トッシーです。いつもありがとうございます。
「人はパンのみに生きるにあらず」
この言葉、昔から時々耳にしていますね。
若い頃は、「そうかぁ~。人間は食べ物だけでは生きてはいけないんだなぁ~」と、漠然と頭に入れていたことを思い出します。
ちょっと、意味を調べてみました。
これは、「人は食べ物だけで生きているわけではない。神の言葉に従って生きて行くのだ。神の言葉によって、幸せに生きて行くことができるのだ」という意味で、イエス・キリストの話した言葉だということです。
つまり、食べ物だけではなく、もっと大切なものもあるんだよ・・・という、神の言葉ということのようですね。
トッシーも大きくなるにつれ、このような意味も何となく知識としては入ってきていたと思います・・・。
今回、脳出血という思いもよらなかった病に倒れ、3か月弱の入院生活を送りました。その間の生活で、何となく自分の体の現実が分かり、「う~ん・・・」という気持ちで退院、それからもうすぐ3か月になろうとしています。
思えば入院生活は特別なもので、家庭での生活とは大違いです。同じような境遇同士の共同生活ですので、お互い、相手の大変さがある程度は理解することができます。3度の食事もただ受け取って食べるだけ。すべては病気の回復を目指し、毎日が淡々と過ぎて行くのです。
ところが、退院してからは状況が一変! 病院のように、仕事として自分をサポートしてくれる人はいなくなります。家族のいる方はまだいいのですが、それでも今までのようには行きません。誰しもそれぞれの生活があるからです。ましてや一人暮らしの人となるとやはり何かと大変になります。
ある意味、入院生活は、食事一つを例にとってもとても恵まれた、特別な生活環境だったといえるでしょう。
でも、何かが足りない・・・。
退院後はそれぞれの家での生活が始まります。待ちに待った我が家での生活ですね。でも、麻痺など体に障害の残る人の場合は、それからの生活が大変です。今までとの違いが現実問題として自分に襲ってくるのです。家にいて、確かに生活はしているけれど、今までのように自由にどこへでも行けた生活とは大違い、如何に今までの生活が天国であったかに気づかされましたね。
トッシーの場合、幸いにも何とか自分で生活できています。毎日欠かせない食事も、自分で調理しなくても殆ど間に合っています。忙しい中、ちゃんとやってくれているmasaのお陰ですね。このことも、ホント、とても感謝しています。
それでも、やはり何かが足りないんです。何かが。masaから、「足るを知ることネ!」と言われそうですが・・・。
そこで今日のタイトルの言葉、「人はパンのみに生きるにあらず」が出てきます。ちょっと意味が違うかもしれませんが・・・。
幸い、masaの協力があってちゃんと食事ができて、生きるという生活ができていても、やはりそれだけでは何か満たされないものがあるんですね。それは人それぞれによって違いはあるでしょう。今までの生き方がその人その人によって違うからです。
その満たされない何かを追い求めて、それが可能ならそれを追えばよいでしょう。しかし、それが叶わないものであるとしたら、それを追うことで得られるものは苦しみしかありません。不満しか残らないでしょう 。
先日病院で会った人が、まさにその辛さ、寂しさをを訴えておられました・・・。
今迄の喜び、楽しみ、希望が叶えられなければ、
思い切って、生き方を変えてはどうでしょう?
今できることで新しい喜び、新しい楽しみ、新しい希望を見つけたらどうでしょうか。ちょうど、トッシーの父がそうであったように・・・。
例え体の状態は変えることができなくても、思い方・考え方は、自分で自由に変えられるんですから・・・。
頑張れトッシー! 楽しんでる?
https://www.youtube.com/watch?v=2oZYxUhR8FQ
ついてる。ありがとうございます。感謝しています。トッシーで~す。