沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

37年越しのマウンド

2020年11月03日 | 学童野球

 今回のブログを読んでいただくに当たって、2年前の記事を再アップすることにしました。初めて読まれる方には、今回のストーリの背景と意味が分からないと、何の話だか、ちんぷんかんぷんになると考えたからです。下写真は、8郎の母校M小学校のグラウンドです。雲一つない秋晴れでした。

 2年前の記事はこちらです。初見の方向けだけでなく、成長した愛息10郎がいつか読んでくれる可能性を高めるためでもあります(笑)。

OGPイメージ

グローブをはめる時 - 沖縄 8 Scene

いきなりですが、メジャーリーグに渡った大谷翔平選手、すごいですね!永遠の草野球少年44歳8郎も「ここまでできるのか」と驚きを持って見ておりま...

グローブをはめる時 - 沖縄 8 Scene

 

 長い駄文をお読みいただけましたでしょうか。

 では、話を1983年から2020年現在に戻します。冒頭で書いた通り、8郎の母校(転校したため卒業はしていませんが)であるM小学校に37年ぶりに足をはこんだのです! というお話になります。

 足を運んだ理由は、愛息10郎の野球チームの練習試合の会場となったためです。残念ながら当時8郎が所属していたチームはすでに廃部・統合?されて、なくなっていましたが、いつかM小学校のグラウンド、ピッチャーマウンドを見たいと思っていたので、非常に貴重な機会となりました。胸にこみ上げるものがありましたね。

 M小学校の校庭には、当時の野球チームのメンバー一緒に弁当を食べた、あの木立とその下の階段も残っていました。お世話になったA老監督の車のラジオから流れる夏の甲子園(興南出場)の中継を聞きながら、みんなで食べたなぁ。その場所に37年後、自分と同じ年齢になった息子と一緒に野球をしに来るなんて、当時10歳の8郎には想像もできませんでした。人生、つらくても頑張っていれば、いつかいいことがくる。

 校舎は建て替えられており、すっかり様変わりしていました。父から母子4人家を追い出された困窮家庭だったために給食費を払えず、担任の女性教師にビンタされた悔しい思い出は今も忘れられません(今なら告発すれば新聞沙汰かつ懲戒ものです)。今でもその女性教師がビンタするときの形相を覚えていますが、それは弱いものをいじめる人間の顔でした。同時に、この人も誰かにいじめられているのだろう、と幼心に感じました。37年前の教訓です。この元女性教師ももう80歳近いでしょうね。ご健在かどうかに全く興味はありませんが、教員人生をどう振り返っているのかなと考えたりもします。

 そして、思い出のピッチャーマウンドです。マウンドと呼べないほど平たいですが、確かに同じ場所にありました。写真のような上等なバックネットは当時なかったはずですが、ネットの向こうに、37年前に応援に来てくれた幼き姉妹の姿が浮かび、おっさん一人涙が出ました。他人の家庭に向かって親に感謝しろ、などと軽々しく言ってはいけません。

 苦しく、悲しかっただけの幼少時代ですが、野球との出会いは、まぎれもなく美しい思い出です。8郎に夢を与えてくれた野球には感謝しかありません。

 この日のM小学校での試合で10郎はマウンドに立つことはありませんでした。しかし学童野球はあと2年もあるので、その機会が訪れる可能性は高いです。その時、父8郎は、愛息がまるで甲子園球児にでもなったかのように感動するのかな。楽しみです。

 

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 話は変わりますが、引き続き、学童野球のお話です。

 37年越しのマウンドを体感し感無量の8郎に、ちょっとうれしい出来事がありました。学童野球Cクラス(4年生以下)の大会が迫る中、練習試合で10郎が先発に選ばれたのです!(大会前なので限定2イニングでしたが)。それは本番でも先発の最有力候補であることを意味しています(と思います)。 

 結果はというと2イニングをノーヒット2奪三振で無失点に抑えました。地道な練習を積んできた10郎の球速が明らかに相手打線をねじ伏せていました(まぁ、そんなに強豪チームではなさげでしたが)。さらに、マウンド上の10郎をよく見ていると、コントロール重視のときは指を開いてボールを握るなど、彼なりに考えて投球をしていました。8郎夫妻は、愛息が無失点に抑えたことより、けん制悪送球で崩れかけた自分を自分で立て直したことに感激しました。本番でも先発に選ばれてほしいものです。マルチ安打も放つなど、打撃に関しては同年代でダントツだと思っていますので、打順は4番以上ならどこでもいいです(笑)。

 両手を水平にするフォームは、まるで今注目のオリックスの剛腕・山本由伸投手のようです。父子で追及してきたかのインバートWか!?(笑) 10郎よ、 足の指から手の指さきまで意識し、自分に合った最高のフォームを作り上げて、最後は自分の魂を込めて投げるんだぞ! 孤独なマウンドで調子が上がらず不安になったときは思い出せ。電気も水道も止められ、夜な夜な借金取りに脅される極貧生活の中でマウンドに上がるも、夢破れた37年前の君と同じ10歳児が、君の背後からものすごい怨念を送っているということを! 「その程度で不安になるなら、そのピカピカのユニフォームとスパイクとグローブを俺によこせ! 俺が投げる🔥」とね(どんな目の前の強打者より、後ろで待っているそいつが怖いぞ。笑)。

 10郎、マウンドに上がったら「ここは俺の舞台だ。俺が主役になる」と勇猛かつしたたかに投げるんだ。そう『我こそは張飛なり。死にたいやつから前に出ろ』のファイティングスピリッツだ!(古)。チバリヨー、10郎! とっても怖い「うしろの8太郎」より。

 

 少年野球の楽しみに関して言うと、子供たちのプレーを見ることの他に、月に2、3回、弁当をもって他校に練習に行くことで「ピクニック気分」を味わえることにもあります。妻も忙しいので毎回手弁当というわけにもいきませんので、近くのスーパーで買い弁することもしばしば。でも、子供たちと外で食べると十分においしいですね。

 さて、少年野球のおかげで、8郎の体重もまた70㌔台に戻りました。あ、常連のブログチェッカーのみなさんはもはや興味ないですか?(笑) どうせアイス食って80㌔台に戻ったんだろって? その通~り。でも、なかなか見られない数値なので、野球から帰宅直後に撮影したやつをアップさせてください。

 とはいえ47歳。早朝からの少年野球で体力的に疲れた(他校まで子供たちと一緒に走って移動しました)ので、今日はこれにて。