みなうしろ姿ばかりの秋遍路 野見山朱鳥
「遍路」は、本来春の季語だが、ここでは「秋遍路」。八十八ヶ所の札所を巡る先には、肌寒さも感じる時もあることだろう。「うしろ姿」が負うものはそれぞれ異なっているかもしれないが、誰もが何かを背負って生きているものかもしれない。前を行く「うしろ姿」に、わが「うしろ姿」を見ているのだろうか。『野見山朱鳥 愁絶の火』より抄出。(Midori)
「遍路」は、本来春の季語だが、ここでは「秋遍路」。八十八ヶ所の札所を巡る先には、肌寒さも感じる時もあることだろう。「うしろ姿」が負うものはそれぞれ異なっているかもしれないが、誰もが何かを背負って生きているものかもしれない。前を行く「うしろ姿」に、わが「うしろ姿」を見ているのだろうか。『野見山朱鳥 愁絶の火』より抄出。(Midori)
その印象が残っていて
手を引いて引かれて親子遍路かな 征一
が出来ました。ホトトギス句会と講演の会の汀子先生選の句です。
手を引いて・・・、
いろんな思いが錯綜する言葉だと思います。