新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

私と写真

2008年06月30日 14時32分10秒 | 写真・エッセー

 今日の日付で、記事を二つ書きました。

 ご覧頂ければありがたく存じます。

 私と写真の本格的な出会いは、約20年ほど前です。

 もちろん、子供時代にも、友達同士で撮ったり撮られたりをしたことはありました。

 新婚旅行にも、カメラ帯同でした。

 やや本気になったのは、長女が生まれた時でしたね。

 嬉しくて嬉しくて、8ミリカメラを使って撮影したころでした。

 長男が生まれた頃は、すこし熱が冷めていて、写真の枚数も少なかったようです。

 長男は何も言っておりませんが、親の温度差を感じていたのではなかったでしょうか。私自身、申し訳なさは残っております。子供が物珍しさの対象ではなくなったのでした。

 その後は、ずっと惰性的に撮っていた感じです。

 先ほども申しましたが、本格的に取り組んだのは、平成に入ってからです。

 やはり、年齢的にも仕事の面から言ったも、余裕が出始めたのでしょう。

 フイルムの一眼レフを手にしたときは、興奮状態でした。

 取り組んだのは風景写真。奥日光と裏磐梯に通い始めました。

 いきなり撮っても、よい結果が得られるはずもありません。自分で見てもそう思ったのですから、他人の評価を受けられる代物ではありませんでした。

 著名な写真家の教室に通ったこともありました。しかし、才能には逆らえず、いつも駄作の連続でした。

 デジタル一眼レフを手にしたのは、5年ほど前からでした。

 そのころ、著名な写真家の一部に、デジタル不信感があったように思います。色彩の問題を云々しておりました 

 当初の私は、フイルムカメラとデジタルカメラの両方を使っておりました。

 理由は二つ。デジタルで失敗しても、フイルムでの撮ってあるので安心。それに、色彩はフイルムのほうがいい。

 しかし、両方のカメラ持参の撮影は2回だけ。すぐにデジタル一本になろました。

 所蔵しているフイルムの処理が、問題として残っております。

 スキャナーを購入はしたのですが、その作業は進みません。スキャナーで取り込むぐらいなら、デジタルカメラで撮影したほうが手間がかからない。こんな心理が働きます。

 一方では、「せっかくの一期一会ではなかったのか。パソコンに取り込んでおけば、ブログでも使えるではないか」 こんな心理も働きます。

 これは現実の悩みです。

Simage0016

 上の写真は、フイリムからスキャナーで取り込んだ写真です。

 裏磐梯です。朝日を撮りに行ったのですが、雲が厚く、一条の光りが湖面を照らしただけでした。

 しかし、それも一興。幻想的な写真となりました。

Simg_0069

 上の写真はデジタルカメラでの撮影です。

 この時は雲の状況がよくて、全天が焼けました。居合わせた全員、大興奮の状況でありました。

 幾年も裏磐梯に通いながら、たった一度の経験でした。

 家族の事情があったり、健康を損ねたりしたため、ここ2~3年は、花が主な被写体になりました。

 それはまたそれで、結構楽しいものです。

Simg_4254t2a

 上の写真は、二度出しの写真です。

 山にも行けず、谷にも行きにくくなった今、暫くはこのような被写体と取り組もうと思っております。

 さほどの写真は撮れませんが、写真も「自己の表現」です。私らしい写真を撮って、ご覧いただく所存です。

 この記事は、今日6月30日で二つ目の記事となります。

 お手間を取らせまして、申し訳ありませんでした。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ ← お読み頂きありがとうございました。
            ポチッと応援クリックをお願いします。
            励みになります。
                                                    


             

             

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじき飛ばして進め!

2008年06月30日 10時19分21秒 | コラム・エッセー

 Simg_4351t

  思うところがあって、今日は記事を二つ書いております。

 お時間の許す方は、よろしくお付き合いをお願いします。

  ある工場の話。

 ここのところその工場は、失敗や事故が続いていた。

 誰が考えても、うんざりするような状況に陥っていた。志気も低下している。

 そんなときは、何をやってもうまく行かない。

 当然の ことだが、重大な事態との認識のもと、社長の大号令がかかった。

「失敗や事故をゼロにしろ!」 当たり前のことだ。

 原因を探り対策を考え、再発防止策を推進するため、対策担当の重役が指名された。

 失敗や事故には、原因がある。原因があるから失敗や事故が起きるのだ。

 直ちに担当重役が調査に入った。

 そこで分かったことがある。過去の失敗や事故に学び、すでに対策はできていた。いまさら検討するまでもなかったのだ。

 ところがその工場では、その対策を実行してはいなかった。いや、かつては実行していたのだが、現在は実行していなかった。

 つまり、「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」の感じもあった。多忙すぎていたので、その対策までは手が回らなかったのだ。

 こんどは担当重役が激怒した。

「なぜ実行しなかったのだ!」

 工場長以下の者たちは、黙って首をうなだれた。反論の余地はなかった。実行していなかったことは事実なのだ。「実行できなかった理由」など、いまさら言えない。

「多忙すぎて手が回らなかったのです」だなんて、とても言える雰囲気ではなかった。

 工場長たちは、叱られるだけ叱られた。

 こんな状態に陥る前、工場長にはなすべきことがあったはずだ。

 多忙という理由があっても、事故や失敗の対策をおろそかにしてはいけなかった。

 現在の陣容ではどうしてもできないなら、その旨を明確に申し出るべきだった。体制強化の必要性を、もっともっと大声で叫ぶべきであった。それが工場長の大きな仕事の一つだった。

「やらなければいけないことは、とっくにわかっていたよ。だけど、こんな体制ではできっこないじゃないか!」

 このセリフは、事前に言うから意味がある。後出しでは逃げ口上にもならない。

 一方。担当重役にしても、工場長の苦衷を事前に察知すべきであったことは言うまでもない。 

 その工場では、現在、シャカリキになって「やるべきこと」の実行に取り組んでいるようだ。

 しかし、下がった志気や技能の向上には時間がかかる。

 工場内の全員が、死に物狂いにならなければ、再生は覚束ない。仮に足並みを乱す者がいたら、横へはじき飛ばしてでも、進まねばなるまい。

 こんなことは、会社でも工場でも同じだ。

 家庭生活にも当てはまる。

「やるべきだとは知っていたよ。だけど、オレ一人ではできっこないじゃないか。だからやらなかったんだ」

 こんなセリフは通用しない。

 やるべきことを知っていたなら、それをどうして実行するかを考えないと、知っていたことの意味はない。

 今日の写真は、今年になって初めてのコスモス。なんとなく頼りない。

 昨年も、満足できるコスモスには会えなかった。台風のせいと言われた。

 コスモスの本番は9月以降だ。期待して待つことにしよう。

 少し長いブログでした。

 今日の日付けで、もう一つのブログを書いております。

 よろしければ、そちらもお目通しくださいませ。

にほんブログ村 シニア日記ブログへ ← お読み頂きありがとうございました。
            ポチッと応援クリックをお願いします。
            励みになります。
                                                    


             

             

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする