新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

妙な笑い草

2010年06月16日 14時21分10秒 | 身辺雑記

 ときどき「生きる」ことの意味を考えたりする。

 なぜ生きているのだろうか?

 戦争中は軍国少年だった。特攻隊員として、敵艦にぶつかることを夢見ていた。生きることは、戦争で死ぬためであった。

 戦争に敗けた。

 何のために生きるのか、何のために勉強するのか、かなり漠然となってしまった。

 社会人になった。

 食べるために働いた。遊ぶためでもあった。

 結婚をした。子供が生まれた。

「家庭のため」や「子供のため」という意識が強く働いた。当然のことながら、「会社のため」という意識もあった。「国の再建のため」という動機も、十分にあったように思う。

 組織の中で、責任が重くなるにつれ、「会社のため」を強く意識するようになった。

 バブルが崩壊した。さまざまな価値観の転換があった。市場原理主義が叫ばれる世の中となって行った。

「他人くたばれ、我繁盛!」が横行した。あらゆる面において、モラルの崩壊が見られた。

 やがてリタイアする年頃になった。世界的な規模で、不況の風が吹き荒れた。

 今も私は生きている。

「何のために生きているのか?」

 そんな問いかけがあったら、どのように答えるのだろうか。

「死なないために生きている」と、答えるかもしれない。

 私の生死は、「神」や「み仏」や「天」のご意志が決めて下さっている。 

 その「ご意志」に従い、生き続けなければならないのだ。

 妻や子や孫やさまざまな人たちにとって、私の存在が真に必要なのであれば、「ご意志」は私の死を認めてくださらないはずだ。

 その場合、私は力の限りを尽くして、生きて行かなければならない。

 妙な笑い草だなァ。

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

 

 

  

コメント (10)
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