ついてるついてる ハッピーライフ! ~どんな時も笑顔といっしょ~

ハッピー介護トッシーのブログ。Webは「ハッピー介護みいつけた!」 https://happykaigo.jp/

トミスケ! 夫のリハビリに大活躍!

2009年08月16日 | 我が家の泣き笑いストーリー

アホな (笑) masaで~す。

今日は、トミスケと父との 我が家の泣き笑いストーリー をお届けいたします。

 

昨日toshiさんが、父のことを書きましたね。

父は、威厳がある人で (笑)、 近所の主婦の方からよく言われたことは、

「masaちゃんとこのお父さんは、ちょっと見は厳しい人に見えるので、私が若かった時、 『おはようございます』 と挨拶はできるものの、それ以上は話せなかったんよ(笑)」 と、言われました。

また、『多発性骨髄腫』という骨のガンになって、父が一時期病院に入院した時も、食事を運んでいった看護師が、あまりの威厳ある風貌(笑)に驚いて、お膳を落としてしまったんです。そして、masaのところに走って来て、

「本当にあの人と一緒に住んでいるんですか? 信じられな~い! 尊敬しちゃう~!」 とまで言われたのです。(笑)

 

そのような父が病気になり、今まで全ての事を人に頼ることなく“がむしゃら” にやって来た父が、殆んどのことを人に依頼しなくてはいけなくなりました。そのことは、父にとって受け入れ難いことであったと思いますが、人の優しさに触れ、ドンドン変わっていかれました・・・。

気丈な父は、「わしは、ガンか?」「もう治らないのか?」などと、一度も尋ねられなかったことに頭が下がります。

そんな父を最期まで自宅で『看取った』ことは、私たち家族の誇りです。でも、このことは、私たち家族だけではとても出来なかったことでした。主治医のH先生からは、「いつも、自分だったらどうして欲しいか考えているから・・・何でも言ってね」と言ってくださり、開業医のO先生からも、「できる限り嫁さんの力になるから言ってね」と・・・。

職場の皆さんからは、威厳ある (笑) 父のことを心配してか、(笑) 「大丈夫ですか? 自分たちだけでは大変だから無理しないでくださいね。いつでも入院してくださいね」と、優しく声をかけていただいたり、と・・・。

今思い出しても、凄い環境 の中で自宅療養ができていたなあと思い、涙が出てきます。皆さんのおかげだと感謝の気持ちでいっぱいです。 

そして、忘れていけないのが、“リハビリ担当 トミスケ” の存在でした。

 

「多発性骨髄腫」という病気は、骨のガンで全身の骨が折れやすくなり、麻薬を使わなくてはいけないほどの耐えがたい痛みに苦しむ病気です。

父は、転んだことをきっかけに動けなくなりました。

実は、父が動けなくなったことに一番驚いたのはmasaでした。あんな気丈で、人に弱みを見せたことのない父が痛み苦しんでいる姿は、今から思えば想像を絶するものでした。そして、嫌がる父を病院に入院してもらい、精密検査を受けてもらった結果が、「多発性骨髄腫」だったのです。

正直 「エ~ッ! どうして、こんなに辛く悲しい事が続いて・・・。そのあげくが・・・、なぜ!?」 と思いましたが、その事実を受け入れるしかありません。

整形外科から血液内科に変わり、治療方針もリハビリ中心から安静へと、痛みを取ることに変わりました。そして、痛みのコントロール ができるようになった時点で家に帰り、自宅療養を始めました。しかしこの頃はトミスケも認知症真っ盛りで、言われたことはすぐ忘れてしまう状態でした。(笑)

父は、トミスケのことは分かっているけれど、情けないやら腹立たしいやらで可哀そうな面も・・・。

masaは仕事に行っていますので、寝たきりになった父が不自由がないように、高カロリーの栄養剤がすぐ手に届くようにと、冷蔵庫にセットしたりしていました。

しかし、この栄養剤は父ではなく、ナント、トミスケの口に入っていたも・・・。(笑)

そんなこんなの珍道中のなか、我が家の泣き笑いストーリー!が繰り広げられました。

 

父が最期まで入院することなく自宅療養できたことを考えてみると、1つには、大量の麻薬を使い(普通の人だと幻覚・幻聴が出る量)ながら 痛みのコントロールができたこと。2つ目には、最後まで自力で呼吸ができたことが考えられました。

「多発性骨髄腫」の父が最期まで胸郭が障害されることなく呼吸が保たれたのは、とても大きな驚きでした。

そのポイントは、60歳から始めた尺八と、何でも忘れてしまう妻のトミスケにありました。

父は、趣味のなかでも尺八にはかなりの思い入れがありましたが、尺八は肺活量がいるため、胸郭を十分に使う必要があります。

トミスケは、「お茶を持ってきてくれ!」と父が頼んでもすぐ忘れてしまうため、胸郭をいっぱい使って、瞬発力を利用して、「トミエーーーーッ!」 と呼ぶ必要がありました。

じゃありませんね。(笑) 

正確にいうと、大声で叫んでいたことが、呼吸状態が最期まで保たれ、肺炎にかからなかった大きな要因となったのです。

トミスケは、愛する夫のために、自ら 呼吸リハビリをさせていたのです。

凄い、凄すぎる~~~。

 

親愛なる父へ 

天国のお父さん! 

実をいうと、「トミスケ! 夫のリハビリに大活躍!」でしたよ。

お父さん!

お母さんは、毎日が新鮮で、幸せです。

 昨日、デイサービスから帰ってみえた時、デイの職員さんにお会いしました。その爽やかな若い男性は、母を後ろからグッ!と抱きしめて、「トミエさん じゃあ またね」と、言ってくださっている光景を目にしました。

この光景は、masaが母をお風呂に入れて着替えた後、同じように母を後ろからグッ!と抱きしめて、「お母さん! あと何回お風呂に入れるかなぁ?」と、語りかける姿と重なりました。そのため、この若い男性の姿を見て、ありがたさに思わず涙があふれてきました。そして、「施設でトミエさんは癒し系だから・・・」とも、言ってくださったのです。

お世話になっているデイやショートの皆様には、いろいろご心配やご迷惑をおかけしておりますが、ありがたい言葉をいただく度に 「トミスケは幸せものだな~」と思っています。

ですからお父さん、どうぞ安心してくださいね! 

のジャガイモの写真は寄り添っているお父さんたちみたいでしょ。                          

                               (masaより

 

長文をお読みいただき、ありがとうございました。(masa

 

サイトに戻る!http://happykaigo.jp/

コメント