残っております。
このブログでも、「程ほどがいい」と書いたことがあります。反省の弁だったのです。
今も心に残っているのは、「不足による過ち」ではなく、「やり過ぎによる過ち」のほうです。
その時には真剣に考え、メイッパイのところを狙った判断だったのです。しかしそんな時、「やり過ぎによる過ち」を犯してしまいます。
「そこまで追及しなくても良かったではないか!」
こんな思いは幾つもあります。
仏教の教えの中に、「八正道」の行いがあります。その根本は「中道」なのだそうです。
しかもその根っこには「空」の思想がある。ここまでくると、トンチンカンな私です。
しかし、「程ほどがいい」はよく分かります。
そうなのです。やり過ぎはよくありません。
今ごろになって知っても、もう遅いなあ。
別館として、写真と俳句のブログ「いのちの囁き」を開いております。
よろしかったら、そちらのほうへもお出で下さいませ。
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程ほどがよいはよくわかります
問題が起こらない程度であれば・・・・
と理解すると
その程ほどが永遠のテーマです
言い過ぎ、書き過ぎ、説明すぎは良くないと文章の先輩に言われたものです。
ですが、俳句は、こんなに短くても伝わるものですね。
私の経験上、後悔の深く大きいのは、「やりすぎの過ち」です。
人を傷つけてしまいます。
一生背負うほどの重荷になります。
俳句はものを言えない文学と言っている俳人もいるようです。
もともと17文字なのだから、何も言えないよ。言おうとすると理屈に落ちてしまうよ。
その俳人の言葉です。
でも、思いは伝えたいと思います。
程ほどのお酒に努めてます。
若いときは「程ほど」は妥協の産物に過ぎない。 真ん中とって
いいはずがない。 双方の良い点を失うだけだと思っていました。
問題の捉え方もちょっとズレテいましたが。
子供の頃、杉鉄砲で遊んでいたはずなのに、今は花粉症です。
こんな不条理あるでしょうか!
正直のところ、程ほどにしたばっかりに失敗したこともありました。
その兼ね合いが難しいのでしょうね。
いい加減じゃなくて良いかげん
私は、いつもいい加減の方
適当に妥協してしまう
妥協じゃないんですよね
程よいほどほど
なかなか難しいです
程ほどと妥協は少し異なるかもしれませんね。
しかし、妥協も程ほどの一種ではありますね。
そこのところがややこしい。