新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

爽やかな団結

2010年07月04日 07時03分02秒 | コラム・エッセー

 日本のサッカーW杯は終わりました。

 決勝トーナメントでの敗退で、爽やかに閉幕しました。

 日本を出発する時の激励ムードには、とてもトゲトゲしさがありました。

「どうせ予選リーグで惨めな敗退だ」 

 ほとんどの日本人は、冷ややかに予想していました。

 ところが、カメルーンに勝ってから、チームのムードがガラリと変わったらしいし、国内の応援ムードが大変身しました。

 人間なんて勝手なものなのです。

 1勝もできないと勝手に決めて、突き放していた代表チームが勝ったのです。

 予想外だっただけに、国内では大騒ぎになりました。

 人の心はかくも移ろい易いのですね。

 何故勝てたか?

 専門家にはそれぞれの見解や分析結果があるでしょう。

 私は、チーム力だったと思っています。

 肩を組んで歌った国歌「君が代」が、選手やスタッフやサポーターの心を揺さぶった。

 歌った歌が「君が代」だからよかった。肩を組んで歌ったとしても、外の歌では、選手の気持ちが一つになれなかったかもしれない。

 たとえ「君が代」を歌っても、肩を組まなければ、これほどの団結力やチーム力が出なかったかもしれません。

 私たちには潜在的に、「国」のもとに団結しようという気持ちが、まだ残っていたのです。

 それをしみじみ感じました。

 失敗した駒野を抱きしめて、共にに涙を流したチームメートたちの胸に、「日の丸」を背負って闘った仲間との連帯感があったのです。

 今の日本には、「国家」の概念が薄れてしまいました。

 大東亜戦争の敗戦以来、「国家」に対し、「暴力機構」というレッテルを貼ってしまいました。

 そんな一面があったことは否定できません。

 しかし、一方では、国民が自然な形で団結できる故郷共同体でもあったのです。

 日本は今、閉塞感の中で自分を見失っています。こんなときこそ、素朴な愛国心や純情な郷土愛のもとで、もう一度立ち上がるべきではないでしょうか。

 虎や狼のような諸外国と対峙するには、よほどの覚悟と団結が必要なのです。

 我々は地域の「市民」だけではなく、歴史ある日本の「国民」であることを、強く再認識して、出発し直したほうがいいように思います。

「地球市民」とか「東アジア共同体」 を考える前に、先祖代々から同じ山河を生きた「国民」としての意識を共有し、日本を再構築しないと、トロトロと溶け出してしまいそうに思います。

 その点、菅総理をはじめとする民主党議員の「市民意識」に、私はかなりの違和感を抱いております。

 そんな感覚だからこそ、「外国人参政権」や「夫婦別姓」の発想が生まれるのです。

 私は日本人であることに、誇りを持っております。今後も、日本人であり続けたいと思います。 

 決して、外国の方を蔑視しているのではありません。

 それぞれの国の方々が、それぞれのお国を誇りに思っておられることと、まったく同じことであります。念のために申し添えます。

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

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コメント (18)
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