日本のサッカーW杯は終わりました。
決勝トーナメントでの敗退で、爽やかに閉幕しました。
日本を出発する時の激励ムードには、とてもトゲトゲしさがありました。
「どうせ予選リーグで惨めな敗退だ」
ほとんどの日本人は、冷ややかに予想していました。
ところが、カメルーンに勝ってから、チームのムードがガラリと変わったらしいし、国内の応援ムードが大変身しました。
人間なんて勝手なものなのです。
1勝もできないと勝手に決めて、突き放していた代表チームが勝ったのです。
予想外だっただけに、国内では大騒ぎになりました。
人の心はかくも移ろい易いのですね。
何故勝てたか?
専門家にはそれぞれの見解や分析結果があるでしょう。
私は、チーム力だったと思っています。
肩を組んで歌った国歌「君が代」が、選手やスタッフやサポーターの心を揺さぶった。
歌った歌が「君が代」だからよかった。肩を組んで歌ったとしても、外の歌では、選手の気持ちが一つになれなかったかもしれない。
たとえ「君が代」を歌っても、肩を組まなければ、これほどの団結力やチーム力が出なかったかもしれません。
私たちには潜在的に、「国」のもとに団結しようという気持ちが、まだ残っていたのです。
それをしみじみ感じました。
失敗した駒野を抱きしめて、共にに涙を流したチームメートたちの胸に、「日の丸」を背負って闘った仲間との連帯感があったのです。
今の日本には、「国家」の概念が薄れてしまいました。
大東亜戦争の敗戦以来、「国家」に対し、「暴力機構」というレッテルを貼ってしまいました。
そんな一面があったことは否定できません。
しかし、一方では、国民が自然な形で団結できる故郷共同体でもあったのです。
日本は今、閉塞感の中で自分を見失っています。こんなときこそ、素朴な愛国心や純情な郷土愛のもとで、もう一度立ち上がるべきではないでしょうか。
虎や狼のような諸外国と対峙するには、よほどの覚悟と団結が必要なのです。
我々は地域の「市民」だけではなく、歴史ある日本の「国民」であることを、強く再認識して、出発し直したほうがいいように思います。
「地球市民」とか「東アジア共同体」 を考える前に、先祖代々から同じ山河を生きた「国民」としての意識を共有し、日本を再構築しないと、トロトロと溶け出してしまいそうに思います。
その点、菅総理をはじめとする民主党議員の「市民意識」に、私はかなりの違和感を抱いております。
そんな感覚だからこそ、「外国人参政権」や「夫婦別姓」の発想が生まれるのです。
私は日本人であることに、誇りを持っております。今後も、日本人であり続けたいと思います。
決して、外国の方を蔑視しているのではありません。
それぞれの国の方々が、それぞれのお国を誇りに思っておられることと、まったく同じことであります。念のために申し添えます。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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