JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

元気に行きましょう!

2011年03月30日 | a-c

帰ってきました。
Mさんのお店が開店し、なんやかやで忙しい3日間でしたが、
「大丈夫だったのぉ」「開けてくれて助かるわ」
と、顔見知りのお客様に声をかけていただくとがぜんファイトが湧いてきます。
さらに朗報は、震災以来止まっていた我が家の水道から、昨晩深夜、ついに水が出てきたことです。まさに
「よっしゃあ!」
であります。
この震災で痛感したのは、まわりの方々の心配りと水の有り難み、ご自分も震災の被災者でありながら水道復旧にご尽力いただいた現場の方々、ほんとうにありがとうございました。

とは言っても、あいかわらずのガソリン不足を筆頭にまだまだ毎日の生活に不安を感じる現実は変わっていません。
そんななか、昨日の午前中、市内でも一、二の被災地である薄磯地区に行ってみました。夏は海水浴客で多いににぎわう綺麗な砂浜と漁師さんが営む民宿も多い地区です。

そこで私が見たものは、すでに被災から三週間近く過ぎようとしているのに、がれきの撤去どころか不明者の捜索すらままならない現場でした。
以前も言いましたが、それはまったくもって言葉も出ないほどの光景です。

テレビで観るよりさらに????????
って、この被災地がテレビで放映されたことはおそらく無いと思います。
ここだけとは言いません。いわき市の被災現場は、数えるほどしか報道がされていないんです。
岩手、宮城の被災地は連日のように報道され続けていますが、福島県の報道といえば福島第一原発のニュースばかり、そしてそれに伴う風評ばかりが先走り、報道すら入り込まないこのような被災地がそこら中に存在している、それが福島県なんです。

「第一波は、そんなでもなかったんだけど、二波が凄かったんだよ、全部無くなったぁ・・・・」
「百五、六十の遺体は見つかったんだけど、その倍以上の人がまだここには埋もれてるんだよ」
 広い地区に三台しか見あたらない重機の作業を見守る住民の方が、そうおっしゃっていました。

しばし、被災地を歩いていると、ご実家が建っていたというあたりで、一生懸命何かを探している奥様に出会いました。
「お父さんの位牌を探してるんだけどね・・・・・・でも、兄のアルバムが見つかったから・・・・・」
アルバムとはすでに呼べないような、泥だらけのアルバムを一枚一枚はがしているその姿に、私はかける言葉さえ見つからず、何も言わずにその場を立ち去りました。

この現場に、復興などという言葉はまさに時期尚早です。
その言葉が話せる日が、この被災者の方々に一刻も早く訪れることを祈るしかありません。

いやいや、私が落ち込んでどうするんですか、ねぇ。
今私に出来ることは、本職はどうなるか分からないものの、まずは「開いていて良かった」とおっしゃるお客様に、精一杯の笑顔で元気をおっそ分けすることです。
今日も元気に行きましょう!

さて、今日の一枚は、とうぜん過去に紹介済みですが、今、我が心を奮い立たせる音楽はこれしかないと、コルトレーンです。
「朝から?」と言われそうですが、先ほど大音量で「MY FAVORITE THINGS」を聴きました。このブログの再出発にも適切な一枚だと私は思います。

SELFLESSNESS / JOHN COLTRANE
1963年6月7日,1965年10月14日録音
JOHN COLTRANE(ts,ss)
McCOY TYNER(p) ROY HAYNES(ds) JIMMY GARRISON(b)[1,2]
PHAROAH SANDERS(ts) DOANLD GARRETT(bcl,b) ELVIN JONES(ds) FRANK BUTLER(ds) JUNO LEWIS(vo,perc)[3]

1.MY FAVOTITE THINGS
2.I WANT TO TALK ABOUT TOU
3.SELFLESSNESS


避難生活 最終章

2011年03月26日 | y-その他

いよいよ避難生活最後の夜がやってまいりました。明日は大荷物を抱えながら自宅へと向かいます。


チャリンコからの救援物資

昨日は予告通り(笑)大学時代の友人、チャリンコが救援物資を持って訪ねてくれました。
「まぁまぁ、茅ヶ崎くんだりからわざわざ、どうもどうも」
登戸のドトールで
「アーデモナイコウデモナイ」
どんな災害が来ようと間違いなく最後まで生き残りそうな図太い二人が、まわりに聞こえることなどお構いなしの大声で、震災の事や旧友の事、昔の思い出話なんぞをダベッテきました。
それにしてもありがたいですなぁ、まったく。
以前にもお話ししましたが、彼女(おっと、いちおうチャリンコは女性です。笑)とは、大学のサークル『UFO超心理学研究会』で同じ釜の飯を喰らい、いっしょに「逆さクラゲ」(分かります?)に泊まったこともあるという・・・・そこで何かあればこうは書けないのですよねぇ、翌日同じサークルの仲間に「泊まったんだよぉ、泊まったんだよぉ」と言いふらしても「あっそう」と言われてしまった、まっそんな仲だったんですが、その後、不義理にしていたにも係わらずこうして心配してくれるんですから感謝です。

「バブ、みんな(サークル仲間達ね)も心配してたんだから、メールぐらいしときなよ」
「うん、でもほら、ボクちゃん『メールまめ』じゃないからなぁ」

ということで、この場を借りてもう一度お礼を申し上げます。

シゲ、ナオト、アシノ、ニイ、その他70生のみんな、そして先輩諸氏、ご心配をおかけしました。残念ながら私バブは殺されても死にそうにありません。被災地で明るく元気に生き抜いて見せますので、これからも温かい目で見守ってやって下さい。ご心配をおかけし申し訳ありませんでした。そして本当にありがとうございました。

ともかく、明日は被災地に戻ります。
以降は通常のアルバム紹介も再開しようと思ってますし、こんどは自分の嘆きではなく、被災地の状況を発進していきたいと思ってます。
みなさん、これからもバブ、そして『JAZZを聴きながら』をよろしくお願いします。


避難生活 Vol.3

2011年03月24日 | y-その他

いよいよ復帰の日が決まりました。日曜日、27日に独り自宅へ戻ります。
とはいえ、疎開前と何かが好転しているかというとあまり期待できそうにもありません。それでも、これでやっと地元で頑張っていらしたみなさんと同じ土俵に立てるかと思うと、それだけでちょっと嬉しいような気分になっています。

原発問題で、復興への道のりはさらに険しくなることは必至ですが、単身のフットワークを活かせばなんとかなるっしょ、というか、元通りとはいかなくとも生活基盤を崩壊させることだけは避けなければいけません。
考えてみりゃ、最後は逃げるわけいかないんですもんね。
この険しい山は、お気楽気分じゃ乗り越えられないかもしれません。
が、私ゃ明るくいきますよ、もうため息はイヤって言うほどつきましたしね、家族を亡くしたり、家を無くしたり、家があっても帰れ無い、そんな大勢の人たちを思えば弱音を吐くなんざぁ100年早いですもん。

この騒動でじゃっかん白髪が増えたように思いますが、私ゃ枯れませんよ。まだまだ酒も飲み足りないし、ジャズも聴き足りない、亡くなったエリザベス・テイラーには負けるかもしれませんけど、恋だってするんだから(笑)

てなわけで、月曜日からMさんのお店では、日中にはちと鬱陶しい顔ではありますが、恋人募集中の看板を下げた(嘘ですよ。笑)バブ君が、元気にみなさんを迎えますので、ぜひとも買い物にいらしてください、お待ちしています。
ただ、水を差すようでなんですが、しばらくは24時間営業は出来ません。とりあえずは「売り切れゴメン」のスタートとなりますので、あらかじめご容赦下さいね。

明日は、大学時代の友人チャリンコが支援物資(笑)を持って疎開先を訪問してくれるそうです。
ほんと、今回は彼女だけでなく、多くの方々に大きなパワーをいただきました。そのパワーをなんとか無駄にしないように、美女をはべらせジャズをゆっくり聴きながら美味しい酒を飲めるその日まで(それは無理だろ、笑)

頑張るぞう!頑張るべぇ!頑張ろう!放射能がなんぼのもんじゃい!


避難生活 Vol.2

2011年03月23日 | y-その他

今朝また少々強い余震が地元を襲ったようです。心配です。
といっても、今は「なるようにしかならん」と居直るしかないんですけどね。

毎日憂鬱な気分で(居心地はいいんですよ)過ごす避難生活も今日で何日目でしょう?曜日の感覚すら曖昧になりつつあります。
いやいや、地元に残った人たちは、地震、津波、原発、なにより風評被害にさらされ困窮している時じゃござんせんか、私がそんな事じゃイカンですよね。

そんな雨の昨日、母の入れ歯洗浄剤を買ってくるからと理由を付けて、またも徘徊をしてきました。
そんでね、雨で薄暗い道を傘をさして歩いていると、なんていうかなぁ、臭いがするというか、頬に当たる風が囁くというか、一種のデジャブー?それとも違うか、ともかく何かをモンヤリと感じたのです。
「なんだろこの感覚?」
そして、踏切にさしかかった時でした。
カーン、カーン、カーン、カーン・・・・・・・
「あっ!」
分かりました。
高校を卒業して独り川崎にアパートを借り、始めての夕飯をどうするかと歩いたあの街の感覚、あれです。
高校時代から下宿生活だったとはいえ、その頃は友人もおりましたしバイトもありました。しかし、大学登校前となると友人もまだおらず、なんとなく寂しかったんでしょうねぇ・・・・・あの感覚が蘇ったような気がしたのです。

被災以来「前向きに行こう」との思いとは裏腹に、心はどうしても後ろ向きになってしまう、これはどうしようもないことです。
だけどね、そんとき思ったわけですよ。つまり、たいした夢は無かったけど新たな出発に希望と不安を感じていたあの時と同じ感覚が今あるなら、まさに後は前へ進むだけなんじゃないかって、その時の寂しさはけして後ろ向きのものじゃなくて前へ進む武者震いのようなものだったはずだってね。(お~~ネガティブだ。笑)

本職はまだこれからどうなるか不明ですが、Mさんのお店は、政府のお偉いさんから本部へ早い再開を促されているといった事情もあり、今週末には何らかの行動をとらなくてはいけなくなりそうです。いよいよ私も災害現場へ復帰する必要性がでるかもしれません。
となれば、益々後ろ向きじゃいけませんよね。
明るく進むしかないっしょ

てなことで、今日一日、義兄のコレクションである落語のCDを聞きまくりました。(笑)
いやぁ~~~ジャズもイイけど落語もイイ!
人間泣くより笑えですよ、ねぇ、私なんぞより不幸な人は山ほどいるわけで、ネガティブ、ネガティブ、ちょっとした不幸なんて笑い飛ばしてしまいましょう!

まずは近々に、Mさんのお店で現場復帰することを目標に、
「地震がなんだ!津波がなんだ!放射能がなんだ!風評がなんだ!!!!」
バブは不死鳥のごとく復活してみせますよぉ。

追伸、
でも、来週から復帰できるかどうかは、Mさん任せという・・・・情けない。それにいつまた弱音を吐くかもしれません。その時は是非ともみな様には叱咤激励下さいますようお願いいたします。
おっと、もう一つ、チャリンコお誘いひじょうにありがたいのですが、旨い酒は不死鳥バブが飛び立ってからあらためてということで・・・すいやせんね。


避難生活 Vol.1

2011年03月20日 | y-その他

日々いろんな方にご心配いただき私は幸せ者です。学生時代の友人、チャリンコなんて、居住場所まで心配してくれていますが、幸いにも姉の家で充分なスペースをいただいていますのでその点はご安心下さい。

といっても、問題が無いわけではありません。避難生活最大の悩みは、じつは怒られそうな事でして・・・・・・・
暇なんです。
そんなこと言っちゃバチが当たることは充分承知しています。ただ、仕事をするでもなく、かといって家事を手伝うといっても勝手知らない姉の家、へんに手出しをするとかえって迷惑をかけます。さりとて、釣りだのゴルフの打ちっ放しだのパチンコだのといった娯楽に興ずる気も起きない、テレビで災害地の様子を見るのもなんとなく気が重いし、近くに住む友人と飲むわけにもいきませんしねぇ

それじゃあどうしているのか?
一昨日は同じ避難組、S君と再会してきました。
S君の避難場所、息子さんのアパートも姉のマンションも同じ南部線沿線にあるということで、チラッと会おうかということになったのです。
待ち合わせ場所は「溝ノ口」。
まっ会っても「互いに知る範囲での情報交換」程度で、あとは「どうすれば帰れるか、でも現状では難しい」と、今は諦めねばならぬ心情を愚痴りあうくらいで、進展はないんでありますが、それでも会っただけでいくぶん心が落ち着くのは友であればこそでしょうか。

ところで、私にとって約30年ぶりの「溝ノ口」でしたけど、いやはやビックリですよ。
私の「溝ノ口」に対するイメージは、茶色?汚い?そんなんだったのが(昔から住んでいる方には申し訳ありません。)・・・・ア~~タ、浦島太郎常態、まったくその面影もありません。
30年という年月はこれほどまでに大きいものなんですね。

だからというわけじゃありませんが、昨日は独り、学生時代約3年間過ごした「相模大野」に行ってみました。
いやはや「溝ノ口」どころの話じゃありませんね、駅はもちろん周辺全てが別の場所に来たような大都会に変貌していました。
「家賃8000円の二階なのに水害にあったあのアパートは・・・・」
とうぜん残っているわけもありません。いやそれどころかおおよその位置すら分からないしまつ、ちょっと寂しい気持ちになってしまいました。

いかに長い年月がたったのか痛感しながら、帰りはこれも思い出の地「向ヶ丘遊園」の駅から姉のマンションまで歩いて帰ることにしました。
南口を出ると・・・・・
「おおおお!」
「溝ノ口」と「相模大野」の変貌ぶりに驚嘆した私の目の前に、たしかにモノレールの駅跡が自転車置き場になってはいたものの、ほぼ記憶にあるその姿があるではありませんか。
「うんうん、これだよこれ」(笑)
それでね、ふと思い立ったのです。
「ガロに行ってみよう」



ありました。まぎれもなくあの『ガロ』です。ここは浦島太郎常態ではなく、時が止まってるがごとく、まるで記憶のまんまの『ガロ』です。
残念ながら営業はされていませんでしたが、なんだかホッとした気分で帰ることが出来ました。

って、私、こんな毎日をおくっていていいんでしょうか?
「あせってもしかたないんだから」
と、姉夫婦は言うんですけど・・・・・正直、あせってます。


本当にお願いします。

2011年03月17日 | y-その他

心配したとおり、救援格差が現実化しているようで、福島県浜通地方でのそれはまさに死活問題へと発展しそうです。理由はもちろん原発事故です。

言っておきますが避難指示地域の住民は避難するのが当然かもしれませんよ、でも室内待機地区には住民が生活しているんです。
おもてには出るなと言われ物資が届かない状況だとすれば、それはつまり室内待機のまま餓死を待てということなのでしょうか?
室内待機指定地区だけではありません。北部が一部30km圏内にあるいわき市にも同様の現実があり、なんと救援物資を積んだトラックが同市の入り口からUターンしているところが目撃されているとまで言われています。

私のように脱出した者、出来る者は良いかもしれませんが、毎日食糧や水の確保に追われるうちにガソリンが底をつき、多くの住民が自力では脱出不可能な状況になりつつある現在、物資が届かなければそれはつまり死刑宣告と同じ事です。
ただたんに危険な地域とのレッテルを貼るだけで、それ以降のフォローが無いというのはいったいどういう事なのか?
もし、このままの状態が続けば、シェルターをも備えた万全の場所で指示だけを下す人間達は人殺しに他なりません。
それが、多くのリスクを背負いながらも首都圏の電源を守り続けた住民に対する回答なら、日本という国を信じた私が馬鹿であったということなのでしょう。

今心から憤りを感じています。
なんとしても我が同胞を救ってください。本当にお願いします。本当に本当にお願いします。


敵前逃亡

2011年03月17日 | y-その他

みなさんには励ましやら情報やらいただき心より感謝しています。
この二日間、更新もせずに何をしていたのか?ともうしますと、じつは敵前逃亡、一昨日11時間をかけて神奈川県川崎市の姉宅へ疎開してまいりました。


多摩川は静かに流れています。


被災地でなお頑張っていらっしゃるみな様にはとても後ろめたい思いですが、高齢の母の体調等も考え、このような結論を出しました。
家族内では水だけの問題なら頑張っていこうと話していたのですが、原発問題がその決意を削ぐ結果になってしまったのです。


我が家の近くにこれがあればねぇ

ちなみに身近な方々の分かっている範囲での状況をご報告します。
まずMさん、家族全員でとりあえず水戸まで脱出、その後の身の振り方を検討中だそうです。
S君は、昨日東京へ移動、奥様のご両親はその後新潟に避難する予定で、S君ご夫婦は状況を見ながらどうするか考えるそうです。
ヤナイ珈琲さんは、昨日まで店も開いて頑張っておられましたが、本日よりとうぶんの間店をお休みされるそうです。これはしかたがないでしょう。
Oークママは、震災後無事の連絡をもらいましたが、その後は連絡がとれていません。今日にでも状況が把握できたらと思ってます。

その他、幸いなことに身近な方々の最悪な情報は得ていません。みなさん何処かで必ず頑張っていらっしゃると信じています。


銀恋ならぬ多摩コイ

ところで、話はコロッと変わりますけど
昨日今日の報道を見る限り、ほとんどが岩手と宮城の被災地報告ばかりで、我が地元の状況が映し出されません。いやもとい、原発報道はありましたね。
ごめんなさい、何が言いたいかというと、おそらく報道機関も原発事故の影響で取材範囲が限られてきているのだと察するものの、それによって救援格差が生じるのではないかと心配しているんです。
今朝方、地元の避難所で14名のお年寄りが病院に転送できずに死亡したとの報道も流れていました。

我が地元だけでなく、震災地全体でいくつもの注目されない場所があり、全て同様に、いや報道されている場所以上に逼迫した状態であることを、みなさんご承知おきください。

いずれにしても敵前逃亡をした私としては、なんとか地元の情報をとりつつエールを送り、帰るその日を望むしかありません。
地元で頑張っているみなさん、私だけ逃げてきて本当に申し訳ありません。勝手とは思いますがなんとか復興し再会できることを心から願っています。
頑張れ福島県!頑張れ東北!頑張れ日本!

ジャズアルバム紹介は、少し落ち着いてから再開させていただきます。

おまけ、
私自身さっき気付いたのですが、今日は3月17日ですよねぇ、あはは、私の誕生日です。


無事です????

2011年03月14日 | y-その他

地震発生から3日が過ぎました。
仕事はお休みです。というか、仕事になりません。(笑)
今日は、軽被災者の愚痴をお聞きいただきたいと思います。

3日間経過してもその間、一度も行政の広報活動に接することがありません。ただただ噂話的情報が伝わるだけで、いわゆるこれは風評といった域を出ず、つまりは不安な情報ばかりが先行し動揺だけを誘っています。

例えば「上水道は復旧までに最低でも1ヵ月以上かかる」とか、「ガソリン、灯油は今後2ヵ月は届かない」とか、「食糧も避難者にばかり回って、一般の人にはまったくこないから、すぐに無くなる」とか、原発に関しても「間違いなくこのあたりまで避難指示が出る」とか、まことしやかに「確かな情報だ」と囁かれています。

行政は広報車を一台でよいので、市内を回りながら確実な情報を流して行くというようなことは出来ないものなのでしょうか?
「広域だから出来ないのだろう」「海岸ぞいの大きな被災にマンパワーがとられているのだろう」という状況はじゅうぶんに理解できますが、確かな情報が流れないといずれいたるところでパニックが起こるのではないかと心配しています。

「あれだけいる市議会議員は広報車もってんだろ、こういうときに動かなくて何が市議会議員だ!まったく選挙の時ばっかちょうしいい」
まっ、これもどうかとは思いますが、正直、そんなことを言いたくなる気持ちは分かります。

私ですら、
「母だけでも姉の家に送っていこうか、でもガソリンがねぇ・・・」
なんて、考えたりして


本日の確保品(笑)

先の見えない不安はいずれ増大し、とんでもないことを引き起こしかねません。
身近な情報を身近な方法で素早く開示する手だてを早く確立して欲しい。
例えば、上水道一つにしても、「何が原因で、最低でも何日は復旧が難しい、だから、自分で動ける人はここで給水を受け、それが不可能な人はどこそこの避難所へ、それも無理なようならこれこれこうする。」といった情報がとりあえず欲しいんです。
まことしやかな噂話ではなく、それが復旧までかなりの時間かかることでも、確実な情報であれば次の手段を考える余裕ができるように思うのですが、違うでしょうか?

ともかく、身近な情報が少なすぎます。
そりゃ岩手や仙台の惨状も、いや同じ県内の惨状も、いやいや同じ市内の被害状況も情報としては必要なものです。それはそれで良いんですが、度重なる余震の中で、正直、今一番必要な情報は「○○市○△町の人はこういう行動をこうとりなさい」そういう事じゃないかと思います。

ともあれ、みなさん、不安な気持ちをなるだけ抑え、確実でない情報に惑わされる事だけは、お互いに避けましょう。
冷静さをどれほど保てるか、それが今問われているのだと思います。
それぞれ被災状況は違います。違うからこそ、互いに思いやり同じ被災者として助け合う、その心は最後まで忘れずに行動しましょうよ。頑張りましょう。


無事です。Vol.2

2011年03月13日 | y-その他

今現在ネットもまたいつ不通になるか分かりません。ともかく個人の通信はほとんど機能しない状況ですから、ネットがつながっているうちに第二報をさせていただきます。

私が手伝っているMさんのコンビニは、商品が無くなり昨日午後2時頃から営業していません。その後、S君の安否が心配だったので、Mさんとともに自宅まで向かってみました。
通行止め、進入禁止地区も多いため本当に被害のひどかった地域には入れないといった状況もあったのですが、それでも感じたのは「地震もさることながら津波っていうのはとんでもなく恐ろしいものだ」ということでした。

奥に残っているお宅も家の原形を残しているだけで無茶苦茶な常態です。Mさんの話では、その手前、がれきの山のようになっているところには、少なくとも10戸程度の家があったそうです。

こちらはS君の家のすぐ脇のところです。幸いにもS君の家は、こんもりとした海沿いの山に守られたおかげか、並び3件だけほとんど無傷でありました。鍵は開いたままでしたが、S君はもちろん奥様もおじいちゃんもおばあちゃんもお留守でした。
しかたがないので、Mさんと「おそらくは、避難しているのだろう」と納得して戻ってくるしかありませんでした。

その後、別の友人から「S君家族は無事」との連絡が入りましたので胸をなで下ろしています。そのうち連絡がとれるでしょう。

直接被害に遭われた方々をさしおいてなんですが、私が今一番困っているのは水です。
水道が止まっているのはしかたがないとしても、どんな状況、原因で止まっているのか、あるいは復旧の見込みはあるのか等の情報はまったく入っていません。
また、給水車が各地区を回ることもなく、昨晩やっと給水地点を知ったような常態です。
その他では、今のままではいずれ食糧も不足する可能性がありますし、ガソリンも無くなりそうです。どうなるんでしょ?ちょっと不安かな。

ともかく、今日は近所の方も誘い、片道30分ほどかけて水をもらいに行ってきました。
列に並んで約3時間、水を確保したときには列の長さが私達が並び始めた頃の5倍以上に伸びていましたので、いったいあの方達は水を得るのに何時間かかることか・・・・しかも、まわりは渋滞で大変な騒ぎでした。

列に並んだ方々がみなさん口にしていたのは「この常態で給水を続けていたら、独り暮らしのお年寄りや家を離れられない方には絶対に水は届かないだろう」ということでした。
私の前に並んでおられた奥様は、宮城県沖地震の被災経験者で
「あの時は、給水車が各地区を回っていたけど、そういうふうには出来ないのかしらね」
とおっしゃっておりました。

もちろん、この非常時ですので、生活できる自宅があり、電気も使用できる我々が文句を言えない状況であることはじゅうぶんに分かっています。ただ、そういった地区にも給水所まで行けない被災者がいることを理解してもらえたらと思いました。

ともかく、水ももらってきて、我が家は今のところ無事に過ごしています。
未だ安否すら分からぬ被災者のみなさん、そして、救援を待ち続けているみなさん、諦めずに頑張っていただきたい、絶対に助かります、絶対になんとかなります、心から応援しています。そして、必ず平穏な日々が戻ると信じましょう。

最後に、もう一つ、贅沢な叫びを
「風呂入りてぇよぉ~~~~!!」
不謹慎でした。

てなわけで、こんな常態なので、『今日の一枚』『本日の一品』はお休みさせていただきます。


無事です。

2011年03月12日 | y-その他


ブログを始めて以来続けてきたJAZZアルバムの紹介を今日はお休みさせていただきます。もちろん理由は観測史上最大の地震「東北地方太平洋沖地震」のためです。

多くの方々に「バブは大丈夫か?」とのメールをいただき感謝しています。おかげさまで古い家もなんとか保ってくれ、今のところ怪我もなく過ごしていますのでご安心下さい。
偶然にも自宅にいた私は家族の安否もすぐに確認できましたし、知り合いの被害状況も把握できつつあります。

ライフラインは、水道が止まったままですけど電気、ガスは問題ありません。
固定電話もなんとか通じる状況、ただ、携帯電話は未だ不通常態のため海沿いに自宅のあるS君とは連絡がとれず少々心配しています。

我が家も、地震直後は棚の物が飛び出し室内はかなりひどい状況でした。また、ご近所では屋根の瓦が落ちている家、塀が倒壊した家、道路の亀裂など地震の傷跡が見て取れます。
海岸線では津波により相当数の被害が出ているようですし、いつものバー、O-クのママは津波を避け高台に批難して一夜を過ごしたようです。
私も断続的に続く余震であまり寝られませんでしたが、自宅で過ごせただけ良かったとするしかないでしょうね。

現在、ヘリコプターが上空を通過しています。おそらくは今最も心配されている原発へ向かっているのではないでしょうか。
これから明るくなるにつれ、さらに多くの被害が明らかになるのでしょうけど、えらいことです。

ともかく、私は無事である事をご報告させていただき、被害に遭われたみな様にお見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになった方には心よりご冥福をお祈りいたします。