沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

有終の11球

2023年03月06日 | 学童野球

 愛息10郎、学童野球最後の大会となる選抜チームの「第14回美●島選抜大会」に出場してきましたので、報告いたします。

 

 報告の前に前置きをさせてください。大会は2日間で4試合ありましたが、結果10郎は打者としては2打席、投手としては1イニングだけの出場に終わったということです。出場機会のあまりの少なさに悔しくてなりません。どうしてこういう采配をしたのか不思議です。もちろん監督、コーチ陣はボランティアかついわゆる親コーチ、自分の息子を優先配置してしまうのは一定理解できます。でも親の欲目を差し引いても間違いなくU市最強バッター🔥である10郎をスタメンにすら置かないというのは、全くもって魔訶不思議な采配でした。しかし、一番悔しかったはずの当の10郎本人がコーチャーやベンチでの声援でずっと笑顔だったということを鑑み、親としてもぐっとこらえることにします。以上を前書きにして、本題に入ります! 恨み節にならない(笑)よう事実を淡々と連ねます。

 

 初日の会場はいつも使い慣れている会場でした。外野はぼこぼこ、マウンドも平たく、10郎が苦手な球場でしたが、打球が抜ければ即ホームランなので10郎の通算11号の3分の1はここで打っているはずです。ちなみにこの日、盛り上がったきれいなマウンドが整備されていました(遅いっちゅーの)。

 

 初戦はN市選抜B。練習を見ていてもレベルが高いとは言えませんでした(謝)。自慢の投手陣で完封リレー勝ち! 10郎は登板もなく、代打でのみ登場。四球を選び、盗塁も決めました。

 この日の大一番は2回戦のT市選抜A。優勝候補の一角です。しかし、この試合では出場機会すらありませんでした。試合は3対1と接戦を制したので、結果オーライ。大事な、しかも接戦の状況で監督采配に多くを求めるのは酷です。息子が出場できなかったのは悔しいですが、選抜チームとしては堂々のベスト4進出を果たしたので、妻ともども「明日がある」と気持ちを入れ替えました。その日は疲れで3人とも爆睡。

 そして運命の2日目。準決勝と決勝戦、3位決定戦まであります。会場は本島中部のU市に変更となったので、早朝5時半に自宅を出発しました。到着時には真っ暗だった会場にも7時ごろにはようやく温かい太陽が顔を出しました。芝も管理されたとてもきれいな公園が隣接していました。

 春を告げるシロツメグサ。四つ葉のクローバーを探す余裕はありませんでした。

 さぁ、準決勝です。相手はG村選抜チームです。思い起こせば、昨年冬に8郎が実施した自チームでの合宿中の練習試合で短いイニングですが10郎が力で抑えたチームです。その時よりメンバーが充実しているとは思いますが、10郎の球が打たれなかったという事実に変わりはありません。しかし、発表されたスタメンに10郎の名前はありませんでした。先発投手でないのは理解できても、スタメンですらないというのは理解に苦しみました。これまでの練習試合と一緒です。しかし、いずれ10郎の力を頼るときが来ると気合を入れ直しました。

 スクイズと相手のエラーで2点を取ったものの、相手のパワフルな打撃にエースM君が打たれます。市レベルの大会ではほとんど打たれなかったM君の球が外野にはじき返されるのを見て、選抜大会のレベルの高さを実感しましたね。2番点、3番手投手はさらに連打を浴びて結局6点を献上(泣)。

 4点リードされた5回裏にようやく10郎に代打の指示(遅いっちゅーの!)。 

 カキーン! それまでの誰が打った打球よりもすごい音がしました。流し打ちとは思えない弾丸ライナーで左中間を突き破ります。いけ~、10郎!

 激走の結果、3塁でアウトになったのですが(明らかな誤審)、ベンチも大喝采。これまでバカスカ打たれていたのを一撃だけでもやり返したのですから。

 試合は最終回に意地の反撃を見せたものの、4対6の惜敗。全員一丸となって頑張ったものの、自慢の投手陣が打たれたのが敗因ですね。上に行けば行くほど、スピードが求められるのです。コントロールだけでは強い相手には勝てないのです。帰り際、相手チームの監督さんとすれ違ったのですが、監督さんは応援の面々に「うちは投手がいないから厳しかった」と言っていました。そんな相手を打ち崩せなかった非力な打力も要因ですね。

 優勝の夢が消え、午後の3位決定戦に回ることになりました。10郎をスタメンで出しておけば打ち負けることはなかったのではないか、と悔しさでいっぱいでした。青空にも8郎夫妻の心は晴れず。。。

 お昼休みは、あまりの心地よい太陽だったので芝の上で横になりました。家族3人でこういう週末を過ごせるのも今日が最後かもしれないと思うと寂しくなりましたね~。

 妻が近くの仲西スーパー?(有名らしいです)で買ってきたカツ丼。縁起をかついでいます。量もたっぷり、味もおいしゅうございました。

 さあ、泣いても笑っても小学生10郎最後の試合となる3位決定戦です。4位は閉会式も参加できすメダル🎖もありません。ここまで来たからには勝ってメダルを持ち帰りたいところです。相手は離島勢のM島市選抜。今度こそ10郎が先発だろうと思っていたのに、また外れています。しかもベンチです。なんとも言いようのない気持ちでいっぱいでした。しかし、2、3番手の登板かもしれないと気持ちを入れ直します。さっきの試合で打っているので少なくとも打つチャンスこそは与えられるだろうと。

 試合は3回までに5点を奪われる劣勢。相手はぶんぶん振ってきます。一方のわがチームは「あわや完全試合か」というレベルの貧打!(5回裏にようやく1本が出て完全試合をのがれたものの・・・)。どうして10郎を出さない!

 勝敗がほぼ決した5回裏に3番手として登板の機会が与えられました(だから遅いっちゅーねん)。8郎夫妻はもちろん、名護から2日連続で応援に来てくれたじいじ、ばあばも固唾を飲んで見守ります。

 10郎は最後の大会に向け、プライドを捨て「ショートアームに戻す」という決断を下していました。父と二人で作り上げたショートアームで再びマウンドに立ったのです。8郎もうれしかったです。自分の努力を信じて、チバリヨー、10郎!

 思い切り腕を振っていました!

 ズバン!

 スピードガンはありませんでしたが、親ばか8郎の「勝手に計測」で、10郎の自己最速121㌔/時と認定させていただきます! 三振こそ取れませんでしたが、すべて凡打に打ち取り、三者凡退で締めました。一番の課題だった「初球はストライクから入ること」をまず実践。苦手としていた小柄な子(ストライクゾーンが小さいので。笑)にもど真ん中ストライク! さらに前の打席で柵越えホームランを打った強打者を内野フライに抑えました。

※その後、最終回で打順が回ってくる予定だったのですが、1イニングで投手交代されたため打順もなし。親としては怒りにも似た残念な気持ちでいっぱいでした。いつも温厚なじいじも「ピッチャーから降ろしても外野にコンバートすればいいじゃないか。前の試合であれだけのバッティングをしたのに打たせないまま下げるなんておかしい。この試合も十郎のほかに誰も打ってないじゃないか」と不満だったそうです。全くその通りだと思います。

 結果、0対5の完敗。1安打しか打てずの完封負けでした。4位という結果でした。ぶんぶん振ってくる相手のパワー野球に完全にねじ伏せられたのです。昭和のバント野球、ヒットエンドラン野球の限界を感じましたね。この日を振り返れば4強チームでうちだけがホームランゼロでした。今や強豪同士なら1試合で普通に3~4本柵越えが出る時代です。長打を狙っていかなければ勝てませんよね。時代とともに野球も変わるのです。采配も変えなければならないはずです。

 10郎の個人成績は2打席で四球と2塁打(出塁率10割)、盗塁も決めました。投げては1イニング無安打無失点さらに無四球。何一つマイナス要素がない最高の成果でした。最後の活躍を親ばか御免で短い動画にまとめました。(打)二塁打→(投)初球ストライクの順です。

 ということで、4年にわたる10郎の学童野球は出場機会としては消化不良に終わりました。県大会優勝、個人としては公式戦通算12本目のホームラン、時速120㌔超えのストレートという3つの目標を叶えることはできませんでした。しかし、最後の試合のスコアブックを確認すると、10郎は父との約束を一つだけしっかりと果たしていることが分かりました。それは「1イニング12球で終えること」です。打たれなくてもフォアボールで降板させられる事態を打開しようと、昨年夏ごろから父子二人で掲げた数値です(本当は11球と言いたかったのですが親の甘やかしで12球にしていました)。学童野球最後のイニングは、3人のバッターを11球で打ち取り、目標より1球少なく達成していたのです。間違いなく努力が結果を導いていたのです。投打ともに少ないチャンスで成果を残した息子を誇りに思います。よくやったね、10郎。

 

 試合後は地元チームから選抜チームに選ばれた唯一の相棒N君と記念撮影。N君も最後の試合は一度も出場機会をもらえませんでした。絶対にスタメンに名を連ねる選手だったと思っていたのですが。。。悔しいけど、いつか大人になった2人が、この悔しさを野球談議として振り返ってくれるといいな。でも2人とも「もっと出たかったけど選抜チームは楽しかった」と言ってくれました。選抜のブラックのユニフォームは君たち2人が一番似合ってたぞ!

 優勝はこそなりませんでしたが、県4位というのは素晴らしい成績であることに疑う余地はありません。「10郎とN君をスタメンで使えば優勝🎖できたのに」という8郎夫妻の心の叫びは置いておいて(笑)、このような素晴らしい大会を学童野球生活の最後の最後に設けてくれた関係機関と、2カ月間、週末の練習を指導していだいた監督、コーチ陣、サポート母ちゃん方々には心より感謝申し上げます。本当に楽しかったです。ありがとうございました。

 夜の4位祝勝&残念会では親子ともども楽しく打ち上げることができました。

 

 さて、今後の10郎ですが、市内の強豪硬式野球クラブに入団する方向です。ただ、まだ悩んでいるみたいなので、来週の体験会を受けてから決めてもらおうと思います。最後は本人の決断を尊重したいと思います。塾にも通わせるので、野球優先とはいかない事情もあります。8郎家の家訓は、一に勉強、二に野球、三、四がなくて(・・・以後省略)ですから。

 

 最後に妻が撮影してくれた父子バックツーショットで終わりたいと思います。父子の身長差はまだ13㌢ほどありますが、股下の長さですでに追いつかれていると妻から指摘を受けました。写真を確認すると本当でした(笑)。

 10郎、父ちゃんはこれからは仕事と勉強で忙しくなる。特に今後数年は一家を支える父として、サラリーマンとして、人生最大の踏ん張りどころ、勝負どころとなる。いつまでも君の野球のサポートに時間を費やすことはできないんだ(永遠にしていたいけどね)。これからは監督、コーチの指導に耳を傾け、その意味を自分で考えて理解し練習に取り組んでほしい。

 今回のようにチャンスが与えられなくても、いい選手になるためには腐っている時間はないんだ。次に必ず巡ってくるチャンスで最大のパフォーマンスを発揮できるよう、常に準備をしておくんだ。それが自主練です。人生で最も息子に伝えたいことを学童野球を通して体験してもらったつもりです。まぁ、8郎が言わなくてもイチローさんの名言「準備がすべて」の一言に尽きるのですが。

 以上、出場機会に恵まれなかった悔しさと同時に、父との約束を果たす「11球」という有終の美を飾った愛息10郎の学童野球最後の大会の激闘をお伝えしました。4年間、小さな二刀流に温かい声援をいただいたブログチェッカーの皆様にも感謝申し上げます。本当にありがとうございました! カテゴリー「学童野球」も今回が最後の記事となるはずです。中学からは「中学野球」にする予定です。。。あくまで予定ですよ。

 中学のことは置いておいて、最後なのでまた言わせてください。

 

 勝っても負けても(そして例え出場機会が少なくても)

 野球ってサイコー!です。