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農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

医食農の統一を考える(1回目)

2007-03-08 20:52:41 | 農を語る

 大学教育は伝統を否定するところから始まった。

 若いころから園芸学部に所属し栽培に係わってきたが、大学で学んだ農学は何故かアメリカの文献を訳して紹介することが中心で自国の伝統的な技術とかは研究する人はいなかった。イネは作物で、作物の研究室は熱帯園芸の研究でイネそのものの研究は時代遅れの分野として研究する人はいなかった。水についても単にHー2ーOで分子の小さな生体に吸収しやすい水の存在など教えてくれなかった。そして日本中の水道水は戦後すべて塩素で消毒することが義務づけられ、信州大学の中本信忠が教える明治時代からイギリスから伝えられた緩速濾過方式(高崎市剣崎浄水場は現在も稼働している)によるメロシラという藻類や小動物を生かした安全でおいしくて、施設費のかからない方式は捨てられてしまった。大学での研究は新しく、金を掛けた研究でないと評価されないで、研究費は廻ってこない。住宅の研究も日本の気候にマッチした木造建築の研究は否定されてきた。

 学校の校舎や研究室の建造物はコンクリートでできており入梅の時期になると廊下は水浸しになる。


木村秋則さんの自然農法のリンゴづくり

2007-01-07 19:21:53 | 農を語る

木村秋則さんの自然農法のリンゴづくり

 〒036ー1331青森県弘前市五代字沼田41ー1

 ℡・FAX0172ー82ー3398

「このリンゴは肥料・農薬・堆肥はじめ諸資材を全く使用せずに、リンゴの樹が、最も厳しい過酷な条件の下で育てた樹の実です。外観等、一般栽培品と比較し見劣り致しますがご安心の上、皮つき・丸かじりしてください。私は山の土、雑草、木の生態を参考にして、自然の姿に、より近づけ、リンゴの樹が生育しやすい環境づくりに奉仕しているだけです。これからも樹の実、宜しくお願い申し上げます」

 木村さんの作業暦

1、剪定2月末~4月上旬

 リンゴの樹の剪定及び枝片付け。害虫の越冬卵を見つけながら作業を進めます。枝の色と似ているので大変です。

2、開花

 昨年は大雪のため5月25日頃咲きました。(平年より10~14日位遅い)私の畑では、桜の花の次に咲きます。つぼみの時には赤く、咲くと白く、とてもきれいです。開花前と落花後、酢の散布をします。この作業を怠ると病害虫の激発を呼びますから、葉、枝等を丁ねいに手で散布します。

3、摘果

 6~7月上旬まで一株5個の幼果を1個にします。

4、袋かけ

 温暖化の影響?なのか、シンクイムシの発生が目立って、今年数年ぶり半透明の袋をかけました。

5、下草刈り

 作業をしやすく為ではなく、リンゴの樹に秋が近づいた事を教えるためです。原野の姿を再現している私の畑では、雑草が伸び放題です。この雑草が外気温に対して緩衝作用し土の温度は直接強い日差しを受ける事がないので、温度変化は小さいです。これを雪が降るまでこのままにしたら、リンゴが収穫期が到来しても熟さず、まずいリンゴを収穫した過去がありました。このため、日中と夜間の温度差が大きくなる時期に草刈りをする訳です。

 木村秋則さん(57歳)のはなしをテレビで見て、また宮脇正さんという仲間がわざわざこのリンゴを取り寄せ送っていただき、幸いにも食べるチャンスを頂いた。リンゴを皮ごと食べる習慣が無くなっていたので、いきなり皮ごと食べてみたら固くてシャキシャキという感じであった。しかし年が明けてとりだすと蜜がついて甘味を感じた。木村さんの長年の苦労を思うと1個300円でも「もったいない」という気持ちがつのった。

 農の哲学「大地と自然の恵みを頂く」「剪定鋏、摘果ばさみ、デジカメが木村さんの必需品、デジカメは病害虫の観察と確認のため」「手作業にこだわり、大型スプレーは使わない」「土が固まらない」「リンゴが腐らない、1年後にも干しぶどうのように縮むだけ」22歳で婿入りして奥さんと始めるが高度経済成長期で大規模経営で農薬まみれで二人とも体調を崩し、無農薬に切り換える。リンゴの樹は葉を落とし、枯れていった。壮絶な8年間の体験を通して現在がある。5年目磐城山に死に場所を探して彷徨っている時、山のドングリの樹は病気にかからず実をつけている。やわらかい自然の土、山の環境の再現こそが、リンゴの樹の再生につながると開眼した。福岡正信さんの「自然農法」の本を数百回読んでそこからきっかけを掴む。まわりの批判もあったし「かまど消し」といわれたりバカ呼ばわりされた。「心がなければ、つづかない」弟子1年目の佐々木さんには「スピードスプレーはリンゴも土も喜んでいない」「答えは、リンゴに聞け、手間を省けばその結果はすぐに現れる」「技術は、心が先にあって、そのあとおのづと付いてくる」「壁を一つ越え、また一つ越え、階段を登ように少しづつ登っていく」「効率よりも、手作業で」「いろいろな雑草が生えているから、自然のバランスはとれている」「リンゴという収穫物があるから、9月に草を刈り、人間が工夫して知恵をだすことが必要である」「春が来ると奥さんにもう一年やらせてくれと言った」 途中で止めようと奥さんに相談するとここまで頑張ったんだからやめないでと娘が言っているよと励まされた。

 日本不耕起栽培普及会の岩澤信夫さんとビデオを見ていて、弟子一年目の佐々木さんに対するアドバイスとして、生活がかかっているから、自然に戻す方法として果樹園にイネ科の宿根草のオーチャードグラスやソルゴー、クローバーなどを早急に植えて自然再生の速度を早める必要があると言っていた。また雑誌「現代農業」で水田の畦畔の雑草の刈り取りも2回が適正でカメムシ対策として必要で、日本アカガエルや東京ダルマガエルの生息環境を考慮すると雑草を刈る時期と、刈りすぎないようにする必要がある。不耕起栽培の効果はアメリカの学者サラ・ライト博士が提唱する「グロマリン」、粘性の真菌、たんぱく質が大きく関与している。この菌根菌が作用していることは間違いない。根穴構造が出来、土がふわっとする。畑ではミミズが土の団粒化を助けている。


農を語る-過ぎし日の思い出から

2005-06-29 14:38:59 | 農を語る
農を語る-過ぎし日の思い出から 05、6月27日
 市場性のあるものを作るということになると、ある程度農薬の使用は避けられない。農業高校ではそれが当たり前であった。
 ところが幼い頃は農薬など買えない時代を経ているから、そのころの周辺環境は、愛知で育ったが小川も清流で、石組された溝にはサワガニがどこにでもいた。ドジョウやメダカの泳ぐ川が身近であった。
 大学は千葉であったが、千葉の茂原・八積の湿地帯にいくと食虫植物であるモウセンゴケやミミカキグサが自生し、サギソウ、キンラン、ギンランが咲いていた。昭和38、9年、今から43、44年前のはなしである。大学1、2年の頃植物が好きで沼田真さんの植物生態学にかぶれて、銚子の臨海実験場周辺の松林に入ってコドラートを使って植生の調査を行った。この頃の体験があって、農業も生き物と共存できる環境をいつも想定して考えていた。
 教員生活の後半10年ほどは土の中に生息する生き物の観察をしながら無農薬の茶畑にかよったり、無農薬の野菜畑にこだわり生産する人を探し歩いて、そこの土をもらってきてツルグレン装置にかけて、小動物の生息に一喜一憂したものである。
 そのうち転機がやってきた。2001年6月9日佐原にある藤崎芳秀さんの水田を見て驚きであった。メダカが一杯泳いでいた。千葉県ではすでに希少動物の一種に登録されているというのに何故、そこの水田の土を何回かにわけて採取してツルグレン装置にかけてトビムシやダニなどの小動物の存在も観察できた。
 無農薬で除草剤を使わない農法、生き物の生きやすい環境とは不耕起栽培であった。自然林野の木々には改めて肥料や農薬を散布しなくても、下草刈りをしてあげるだけで育つ生態的な考えを生かすことで、土を耕さなくても、肥料を施さなくても米がとれる。
 ただこの間4年ほど佐原の藤崎さんの水田を見つづけていることで、その都度生き物は豊かであるが、その時の優先種が変わったり、マニュアル通りにはいかないことである。 こうした日常に起こっていることを感じたままに語りかけていきたい。ホームページで「農を語る」で語ってきたが、自分での操作が出来ず、娘に頼っていたが、このブログ人が可能になって、とりあえず始めてみようと思う。農業高校の教員を退職して3年目、不耕起栽培の米作りに熱中する私です。