JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

リニュアル・オープン!

2007年02月28日 | m-o

こんな時間に更新するのは何ヶ月ぶりでありましょうか。
今日も『ずる休み』・・・というのは嘘で、少々野暮用があったために前々から休日の予定を入れておりました。

いかに野暮用があろうとも丸一日かかるわけもなく、ブログのリニュアルを行うことに。
思えばこのブログをスタートして1年9ヵ月が過ぎようとしております。その間、何度も「テンプレートを変更しようか」「もう少し個性を持たせようか」と、考えたこともありました。
「いやまてよ、再販ごとのレコード・ジャケットの変更で、何度も痛い目をみているじゃないの。それを思えば『初志貫徹』私のブログとHPはデザインを変えんぞ!」
などと、屁理屈をこね面倒な作業には手をつけようとしなかったのです。

ところが最近になって、
「少しはステップ・アップしようという努力は必要なんでないの?」
という、少し前向きな自分が頭をもたげてきたのであります。

そこで第一歩、ブログのリニュアル化に挑戦してみることに・・・・
と言ってもね、そんなに難しいことが私に出来るわけもなく、わかる範囲で変更をかけてみました。
出来の善し悪しは別として、やってみればそんなに難しい作業でも無いわけで、結果、「どうして今までやらなかったんだろう」の話であります。
「おいおい、『初志貫徹』の精神はどうしちゃったんだい」
とも言われそうですが、まぁ暖か~い目で見てやって下さい。

今回のリニュアルに合わせ、ブックマークを少し増やさせていただきました。まだまだ他にもリンクを張りたいブログ、HPがあるのですが、これからも徐々に増やしていく予定ですので、今回出来なかった方には、この場でお詫びしたいと思います。

ともかく、心機一転『一記事一アルバム』の初心だけは忘れず、今後も続けていくつもりです。これからもよろしくお願いします。

さて、今日の一枚は、いかにも気取った色男的なジャケットのリー・モーガンです。
こうしてみるとモーガンという人はお洒落であったことは確かですよね。でもカッコだけでモテモテだったのかなぁ?????
愛人に銃で撃たれて・・・・・そんな死に方もありっちゃ、ありかぁ?????

そんな事はさておき、このアルバム、リズム隊が良いんですよ。ウイントン・ケリーなんて、へたすりゃモーガンを食っちゃってますから。
モーガンといえば、どうしてもブルーノートのアルバムを優先的に聴いてしまう傾向がありますけど、このアルバムも悪くない一枚だと思います。

HERE'S LEE MORGAN
2,3&8.Feb.1960年2月2,3,8日録音
LEE MORGAN(tp) CLIFF JORDAN(ts) WYNTON KELLY(p) PAUL CHAMBERS(b) ART BLAHEY(ds)

1.TERRIBLE 'T'
2.MOGIE
3.I'M A FOOL TO WANT YOU
4.RUNNING BROOK
5.OFF SPRING
6.BESS

追伸、
今回、ブックマークに追加させていただいたのは
「JAZZ最中」 「Sung a-go-go」 「My Secret Room」 「JAZZ,ROOK,そして帆船...」 「JazzシンガーSophiaのあれとこれ」 「ほぼ是好日」 「朝焼けを見るために」 「その日の気分で選んだ1曲」  「自家焙煎 ヤナイコーヒー」
の皆さんです。


また夢になるといけねぇ

2007年02月27日 | a-c

ここ何日間か寒い日が続きましたので、今日の暖かさはなんとも心地よいものでありました。

そうそう、円楽師匠が引退を表明されましたね。
私も「元禄花見踊り」の出囃子にのり、高座に登場する『星の王子様』こと円楽師匠の噺を、幾度となく拝聴したものであります。
「どうも円楽の人情噺はねちっこさがあって好きじゃない」
なんて、わかったようなことを言ったこともありますが、私ごときにとやかく言われるほど薄っぺらな芸のわけもなく、まさに大芸能人引退といったところでしょう。

今朝の朝日新聞『天声人語』にも、室町時代の猿楽師、世阿弥の『風姿花伝』の引用とともに、
「円楽さん特有の花が、枯れることなく、後進に伝えられるようにと念じたい。」
と書いてありましたけど、まさにその通りだと思います。

ところで『円楽のプレイボーイ講座12章』というレコードを御存じでしょうか?

「いやぁ、松岡きっこが若い」って、そうじゃなくて
このレコード、ジャズ演奏をバックに、円楽師匠が『プレーボーイとはかくあらん』を語るというじつにオチャラケなレコードなのですが、あーた、演奏がなかなかのものなのですよ。
前田憲男とプレイボーイズと名付けられたそのメンバーは、前田憲男(p) 沢田駿吾(g) 村岡健(ts) 伏見哲郎(tp) 原田政長(b) 日野元彦(ds)というそうそうたる面々。
収録曲も、「SUNNY」「TABU」「SUMMER WINE」「EN BLUE JEANS ET BLOUSON DE CUIR」「THE ON CROWD」「YESTERDAY」「SOUND OF SILENCE」「GIRL FROM IPANEMA」「MUSTANG SALLY」「MORE」「LAND OF 1000 DANCES」「YOU AND THE NIGHT AND THE MUSIC」ほらね、ちょっと面白いでしょ。
日本ジャズの名盤とは言いがたいものの、当時の世相やジャズを取り巻く環境みたいなものを感じるには一聴の価値有りかもしれません。

湯飲みに注いだ酒を「ほんとうに飲んでもいいのかい?」と女房に確かめて
「ありがてえ、ありがてえ」と口元まで持っていく
「あっ!よそう・・・・また夢になるといけねえ」

円楽師匠最後の大噺『芝浜』の落ちであります。
ぐうたら飲んべえ魚屋が、二十日ぶりに渋々河岸に出かけます。女房が一時刻(とき)早く起こしたものだから、河岸にはまだ誰もいない、一服しながら浜を覗くと革の財布がおちています。中をみれば大金が
「おっかぁ、仕事なんざぁしてられねぇ。こんだけあれば毎日飲み放題だ!」と酒を飲んで寝てしまいます。
翌朝、起こされた魚屋は、女房にそれは夢だと諭され、金がない上仕事もしない、だからそんな夢も見るのだと酒を断ち仕事に没頭することに。
数年たつと、もともと腕のある魚屋だったので、若い衆を雇えるほどの店まで持てるように、そんな大晦日に女房は「あれは夢じゃなかったんだよ、あたしが嘘をついたんだ」と打ち明け、「殴るでも、蹴るでもしておくれ」。
ところが、殴るどころか感謝して「おっかぁ、おれぁおめいに礼を言う」
「今日はお酒も燗してあるんだよ、飲どくれ」と女房。
そして、落ちになるという、師匠得意の人情噺。

はたして、高座を降りた三遊亭円楽は、湯飲みに口をつけるのでありましょうかねぇ?

さて、今日の一枚は「なにをいまさら」と言われそうですが、クリフォード・ブラウン、マックス・ローチ双頭バンドのアルバムの中でも、名盤中の名盤といわれるこれです。
この一枚を選んだのには珍しく理由があるんですよ。
円楽師匠が六代目三遊亭圓生のもとへ弟子入りしたのは、昭和30年(1955年)2月のことでありました。まさにこのアルバムが録音されたその月なのであります。
三遊亭全生としてスタートした円楽師匠、修業時代は「なにくそ」の精神で頑張ったそうであります。

このアルバムに関しては、細かい説明は不要かと思います。ブラウン、ローチはもちろん、リッチー・パウエルの編曲が素晴らしい。まさにブラウン~ローチ・クインテット珠玉の一枚でありましょう。「CHEROKEE」「TAKE THE A TRAIN」なんて、ブラウンに打ちのめされそうです。

STUDY IN BROWN / CLIFFORD BROWN AND MAX ROACH
1955年2月23~25日録音
CLIFFORD BROWN(tp) MAX ROACH(ds) HAROLD LAND(ts) RICHIE POWELL(p) GEORGE MORROW(b)
1.CHEROKEE
2.JACQUI
3.SWINGIN'
4.LANDS END
5.GEORGE'S DILEMMA
6.SANDU
7.GERKIN FOR PERKIN
8.IF I LOVE AGAIN
9.TAKE THE A TRAIN

おまけ、
今日のアルバム写真をじっくり見ていただけますか?
右側に白い縁が見えますよね。このアルバムのジャケットに縁があることは大きな問題ではないのですけど、よ~く見るとそこにカット・マーク(ここで切断しなさいというやつ)がついてるんですよ。しかも左側は写真が少し切れているようにも見えるし・・・・・
国内盤ではないのでそのあたりはアバウトなのかもしれませんが・・・・・・・・
いやまて、これってすごいレアーな代物だったりして・・・いえいえ、しっかりマーキュリー再版盤ですからそんなことはありません。

それで頭に来てというわけではないのですが、後日、友人からブルーのジャケットのレコードをいただいたのですよ。
それでもってそれでもって、ずいぶん後になってまた違う友人に
「俺さぁ、茶色のジャッケットとブルーのジャケット両方もってんだよね」と言うと
「えっ!うそ、茶色じゃなくてオレンジでしょ」

  

ははははは、オレンジには勝ったような気がしました。
SP盤はさておいて、エマーシーのオリジナルは、茶色でしょ?????まさかオレンジ????
エマーシーのブルーもあったという話も聞いたことがあるし?????
マーキュリー・レーベルではどうだったのか??????
すいません、詳しくわかる方がいらしたら教えていただけますか。


お江戸の教え

2007年02月26日 | s-u

昨晩は深夜1時までいつものバーで飲み惚けてしまいました。
だってね、我が家に酒が一滴も無かったんですよ、そんな事って許されます。しかも、料理を自分でしておきながらですよ、鯵のなめろうですよ、飯なんか食っちゃらんないでしょ・・・・・・・・・・!?
「なに?それでうちに飲みに来たの?????バカじゃないの」
ママの第一声でございました。
私にしてみれば、常連のM君とママと三人でまったくくだらないことをダベリながらバーボンをあおる、これぞ最良の気分転換なのでありまして、まぁ二人にとっては迷惑な話かもしれませんけどね。

M君というのはじつに無口でおとなしいお人、こちらが話しかけなければ黙って黙々と酒を飲むといったタイプの青年です。
私は、ほら嫌なオヤジでしょ、だからこういった青年をほっとけないわけですよ、
「一期一会、袖すり合うも多生の縁じゃないの」
てなノリで、ズルズルと我がフィールドに誘い出すのでありました。(笑)
最近では手慣れた様子で私のバカにお付き合いしてくれるM君、とても良い青年です。

そもそも『袖すり合うも、多生の縁』とは、人がどんなに増えようと、見知らぬ人とたまたま道で袖をすり合わせるのも前世からの縁、そう考えてお互いに譲り合い思いやれば、穏やかに気分良く過ごせます。といった意味ですから、ここではちと間違った使い方ということになるのかもしれません。
そうそう、恥ずかしい話ですが、私は『袖すり合うも、多生の縁』の『多生』、これをいい年になるまで『多少』だと思いこんでいたという、使い方どころか漢字まで間違えていたのでありました。(大笑)

『袖すり合うも、多生の縁』も江戸の教えでありますが、最近、テレビCMでも出てくる『江戸しぐさ』、あの「こぶし腰浮かせ」ってやつです。私はこれにとても興味がありましてね。人口密集地であったお江戸で、少しでも住みやすいように決めていったルールでありますから、現代にもおおいに通じる教訓なのであります。
「お心肥」「うかつあやまり」「傘かしげ」「肩引き」「あとひきしぐさ」「束の間つきあい」以前話した「三脱の教え」なんてぇのもそうです。
興味のある方はこんな本がありますので読んでみて下さい。

さて、今日の一枚は、今、久しぶりに聴いているアルバムにしてみました。
たしかディスク大賞かなんか取ったアルバムだったと思います。
マッコイ・タイナーが初来日したのは、1972年、アルバム「SAHARA」でまさに再出発した年でありました。ある意味、コルトレーンの呪縛から解放された年?ともかくそんな想いも込め、来日時にコルトレーンに捧げるこのアルバムを録音したのかもしれません。
マッコイのピアノはソロであっても、彼の奥底に流れる『精神性』といったものがにじみ出るように思います。私的にはソロ・ピアノの中では好きな一枚です。
ただし、私がソロ・ピアノのアルバムを聴くとき、ほとんどがそうなのですが、全曲を続けて聴き通すのがダメなんです。どうしても飽きが来てしまう。
このアルバムもCDが出ているのかどうかは定かでありませんが、レコードで片面を聴くのが、時間的にも内容的にもよろしいんじゃないかと私は思っています。

ECHOES OF A FRIEND / McCOY TYNER
1972年11月11日録音
McCOY TYNER(p)
1.NAIMA
2.PROMISE
3.MY FAVORITE THINGS
4.THE DISCOVERY
5.FOLKS


掲載御礼

2007年02月25日 | d-f

いやはや、今朝の寒さはなんということでありましょううか、おそらくは今年最低の気温であったように思います。
昼間も天気は良いものの風の冷たい一日でした。それでも昨日さぼってしまったので、趣味部屋の掃除をそこそこに済ませ、『長距離散歩』へ。

行き先は本屋さん。
『ジャズ批評』への掲載を「ジャズ最中」のmonakaさんよりコメントいただきましたもので・・・・

掲載誌に関しては『ジャズ批評』より送っていただけるとのことでしたので、気にも止めていなかったのですが、67camperさん等々ブログ仲間の皆さんの記事も見てみたいと、立ち読みを決め込みました。
すずっくさんクリスさん67camperさんと、なんとも素敵な文章の並ぶ中、我が記事の品素さに一人赤面。
「う~~~、もっと勉強をしなければ・・・・・」

monakaさんやすずっくさんあたりは「マイ・ベスト・アルバム 2005」というコーナーにも記事が掲載されており、「さすが」とただ感服するばかりです。

『ジャズ批評』といえば、
平岡正明氏著書の『昭和ジャズ喫茶伝説』という本を思い出します。

ジャッキー・マクリーンは、東銀座松坂屋裏「オレオ」の、ローサーのスピーカーで聴くのがいちばんだ。

という出だしで始まる「松坂比呂、『ジャズ批評』、『ジャズ宣言』」という文章です。

この文章の中で平岡氏は、1967年9月、松坂比呂さん(オレオの店主)が『ジャズ批評』を和文タイプで創刊された時、その巻頭記事「ジャズ宣言」を書かれたのが平岡氏であり、これが同氏のその後のジャズ評論家としての人生を決めた等のお話を書かれています。

和文タイプで創刊された松坂さんの心意気と、以後40年近く発行を続けてこられた歴史を思うと、そこに駄文とはいえ、我が記事を掲載していただいたことに、心から感謝するばかりです。
お話をいただいたmonakさん、そして同誌の花村さん、松坂さんに心より御礼申し上げます。

話はコロッと変わって、(変わりすぎですが、先週から始めたもので・・・笑)
『料理当番、本日の一品』
今年は暖冬のせいか鯵が豊漁だそうで、
まずは、鯵のたたきとナメロウです。

作り方は御存じですよね。三枚におろして小さく刻んだ身をやくみとたたいて出来上がり、ナメロウはもう少したたいてから味噌を加えさらにたたきます。
こちらは、厚揚げ、がんも、茄子を甘辛に煮つけたものです。

さて、今日の一枚は「オレオ」に敬意を表して、ジャッキー・マクリーンと行きたかったのですが、たまたま夕方、コルトレーンの「OLE」を聴いてしまいまして、無性にエリック・ドルフィーが聴きたくなってしまいました。
そこで、Vol.1,Vol.2は以前に紹介済みですので、今日はVol.3を。
背景、詳細はすでにVol.1,Vol.2で書いてしまいましたので、今日は省略(へへへへへ、というのは言い訳、これから飲みに出かけなくちゃいけないもんで)

ELIC DOLPHY IN EUROPE Vol.3
1961年9月6,8日録音
ELIC DOLPHY(at,bc) BENT AXEN(p) ERIK MOSEHOLM(b) JORN ELNIFF(ds)
1.WOODY'N YOU
2.WHEN LIGHTS ARE LOW
3.IN THE BLUES


立ち直りにはエールも必要

2007年02月24日 | m-o

今日は土曜日だというのに珍しく仕事が入り(といっても、午前中いっぱいで終わるような内容でしたが)午後1時頃に帰宅、
「あれ?誰もいない?????」
我が家はもぬけの殻です。しかも置き手紙によれば6時過ぎまで戻ってきそうもありません。
「ラッキー!」
早々に珈琲をたて趣味部屋にこもりました。

ボリュームを普段以上に上げ、パイプ煙草に火を着けて、先日から読み直しを始めた、ピーター・ペッティンガー著、相川京子訳『ビル・エバンス -ジャズ・ピアニストの肖像-』なんてのを開き読めば、これぞ至福の時であります。
「おいおい、先週あれほど心に誓った『遠距離散歩』はどうするの?」
心の声など無視無視・・・・・
「今日は風も強いし、明日歩けばいい明日」
と、なんとも情けないかぎりであります。でも、こんな好機は早々あるわけもなく、あっさり納得してしまいました。

私がエバンスの生涯の中でもっとも興味が湧くのは、盟友スコット・ラファロの死をどう受け止めていったのかという点です。そんな心の痛手をつついてどうするんだってですか?まっ確かに悪趣味と言えばそうなのかもしれません。だけど、人間が大切なものを失ったときどう立ち直っていくものなのか、これは知っていて損はない教訓ではありませんか。

「ある特定の傑出したミュージシャンの演奏に依存する部分が多いコンセプトを発展させてしまったら。その人物がいなくなってしまった時はどうやってふたたび演奏し始めればいいのだろう?」

ビレッジ・ヴァンガードでのライブ録音を終え(1961年6月25日、もちろん「WALTZ FOR DEBBY」「SUNDAY AT THE VILLAGE VANGUARD」の録音)10日後、ラファロはルート20を両親が住むジニーヴァに向かい車を走らせていました。方向を誤ったのか、突然に立木に激突、即死だったそうです。
この知らせを聞いて、とうぜんポール・モチアンもそうでしたが、それにもましてエバンスの取り乱しようはたいへんなものでした。

「音楽に関する全てのことが止まってしまったようだ。」

以後何ヶ月もの間、彼は自宅ですらピアノを演奏しなくなってしまい、さらには、ラファロの洋服を着て街をうろついたりもしていたそうですから、その落ち込みは尋常ではなかったのでしょう。

演奏の再開には数ヶ月を要しました。まずは一、二回、ソロでクラブに出演。
その年の秋も深まった頃にやっとレコーディングを再開します。
エバンスをレコーディングの場に引き戻したのはリヴァーサイドのオリン・キープニュースでした。
キープニュースは、アーニー・ウィルソンが編曲し指揮を取るブラス・アンサンブルをバックにカレッジで人気を博したマーク・マーフィーのレコーディングを企画しました。
すでにウイントン・ケリーがこのアンサンブルには参加していましたが、キープニュースはこの録音にエバンスを誘ったのです。
アルバム「RAH」、くしくも意味は「フレー!」とか「イケー!」とかいう応援のかけ声です。キープニュースはエバンスを悲しみから立ち直らせようという意図でこの録音に誘ったのでしょうかね?

さてさて、このまま延々とエバンスの話を続けても良いのですけど、終わらなくなってしまいますのでこのくらいにして、ともかく、そんな本を読みながら、その時その時のアルバムを聴き直してみる、これもジャズの一つの楽しみ方だとは思いませんか?

ということで、今日の一枚はそのマーク・マーフィーのアルバムにしてみました。
またしても不得意部門ボーカルものですから、詳しいことはご勘弁いただくとして、私が聴くかぎり、マーフィーというボーカリストは黒人ぽく無いというか、妙に都会的というか・・・・・でもとても上手いんです。洗練されたボーカルという感じですかね。
ははははは、やっぱりボーカルの評価は私には無理です。
曲目も誰も知っているようなおなじみの曲ですから、じゅうぶん楽しめる一枚だとは思いますよ。

RAH / MARK MURPHY
1961年10,11月録音
MARK MURPHY(vo)CLARK TERRY,BLUE MITCHELL,JOE WILDER,BERNIEGLOW,ERNIE ROYAL(tp) JIMMY CLEVELAND,URBIE GREEN,MELBA LISTON(tb)WYNTON KELLY,BILL EVANS(p) BARRY GALBRAITH,SAM HERMAN(g)GEORGE DUVIVIER,ART DAVIS(b) JIMMY COBB(ds)
1.ANGEL EYES
2.GREEN DOLPHIN STREET
3.STOPPIN' THE CLOCK
4.SPRING CAN REALLY HANG YOU UP THE MOST
5.NO TEARS FOR ME
6.OUT OF THIS WORLD
7.MILESTONE
8.MY FAVORITE THINGS
9.DOODLIN'
10.LIL' DARLIN'
11.TWISTED


アメリカンvsフレンチ

2007年02月22日 | g-i

今日はどうでもいいお話を一つ
(えっ?「お前の話はいつだってどうでもいい話」だって?・・・・まぁまぁ)

今日の午後、お茶でも買おうかとコンビニにまわりました。同僚も一緒だったのですが、私が誘った手前、
「お前コーヒーの方がいい?」
「あっ、すいません。自分で買いますよ」
「まぁ、まぁ、寿司屋でおごるわけじゃないから」
ならばということだったのでしょうか
「バブさん、アメリカンドック食べません?おごりますから。」

てなことで、アメリカンドックと缶コーヒーのブレイクタイムとなりました。
「バブさん、「マスタード付きケチャップでよろしいですか?」って必ず訊かれますよね、いやだって言ったら何が付いてくるんでしょ?」と同僚
「ケチャップだけのが付いてくんじゃないの」
「ソースがいいとか、醤油がいいとか、あったりして、はははははは」

私はふと思い出してしまったのです。以前、知り合いO君と「アメリカンドックかフレンチドックか」で激論になったことを(くだらないでしょ)。

私が始めて『アメリカンドック』を食べたのは小学生の時、田舎のデパートの屋上だったと思います。今じゃ笑ってしまいますが、父や母に「あれが食べたい」と言えずにいた私は、叔母とデパートに行った時に思い切って叔母に打ち明け、食べさせてもらったのが最初だったので、へんに記憶が鮮明なのです。
ですから、その時私が食べたのは間違いなく『アメリカンドック』という名で販売されていたものだったという自信があります。
ところが、O君は『アメリカンドック』は間違った名で、本当は『フレンチドック』が正しいんだと言ってきかなかったのです。

この論争が素で、二人は捜査をすることに(ねっ、益々くだらないでしょ)。
結論はこうでした。
① アメリカで『コーンドック』などと呼ばれているものが、この原型であること。
② しかるに『アメリカンドック』も『フレンチドック』もどちらが正しいということはなく、地域で呼び名が異なるようだということ。
③ 一説には魚肉ソーセージを使ったものが『フレンチドック』でポークを使ったものが『アメリカンドック』とも言われているらしいけど、これに大きな根拠は無いということ。
④ 北海道の一部では粉砂糖付きの、まるでドーナツのようなものが、この名で販売されているということ。

はたしてあなたの地域では、どんな形で何と呼ばれ販売されているでしょうか?

「○○君(同僚)、マスタード付きケチャップを断ると、ひょっとして、粉砂糖をまぶしてくれるかもよ。」

さて、今日の一枚も、私が購入したとき、どれがなんなんだか迷ってしまったデクスター・ゴードンのライブ盤です。
もともとはこのレコード、オリジナルはオランダCatfishレーベルから出たものでしたが、イギリスRVCのAffinityというレーベルから二枚組LPとして再発されました。ところがところが、この時日本での発売ではVol.1,2と二枚の別アルバムとして発売になったのです。
私が持っているのは、この日本再発盤。
ですから、今日の紹介曲名を見て、
「あれ?これってVol.1じゃなくて、A,B面の間違いじゃねぇの」
と思われた方、あなたは、オリジナルもしくは、イギリスAffinityをお持ちなのかもしれません。

ともかく、私が持っているのは日本再発盤のVlo.1とVol.2であります。ですから、意地になって今日は「LIVE AT THE AMSTERDAM PARADISO VOLUME ONE / GOOD BAIT」を紹介させていただきます。(笑)

一時、ジャズ界を離れていたゴードンの話は以前もしましたが、ブルーノートに復活の名盤を幾つか残し、こんどはヨーロッパへと旅立ってしまいました。
1975年頃の彼の演奏を聴くと、よほどヨーロッパでの住み心地が良かったのか、物足りなさが出てきた時期のようにも思います。その後、アメリカに幾度となく帰国するうちに、そのボケ(じつに失礼な言い方ですが)もすっかり治り、78年のモンタレイ、79年プレイボーイ・ジャズ、ノースシー・ジャズ、カーネギーと、じつに充実したライブ活動を行っています。
このアルバムもそのな時期のライブ録音で、得意のゴードンのMCからスタートしています。
「WHAT'S NEW」もいいけど、やっぱり聴き所は「GOOD BAIT」でしょうかね。いかにもゴードンって感じが良く出ていると思います。

LIVE AT THE AMSTERDAM PARADISO VOLUME ONE (GOOD BAIT)
1969年2月5日録音
DEXTER GORDON(ts) CEES SLINGER(p) JACQUES SCHOLS(b) HAN BENNINK(ds)
(1.INTRDUCTION)
2.FRIED BANANAS
3.WHAT'S NEW
4.GOOD BAIT

追伸、
「なんで二枚一緒にして出さねぇんだよ!」という怒りもあって、日本語ライナーノーツの、こんな小さな間違いにも腹を立てたりしました。

CEES SLINGER がベースっちゃ無いでしょ。


梅を咥えたワニ

2007年02月21日 | v-x

啓蟄にはまだ日があるというのに、我が家のカメ太君は早くも朝から餌待ち状態、毎年この時期はまだまだ餌食いが悪いはずなのに、こんなところにも暖冬の影響が出ているのですね。(笑)

かくいう私も今日のような陽気になると、ついつい昼食を野外でと考えてしまうわけで、
「よし、今日はお寺の駐車場だ!」と、爽やかな外気を浴びながらコンビニ弁当を食べました。

 

「クシュン、クシュン、ヘックション!」
バカですよねぇ、ここ数年はちょっとした民間療法のおかげで収まりつつある花粉症ですが、完治しているわけもなく、杉山を背負った寺を参れば症状が出るのは必至、しばらくくしゃみが止まりませんでした。



  梅は匂いよ木立はいらぬ
てな小唄の文句もありましたけど、私の場合は
  梅は観るだけ花粉はいらぬ、窓を閉めれば加齢臭
てなところですね。

そもそも、花を愛でるではなく、『賞(め)でる』というのは、眼鼻一体の楽しみ方だそうですが、小学生の時から花粉症とお付き合いのある私としては、かなわぬ春の楽しみ方です。
せいぜい、眼を使って愛でましょう。

ついで話のようなものですが
  梅柳さぞ若衆かな女かな -芭蕉-
という句を御存じでしょうか?
梅はいなせな美男子、柳はあだな女のたとえと昔から決まっていたわけです。

ジャズの世界では、ミュージシャンを猫(キャット)、スイング・ファンをワニ(アリゲーター)なんて言いますので、さしずめ私は『梅を咥えたワニ』ってとこですかね。
「バーカ、梅はいなせな美男子、ワニはスイング・ジャズのファン、どっちもあんたにゃあてはまんないよ~~だ!」ってですか?
何をおっしゃいます。スイング・ジャズだって聴くし、古木の梅だってあるじゃありませんか。
『梅を咥えたワニ』は、密かに柳の下を狙ってまーーす!
「やっばりあんたは大バカ者だねぇ、柳の下にいるのはせいぜい蛙だよ~~だ。」
 ・・・・・・・・・・・・・・しくしく

さて、今日の一枚は、昨日のコールマンから「えらい飛んだなぁ」と言われそうですけど、ジョー・ワイルダーを選んでみました。
じつに地味なアルバムではありますが、暖かみを感じる一枚だと思います。いわゆるハード・バップというより、スイング味(ほらほら、ここここ、・・・ワニ、ワニ)のバップみたいな。

暖かみというのは、サヴォイをイメージする最大の特徴で、同時期のブルーノート、ブレスティッジとは、明らかに路線が違うように思います。この一枚はその代表格的アルバムかもしれません。ちなみに、アルバム名からイメージするワイルドさは、みじんも感じられませんのでご注意を。(笑)
ハンク・ジョーンズ、ケニー・クラーク、手堅いバックに支えられ、じつに心地よい一枚に仕上がっていると思います。お勧めです。


SOFTLY WITH FEELING

なお、このアルバムですが、私はサヴォイ盤ではなく、SJ レコード盤「SOFTLY WITH FEELING」という再版レコードで所有しております。
その後、CDにて再購入しましたので、今日はCD盤での紹介になります。
内容的には「SOFTLY WITH FEELING」というアルバム名のほうが、あっているようにも思えますけどね。

WILDER'N'WILDER / JOE WILDER
1956年1月19日録音
JOE WILDER(tp) HANK JONE(p) WENDELL MARSHALL(b) KENNY CLARKE(ds)
1.CHEROKEE
2.PRELUDE TO A KISS
3.MY HERT STOOD STILL
4.SIX BIT BLUES
5.MAD ABOUT THE BOY
6.DARN THAT DREAM


時進日歩?!

2007年02月20日 | a-c

連日のTV話で申し訳ありませんが、昨晩、NHK総合で『プライム10ピアノ・華麗なるワンダーランドへようこそ』という番組が放映されておりました。
細かい内容についてはここでは省略させていただくとして、まずもってビックリしたのは、番組後半で紹介されていた「遠隔自動ピアノ」(そういう名前ではありませんが)でありました。

なんとまぁ、ニューヨークで上原ひろみが弾くピアノ演奏を、リアルタイムで東京のスタジオのピアノが自動演奏するという・・・もちろんタッチもそのままに・・・
なんとも恐ろしい時代ではありませんか。
もちろん、同型同音色のピアノが同条件でそこに存在しないかぎり、全く同じ音は追求できないのかもしれませんが、録音媒体を通して聴く音よりもはるかに原音に近い音が、遠距離でリアルタイムに聴くことが出来る・・・・・・
番組内では、「これで遠距離のピアノ・レッスンが可能となる」的な趣旨を強調されておりましたけど、私のような田舎在住リスナーとしては、じつにゲスな考えが浮かぶわけで。

例えばですよ。
都内のでかいコンサート会場で、上原ひろみのソロ・コンサートがあったとしましょう。
何千人も入る会場でその演奏を聴くより、その時、リアルタイムに我が田舎のピアノ・バーで、酒を飲みながらその演奏を聴けたとしたら・・・・
あるいは、つないでいる回線は高速インターネット回線との説明でしたので、何らかの電気信号で送られているということでしょ、ということは、これをCDかDVDといった記憶媒体に保存すれば、『生演奏CD(DVD)』なるものが出来るわけじゃありませんか・・・・・
おいおい、これから世の中はどんなになってしまうんじゃい、みたいな(笑)

「バブさん、いずれCDもレコードも無くなってしまうんでしょうね」
iPod等々のMP3方式プレーヤーの普及で、音楽媒体が全てデータ化された音源のみに変わってしまう等の不安を持つ方も増えてきています。
そんな時、
「何言ってんの、電子図書がいかに便利でも本は無くなんないでしょ。あれと一緒でね、人間には物体収集癖っていうのがあって、形として手元に置きたいとの欲求があるかぎりは、CDもレコードも無くなんないよ。」
と答える私・・・・・・しかし、その実、CDなんかは間違いなく消えていく運命にあるのかと思ってもいます。


音質のムチャクチャいいHDオーディオが出来て
しかも、モニター付きで、ジャケットの替わりに
こんなんが表示されたりして・・・・何だか寂しい

昔、ジャズのレコードが、まるでいっぱしのジャズ喫茶のごとく棚を埋める知り合いの部屋に行って、よだれを垂らさんばかりにうらやましがった私、今でもレコードには同様の愛着を感じます。
同じように、CDが棚を埋める姿も魅力はあるものの、レコードほどの愛着が湧かないのもたしかですけど。
この一種独特の「愛着心」は、じつは全くの時代遅れで、今後こういった人種は減っていく運命にあるのでしょう。とすれば、いずれハードディスクに収められたアルバム(とは言えないでしょうね)の数に愛着が湧いてくるのか?・・・ははは、これはないでしょ。やっぱり、今ある媒体も、我々旧人類も、消えて無くなる運命なのかもしれません。

話が大幅にずれてしまいました。
ともかく、技術の進歩はまさに「日進月歩」、いやいやそれどころか「時進日歩」、旧人類には追いついていけないスピードを供えています。
十数年後に生きていれば(その前に肝臓を患っていなくなる可能性も高いですけど)、その時、旧人類バブは、どのような音楽ライフをおくっているのでありましょうね。

さて、今日の一枚は、オーネット・コールマンです。
何故コールマンを選んだのか?
私がついて行けるジャズの流れが、おそらくこのアルバムあたりまでということかもしれません。つまり、これ以前に常に停滞する旧人類なのであります。エレクトリック・マイルスや、ハービー・ハンコックの「HEAD HUNTERS」といった電化ジャズには、全くついて行けず、かといって、クロス・オーバー(それ以前もジャズは常にクロス・オーバーなのですが)、フュージョンといった類にも共感できず、その結果、その後起こった「ネオトラディショナリズル」といった流れにも取り残されたような・・・・・
それでいて言うことがいい
「それ以前をまだまだ聴き込んでないから」
まさに年寄り、旧人類の何者でもありません。

またまた、話がずれてしまいました。
テキサス州フォートワースという、いわゆるジャズのメイン・ストリートから大きくはずれた地でコールマンは育ちました。地元のR&Bバンドで働き、ミュージシャンとしての仕事がなければ、皿洗い、エレベーター・ボーイをして、いつかロサンゼルスに出たいと夢見る若者だったのです。
ある日、隣で寝ていた母の枕を蹴飛ばし、
「ウジ虫ども、ジャズは生まれ変わったのだ!」と叫んだのだそうで、この奇行は神の啓示に基づくものだったそうです。
翌日から彼の演奏は、例のブヒョブヒョ吹きまくるスタイルへ変化しました。

彗星のごとくジャズ・シーンに現れたコールマンは、彼の意志とは別に、コマーシャリズムな流れに翻弄されることとなります。
そんななか彼は1962年12月21日、ニューヨーク「タウン・ホール」でのコンサートを、自分の最後の舞台と決めて挑みます。以降3年間、彼はジャズ・シーンから姿を消し、エレベーター・ボーイとして生活をおくったのです。
そんな彼が突如こんどは、ヨーロッパで活動を再開しました。その時の録音がこのアルバムということになります。
ブルーノート4224番(今日のアルバム)、4225番(Vol.2)、あなたはコールマンの3年のブランクをどう捕らえますか?

THE ORNETTE COLEMAN TRIO AT THE "GOLDEN CIRCLE" STOCKHOLM Vol.1
1965年12月3,4日録音
ORNETTE COLEMAN(as) DAVID IZENZON(b) CHARLES MOFFETT(ds)
(1).INTRO
2.FACES AND PLACES
3.EUROPEAN ECHOES
4.DEE DEE
5.DAWN


ブティックの商品は何?

2007年02月19日 | a-c

今日は二十四節気の一つ『雨水』、このあたりは「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也」まさにこれにふさわしい陽気でありました。少々、風はあったものの逆にその風が心地よいほど、今年も完全に花粉を意識しなければいけない季節になったのですね。

「バブさん、NHKでやってる『クール・ジャパン』っていう番組知ってます?」
「ああ、何回か見たことあんなぁ。鴻上尚史かなんかが出てくるヤツだろ」
「いやぁ~~、昨日その番組のスペシャルをやってたんですけどね。ブティック・ホテルは、外国人から見てクールかってのがあって、おもわず俺もブティック・ホテルを利用しようかなんて思っちゃいましたよ。」
「ブティック・ホテル?・・・なんじゃいそりゃ?シティー・ホテルにブティックが併設されてるとか、そんなの?」
「あれ、バブさん、ブティック・ホテル知らないですかぁぁぁぁぁ?」
なっなんだ!その人をバカにしたようなものの言い方は!

よくよく話を聞いてみたら、『ブティック・ホテル』なるものは、今どきの『連れ込み旅館』だと言うじゃありませんか。
「な~~あんだよ、普通にわかる言い方で言えばいいジャン、フランス語と英語と一緒にしやがって!・・・・・・・・・・えっ!?でもNHKで『連れ込み旅館』の話題?」
時代も変わったものだと思ったら、NHKの紹介にも耐え得るほどの充実したホテルなんだそうですね。
「やること一緒なんだら、どうだっていいだろうに・・・」と言ったら
「あ~あ」と呆れられてしまいました。

それにしても、その手のホテルの呼び名というのは時代を追うごとに大きく変化をしてきましたよね。
今どき『連れ込み旅館』も無いでしょうが、『逆さクラゲ』『連れ込み』『ラブ・ホテル』『ファッション・ホテル』、そうそう『モーテル』って言い方がすでにその類のホテルみたいに言われたときもありました。
なるほど、いまや『ブティック・ホテル』でありますか。

中年過ぎのおじさんには関係ない世界かと思ったら、若者だけでなくお年寄りでも利用できそうなホテルまであるのだそうですね。
きっと、人目を忍んで入り口をウロウロする、てなことは時代遅れなんでしょう。
彼曰く、「私、あのブティック・ホテル行ってみた~~い」と言う時代なのだそうでありますよ。
(もちろん、わ、わ、私は人目を忍んでそんなところ利用したことはありま・・・せんよ)

「でもね、ブティック・ホテルなんてえのは、都会の話で、このあたりじゃ未だにファッションすら付きませんから・・・・」ともらす彼。
バカ者よ、いかに春でもそう盛り立つでない。ガツガツせずに普通に過ごせば、そんなものが無くても、立派に青春時代の思い出は残せるものなのだよ。

とか言いながら、帰って早速『ブティック・ホテル』を検索する私は、バカ者にも勝る大バカ者であります。(笑)

さて、今日の一枚は、ポール・チェンバースです。
「GO」に続く、VEE JAY二作目にして、彼の最後のリーダー・アルバム。
「GO」がオールスターとすれば、このアルバムは少々メンバーが渋め、そのせいか「GO」ほど知名度はないものの、ベーシスト、ポール・チェンバースを味わうには、逆にこちらのほうが的盤かもしれません。
彼の魅力は、豊かな音量と強烈なリズム感にあることを、このアルバムで確認できると思います。

それにしても、マイルス・グループでの活躍をはじめ、1960年前後の活躍はめざましいものがありましたし、多くのミュージシャンが彼のベースを求めました。そのせいでしょうかポール・チェンバースはじつに長い間活躍し続けた印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、実質の活躍期間は10年程度、まして、晩年は時代に取り残された感さえありました。
33歳という短い生涯を終えた彼はその時、安堵感を得たのか、それともまだやれるとの悔しさをいだいたままだったのか?
それは誰にもわかりませんが、死因の肺結核は当時すでに不治の病では無かったわけで、つまり彼が治療を拒んだことを示唆しています。
何故、時代は彼を取り残していったのか・・・・・
大好きなベーシストであるが故、残念でなりません。
 
1ST BASSMAN / PAUL CHAMBERS
1960年5月12日録音
PAUL CHAMBERS(b) TOMMY TURRENTINE(tp) CURTIS FULLER(tb) YUSEF LATEEF(ts,fl) WYNTON KELLY(p) LEX HUMPHREY(ds)
1.MELODY
2.BASS REGION
3.RETROGRESS
4.MOPP SHOE BLUES
5.BLESSED

おまけ、
春は恋の季節、盛り立つのは人間だけではありません。
『出雲の神さま』という小話を御存じでしょうか?

御存じ出雲の神様は縁結びの神様、これは人間に限ったものではなく、鳥、獣、全ての、いわゆる、つまり、アレをいつやったらよいかもお決めになったのだそうで、
猫「神様、私どもはいつやったらよろしいでしょうか?」
神「猫か、そうだのう、春先が良かろう。梅がつぼみを持つころにしなさい。」
犬「あのぅ、神様、私どもは?」
神「そうさなぁ、猫とおなじでは何かと問題もあろう。ちと日をずらして、春のさかりが良かろう。」
猿「わちきのほうもひとつお願いしたいのですが」
神「犬猿が近い時期では、多いに問題があろうから・・・秋だな」
とまぁこんな具合におおむね決め終わると、すでに決めてやっていたはずの馬が
馬「こんなに立派なモノを持っている我々が、みんなと同じ一回というのは、納得いかねぇ、俺は暴れてやる。」
と、大変な騒ぎになってしまったのだそうであります。
そこにやって来たのが人間です。
人間「神様、人間でございますが・・・・・・」
神「え~い、邪魔じゃ、邪魔じゃ、今はこの暴れ馬をおさえるのに忙しい」
人間「それでも、あたしらがいつやったらいいかも、決めてもらわないと・・・」
神「えい、うるさい、勝手にしろ!!」
てんで、人間だけは、年中のべつになったのだと、つまりは人間のスケベの原因は、出雲の神と馬にあるという・・・・・・

失礼しました。今日は下の話に終始してしまい、お恥ずかしいかぎりです。春の陽気に免じてお許しあれ。


雛人形と昼酒

2007年02月18日 | m-o

♪ 明かりをつけましょ雪洞に お花をあげましょ桃の花 ♪

我が娘が3月3日生まれだというお話はしましたが、娘が大きくなってから、まして家を出てからは、雛人形を仰々しく飾ることもなくなり、雛祭りの歌もとんと耳にしなくなりました。
この歌などは可愛らしい女の子が歌うから季節感があるというもので、鬼が頭に付くようなお方が歌っても・・・・・

それでも、雛祭りというのは、女性にとってはいくつになっても気にかかるものなのか、我が家にも玄関先と母の部屋にいつのまにやらそれらしきものが飾られておりました。



そもそも、雛人形は汚れを人形に移して川に流す、古代の『形代(かたしろ)』を原型としたもの。
汚れの写し形をいつから奉るようになったのか? まっ、そのお話はいずれと言うことで。
ともかく、飾りはしたものの、桃の花にはまだ日がかかりそう、ならばと私の日本酒を少々わけてあげることに。
「何やっての、玄関が酒臭くなっちゃうでしょ!」
「あらま、そうだよね」
へへへへへ、これで1合、休日の昼酒にありつけました。(せこい!)

それでは、新コーナー『料理当番、本日の一品』(笑)

今日は魚料理を予定しておりましたが、なんだか寒くて、暖まる煮込みをと考え、煮込みハンバーグを作ってみました。
といっても、デミグラスを一から作るわけもなく、トマト・ソース煮込みであります。

タマネギ、人参、セロリ、じゃがいも、ベーコン、これをニンニク・オイル(オリーブ・オイルにニンニクを漬け置いたもの)で炒め、ワインを少々、湯むきしたトマトの角切りを加え、ホール・トマトもつぶし入れます。
塩・胡椒少々(ベーコンから塩気が出ますから控えめに)、水、コンソメの素を入れて煮込みます。最後に市販のトマトソースと塩、バターで味を調え、ソースは完成。
ハンバーグは、焼きハンバーグとさほど変わりありませんが、小麦粉を軽くふって、多めの油で表面を揚げ焼きにします。
これをソースにドボンと入れ、しばしの煮込み。
少量のスパゲティーを皿の底にひいて、その上からハンバーグとソースを盛ります。今日は特別温泉卵を割り入れました。

「なんだ、ご飯よりパンのほうが良かったんじゃないのぉ」
(「文句があるなら、自分で作れ!」)

さて、今日の一枚は久しぶり、ブルーノートのリー・モーガンです。
ただし、このアルバムのリダーが、はたしてリー・モーガンで良いのか?という疑問も私は持っています。
「街の灯」、別にチャップリンの映画の題名ではありません。ニューヨークのマンハッタンをイメージして、アルバム全体を構成した一枚なのです。
では、その構成は誰が行ったのか?
そう、ベニー・ゴルゾンその人、「リーダー、ベニー・ゴルゾン」でも、けしてヘンではないかもしれない。ミュージシャンとしては参加していないので、しょうがありませんけどね。
ともかく、このアルバムを聴くときは、個々の曲を単独でイメージしてはいけないのです。全体に流れる夜のニューヨークはマンハッタンを(行ったこともないくせに)、リー・モーガンのトランペットに誘われながら、そぞろ歩く、そんなイメージでぜひともお楽しみ下さい。

CITY LIGHTS / LEE MORGAN
1957年8月25日録音
LEE MORGAN(tp) CURTIS FULLER(tb) GEORGE COLEMAN(ts,as) RAY BRYANT(p) PAUL CHAMBERS(b) ART TAYLOR(ds) BENNY GOLSON(arr)
1.CITY LIGHTS
2.TEMPO DE WALYZ
3.YOU'RE MINE YOU
4.JUST BY MYSELF
5.KIN FOLKS