新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

夏夕日

2008年06月07日 07時32分03秒 | 写真俳句・エッセー

Sla1b1098
万物を鎮めんとせし夏夕日
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『山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

  とかく人の世は住みにくい』

 夏目漱石「草枕」の書き出しである。

 人の世の住みにくさは、昔も今も変わらない。

 何処に住もうと、何をしようと、住みにくさに変わりはない。

 もともと人とは、そのような存在なのかも知れない。

「オレは何するために、この世に生まれてきたのだろうか」 

 誰しも幾度かは自問する。

 オレは何処からきたのか。何をしにきたのか。これから何処へいくのだろうか。

 人を愛することの悲しさ。人を憎むことの虚しさ。おのれの行く末に対する不安。

 それらのすべてを含んで人間なのだろう。

 無限の宇宙の中で、人は生かされているのだ。だから、逆らうことはできない。

 ちっぽけな一人ひとりがどう足掻いてみても、無限の中でのあわ粒に過ぎない。

 どうにかなっているようで、どうにもなっていない。

 自分自身の意思や力は、無限の宇宙の中では「無」に近い存在だ。

 そうなのだ。人間はちっちゃなあわ粒。儚い存在。

 しかし、懸命に生きなければならない。自分の意思ではなく、命じられた定めなのだから。

 そんな儚いあわ粒同士が、争っているなんて悲しい話。滑稽ですらある。

 梅雨の晴れ間、雲の合間から姿を見せた夕日が、山合いのかなたへ沈んでいく。

 その夕日の前で、ちっぽけな存在である自分を、しみじみと悟らされた。

 人間の苛立ちや悲しみや喜び、森羅万象のすべてを鎮めるような夏の夕日だ。

 ああ、今日も終わったなァ。

 神々しさを感じる夕日である。

    万物を鎮めんとせし夏夕日   鵯 一平

 写真は2005年6月下旬の裏磐梯。

 これから恒例の外出へ。

 私は朝日も夕日も好きです。

 特に夏の夕日は、すべてを鎮めてくれそうな予感があります。

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コメント (20)
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