JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

良妻、口に甘し

2008年05月17日 | g-i

今日は風も気持ちの良い爽やかな一日でした。
午前中は珍しく仕事なんぞをして、帰宅後はいつもの土曜日のごとく趣味部屋の掃除。でもなんだかそれだけではもったいないような天気なので、水遊びよろしく水槽掃除も兼ねて久しぶりにカメ太と遊びました。(笑)

あいかわらず甲羅をこすり洗いすると「キーキー」反抗するんですが、それでも私を追いかけてきたり(私に馴れているということでは無いのですよ)、そこそこ遊び相手になってくれます。ひょっとして今我が家で、まともに私に付き合ってくれるのはこいつだけかもしれませんね。

そういえば、恒例の『サラリーマン川柳』のトップテンが発表され、
「今帰る」 妻から返信 「まだいいよ」 えむ
なんてぇのが第二位に選ばれてました。オヤジの悲哀はいずこも同じ、しみじみと伝わってきます。
私の場合は
帰っても 待っているのは カメ太だけ
てなところでしょうか。

それにしても毎年素晴らしい作品のオンパレード、ただただ感服するばかりです。
一位ではありませんでしたけど
減っていく・・・ボーナス・年金・髪・愛情  ピュアレディ
とか
国民の 年金、損なの 関係ねぇ  官僚
なんて、いかにもといった句で、特に後の句の作者が「官僚」てのが洒落てますよね。

円満は 見ざる言わざる 逆らわず  ソクラテス
なんてぇのも作者名が洒落てます。恐妻家の代表選手ソクラテスの域までこの方は達したのでありましょう。涙が出てしまいますねぇ、ほんと。(笑)

ともかく、トップテンはもちろん、それを逃した作品も秀作ばかりです。第一生命のHPで公開されていますから、みなさんも楽しんでみて下さい。


今年も庭のテッセンが満開です。

恐妻家の話が出ましたが、私の理想とする奥様像を言わせていただくと、そうですねぇセロニアス・モンクの妻、ネイリーあたりでしょうか。
夫のためならどんな犠牲もいとわない、モンクがどんなに悩みの時にあっても夫を支え、時には母のようにあまえにこたえる。最大の理解者であり協力者であり続ける。少なくとも家庭において変人モンクが人間らしく過ごせた最大の功績者、それが妻ネイリーであったことは間違いがありませんもん。
・・・・・・だけど、今どきこんな奥様像ははやんないんだろうなぁ
それでも、「良妻、口に甘し」そうあって欲し~~~い、なんてね。

さて、今日の一枚は、そんな流れでモンク、といってもリーダーはコールマン・ホーキンスです。
正規録音としては、モンクの初レコーディングが納められたCDということになります。(あくまで、ライブを突発的に録音したとか、レコード化を目的としなかった録音とかいうものを除いてということ(参照 http://blog.goo.ne.jp/h-babu0717/e/a6736b8943d48e7a63b5ed6194b16b42

1963年頃から『ミントンズ・プレイ・ハウス』への出演もめっきり減って、さらには、個性的であるが故にメンバーとしてのお誘いもほとんど無かったモンクを、1944年にレギュラー・ピアニストとして迎えてくれた恩人、それがコールマン・ホーキンスでした。
これにはモンクもよほど感謝していたのでしょう、後の「MONK'S MUSIC」での共演、そして、1969年すでに死を待つばかりとなっていたホーキンスの世話を、自ら買って出たりと、生涯この恩を忘れることは無かったようです。

このCDにはそのグループでの録音、「ON THE BEAN」「RECOLLECTIONS」「FLYIN' HAWK」「DRIFTING ON A REED」の四曲が納められています。(レイ・ブライアント、ハンク・ジョーンズ、クライド・ハートらとは明らかに違うピアノは、曲名をあげるまでも無いかもしれませんが)
ここでのモンクは、かなりホーキンスに気を遣いながら演奏していると思いますよ。それでも特徴が出てしまうモンク、う~ん、他のミュージシャンからお声がかかりにくかったのも納得がいくところでしょうか。

こうしてまだまだ、モンクの不遇時代は長く続くのでありました。
だ・か・ら、それを支えたネイリーは凄いって・・・・・・・(しつこい)

BEAN AND THE BOYS / COLEMAN HAWKINS
1944~1959年録音 (モンク参加セッションは1944年10月19日)
モンク参加セッション・メンバー
COLEMAN HAWKINS(ts) THELONIOUS MONK(p) ED ROBINSON(b) DENZIL BEST(ds)
他のメンバー
PEPPER ADAMS(bs) RAY BRYANT(p) MILT JACKSON(vib) JONAH JONES(tp) PIERRE MICHELOT(b) FATS NAVARRO(tp) JEROME RICHARDSON(fl,as) MAX ROACH(ds) EDDIE BAREFIELD(cl,as) COZY COLE(ds) ROY GAINES(g) WALTER BOLDEN(ds) KENNY CLARKE(ds) HUBERT FOL(as) CLYDE HART(p) MILT HINTON(b) HILTON JEFFERSON(as) J.J. JOHNSON(tb) PORTER KILBERT(as) WENDELLMARSHALL(b) NAT PECK(tb) CURLY RUSSELL(b) IDREES SULIEMAN(tp) WALTER THOMAS(ts) WALTER FOOTS THOMAS(ts)

1.IN THE HUSH OF THE NIGHT
2.OUT TO LUNCH
3.EVERY MAN FOR HIMSELF
4.LOOK OUT JACK !
5.ON THE BEAN
6.RECOLLECTIONS
7.FLYIN' HAWK
8.DRIFTING ON A REED
9.I MEAN YOU
10.BEAN AND THE BOYS (Take 1)
11.BEAN AND THE BOYS (Take 2)
12.COCKTAILS FOR TWO
13.YOU GO TO MY HEAD
14.STASCH
15.TRUST IN ME
16.ROLL 'EM PETE
17.SKROUK Skrouk
18.SINCE I FELL FOR YOU
19.MY BABE


無駄にならなくて良かった・・のか?

2008年05月16日 | a-c

夜の10時半に人を呼び出しておいて、行ったらすぐにオネムモードってバカは何処のどいつだぁ~~~~!
まずは文句の一つを叫ばしていただきました。(笑)

というのも、昨晩風呂から上がり、さてビールでも飲もうかなって時にS君からの電話
「まだ飲んでねぇ?ほんじゃ出てこい!」との命令口調です。
そりぁいつもお世話になっているS君のことですから、むげに断るわけにもいかず、車を飛ばして行ってみれば・・・あ~た、もうすでにS君は出来上がり、目がトロッとしてるじゃござんせんか。
なんちゃありません、すぐにでも寝そうな雰囲気に、あたしゃ彼の代行タクシーを手配するのに出かけたようなもんでござんすよ。
とはいうものの、それだけで帰ってくるのも芸がありませんから、結局いつものバーで飲み直してきたんですけどね。

「あっ、来た来た、バブが来た」
って、オイオイ
「逢いたかったのよぉ、バブ」
とは、以前このブログにも登場していただいた常連さん△さん。

「なんだい、逢いたかったなんて、俺に惚れたんじゃアルマーニ」
するともう一人の常連さん○さん(こちらは男性ですよ)が
「お~~~~」
「んなわけないでしょうよ、今みんなでバブの噂話してたのよ。そしたら久しぶりに逢いたいなぁって、そこに来たからビックリ、みたいな」
なんにせよ、私ごときに逢いたいとおっしゃっていただけるのは嬉しいかぎりで、ありがたきは飲み友達でやんすか。(笑)
ともかくこうして、人を呼び出しておいてすぐにつぶれたS君に代わりに、ママと△さんと○さんが美味しい酒に付き合ってくれたというわけです。

ガソリン代と代行タクシー代が無駄にならなくて良かった良かった・・・・・あれ?飲んでること、それが無駄か?????」

・・・・・・だけどどんな噂話してたんだろう??????

さて、今日の一枚は、ペッパー・アダムスです。
昨日、飲み屋へ向かう車中、入れ替えたばかりの携帯プレーヤーで「CHET」を聴いていて「アダムス聴きたい」と思い取り出したアルバムです。

「ENCOUNTER」は「遭遇」、「偶然に逢っちゃった」みたいな感じ?
昨夜の私達は「ENCOUNTER」とはいえないかもしれませんが、このアルバムは、マリオ顔のアダムスがズート・シムズ、トミー・フラナガン、ロン・カーター、エルヴィン・ジョーンズと出会い「一発、演ってみんか」的にレコーディングしたとでも言いたいのでしょう。
でも内容は、たまたま集まって演奏しちゃったというには完成度が高く、アダムスとズートが二管とは思えない厚みある演奏を聴かせてくれます。
まぁ、この面子ならひょっこり逢っても、この程度の演奏はあたりまえってことなのかもしれませんが。

アダムスのバリトンというと、ゴリゴリ・ブリブリが特徴、ここでも聴かせてくれます。ワンホーンで聴かせる「I'VE JUST SEEN HER」なんて、アダムスの魅力いっぱいだと思いますよ。

ENCOUNTER ! / PEPPER ADAMS
1968年12月11,12日録音
PEPPER ADAMS(bs) ZOOT SIMS(ts) TOMMY FLANAGAN(p) RON CARTER(b) ELVIN JONES(ds)

1.INANOUT
2.STAR-CROSSED LOVERS
3.CINDY'S TUNE
4.SERENITY
5.ELUSIVE
6.I'VE JUST SEEN HER
7.PUNJAB
8.VERDANDI


無理矢理分けなくても

2008年05月15日 | a-c

いやあ気持ちいいですねぇ、やっぱり雨でぐずぐずより太陽さんが微笑んでくれたほうがだんぜんよろしいわけでして、寝不足も解消した今日は気分良く過ごすことが出来ました。

ここ何日間かカセットテープの選別やら、そろそろ飽きてきた車内用に使っている携帯プレヤーの曲の入れ替えやらを、お酒飲み飲みやっているので、暇な時間が無くなったというなかなかいい感じなのでありますが、

毎回曲の入れ替えをしながら思うことは、ほら、あのネットを使って自動的に曲名がダウンロードされるサービスがあるじゃないですか、あれあれ、あれのジャンルわけの面白さなんでありまして。
何処のどなたがジャンル決めをされているかは知りませんけど、かなりいいかげんですし、ジャンル分けそのものの無意味さも感じます。

「なになに、チェット・ベーカーの「CHET」は「クール・ウエストコーストジャズ」ふむふむ、アート・ファマーの「ART」は「ジャズ・一般」ね、そんでもってコルトレーンの「SOULTRANE」に、ケニー・ドリューの「THE KENNY DREW TRIO」あたりは「バップ」?まぁハード・バップも含めてってことかな。でも「SONNY CLARK TRIO」は「ジャズ・一般」だなぁ・・・えっ?「RAY BRYANT TRIO」が「ソウル」??????スタンレー・タレンタインの「DEARLY BELOVED」が「フリー・前衛ジャズ」って、オイオイ」

私などはただただ車中で流しっぱなしで、携帯プレーヤーのジャンル分けはほとんど関係ないからいいものの、ジャンル選別で再生されているような方はやはり戸惑うんでしょうね。

こうなってくるといろいろ試してみたくなるもんで、LPでは確認できませんから、CD所有のものを何枚か調べてみました。
スタンリー・タレンタインは他のブルーノート版が「ジャズ・一般」になっていましたから、完全にデータミスでありましょう。
それでも「DEARLY BELOVED」が「フリー・前衛ジャズ」なら、コルトレーンあたりはどのへんからフリー扱いになるのかなぁ、なんて思ったら、あれあれ、ほとんどが「ジャズ・一般」か「バップ」ですねぇ・・・「EXPRESSION」が「バップ」っていうのも笑っちゃうけど
オーネット・コールマンの「FREE JAZZ」が「バップ」だったら大笑いだとやってみましたが、さすがにこれは「フリー・前衛ジャズ」と出てきました。
ドルフィーはほとんどが「フリー・前衛ジャズ」で表示されるようですし、このへんはおそらくはリーダー・ミュージシャンの名前でジャンル分けしているようにも思えます。
「GETZ / GILBERTO」は「ラテン」スタン・ゲッツ場合は「ジャズ・一般」のものもずいぶんありますから、これはミュージシャン名だけで分けているのでは無いようで、ほんじゃキャノンボール・アダレイの「BOOSA NOVA」は?「ジャズ・一般」、
「さて、電化ものはどうかな?」
ハービー・ハンコックの「HEAD HUNTERS」が「フュージョン」、マイルスの「BITHES BREW」なんて何故かDISK1が「ジャズ・一般」、DISK2はこともあろうに「クール・ウエストコーストジャズ」の表示が(ちなみに「DOO-BOP」も「クール・ウエストコーストジャズ」でした。)「クール・ウエストコーストジャズ」とはなんと幅の広いジャンルなのでありましょうか(笑)

そもそもジャンル分けなどというものに無理があるのかもしれません。
例えば、リズムが決まっているとか、決まった音階があるとか、ハッキリしているものはいいですけど、特にジャズなんて定義を探すのが難しいくらいですから、あとは「○○っぽい」で分けるみたいなところがおおいにあって、個人差が生じて当然でありますもんね。
なんだかへんに細かく分け過ぎてんじゃないかなぁ?
何も無理矢理分けなくても、単純に「ジャズ」だけで良いようにも思うし、「おそらくジャズかな」とか「ジャズっぽいよね」みたいなのも「えいやぁ」で「ジャズ」でいいじゃん、みたいな(笑)
それじゃあ、みなさんは納得できないんでしょうかねぇ・・・・・

さて、今日の一枚は、ジーン・アモンズです。
このアルバムは何ていうジャンル表示になるでしょうねぇ?
キャノンボールの「BOOSA NOVA」が「ジャズ・一般」ですから、同じかもしれません。残念ながらCDを所有しておりませんので確認できませんけど。

そんなことを言いつつも、このアルバムはキャノンボールの「BOOSA NOVA」とは少々内容が違うように思います。
ボサノヴァと銘打っているわりには、全てがボサノヴァという雰囲気じゃないし、う~~ん無理矢理ジャンル分けするなら「ラテン」かな?

正直言って、アモンズの野太い粘りけのあるテナーがラテン音楽に合うかというと疑問があります。「ボサノヴァは金になる」といったさもしさが見え隠れするように思うのは私だけでしょうか?
そういった意味でアモンズ好きには物足りない一枚かもしれません。
それでもたまにこうして聴いてみると・・・・・・・・・
わかった、ジャンルは「ちょっといやらしいラテン」だぁ、このジャンルでいけばなかなか良い一枚ですよ。

BAD ! BOSSA NOVA / GENE AMMONS
1962年9月9日録音
GENE AMMONS(ts) BUCKEY PIZZARELLI(g) KENNY BURRELL(g) HANK JONES(p) NORMAN EDGE(b) OLIVER JACKSON(ds) AL HAYES(bongo)

1.PAGAN LOVE SONG
2.CA'PURANGE (JUNGLE SOUL)
3.ANNA
4.CAE CAE
5.MOITO MATO GROSSO
6.YWLLOW BIRD


どうして、どうしてなの?おせぇて

2008年05月14日 | j-l

一日中雨が降ったりやんだり、気温も上がらず、こんな日は気持ちもブルーになりがちです・・・・・・・・・
っていうか、じつは昨晩一度帰宅したにもかかわらず、またしても誘われるままに飲みに行ってしまいましてね、結局寝たのは午前3時近く、寝不足で頭が重かったというのがブルーな気持ちの原因だったりするんです。(笑)

そんなブルーな日の昼食でのお話をひとつ

「バブさん、この海老フライ、何海老のフライなんすかねぇ?」
と、バカデカイ海老フライを注文した同僚
「え?ブラックタイガーかなんかだろ」
「え~~ブラックタイガーって、こんなデカイのあるんすかぁ~~~」
「うるせぇなぁ、ブラックタイガーでも車海老でも大正海老でも甘海老でも伊勢海老でもなんでもいいから、黙って喰え!」
「でも、輸入もんには違いないだろうし・・・バブさん、海老の種類って何種類くらいあるんすかねぇ?」
「うっせぇよ!」

とは言ったものの、確かに泳ぐ魚に関してはそこそこ種類を気にするくせに、海老の種類、ましてフライになった海老などそうそう気にしたことはありませんでしたし、正直違いも今ひとつわからない気がします。
みなさんはわかりますか?
ボタン海老・甘海老・車海老・芝海老・白才海老・クマ海老・ブト海老・紋付き海老に大正海老、ピンク・ホワイト・バナナ・フラワー・タイガー・エンディバーにキングと、これ全て見分けられる方、あるいは食べればわかるという方、手をあげて(笑)

まっ、わからないことを訊かれたので「うっせぇよ!」なんて言っちゃったんですけどね。そしたらあ~た、こちとら寝不足でブルーなのにさらにこんなこと訊いてきたんですよ。
「バブさん、大正海老って日本の海老ですよね。大正って大正時代の大正でしょ、明治時代には大正海老は何海老って呼ばれてたんでしょ?」
3歳、4歳児の「どうして?どうして?」じゃあるまいし、よくもまぁたかだか海老フライから次々と疑問が生まれるもんであります。
もちろん、私が知ってるはずもなく、答えもせずに昼食は終わりましたけどね。

ところが、そのバカの「大正海老が昔はなんて呼ばれていたか」という疑問が頭から離れませんで、調べてみちゃったわけですよ。
すると、答えは簡単、
大正海老が、朝鮮半島沖で網にかかり、日本にはじめて持ち込まれたのが、大正9年のことだったそうで、日本人が食べるようになったのはそれ以降なんだそうです。ですから、江戸時代はもとより明治時代にだって大正海老そのものが存在していなかったと、そういうことなんです。
ところが
「あ~あ、大正時代に見つかったから大正海老ね」
と思いきや、これはさにあらず
当時この海老を輸入していたのは、下関市場の二つの業者。最初はこの業者が大海老、芝海老、クマ海老、小海老なんていうそれぞれバラバラの名前で売ってたんだそうですが、この二つの業者が合併しまして、社名を「大正組」としたんだそうで、さらにバラバラの名前で売っていたこの海老を、社名から大正の字を取って大正海老と命名したと、まぁそういうことらしいのです。

3歳児なみの思考回路の同僚のおかげで、一つお利口さんになることが出来ました。(笑)
「ところで、じゃあ、芝海老と大正海老は同じもんかい???????」
だははははは、私まで3歳児なみになりそうです。


これは車海老

さて、今日の一枚は、プリンス・ラシャです。
ラシャに関しては、好き嫌いがおおいにあるでしょうねぇ
「俺が吹いてるときは、なんも考えてないよ。指が勝手に動くから」みたいな演奏を良しとするか、「なんじゃこりゃ」と思うかは、私などどちらも否定できませんもん。
よく、エリック・ドルフィートとの比較をされるかたもいますが、私は全く別ものとして考えています。だって、ドルフィーはここまでハチャメチャ自由とは違うでしょ。(ドルフィーとの共演盤もありますが)

このアルバム、「INSIDE STORY」のジャケデザインになっていますが、じつは「SERCH FOR TOMORROW」とのカップリングCDです。ラシャを感じるにはじつによい組み合わせだと思います。

けして胸を張ってお勧めはしません。だけど、これを聴いてちょっとでもハマった方がいらしたら、ラシャの世界に泥沼のようにのめり込む可能性もあると思いますよ。

INSIDE STORY - SERCH FOR TOMORROW / PRINCE LASHA
1965年[1~5],1974年[6~8]録音
PRINCE LASHA(as,fl) HERBIE HANCOCK(p) CECIL McBEE(b) JIMMY LOVELACE(ds)[1~5]
PRINCE LASHA(as,fl,bs) HUBERT EAVES(p) RON CARTER(b) ROY McCURDY(p) KENNETH NASH(ds)[6~8]

1.ETHEREAL
2.FLIGHT
3.KWADWO SAFARI
4.INSIDE STORY
5.MARY
6.FOR THE CHILD
7.SERCH FOR TOMORROW
8.MAYFLOWER


乗り越えろ「5月の嵐」!!

2008年05月13日 | s-u

それにしても寒い(?)日が続きますね。先日ストーブの片付けを拒んだ母など「それ見たことか」と得意げであります。
ミャンマーのサイクロン、中国の大地震とその母に言わせれば「やっぱり地球が怒ってんだな」なんだそうで、たしかにそんなふうにさえ思えます。
私は「神を信じませ~~ん」のほうですけど、今年に入っての中国国内のゴタゴタは、今回の地震も含め、オリンピックを前に、いよいよ国際的影響力を付けてきた中国をまるで神が試しているかのようで、先日来日された胡錦涛さんもさぞかし頭が痛いことでしょう。ともかく、生存者の一刻も早い救出と、さらなる被害が拡がらないことを祈りたいと思います。

日本では春なのにいっぱしの台風が近づいたりして、まぁ今回は大きな被害もなく過ぎ去ってくれそうです。そんな今日、5月13日は『5月の嵐の日・メイストームデー』なんだそうでありまして、
「なになに、別れ話を切り出すのに最適とされる日?別れ話を切り出してもよい日?嵐のようにけんかをして別れてもいい日?????なるほど」

そもそも『メイストーム』とは1954年、5月9日から10日にかけて日本海を発達しながら通過した低気圧、今流で言うと『爆弾低気圧』がもたらした嵐につけられた名前なんだそうで、東北や北海道では300人以上の人が亡くなり、300隻以上の船被害を受けたそうですから、たいへんな嵐であったのでしょう。
ですから実際の『メイストームデー』は、5月9日か10日だろうと思うのですが、何故に今日なのか?
先日の八十八夜に母がのたまった「八十八夜の別れ霜」との名言に係わる話でして、つまり『バレンタインデー』から八十八日目にあたる今日を『別れの日』として、しかも、たまたま被害をもたらした嵐の名前をいただいちゃおうてな、なんとも、都合の良いものをひっつけ合わせて作り上げた日なのであります。

『バレンタインデー』に「○○さん、これ受け取って下さい。」なんて、まぁそれまではさほど気にも止めていなかった女の子にコクられたりすると、
バカな男は「じつは僕も前から・・・・」なんて何故かその気になって、付き合っちゃったりして、
男はどんどん熱を上げ、『ホワイトデー』には分不相応な出費で彼女に奉仕、「僕の愛は永遠だよ」てなこと言ってたと思ったら、
今日『メイストームデー』には、「付き合ってみて始めてわかったけど、あんたって△△なのよね。つまんない。八十八日が限度だわ!」
春でも女心は秋の空、何故かふられるのはコクられたはずの男だったりするわけですな。
「けっけけけ、ざまぁみろ」
いやいや、同じ男として同情します。純な男を惑わす女、これは許せないわけですよ、はい。(笑)
せいぜい今日を乗り越えて、来月12日の『恋人の日』まで、バカ者どもの仲が続きますよう、オジサンは祈っておりますよ、ほんとに。
あらら、神も信じないお人が、今日は二度も祈ってしまいました。(笑)

「バカ者の心配なんかしてないで、自分の心配をしたほうがいいと思うよぉ、若者は立ち直れるけどオジサンはねぇ」
「・・・・・・・・・・!?」

さて、今日の一枚は、スタンリー・タレンタイン、シャリー・スコット夫妻です。
以前も何度か言ったことですが、私はこの二人がいっしょに演った盤はどれも好きで、このアルバムも比較的ターンテーブルに乗ることが多いアルバムだと思います。
そんな二人が離婚してしまったのは1970年、私的には残念に思う別れでした。
このアルバムの翌月録音されたアトランタの「SOUL SONG / SHIRLEY SCOTT」を最後に二人の共演がないことを考えると、別れを告げたのは翌年の『メイストームデー』かな?・・・・そんなこたぁないでしょうが(笑)

シャリー・スコットのオルガンは、エディ・ロックジョウ・デイヴィスとの共演盤「JAWS」なんかでもそうですけど「いかにもテナーだぁ」という音を、最大に活かす術を知っているように感じます。
彼女のオルガンの前では、タレンタインのテナーも気持ちよさそうで・・・・やっぱり別れた原因は「結婚してみて始めてわかったけど、あんたって△△なのよね。つまんない!」だったんでしょうか?それともありがちの不倫というヤツだったんでしょうか?
いかんいかん、どうも芸能レポーターのようにそこへ固執してしまう。

ともかく赤い薔薇に祝福された(「DEARLY BELOVED」)二人の演奏は終末を迎えるわけです。
男女の仲は、まわりがとやかく言ってもさもないこと、だけど、二人の演奏はもう少し続けてくれても良かったかな、なんてね。

COMMON TOUCH / STANLEY TURRENTINE
1968年8月30日録音
STANLEY TURRENTINE(ts) SHIRLEY SCOTT(org) JIMMY PONDER(g) BOB CRANSHAW(el-b) LEO MORRIS(ds)

1.BUSTER BROWN
2.BLOWIN' IN WIND
3.LONELY AVENUE
4.BOOGALOO
5.COMMON TOUCH
6.LIVING THROUGH IT ALL
7.AIN'T NO WAY


酔いどれバブは、天使か悪魔か?

2008年05月11日 | p-r

「今日もまた暇な一日になりそうだなぁ、何しようかなぁ・・・」てなこと考えていたのですが、S君からの電話で彼の事務所へ出かけたり、Mさんの呼び出しで出かけたりとそこそこ用事が出来きて、「まぁ、一日家でゴロゴロしているよりは良かったかなぁ」なんて思っています。

それでも、時間が全部つぶれたわけでもなく、先日録画しておいた黒沢明監督の「酔いどれ天使」を見る時間は充分にありました。
じつは、昨日も言ったように、私は邦画をあまり得意としません。ですから黒沢作品も有名どころしか見ておらず、今回のNHK-BS『没後10年 黒沢明特集』を密かに楽しみにしていました。

「酔いどれ天使」もそんな中の一本。三船敏郎を始めて起用した作品ということもありますが、マイク・モラスキー著「戦後日本のジャズ文化」で<天からの視点~黒沢明の『酔いどれ天使』>というかたちで取り上げられていたこともあって、見てみたいと思っていた映画だったのです。

おっと、勘違いしないでください。私はこの映画に、例えば「死刑台のエレベーター」のような、あるいはもっとストレートに「ラウンド・ミッドナイト」のような「ジャズ映画」を期待したわけではありません。
モラスキー氏も戦後日本に於けるジャズの捉え方(つまりジャズ=ダンス音楽、あるいは流行歌以外のポピュラー全般といった)の一例としてこの映画を取り上げているだけで、つまりそれは現在認識されるジャズとはかなりかけ離れたものであるからです。

それでも、ジャズのビック・バンドらしき前で歌い踊る笠置シズ子の「ジャングル・ブギ」(いわゆる服部良一によるブギウギ・シリーズの一曲でありますが)なんか聴くと、それが本来のブギウギではなくとも、ジャズと呼べるのか?との疑問符が付こうとも、当時の「ジャズをながすダンスホール」のエネルギーを感じるには充分でありました。

まぁ、そんなことは別にして、やはり黒沢作品というものは引き込まれる何かを持っていますね。そして、白黒であればこその迫力を特に感じました。
松永(三船敏郎)が真っ白になって死んでいくさまなど、今の映画には出せないリアリティーというか、強い印象をかき立たせるというか・・・・

NHKでは今年いっぱいかけて黒沢作品30本を放映するそうですし、すでに「野良犬」「わが青春に悔いなし」も録画済み、見るのが楽しみです。

ところで、いつも酔いどれの私は、天使か悪魔か?
どっちでもいいか(笑)

そんなこんなで、黒沢作品に酔いながらも料理当番は逃れられないわけでして・・・
『料理当番、今日の一品』です。
「酔いどれ天使」に時間を取られましたので、簡単に出来る和洋折衷メニューにしました。

まずは私のつまみ兼用「タコのマリネ」です。オリーブ・オイル、ワイン酢、塩、胡椒、醤油(ほんのちょっと)にタマネギのみじん、大葉を混ぜ込みマリネしました。

こちらは、厚揚げ、白ネギ、シメジ、アスパラを網で焼き、とろみを付けたみぞれ餡をかけました。
これに味噌汁、キュウリ揉み、30分もかけずに作ったわりには好評でした。

さて、今日の一枚は、ソニー・レッドです。
モードといってもモードを演ってるわけじゃないんですけどね。(笑)
レッドの魅力は何かと考えると、迫力があるわけでもなく、極端に上手いわけでもなく・・・やはりメロディアスなところなんだと思います。
そういった意味でジョージ・タッカーのベースにのったレッドは、じつにメロディアス、「MOON RIVER」「I LIKE THE LIKES OF YOU」二曲聴いただけで、そんな魅力を感じ取れると思います。
彼の魅力を充分に味わえる一枚ではないでしょうか。

THE MODE / SONNY RED
1961年5月29日[2,4,6,7], 12月14日[1,3,5]録音
SONNY RED(as)
CEDAR WALTON[2,4,6,7],BARRY HARRIS[1,3,5](p) GRANT GREEN(g)[1,3,5] GEORGE TUCKER(b) JIMMY COBB(ds)

1.MOON RIVER
2.I LIKE THE LIKES OF YOU
3.SUPER-20
4.BYE BYE BLUES
5.THE MODE
6.NEVER NEVER LAND
7.KO-KEE


我が青春の悶々?

2008年05月10日 | p-r

昨日の続きになりますが、けっきょく昨夜は発掘されたカセット・テープを聴きながら一杯飲んでおりまして、
発掘テープの中に山崎ハコのテープがあったことは昨日も言いましたよね。全部で3本あったのですが、題名だけの選別でいくと「飛・び・ま・す」はLPが残っておりますので破棄、「綱渡り」はLPが無いのでまず保留、
「あれ?これ山崎ハコとしか書いてねぇじゃん」
タイトル不明ではしかたありません。早速聴いてみると

♪ 青い空 白い雲
  菜の花の小径を かけまわり ちょうちょとり
   遊んだふるさと ・・・・・・ ♪

「望郷」が聞こえてきました。
「あ~あ、「飛・び・ま・す」かぁ?」すると二曲目

♪ さり気なく手をふる ふり向きはしない・・・・ ♪

「今日からは」です。・・・・ということは、アルバム「軌跡」?

私はべつに山崎ハコを熱心に聴いていたハコ・フリーク(笑)ではありませんが、この「軌跡」というアルバムにはちょっとした思い出がありまして、特に最後の方に収録されている「織江の唄」が肝心なのであります。

香春岳(かわらだけ)は異様な山である。
けっして高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ。
            <五木寛之著『青春の門 筑豊編』プロローグより>

始めて『青春の門』が映画化されたのは1975年の信介が田中健、織江が大竹しのぶ、母親タエが吉永小百合のものだったのでしょうか?
なにしろその頃は「邦画がなんぼのもんじゃ!俺は洋画しか見ないぞ!」てな頃だったもので、私にとって『青春の門』は小説だけの世界でした。
その後、菅原文太や松坂慶子、佐藤浩市、杉田かおる、てな面々でリメイクされたシリーズがありましたよね。友人に見に行かないかと誘われたのですが、これも断りました。

話は大きく飛びますが
私が勤めだして間もないある日、学生時代のアルバイト先の先輩に横浜駅前でばったり会いまして、
「バブ君、久しぶりだねぇ・・・(なんたらかんたら)・・・せっかくだから飲み行こうか」
じつは、彼女(あっ、言い忘れましたが、大学は違ったのですが一年先輩の女性です。)は、私のバイト先での最大の汚点・・・いや、そう言っては失礼になりますね。え~~~酔った勢いってやつですか、そんなことがあった方だったわけです。(彼女も割り切った方で大きな問題にもならなかったのですが)
いちおう当時私にはお付き合いしている女性がおりましたし、そんな彼女とまた二人で飲みに行くというのはどうかとも思ったのですが・・・(「おいおい、行ったのかい」)
案の定、酒は進み
「バブ君、今日はとことん飲むよ」
と誘われるままに彼女のアパートへ(でへへへへへ、私の節操の無さは、今も昔も変わりなしというか・・・・申し訳ありません。)
そこで彼女が話し始めたのが『青春の門』のことだったのです。
「あたしはね、あの小倉の丸屋旅館での信介と織江、あの場面、あの場面が好きなんよ。」
とかけた音楽が、山崎ハコの「織江の唄」だったわけで、映画『青春の門』リメイク版の主題歌です。

 ♪ 遠賀川 土手の向こうにボタ山の
   三つ並んで見えとらす
    信ちゃん 信介しゃん 
    うちはあんたに会いとうて 烏峠ば 超えてきた
    そうやけん 会うてくれんね 信介しゃん 
    すぐに田川へ帰るけん
    織江も大人になりました

    月見草 いいえそげんな花じゃなか
   あれはセイタカアワダチソウ
    信ちゃん 信介しゃん 
    うちは一人になりました 明日は小倉の夜の蝶
    そうやけん 抱いてくれんね 信介しゃん 
    どうせ汚れてしまうけん
    織江も大人になりました ・・・・・ ♪

その晩、それからどうなったかは、良く覚えてません。(「うそつけ!」)
だけどこれだけは思い出したんです。このカセットテープはその時にもらって帰ってきたものだったってことを・・・・
ひぇ~~~~~!このテープは捨てるべきでしょうか?とっておくべきでしょうか?

「今夜、信介さんがしてくれんじゃったら、うち、いつかきっとほかの男にされてしまう。どげん嫌いでも、こげな商売しとると逃げられんときがくるわ。いままで運がよかったとよ。もうこれ以上は、そげなふうにはいかん。だから、信介さん、して。そうしてうちの彼氏になって。そうすれば、うち、なんとか自分を守っていける。ね、信介さん」
                       <五木寛之著『青春の門 筑豊編』より、織江の台詞>
 ♪ 香春岳 バスの窓から 中学の
    屋根も 涙でぼやけとる
    信ちゃん 信介しゃん 
    うちはあんたが好きやった
    ばってん お金にゃ勝てんもん
    そうやけん 手紙くれんね 信介しゃん 
    何時か何処かで会えるけん
    織江も大人になりました ♪

あは、酔っぱらいそう。

さて、今日の一枚は、セシル・ペインです。
バリトン奏者というと、ジェリー・マリガン、サージ・チャロフあたりを押さえとけばいいか、ってなところがありますが、セシル・ペインもどうしてどうして、なかなかのものであります。とか言いつつ、じつは私も彼のリーダー盤は二枚しか所有していないんですよね。(笑)
サブでの盤では、以前紹介した ♪ダバ・ダバ・ダバ・ダバ・ダバダバダ、ダッダーダ、ダッダーダ・・・・・♪ の「TRIO & QUINTET / DUKE JORDAN」あたりが私には印象的です。

今日のアルバムも「TRIO & QUINTET」同様、オリジナルは『幻のレーベル』シグナルから発売になりました。(もちろん、私のはオリジナルじゃありませんし、オリジナルはジャケ・デザインも違うはずです。)
シグナルのハウス・ピアニスト的存在でもあり(といってもシグナルは一年余りの短命レーベルですけど)、ペインの親友でもあったデューク・ジョーダンがこのアルバムにも参加しています。
ペインのリーダー作としては代表作といって良い一枚だと思いますし、マリガンやサージとはまた違ったバリトンの表現を楽しめる一枚であるとも思いますよ。聴いて損はありません。

余談ですが、クインテット部に加わっているケニー・ドーハムがじつにいいんでありまして、ペインだけでなくドーハムにも注目すべき一枚であると思います。

PATTERNS OF JAZZ / CECIL PAYNE
1956年5月19,22日録音
CECIL PAYNE(bs) DUKE JORDAN(p) TOMMY POTTER(b) ART TAYLOR(ds) KENNY DORHAM(tp)

1.THIS TIME THE DREAMS ON ME
2.HOW DEEP IS THE OCEAN
3.CHESSMAN'S DELIGHT
4.ARNETTA
5.SAUCER EYES
6.MAN OF MOODS
7.BRINGING UP FATHER
8.GROOVIN' HIGH

おまけ、



今日の寒さはなんざんしょ、散歩でまわった近くの小学校では運動会をやっていました。暑すぎるのも困りますが、見ている父兄のみなさんは何だか寒そうな様子で、ちょっとだけかわいそうでもありました。

庭に咲いた花たちも、この気温差にはビックリしているようです。


『暇つぶし材料』ふたたび

2008年05月09日 | y-その他

「まったく我が家の納戸は、ドラえもんの四次元ポケットか!」と言いたくなってしまいます。
先日の「23年物の梅酒」もそうでしたが、今度は全て処分したはずのカセットテープが、お茶箱の中から約100本ほど新たに出てきたのだそうでありまして・・・・・・
「捨てていいんだったら、燃えないゴミで出すから」
「はぁ」
カセットテープを「貴重なものはCD-R(MP-3で)へ、それ以外はゴミ袋へ」という作業を4,5百本やり終えたのは何年前だったでしょう?
それを逃れて今ここに存在する100本とは????つまり、私が実家へ越してきて以来6年以上、一度も役割を果たしていないカセットテープということになります。

タイトルを見て、LPあるいはCDと重複するものは即処分出来きますよ。ところが、以前処理したときもそうだったんですけど「テープしか持っていなかった」てなものがけっこう多いんですよね。しかもCDのコピーなら時間短縮も出来るのですが、カセットからCD-Rへの書き込みとなると、録音時間以上の時間がかかるわけで・・・・・・
「どうせ忘れてたんだし、あきらめて全部捨てちゃえば」とは家人
確かにそうなんですけどね。でも「一度目にしてしまうと、そうもいかなくなっちゃう」って気持ち、わかるでしょう?
「なるだけ早く片付けるから」
「ついでにMDもどうにかしちゃえば」
「・・・・・・・」


とりあえず何だかわからない引き出しに入れて

「え~~と、とりあえずタイトルをチェックして、いらないものを振り分けよっと」
自分でいうのもなんなんですが、こと音楽関係というとけっこうマメな方でしてね。カセットテープのケースラベルもほとんどが色でジャンル分けしてあります。
「ジャズ系から見てこうか・・・・なになに、THE SQUAREにT-SQUARE、松岡直也にカシオペア、伊東たけしにMALTA、JVC SUPER SUMMER・・・なるほど私がアルバムを買おうという方々ではないなぁ・・・・・・えええええええ?!笠井紀美子?「LOVE CONNECTION」に「THIS IS MY LOVE」って、お~~い、どう見ても学生時代のカセットじゃんこれ」
ジャズ系だけじゃありません。和もんでいくと、石川セリに山崎ハコ、サディスティック・ミカ・バンドに加藤登紀子と長谷川きよし、あげくは寺尾聰ときたもんだ。趣味も趣向もあったもんじゃありません。洋もんだって、ビーチ・ボーイズにカーペンターズ、サイモン&ガーファンクルにレッド・ツェッペリン、クリームにヤードバーズにサンタナってあ~た(笑)
あげくは高校卒業時に後輩が贈ってくれたテープまで紛れ込んでいました。

ウン十年も眠り続けたカセットテープ、はたして彼らは生きているのか?????
あははは、けっこう大丈夫なものですねぇ、けっきょくはさっきから一本ずつ聴き直したりしています。
「やだねぇ、こりゃ面倒だわ」
って、けっこう喜んでたりしながらね。
これでまたしばらくの『暇つぶし材料』ができあがりましたとさ。

さて、今日の一枚は、話題にも出た笠井紀美子、私が唯一所有する盤です。
たしかこのアルバムは、ジャズ喫茶仲間、○内くんからいただいたものだったはずで、(自分で買うことは考えられません。...笑)完全にマイルスかぶれしていた○内くんが、何故に笠井紀美子ファンだったのか?は未だに不明ですが、「いいから聴け」と渡された一枚だったと思います。

笠井紀美子には全く興味を持っていなかった私ですが、そう、ちょうどV.S.O.P.が田園コロシアムでライブをやったあの時、といってもかの「LIVE UNDER THE SKY '79 / V.S.O.P.」の時ではなく、その2年前の1977年、アルバム「TEMPEST IN THE COLOSSEUM / V.S.O.P.」あの年です。つまり「第一回ライブ・アンダー・ザ・スカイ」の記念すべき最初のステージが彼女だったと・・・・・
我がや・さ・し・い姉が、ジャズ好きの弟のためにとチケットを取ってくれて聴きに行ったのでありました。たしか鈴木宏昌がキーボードを弾いていたと思います。
印象はというと・・・すいません私的にはあまり面白くなかったんです。(目的は二晩目と三晩目でしたから...笑)

その事を○内くんに話したら、このアルバムをくれたんじゃなかったかなぁ・・・つまり「スタンダードを歌う彼女を聴いてみろ!」ということだったのでしょう。
そもそもこのアルバムは、1972年にギル・エバンスが来日した際、同じく来日中のヘレン・メリルのレコーディングを行う予定だったのが、彼女の急な用事のため、急遽、日本人のボーカルでやってみようと作られたアルバムだそうで、スタンダードを歌う笠井紀美子は、なるほど○内くんが言うとおり悪くはありません。
でも、残念ながら私はそれ以降も笠井紀美子のファンになることはありませんでした。

SATIN DOLL / 笠井紀美子 with GIL EVANS ORCHESTRA
1972年6月26, 29日録音
笠井紀美子(vo) GIL EVANS ORCHESTRA

1.DAY BY DAY
2.POOR BUTTERFLY
3.BYE BYE BLACKBIRD
4.I FALL IN LOVE TOO EASILY
5.SATIN DOLL
6.I'M WALKIN'
7.WHEN SUNNY GETS BLUE
8.THRE'LL NEVER BE ANOTHER YOU
9.GOOD-BYE


何故か孫文を想う

2008年05月08日 | p-r

昨晩というか未明というか、ともかく地震には驚かされました。私はまだ就寝前の酔っぱらいでしたから、二回あったそこそこの揺れで目が冴えて一番大きかった三回目の揺れの時には、ガタガタうるさいウイスキーの瓶をひたすら押さえ込んでましたけど。(笑)
地域によっては多少被害も出たようですね、それでも大きな混乱もなくまずは一安心です。
川崎に住む姉など、気づかずにぐっすり寝ていて、今朝のニュースで知って慌てて電話をよこしておりましたが、訊けば神奈川でも3~4の震度があったそうですから、鈍感さは弟以上なのか、それとも弟同様飲み過ぎていたのか、いずれにせよ就寝時の地震というのは怖いものだと思わされました。

連休中はガソリン税だ後期高齢者医療だと騒いでいたマスコミも、胡錦濤中国国家主席の訪日のニュースに取って代わり、互いに「腫れ物には手をつけず外交」を繰り広げているようでありますが、訪日初日だったでしょうか「孫文が通った東京・日比谷公園内のレストラン「松本楼」で福田康夫首相との非公式夕食会を行った」とのニュースを聞いて、中国の「国父」「革命の父」孫文の名を久しぶりに聞いたような気がしました。

昔、愚息が高校生の時だったか、中学生の時だったか、孫文について説明するハメになったことがありまして。とはいっても、私が孫文のことをそれほど良く知っているわけでもなく、やれ「辛亥革命」とはとか、やれ「三民主義」とはとか、知っていることだけ理屈っぽくダラダラと話したものですから「おとうさん、もういいよ」と呆れられたことをふと思い出したのです。
彼を歴史嫌いにさせた原因の一つは、おそらく私であったことは確かですね。(笑)


本文には全く関係のないことですが、
ついこの前まで茶色だった風景が、真緑に変身していました。

「三民主義」とは孫文が唱えた、民族・民権・民生を三大主義とするという考え方であります。
そのうちの「民権」に関して孫文

西洋の「民」は「民権」の確立を求めて長年果敢にたたかってきた、しかしそのたたかいの結果として世界の「民」がこれまでに獲得し得たものは「選挙権」だけだ。
<中略>
「選挙権」が関与できるのは「立法」「行政」「司法」の三権のうち「立法」の一権にすぎない、それでは「民主在政府」、あるいは、たかだか「主権在議会、在政党」の政治はあり得ても、「主権在民」の政治は出来ないし、あり得ない、発想の根本的転換が必要である。

さすが孫文、いいことおっしゃいますなぁ、「民権」とは「民」が政治の全体を統率し管理すること、この権利は、神が治めた「神権」、君主が治めた「君権」と移り、「民権」へと移ったはずが、未だ「選挙権」を得ただけに留まっているというのでありますよ。
故小田実氏ではありませんが、現在の日本にも未だ「主権在民」が確立されていない事を実感させられるようなお話であります。

おっといかん、また息子に嫌われたような話をし出すところでした。(笑)

その孫文ゆかりのレストラン、日比谷公園にある「松本楼」で開かれた胡錦濤国家主席の歓迎の宴、「どうせなら両首脳、両国ともに、孫文が唱えた「民権」をもう一度考えてみてはいかがなものか」などと偉そうなことを思ったバブ君でありました。

さて、今日の一枚は、ドン・プレーン&ジョージ・アダムスです。
孫文にはなんの係わりもないアルバム、しかもこれまた、私が所有薄の80年代以降作です。(笑)

1987年の8月30日(たしか)、私は山中湖畔で「SONG FROM THE OLD COUNTRY」に大喜びをしていました。
あはははは、そうMt.フジ・ジャズ・フェスティバルでのことです。(その場に誰といたかは、分けあって申せませんが....笑)

私は、ともにミンガス・ワークショップ出身で、さらにジャズがクロスオーバーやフュージョンといった私が最も苦手とする方向へ流れつつある70年代、苦境に立たされながらもヨーロッパに渡ってまで我が道を貫いた彼らのバンドを、もっと真剣に聴いていても良かったと思うのですけど、その頃すでに「新譜には目もくれず」という闇の時代に入りつつあった私は、彼らのアルバムをほとんど聴かずに過ごしていました。
ですから、ドン・プレーンのあの拳でゴロゴロやるピアノも、野太いジョージ・アダムスのサックスも、このMt.フジで久しぶりに聴いたのであります。楽しかったですねぇ、

その後、結局はこのグループでの最終録音「SONG EVERLASTING」を購入して、さらにしばらくして「SONG FROM THE OLD COUNTRY」が収録されたこのアルバムを購入したというわけです。(日テレで放映になった同曲を、カセットに録音して持ち歩いたなんてこともありました。....笑)

でも、不思議なものですね、「SONG FROM THE OLD COUNTRY」に関しては「Mt.フジの演奏に勝るものは無い」なんて思ってしまいます。つまり、あれだけの大会場であっても、生のライブを見聴きする、それが一番ということなのでしょう。

ともかく、あの興奮を思い出しながら、♪タラタラ タラタラッタ タ~ラタッタター ・・・・♪って聴くことにします。

BREAKTHROUGH / DON PULLEN & GEORGE ADAMS
1986年4月30日録音
DON PULLEN(p) GEORGE ADAMS(ts) CAMERON BROWN(b) DANNIE RICHMOND(ds)

1.Mr.SMOOTHIE
2.JUST FOOLIN' AROUND
3.SONG FROM THE OLD COUNTRY
4.WE'VE BEEN HERE ALL THE TIME
5.A TIME FOR SOBRIETY

おまけ、
そのMt.フジでの「SONG FROM THE OLD COUNTRY」がYou Yubeで公開になっているようです。興味のある方はどうぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=AsdaaRgPlwE


最後は充実?

2008年05月06日 | a-c

連休最終日、少々風はあるものの、朝から絵に描いたような青空です。
「こりゃ家にいちゃあもったいねぇなぁ、どっか出かけようか。」
「ダメダメ、ガソリンは使うし、出れば出たでお金使っちゃうんだから」
自分の買い物には平気で車使わせるくせにまぁ、よくもおっしゃって下さいますよってんだい。

しかたがないので近くの公園までということで出かけました。
強い風もカラッとしていて、これだけの日差しには心地良いものでした。

公園内をぐるっと一回りしてくると、駐車場近くで若者がスケボーなどやっておりまして、
だけどね、そこはそもそもバスケを楽しむ場所なんでありますよ。
「よし、俺がちょっと言ってきてやる。」
「止めときなって」


若者は顔出しNGだと言うので、左下にチラっと

「おっ、スケボーかぉ、オジサンだって若い頃やったことあんだよ」
キョトンとする若者。
「だけど、ここでやっちゃぁマズイんじゃないかぁ、休日だしバスケやるヤツが来んだろ」
怪訝そうな顔をするので、やっちゃいました。
いやいやケンカじゃないですよ。車に積んであった息子の忘れ物、バスケットボールを持ち出したのです。
「おめぇらもいっしょにやんべ」
悪い連中かどうかは直感で分かるもんでありまして、『ワン・オン・ワン』ならぬ『ツー・オン・ワン』に付き合ってくれました。
あははははは、付き合ってくれたといっても、まともに私の体が動くわけもなく、すぐにバテバテ。
すると近くで遊んでいた子供たちが、自分たちもやりたそうに見ているもので、バトンタッチしながら小一時間ほどでしょうか、楽しんできました。
最初、怪訝そうだったお兄ちゃん達もけっこう楽しかったようで、よかったよかった。(笑)

思わぬ運動で汗を流せば、もう動けましぇ~~ん。そ~~~っと冷蔵庫からビールを出して、グビグビグビ「かー!ウメエ~~~~~」
午後からは全く体を動かす気力が起きず、いつものビデオ鑑賞です。

今日のビデオ鑑賞は新旧豪華二本立て、日本映画「HERO」と、ちょっと前から見直したいと思っていた「ペーパー・ムーン」です。
「HERO」は、まぁどうでもいいっちゃどうでもいいんですが(ファンの方すいません。)、「ペーパー・ムーン」は、久しぶりに見ても面白い映画でした。

1930年代の大恐慌期のアメリカ中西部。
母を自動車事故で亡くして孤児となった少女アディ(テータム・オニール)は、母と付き合っていた詐欺師のモーゼ(ライアン・オニール)に連れられ、ミズーリにいる叔母のところまで旅することに・・・・・

いわゆる「ロード・ムービー」というやつですが、以前紹介した「シュアシング」もそうですけど、私はこの手の映画が好きなようです。そして、その原点にあるのがこの映画かもしれませんね。

なにしろ、史上最年少(10歳)でアカデミー助演女優賞を取っちゃったテータム・オニール(テイタムが正しいのかもしれませんが、古いパンフレットではこの表記でした。)がすばらしいんですが、1963年11月5日生まれでしょ、私より・・・・んんんん。
出演作では「頑張れベアーズ」「バスキア」は見たんですが、今どうしてんだろ?
マイケル・ジャクソンと付き合ったり、そうそうテニスのマッケンローと結婚して5,6年で別れたんですよね、たしか。

古い「ペーパー・ムーン」のパンフレットを見ていたんですけど、テータムの紹介に、

母親はライアンと別れた女優のジョアンナ・ムーア。母に引き取られていたテータムは'72年のある日、パパに逢いたい一心で家出同然ハリウッドに向かった。

と書いてあって、私が劇場でこの映画を観たときにはこんな文章どうでもよかったのでしょうけど「なんて可愛い児だったんだろう」なんて今更に思っちゃって、これも私も娘を持つ身になったればこそなんでしょう。(笑)

ともかく、見終わった後に心が優しくなれる映画、しかも、わざと白黒ってぇのがニクイじゃありませんか。私はやっぱこういうのが好きだなぁ。

この映画、内容はもちろんですが、使われている音楽がまた良いですよね。

ボール紙の海に浮かぶ紙の月でも 
私を信じていれば 本物のお月様
作り物の木と 絵に描いた空でも
私を信じてくれたら 本物になる

E.Y.ハーバーグ作曲の「IT'S ONLY A PEPER MOON」はもちろん「ABOUT A QUATER TO NINE」「FLIRTATION WALK」「JUST ONE MORE CHANCE」「ONE HOUR WITH YOU」・・・・・
エンディングに流れた「LET'S HAVE ANOTHER CUP OF COFFEE」も良い、音楽でも楽しめるこれも映画の魅力です。

なんだかこの連休は、観光地に出かけるでもなく、買い物に付き合わされたり、五月人形の陰干しをさせられたりと、あまり実のない休みだったようにも思います。
それでも、初日前夜には30年物のバランタインを飲み干し、最終日の今日もへんに充実した一日だったし「最初と最後が良かったから、まっいいか」そんな感じですかね。(笑)

さて、今日の一枚は、「IT'S ONLY A PAPER MOON」をなんとか取り上げたいなぁと思いましてね。でもナット・キング・コールの「AFTER MIDNIGHT」も、マイルスの「DIG」もすでに紹介済みですから、私の数少ない80年代以降の録音CD、ディブ・ブルーベックにしました。(ジャケ・デザインもそれらしいですしね)

このアルバムは、ジュリー・バーガンジのテナーをどう捉えるかに尽きるとは思うのですが、あまりゴチャゴチャ考えずに、素直な気持ちでリラックスした雰囲気と暖かさを感じ取ればいいかな。
ブルーベックというと、どうしてもポール・デズモンドが浮かんでしまう、私のような古い頭の人は、素直な心で聴くことが肝心だと思います。

連休最終日、今宵は本物の月でも眺めながら、ブルーベックとバーボンで締めましょう。

PAPER MOON / DAVE BRUBECK
1981年9月録音
DAVE BRUBECK(p) JERRY BERGONZI(ts,el-b) CHRIS BRUBECK(el-b,btb) RANDY JONES(ds)

1.MUSIC, MAESTRO, PLEASE !
2.I HEAR A RHAPSODY
3.SYMPHONY
4.I THOUGHT ABOUT YOU
5.IT'S ONLY A PAPER MOON
6.LONG AGO AND FAR AWAY
7.St.LOUIS BLUES

おまけ、
せっかく「最後は充実?」なんて喜んでいたら、
「今日は、フランスパンもらったからご飯炊かないからね」
「???????」
この言い方は日曜日でもないのに「料理当番をやれ!」と聞こえたのですが・・・・

本当は昼間ビールを飲んだので日本酒にしようと思ってたんです。そしたらフランスパンて、あ~た。
しかたがないので、圧力鍋を使って急いで作りました。