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kan-haru blog 2010 京急線普通電車の旅「立会川編」
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立会川駅前にあった坂本龍馬像
東京都H11異業種交流会分科会の研究会では、2006年10月22日にキリン横浜ビアビレッジ見学の課外研究会(「イベント キリン横浜ビアビレッジ見学」参照)を開きました。見学後昼食をとるため、品川宿の近くの立会川の老舗の蕎麦処吉田家に寄りました。立会川駅を降りると、何と駅前に坂本竜馬の銅像がありました。竜馬像は、立会川周辺の宅地造成地で、1853年のペリー来航を機に土佐藩が建てた浜川砲台の石と見られる20数個の石が発見され、当時、江戸で剣術の修行中だった竜馬も警護についたとされるそうで、その関係で高知市から寄贈されたそうです。
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京急立会川駅(左:現在の立会川駅正面、中:立会川駅昇降出入り口、右:2006年には立会川駅横にあった竜馬像)
立会川は大河ドラマの影響で、「若き日の龍馬が歩いた街」として盛り上がっております。たまたま、「京急線普通電車の旅」の小冊子に「立会川編~若き日の竜馬と歩く~立会川江戸めぐり」が発行されましたので、それをガイドに3月3日に立会川周辺を歩いて龍馬の足跡を追ってみました。
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竜馬の足跡を残す立会川周辺編集地図
京急立会川駅と周辺
立会川駅(品川区東大井2-23-1)は、大森町の北辺の平和島駅から大森海岸の次にある大田区の隣の品川区南部の立会川縁にあり、駅は1904年(明治38年)に開業して、1990年(平成2年)に高架になりました。立会川の南には大井競馬場があり、地方競馬の開催時には多くの乗降客で賑わいます。
立会川は目黒区にある碑文谷池と清水池を源として、品川区の西小山駅、荏原町駅、西大井町駅、大井町駅を経て立会川駅脇を流れ東京湾に注いでいる二級河川です。現在は上流の大部分は暗渠となっています。立会川には、総武線のトンネル内に湧き出る地下水を送水して流しているため川の水質が改善し、2003年には大群のボラが現れ話題になりました。また、最近では立会川駅近くまで、鴨などの野鳥が遊泳しています。
立会川の名称の由来は定かではないが、その昔、川を挟んで小競り合いが会った事から「太刀会川」と称したとの説や、立会川南方にある鈴ヶ森刑場へ送られる罪人を、立会川を挟んでその親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)事から「立会川」となったとも言われています。
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立会川駅周辺部拡大地図
立会川駅前商店街通りを東に数10m進むと四つ角に仲町稲荷神社があり、現在はその前の公園に坂本龍馬像が建立されています。この道にかかっている弁天橋から立会川を展望すると、上流には元京急電車が地上走行時に使用した立会川鉄橋(現在は人道橋)が望めます。また、下流を望むと川が湾曲しているため旧東海道の浜川橋(涙橋)は望めません。
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江戸時代は小川の川幅の狭い立会川(左:弁天橋から上流を見る、中:弁天橋、右:弁天橋から下流を見る)
・立会川商店街
京急立会川駅前の商店街通りには、第1京浜国道までの西側と、旧東海道までの東側に立会川商店街が連なっております。また、第1京浜国道の西側にはアーケードの立会川西商店街があります。
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立会川商店街(左:立会川商店街東側、中:立会川商店街西側、右:立会川西商店街)
立会川と龍馬像
立会川の東には旧東海道が南北を結び、品川宿に近く江戸の史跡を多く残し、幕末の英雄・坂本龍馬の土佐藩 山之内家の下屋敷がありました。
立会川駅から約200mほど先の立会川河口の勝島運河で、2004年に大きな石が20個以上掘り出され、1853年(嘉永6年)のペリー来航以来の「黒船」騒動の渦中に、土佐藩が築いた浜川砲台の一部と見做されています。
龍馬は、嘉永6年9月に父君の八兵に「異国船処々に来り候へば 軍も近き内に奉存候 其節は異国の首を打ち取り帰国可仕候」と書簡を書いています。これにより、19歳で剣術修行のため上京した龍馬が、藩の命を受けて警備についた浜川砲台であることが明らかになりました。
砲台の石が発見され品川区と高知市が姉妹都市となり龍馬像が2004年に贈られ、当初は冒頭の写真に示す様に立会川駅前の東側に建立されていましたが、2009年には商店街通り東の仲町稲荷神社手前の北浜川児童公園に移されました。先ずは、立会川駅前商店街を東方に歩いて、2006年にお会いした竜馬像と再開しました。
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坂本龍馬像と説明板(左・中・右写真拡大)
・涙橋
龍馬像を後にして浜川砲台跡に向かうには、商店街を東に進むと旧東海道で、街道を南に行くと立会川に架かっている橋は交通の要所の浜川橋で、現在の橋は1934年(昭和9年)に架け替えられたものです。浜川橋は、またの名を涙橋と呼んでおり、鈴ヶ森に1651年(慶安4年)に設けられたお仕置き場[鈴ヶ森刑場](「イベント 歌舞伎観劇 さよなら歌舞伎座九月大歌舞伎」参照)で処刑される罪人を、親族らが密かに見送りにきて、涙を流しながら別れたということから涙橋と言われるようになりました。
江戸時代中期の立会川周辺の絵図を見ると、江戸湾が旧東海道沿いに沿っており、立会川には浜川橋が架かっており、上部に土佐藩下屋敷の敷地が見えます。
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浜川橋(涙橋)(左:浜川橋、中:江戸時代中期の立会川周辺の様子[東京国立博物館貯蔵]、右:浜川橋(涙橋)説明板)
浜川砲台跡
浜川砲台跡へは浜川橋北岸に沿って進むと、立会川河口の勝島運河の元品川沖海岸線跡に、砲台の石垣に使用された石が置いてあります。最初のペリー来航時には、この砲台から1.6km沖まで黒船が侵入したそうです。
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浜川砲台跡(左・中・右写真拡大)
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立会川駅前にあった坂本龍馬像
東京都H11異業種交流会分科会の研究会では、2006年10月22日にキリン横浜ビアビレッジ見学の課外研究会(「イベント キリン横浜ビアビレッジ見学」参照)を開きました。見学後昼食をとるため、品川宿の近くの立会川の老舗の蕎麦処吉田家に寄りました。立会川駅を降りると、何と駅前に坂本竜馬の銅像がありました。竜馬像は、立会川周辺の宅地造成地で、1853年のペリー来航を機に土佐藩が建てた浜川砲台の石と見られる20数個の石が発見され、当時、江戸で剣術の修行中だった竜馬も警護についたとされるそうで、その関係で高知市から寄贈されたそうです。
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京急立会川駅(左:現在の立会川駅正面、中:立会川駅昇降出入り口、右:2006年には立会川駅横にあった竜馬像)
立会川は大河ドラマの影響で、「若き日の龍馬が歩いた街」として盛り上がっております。たまたま、「京急線普通電車の旅」の小冊子に「立会川編~若き日の竜馬と歩く~立会川江戸めぐり」が発行されましたので、それをガイドに3月3日に立会川周辺を歩いて龍馬の足跡を追ってみました。
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竜馬の足跡を残す立会川周辺編集地図
京急立会川駅と周辺
立会川駅(品川区東大井2-23-1)は、大森町の北辺の平和島駅から大森海岸の次にある大田区の隣の品川区南部の立会川縁にあり、駅は1904年(明治38年)に開業して、1990年(平成2年)に高架になりました。立会川の南には大井競馬場があり、地方競馬の開催時には多くの乗降客で賑わいます。
立会川は目黒区にある碑文谷池と清水池を源として、品川区の西小山駅、荏原町駅、西大井町駅、大井町駅を経て立会川駅脇を流れ東京湾に注いでいる二級河川です。現在は上流の大部分は暗渠となっています。立会川には、総武線のトンネル内に湧き出る地下水を送水して流しているため川の水質が改善し、2003年には大群のボラが現れ話題になりました。また、最近では立会川駅近くまで、鴨などの野鳥が遊泳しています。
立会川の名称の由来は定かではないが、その昔、川を挟んで小競り合いが会った事から「太刀会川」と称したとの説や、立会川南方にある鈴ヶ森刑場へ送られる罪人を、立会川を挟んでその親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)事から「立会川」となったとも言われています。
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立会川駅周辺部拡大地図
立会川駅前商店街通りを東に数10m進むと四つ角に仲町稲荷神社があり、現在はその前の公園に坂本龍馬像が建立されています。この道にかかっている弁天橋から立会川を展望すると、上流には元京急電車が地上走行時に使用した立会川鉄橋(現在は人道橋)が望めます。また、下流を望むと川が湾曲しているため旧東海道の浜川橋(涙橋)は望めません。
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江戸時代は小川の川幅の狭い立会川(左:弁天橋から上流を見る、中:弁天橋、右:弁天橋から下流を見る)
・立会川商店街
京急立会川駅前の商店街通りには、第1京浜国道までの西側と、旧東海道までの東側に立会川商店街が連なっております。また、第1京浜国道の西側にはアーケードの立会川西商店街があります。
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立会川商店街(左:立会川商店街東側、中:立会川商店街西側、右:立会川西商店街)
立会川と龍馬像
立会川の東には旧東海道が南北を結び、品川宿に近く江戸の史跡を多く残し、幕末の英雄・坂本龍馬の土佐藩 山之内家の下屋敷がありました。
立会川駅から約200mほど先の立会川河口の勝島運河で、2004年に大きな石が20個以上掘り出され、1853年(嘉永6年)のペリー来航以来の「黒船」騒動の渦中に、土佐藩が築いた浜川砲台の一部と見做されています。
龍馬は、嘉永6年9月に父君の八兵に「異国船処々に来り候へば 軍も近き内に奉存候 其節は異国の首を打ち取り帰国可仕候」と書簡を書いています。これにより、19歳で剣術修行のため上京した龍馬が、藩の命を受けて警備についた浜川砲台であることが明らかになりました。
砲台の石が発見され品川区と高知市が姉妹都市となり龍馬像が2004年に贈られ、当初は冒頭の写真に示す様に立会川駅前の東側に建立されていましたが、2009年には商店街通り東の仲町稲荷神社手前の北浜川児童公園に移されました。先ずは、立会川駅前商店街を東方に歩いて、2006年にお会いした竜馬像と再開しました。
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坂本龍馬像と説明板(左・中・右写真拡大)
・涙橋
龍馬像を後にして浜川砲台跡に向かうには、商店街を東に進むと旧東海道で、街道を南に行くと立会川に架かっている橋は交通の要所の浜川橋で、現在の橋は1934年(昭和9年)に架け替えられたものです。浜川橋は、またの名を涙橋と呼んでおり、鈴ヶ森に1651年(慶安4年)に設けられたお仕置き場[鈴ヶ森刑場](「イベント 歌舞伎観劇 さよなら歌舞伎座九月大歌舞伎」参照)で処刑される罪人を、親族らが密かに見送りにきて、涙を流しながら別れたということから涙橋と言われるようになりました。
江戸時代中期の立会川周辺の絵図を見ると、江戸湾が旧東海道沿いに沿っており、立会川には浜川橋が架かっており、上部に土佐藩下屋敷の敷地が見えます。
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浜川橋(涙橋)(左:浜川橋、中:江戸時代中期の立会川周辺の様子[東京国立博物館貯蔵]、右:浜川橋(涙橋)説明板)
浜川砲台跡
浜川砲台跡へは浜川橋北岸に沿って進むと、立会川河口の勝島運河の元品川沖海岸線跡に、砲台の石垣に使用された石が置いてあります。最初のペリー来航時には、この砲台から1.6km沖まで黒船が侵入したそうです。
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浜川砲台跡(左・中・右写真拡大)
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