幼友達のH.I君が、病に倒れた。今、一時的に退院している。
まだ検査段階だが、いずれ手術を受けるのだそうだ。
その彼が、気晴らしに行ってきたと言って、故郷の海を撮影して、送ってくれた。
まさしく此処は、故郷の海だ。
当時の私たちは、この辺りの浜辺を、「向州(むこうすか)」と呼んでいた。
この写真に写っていないが、左側を大北川がゆったりと横たわり、上方附近で海へ流れ込んでいる。
海と川の間には、広い砂浜と僅かな松の木があった。
(確認したところ、松の木はなくなったらしい)
昭和20年7月17日の深夜、この海岸沖合のアメリカ第七艦隊が、右方向の日立市に向けて、艦砲射撃をした。
H.I君の家はここから数百メートル左側だったので、砲弾の曳光がよく見えていたそうだ。だから避難はしなかったとのこと。
わが家は2キロメートルほど左に行ったところだった。だから、海のそんな様子は見えず、大雨の中を、山の中へ逃げて行った。
さらにその2日後、焼夷弾爆撃があったのだから、惨憺たる時代だった。
そのほか、幾つもの思い出があった。
子供のころ、砂浜で野球を楽しんだこともあった。
高校時代にチンピラたちと暴力沙汰になり、ひどく殴られたことがあった。顔中が腫れ上がり、そのまま家には帰ることができず、この浜辺で時間を過ごした。
夜遅くなっても顔の腫れは引かなかったので、やむなく家に帰った。その夜、母親にひどく泣かれてしまった。不思議なことに、父親からはあまり叱られなかった。
終戦から数年が経過した時代であり、世相はまだまだ荒んでいたのだ。
その後も此処は、私にとって大切な場所であった。ひどく落胆したとき、この浜辺から太平洋を眺め、密かに心を休めたこともあった。
今年の夏は、ぜひ帰ってみたい。
病気と闘っている友に、心からエールを送りたい。
闘病中の友へ
老ひてなほいのち逆巻く夏怒濤 鵯 一平
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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