新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

故郷の海

2010年06月07日 06時39分05秒 | 写真俳句・エッセー

A

 幼友達のH.I君が、病に倒れた。今、一時的に退院している。

 まだ検査段階だが、いずれ手術を受けるのだそうだ。

 その彼が、気晴らしに行ってきたと言って、故郷の海を撮影して、送ってくれた。

 まさしく此処は、故郷の海だ。

 当時の私たちは、この辺りの浜辺を、「向州(むこうすか)」と呼んでいた。

 この写真に写っていないが、左側を大北川がゆったりと横たわり、上方附近で海へ流れ込んでいる。

 海と川の間には、広い砂浜と僅かな松の木があった。

 (確認したところ、松の木はなくなったらしい)

 昭和20年7月17日の深夜、この海岸沖合のアメリカ第七艦隊が、右方向の日立市に向けて、艦砲射撃をした。

 H.I君の家はここから数百メートル左側だったので、砲弾の曳光がよく見えていたそうだ。だから避難はしなかったとのこと。

 わが家は2キロメートルほど左に行ったところだった。だから、海のそんな様子は見えず、大雨の中を、山の中へ逃げて行った。

 さらにその2日後、焼夷弾爆撃があったのだから、惨憺たる時代だった。

 そのほか、幾つもの思い出があった。

 子供のころ、砂浜で野球を楽しんだこともあった。

 高校時代にチンピラたちと暴力沙汰になり、ひどく殴られたことがあった。顔中が腫れ上がり、そのまま家には帰ることができず、この浜辺で時間を過ごした。

 夜遅くなっても顔の腫れは引かなかったので、やむなく家に帰った。その夜、母親にひどく泣かれてしまった。不思議なことに、父親からはあまり叱られなかった。

 終戦から数年が経過した時代であり、世相はまだまだ荒んでいたのだ。

 その後も此処は、私にとって大切な場所であった。ひどく落胆したとき、この浜辺から太平洋を眺め、密かに心を休めたこともあった。

 今年の夏は、ぜひ帰ってみたい。

 病気と闘っている友に、心からエールを送りたい。

    闘病中の友へ

    老ひてなほいのち逆巻く夏怒濤   鵯 一平

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

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コメント (12)
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