ありがとうございます。
今日の写真は、ブログ開設当初に使用した写真です。
母がいろんな物をあちこちに散らかすようになって 「あ~あァ、・・・」 と思っていた頃、実はそれが 「母のお仕事 だっ!」 と目出度い勘違い?するようになり、すごくハッピーになれた当初の写真ですね。
トイレットペーパーの棚に、見事にはめ込んだドラエモンです。逆さまになっているのが面白く、モダンアートを感じる傑作中の傑作と思っているものです。(ものすごい勘違い?)
写真展を開くなら、案内状にバァ~ンと載せたい写真ですね。ねっ! 勘違いがとまらないでしょ? (笑)
とっても好きな写真なので、また登場させました。
「母のお仕事」 と言っているのは、実はこういうことです。
昨日は、masaがかなり長編の文章を書いてくれましたね。
実は、私もそれを読んでいて胸が熱くなり涙が出ちゃいました。
こうやって今までのことを振り返ってみると、本当に多くの方々のお世話になって来たことに改めて気がつきますね。
多分、このブログを始めなかったらここまでは思わなかったでしょうね。特に、masaが書くものは、父や母との交流が私より多かったためか、息子の私にとっては知っておきたいことが多いですね。
もうちょっと短く書いてくれると更に嬉しいけどね・・・。
という訳で、今日はあっさりと・・・。
先日の豪雨で、東名高速道路がしばらくの間不通になりましたね。
あの時にも本当に思いました。普段あたりまえだと思っている事が如何に有り難い感謝するべきことか、ということを・・・。
けれど、普段はそんなことちっとも感じていませんものね・・・。
そこで、今日は、次の詩をご紹介させていただきます。
これを書かれた井村和清さんは、骨肉腫のために右足を切断、のちに肺に悪性腫瘍が転移して若くして神様のもとへ召されたお医者さんです。
あたりまえ
あたりまえ
こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたいところへ自分が歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせがあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、
そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
井村和清著 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」 より
母は、とっても元気でデイサービスに出かけました。
やっぱりこれって、ほんとに感謝ですよね。
さあ、今日も一日、笑顔で顔晴りましょう!
お読みいただき、ありがとうございまぁ~す。 (toshi)