十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2015-08-12 | Weblog
一千号までの月日や竜の玉    みどり

*俳誌「阿蘇」創刊1000号記念募集句、
  岩岡中正・井芹眞一郎選入選

【選評】
玉のような紺碧の実に千号までの月日を見た、象徴的で詩的な一句。
時間性をとりこんで出色。(中正)

昭和

2015-08-11 | Weblog
還らざるあの日あの人昭和の日    中嶋富恵

もうすぐ70年目の終戦記念日を迎える。「昭和」という年号は、それぞれが生きた時代によって、感慨は様々かもしれないが、戦争という負の遺産を持つ年号であることに変わりはない。「還らざるあの日あの人」と、「あの」が特定する「日」「人」は、一体何なのか?草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」ではないが、昭和も遠くになったものである。「還らざるあの日あの人」を決して忘れてはならない。「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

麦秋

2015-08-10 | Weblog
ランドセル縦笛挿して麦の秋     永村典子

黒が男子、赤が女子という時代は、とっくに過ぎて、今やランドセルもカラフルになり、男女の別もそれほど感じられなくなった。しかし、「縦笛挿して」と、今も昔も変わらないのは音楽の時間である。縦笛を習ったのは小学3年生の頃だろうか?「麦の秋」によって、小学校生活にもすっかり慣れたギャングエイジの長閑な風景が広がってきた。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

初蛍

2015-08-09 | Weblog
初蛍少年少女たりし川     岸川八重

幼い頃見た川や橋は、いろいろな想い出とともに記憶の中に残っているものだが、長じて再び見る景色は、時代と共に大きく変わっているものである。「初蛍」に、少年少女の淡い感情の芽生えを感じさせ、現実の「川」は、作者の中で、記憶の中の「川」へとゆっくりとタイムスリップして行くのだろうか。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

平明

2015-08-07 | Weblog
チューリップ平凡かはた平明か     勝又洋子

「平明にして余韻のある句」は、虚子の説くところであるが、「平明」と「平凡」の違いは何処にあるのか?やはり余韻や詩情があるかどうかがその別れ目となりそうだ。さて、赤、黄、白のチューリップは、平明にして平凡なのか・・・。俳句の叙法を詠み込んで、対句表現の楽しい一句となっている。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

破れ傘

2015-08-06 | Weblog
武蔵にも老後ありけり破れ傘     芳  巳

宮本村で、新免武蔵と名乗っていた頃のやんちゃな武蔵。吉岡一門との戦いや巌流島での決闘など剣術家としての名を成した宮本武蔵。「武蔵にも老後ありけり」と、「老後」という言葉は、武蔵の時代には新鮮に響くが、あったとしたら、細川藩で客分として招かれた頃だろうか。晩年の武蔵の暮らしぶりを想像させる季語、「破れ傘」の斡旋がユニーク。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

時鳥

2015-08-05 | Weblog
石橋に石の重心ほととぎす    加藤いろは

アーチ型の石橋と言えば、熊本では何といっても山都町の通潤橋である。そのシルエットの美しさは言うまでもないが、物理的に均衡を保っている石組みには、ただ感心するばかりだ。江戸時代にあって、石工の技術の高さを誇る石橋である。さて、作者もそんな感慨を抱いたと思われる。「石橋に石の重心」と端的に捉えた視線は、詩的でもある。「ほととぎす」の季語の斡旋が、青葉若葉の瑞々しい景の広がりをもたらしている。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

滴り

2015-08-04 | Weblog
滴りの幽かな音を怖れけり      佐久間和子

滴りの幽かな音は、涼感を覚えるものであるが、一方で何かの前触れではないかという恐怖も感じさせる。洞窟などで聞く滴りは、反響となって迫って来れば、それはもう涼感というよりも不気味である。「滴り」の意外な一面を捉えた心情に共感を覚える一句である。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

2015-08-03 | Weblog
死して行く十万億土滝白し    山下しげ人

西方極楽浄土までの道のりは長い。なにしろ十万億の仏国土を通り過ぎなければならないというのだから、無限の距離だと言えそうだ。さて、観念的と思われる上五中七に、「滝白し」という眼前の景。十万億土の果てに辿りついた浄土は、一筋の滝が架かる仏国土であるとも思わせる。死生観の中にも現実のロマンが感じられた。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

小判草

2015-08-02 | Weblog
小判草風ひと吹きに百万両     西 美愛子

「小判草」という、ユニークな植物の名を一句にどう生かすかが、この季語のポイントであるが、「ひと吹きに百万両」とは、何と豪華。一面の小判草が、風にきらきらと輝く様は、まさに一攫千金の思いである。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

2015-08-01 | Weblog
青春を賭けたる黴の一書かな    岩岡中正

「賭けたる」ということは、何かを失うことを覚悟して、懸命に一つの事に取り組むことである。それ程の情熱を、この「一書」に注いだ学生時代があったということだ。今、「黴の一書」を手にして、どのような感慨を抱いているのだろうか。「黴の一書」は、今までの、そしてこれからの人生を支えてゆくのだろう。*「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)