JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

相談は相手を選んですべし

2008年10月30日 | y-その他



人間関係の亀裂というのは、ほんの些細なことが原因なのに、一度ボタンを掛け違えると、たとえ修復しようにも掛け違えたボタンまでたどり着くことすら出来なくなってしまう。
不思議なものですねぇ、どちらかに完全な非があれば素直に謝れば済むことも、こういったときには、おおむね非らしい非は互いに無いものです。
「何故こんなふうになってしまったんだろう?」
ただただそう思うばかりで、そのくせ修復は不可能であることを自分が誰よりも分かっている、そんなものであります。

「なんだい突然」ですよね。(笑)
じつは今日の昼、突然離婚の相談を持ちかけられましてね。
彼の年齢は38歳、奥様は39歳、ごく普通の二人は、ごく普通に恋をして、ごく普通に結婚、ただ一つ違っていたのは・・・・
おっと、べつに奥様が魔女だから離婚したいという話ではないんですよ。
彼ら夫婦は、私に式の仲人になって欲しい(断りましたけど)とまで言ってくれた二人で、恋人時代からのご夫婦ともに親しくお付き合いをさせていただいた仲です。

それが、どうにも話を聞いても、離婚する理由というか、原因がハッキリしないのでありまして、ただ、闇雲に
「バブさん、俺、離婚を考えてるんだけど、どう思う?」
と訊かれてもねぇ
「なんだ、浮気でもバレたか?????まさか○△ちゃんが浮気するわけないし・・・」
ついつい、こういったハッキリした理由を訊きたくなる無神経さは、私などに相談した彼の愚かさなのでありますが、

彼が話し出したのは、二人の成り染め
「おいおい、そのへんはおまえより良く知ってるよ俺は」
それからも、結婚後のごく一般的な夫婦の話を聞かされるだけで
「だから、何が原因なのよ、っていうか、おまえが離婚したいの?それとも離婚して欲しいって言われたの?」
「それが、なんとなく、二人でそのほうがいいかって」
「???????」

つまり、本人も何が直接的な原因なのかは理解していないようで「ただ、このまま夫婦生活を続けていくことが無理なように思う。」それだけなのであります。
「おいおい、もう結婚して十数年経つんだろ、今更、性格の不一致もねぇだろうよ。まして、子供だっているんだよ。」
私も、一般論を言うしか手はないのでありますが・・・・・・

ここで、最初の話に戻るわけです。
夫婦のどちらかに完全な落ち度があれば、素直に謝って許しを請う事も可能でしょうが、それがハッキリせず、漠然と離婚を考えてしまう、こうなると私などに相談されてもどうしようもないのですよ。

「俺に相談されても、そうだなぁじゃあ離婚しちゃえば、なんて言うわけないだろ。かといって、おまえら二人の間に入ってなんやかや言ってもしかたがないんだろうし・・・・・もうある程度おまえの中じゃ結論が出てんじゃないのぉ・・・・・だけどね、離婚なんて書類上のもんで、いつどんなときでも二人が合意すれば出来んだから・・・・・たとえば、一度離れて生活してみるとか、ねっ、そうすればお互いの必要性をあらためて感じられるかもしれないし・・・・・だけど、子供のことはしっかり考えて行動しないとぉ・・・・ともかく、俺的には反対だよ。」

二人が今後どういった結論を出すのかは分かりません。でも、これも一般論ですが、歳を取って最後に残るのは、子供でも親類でも無くて、血のつながりの全くない嫁さんだったりするわけで、離婚というのはそれを「いらないよ」って否定することなんだからね。今はどう思っても、それってとんでもなく寂しい、貧しい心になってしまうような気はするんだよなぁ・・・・・・・
まっ、私にそんなこと言われたくないかもしれないけど。
どう考えても相談する人を間違ってるよ。

さて、今日の一枚は、(正確には2枚ですけど...笑)チェット・ベーカーとジェリー・マリガンの再会(?)セッションです。

この二人も喧嘩別れして以来、ベーカーは「マリガンによって世に出た」と言われるたびにイライラし、マリガンにしても「今でもベーカーには会うんですか?またいっしょにやるようなことは?」なんて訊かれるとヘソを曲げるといった状態が続いていました。
そんな二人がどうしてこの時に共演をはたしたのか?
それは、互いに仕事を選んでいるほどの余裕が無かったからに違いありません。(マリガンはまだしもベイカーは特にそうだったでしょう。)

嫌とは言えない状況の二人を(いやいや、二人どころかズート・シムズまで)カーネギー・ホールに集めたのはブロデューサー、ドン・フリードマンでした。

さて、これを機に二人の仲は改善されたのか?
とんでもございません。何故ならこのコンサートを事実上牛耳ったのはマリガンであり、ベーカーが「おもちゃ」とまでコケおろしたエレピまで入れて・・・・・

それじゃあ、演奏自体はどうだったのか?
それはあなたの耳でお確かめいただきたいのですが、ファンが望んだベイカーの歌声も聞けますし、実際にステージで喧嘩を始めたわけでもありませんから、それなりであるのは想像の範囲です。
ひとつ、確かなことは、以前共演していたときには、ある程度、音楽性に共感し合うものがあったのでしょうけど、この時期にはどうだったのだろうか?という疑問は最後まで残る演奏であるのも確かだと思います。

一度できた亀裂を埋めることは、マリガンとベイカーにも難しいことだったのだと思いますよ。
ちなみに、ジャケットの真ん中でテナーを吹いているのは、間違いなくズート・シムズのはずなんですが、このアルバムの中では彼の音を聞くことは出来ません。

本日のカテゴリーは、リーダーをマリガンともベイカーともしたくなかったので「その他」とさせていただきました。

CARNEGIE HALL CONCERT Vol.1
1974年11月24日録音
GERRY MULLIGAN(bs) CHET BAKER(tp) JOHN SCOFIELD(g) DANE SAMUELS(vib) BOB JAMES(ep) RON CARTER(b) HARVEY MASON(ds)

1.LINE FOR LYONS
2.SONG FOR AN UNFINISHED WOMAN
3.MY FUNNY VALENTINE
4.SONG FOR STRAYHORN

CARNEGIE HALL CONCERT Vol.2
1974年11月24日録音
GERRY MULLIGAN(bs) CHET BAKER(tp) ED BYME(tb) JOHN SCOFIELD(g) DANE SAMUELS(vib) BOB JAMES(ep) RON CARTER(b) HARVEY MASON(ds)

1.IT'S SANDAY AT THE BEACH
2.BERNIE'S TUNE
3.K-4 PACIFIC
4.THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU


待ってろよ!鬼女め!

2008年10月28日 | j-l

信州は戸隠山、紅葉を楽しもうとお出かけになったのは、余吾将軍平維茂(たいらのこれもち)ご一行です。そこで出会ったのが、美人ばかりの侍女を引き連れたこれまた「超かわい~~」お方、更科姫。
ちょっとどころか大いに興味はあるものの、ナンパなんかしちゃうと「ヘンなおじさん」と勘違いされても行けないとばかり、その場を立ち去ろうとする一行。
「あらま、よろしいじゃございませんか、いっしょに紅葉を楽しみましょう。」
ナンパには慎重でも、逆ナンにはめっぽう弱いのが男の哀れ、美女に声をかけられて断れる男なんざぁいやしません。
紅葉を肴に絶世の美女と差しつ差されつ、これに美人侍女の舞と、従者の右源太、左源太のこっけい踊りとくりゃ、ヘタな芸者遊びなんぞより良いに決まってます。しまいにゃ更科姫も踊りだしちゃったんですから、維茂はウキウキであります。
そんなこんなで楽しんでいると、酒のせいか、色気にあたったか、はたまた酒に盛られた秘薬のせいか、なさけなや男達はスーっとまどろみの中に・・・・・・・
そこに生臭い一陣の風!テケテンテンテン
ハッと気づいた維茂の前には、恐ろしく変身した鬼女の面々が!テケテン
「さぁては、鬼神でありしよな。いで維茂がぁ、討ち取ってくれぇぇぇぇん」

フリが長くなりました。お能や歌舞伎でおなじみの「紅葉狩」でございます。
今朝の冷え込みなんざぁ今年一番でありましたが、今年の戸隠山の紅葉はいかがなもんでござんしょうかねぇ?(なんちゃって、一度も紅葉時期に行ったことはないのですけど...笑)

この「紅葉狩」という話は、戸隠山の鬼女を維茂退治するいわば英雄伝なのでありますが、私にはどうにも男のバカさというか、可愛さがにじみ出たお話に思えてならないわけでして、
たとえ紅葉を愛でに出掛けても、男ってもんは色気にはかなわないもんなんですよ。ただで見に行った紅葉のおかげで、紅葉なんか目じゃない美女に出会う、理想じゃござんせんか、ねぇ、私もあやかりたい(笑)
私なんざぁ、たとえそれが鬼女と知っていても、一時の快楽に身を委ねるってぇタイプですから、なおさら始末が悪いんでありますね。
それでも、世の中よく出来たもんで、そんな私だからこそでしょうね、そうそう美味しい場面にはあたらないんであります。

ところで、そこのあなた、あなたはいかがなもんでしょ?鬼女とわかっていれば、けして手を出さないタイプですか?
でもよくよく考えてごらんなさいよ。どんな美女でも多かれ少なかれ鬼女に変身するのはすでに経験済みじゃありませんか?
誰とは言いませんが、ほらあなたの隣にも一人・・・・・・・

いかんいかん、この態度が、新たな鬼女を生む根源なのですよね。そうそう、鬼女に変えるのも全て男が悪いんでございます。

帯解(おびとき)は男を尻にしきはじめ

いやいや、これは私の川柳じゃありませんよ。江戸川柳にこんなんがありましてね。帯解とは、今でいうところの七五三と大きな係わりがある儀式で、女の子が7歳になると付帯(つけおび)をやめ、小袖を着て帯を締める、つまりそれからは女性として扱うということでありますね。この時、お宮参りをするんですが、盛装の着物は四尺余り、歩いたんじゃ地面をズルズル引きずることになってしまいます。そこで、父親か出入りの鳶なんか(今どきは出入りの庭師だと危ないかもしれませんけど)の肩に乗ってお宮へ向かうわけですね。つまり、肩に乗ったこの時から女性は男を尻にしきはじめるという・・・・だから、私が詠んだ川柳じゃないってばぁ。

あと半月も過ぎれば七五三、可愛い娘もいずれ誰かを尻にしくんでありますから、今のうちは、せいぜいお父さんをしっかりしくように指導して下さいよ。基本、お父さんは娘に対しては完全なMなんですから。(笑)
いや、もとい、基本男は、相手が鬼女であろうと娘であろうと「・・・」であろうと、Mなのかも??????

まっいいや、腰の調子も良くなってきたし、美女を捜しに紅葉狩りにでも行ってこようかなぁ、
「待ってろよ!鬼女め!」

さて、今日の一枚は、ハロルド・ランドです。
ハロルドといえば、ブラウン~ローチ・クインテットのメンバーとして、あるいはカーティス・カウンスとの共演盤等々で、耳馴染みのような気もするのですが、じつに地味ーな印象しか持たれないサックス奏者でもあります。
ここでも本人より、ジョー・ゴードンだったり、ウエス・モンゴメリーだったり、バリー・ハリスあたりにどうしても気が行ってしまいがちです。

たしか、ハロルドがブラウン~ローチ・クインテットを去ったのは、病気か何かで離れているうちにソニー・ロリンズが助っ人に入り「こりゃいいや」てんで、「サックスはロリンズにこれからも頼もうと思うんだけど」と聞かされ、「うん、いいんじゃない」ってあっさり身を引いたなんて話があったような・・・・
ようは人が良いというか、優しいというか。まさにプレイにもそんな雰囲気が漂っていますよね。

ともかく、ウエスト・コーストを中心に活躍していた地味なハロルドを頭に据え、イースト・コーストのミュージシャンと組ませた企画盤ともいえる一枚です。この手のアルバムはこの時期お得意のパターンでもありましたよね、そのくせ、なかなか内容が良いアルバムが揃ってたりするわけですが、このアルバムもハロルドの地味さは何ともしがたいものの、じつに出来の良いアルバムだと思います。
お勧めできるアルバムです。

WEST COAST BLUES ! / HAROLD LAND
1960年5月17,18日録音
JOE GORDON(tp) HAROLD LAND(ts) WES MONTGOMERY(g) BARRY HARRIS(p) SAM JONES(b) LOUIS HAYES(ds)

1.URSULA
2.KLACTOVEEDSEDSTENE
3.DON'T EXPLAIN
4.WEST COAST BLUES
5.TERRAIN
6.COMPULSION


無節操の勧め?

2008年10月27日 | d-f

今日から読書週間、みなさんは本を読んでおられますか?
かく言う私は若い頃の量には及ばぬものの、テレビ離れも伴って一時はかなり遠のいていた活字に、また心引かれる日々を過ごしています。
とは言っても、小遣いのほとんどをアルコールにつぎ込む状態で新刊をあさるのには限界がありまして、もっぱら図書館の利用と昔読んだ本の読み直しが中心となっていますけどね。(笑)

私の読書の欠点というと「斜め読み」「重ね読み」しかもジャンルや趣向などお構いなしの「無節操読み」、ヘタをすると内容を理解しないままに読み終わるということが間々あるわけで、まぁ、そのおかげで以前読んだはずの本も新刊のごとく読み返しが出来るという利点もあるのですけど。(笑)
今現在もいっぺんに4冊の本をTPO(笑)に応じて読み分けておりますが、内、新刊は一冊のみ、後は図書館からの借り物が一冊に、学生時代に読んだジャズ本一冊、二十数年前の本が一冊というありさまです。

それでも、読み直しに関しては、それを読み直そうというきっかけというものがあるもので、現在読んでいる二十数年前の本『-完全版- 三光』なんてぇのもそんな一冊です。

ご存じの方も多いと思いますが、この『三光』は、一時大論争を巻き起こした本でありまして、方や「中国に於ける旧日本軍が行った戦争犯罪を、本人達が明かした赤裸々な事実で語られている」と称し、方や「これは中国のプロパガンダだ」「左派系のプロパガンダであり、史実を湾曲するものだ」と批難する、ある意味今も続く、中国国内で行われたとされる旧日本軍の犯罪を巡る論争の一つの火種となった本でもあります。

私が持っているのは、神吉晴夫氏が編纂した1957年版ではなく、後に森村誠一氏らが編纂した『新編三光』第一集、第二集(厳密には第二集は発刊されなかった)をさらに一冊にまとめたいわば最後の『三光』初版ということになります。

おっと、勘違いしないでください。私はこの本を巡る論争に加わる為に今読み直しているわけじゃありませんよ。
それじゃ読み直しを始めたきっかけは何か?それはやっぱり「中国五輪」だったわけで、あくまで「あらためていろんな中国関連の本を読み直してみようかなぁ」なんて思った延長上のものなのです。

本が与える影響力というのは、本人が思う以上に大きかったりすることがあります。この本を始めて読んだときも、純真無垢な私(笑)に大なり小なり影響を与えたことも事実でしょう。しかし、人間ある種しらけた目線で書物や情報を見る必要も情報多可の時代には必要なのだと思います。
公に流れる情報にある程度のプロパガンダ的要素が含まれることは当然ですし、だからこそ多くの見地からそれをどう見ているのか知る必要もある、そういう考えからすれば趣味趣向など関係無しに本を読む「無節操読み」も必要なことではないかと・・・・・

あはははは、いったい何が言いたいかって、ようは自分の「無節操読み」を肯定したいだけなんですけど(笑)、
ともかく、読書の秋、いろんな書物に触れながら、いらぬ知識を増やしていきましょうよ。

さて、今日の一枚は、私が毛嫌いしている「E.S.P」以降のマイルス・デイビスです。
毛嫌いしてるなら紹介するなって?
いやいや、ジャズもまた、趣味趣向を考えずに聴く「無節操聴き」は、必要なことなのですよ。(笑)

今読み直しているジャズ本、植草甚一氏の「マイルスとコルトレーンの日々」(もう何回読み直したでしょう....笑)の中にこんな一文があります。

マイルス・デイヴィス五重奏団の「キリマンジャロの娘」は、全部の曲目がフランス語になっている。キザな真似をやるなぁ、と思いながら聴きだしたところ、とてもいい。
<中略>
それにしても、どうしてフランス語の曲名にしたんだろうと不思議になって見なおすと、その五曲が全部マイルス・デイヴィスの新しい作品なのだ。こんなことは最近はなかったのである。ずうっと彼の五重奏団は、ウェイン・ショーターの作曲が、大いにモノをいってグループのジャズ的感情をおしだしてきた。そこにはオカルティズムの要素が入りこんで、神秘的で暗い感情を表現するかと思うと、ロック調になって明るくなったりする。
<中略>
それが、こんどは同じマイルスでも、ちがったマイルスみたいに聞こえてくる。ロック調になったのは、たしかに若いジャズ・ファンに訴えかけようとしたのだった。けれど彼らはロックにたいするような反応をしめさない。そこでマイルスは、ほんとうにモダン・ジャズを理解している人たちを相手にしたくなったに違いない。それが「キリマンジャロの娘」であり、フランス題名にしたのは、そういった気持ちを、そのなかに隠したいという理由があるらしい。

この文章を読んで、久しぶりに針を落としてみたのです。
純真無垢な私は、やはり影響を受けやすいのでしょうか?たしかに今こうして聴くと、悪くないのであります。(笑)
ただ、植草氏は「ロン・カーターのベースが入りこんでくるあたりが素晴らしい」とおっしゃっておりますが、今私が聴くと、1曲目と5曲目、つまりディブ・ホランドのベースが入った演奏が良かったり思うのは完全な影響下には無いということでしょうか(笑)

ともかく、毛嫌いはいけませんね、私も読書スタイルのごとく「無節操聴き」を実行せねばいけません。

FILLES DE KILIMANJARO / MILES DAVIS
1968年6月19,20,21日, 9月24日録音
MILES DAVIS(tp) WAYNE SHORTER(ts) HERBIE HANCOCK[2,3,4], CHICK COREA[1,5](p,elp) RON CARTER[2,3,4], DAVE HOLLAND[1,5](b) TONY WILLIAMS(ds)
[GIL EVANS(arr)]

1.FRELON BRUN
2.TOUT DE SUITE
3.PETITS MACHINS
4.FILLES DE KILIMANJARO
5.MADEMOISELLE MABRY


ストッパーは勤まらない

2008年10月26日 | p-r

まったくツイてません。今日は一人『寺山修司展』を観に行く予定でいたのが、昨晩あたりから襲ってきた左腰の痛みがピークです。それでも出掛けようとすると
「行ったわいいけど、帰りに痛くて泊まってくるなんてなったら散財だよ」
って、おいおい、心配なのは金かいな。
ともかく、長時間の運転は自分でもやっぱり心配で、やむなく断念することにしました。『寺山修司 劇場美術館』を買って以来とても楽しみにしていただけにじつに残念です。

それにしても腰を酷使した記憶もなく、この痛みは何なのでありましょうか?
思い当たることといえば、一昨日の晩にいつものバーで見知らぬ酔っぱらいを介抱したことくらい・・・・たしかにガタイの良い若者を後ろから羽交い締めに起こしたり運んだりしましたから、その時に捻ったかなんかしたんですかねぇ?まっ、だとすれば自業自得の極みですから、素直におとなしくしているしかありません。部屋で横になりながら読書&音楽三昧の一日となりました。

バーといえば、先日から話題になっている麻生総理の「高級ホテルのバー通い」の件で、今日の朝日新聞に「もっと知りたい! ホテルのバーとは?」という記事が載っておりました。
二人の記者が麻生総理が訪れるというホテルのバー3件を、実際にハシゴしてみたという記事です。

庶民感覚が云々という話は、私はあまり気にしていないというか、そもそも麻生総理は庶民じゃないわけで、「バカにするな!庶民感覚は庶民だけのもんだい!」と思っているに過ぎません。
ただ、ウイスキー好きとして、いや、バー好きとしては、現在の高級ホテルのバーというものがどんなところなのかは、とても興味があるところです。

思えばホテルのメイン・バーなんていつ以来行ってないでしょうか?
親友の元カノRちゃんと、それこそ帝国ホテルのメイン・バーに行って以来?
いやいや、全日空ホテルで飲んだこともあるなぁ・・・・・あれ?横浜の・・・・
ともかく、思い出せないほど昔の話で、いくらかかったかなんて全く覚えちゃいません。(笑)

ちなみにこの記事を読むと、帝国ホテルのメイン・バー「アクア」の場合、チャージが二人で2100円、これにサービス料619円でしょ、あとは飲み物とつまみの代金・・・・マッカランの18年とは、またこの記者も良い酒を飲んでおりまして、シングル一杯が2310円、もう一人はミモザ、シャンパンとオレンジジュースを混ぜたヤツね、それが1995円
マッカランの18年だとおそらくは1600円~2000円が相場でしょうし、ミモザはどのくらいだろ?やっぱり1600円~1800円くらい?
これが田舎だと、どちらもそれの100円~200円落ちくらいかなぁ?
たしかに赤坂の料亭あたりで遊ぶよりは、飲む量にもよりますけど、安いっちゃ安いんでありましょう。
が、しかし、私がいつものバーで飲むような飲み方をしたら・・・・・恐ろしくて考えたくもありません。あらためて、ママには感謝、感謝です。(笑)

この記事を読んでいて一つ不満だったのは、一番安い酒はそれぞれ何で、いくらだったのか、このへんを紹介して欲しかったですねぇ。
これぞまさに庶民感覚だと思いません?
いかに庶民でも「高級ホテルのメイン・バーで夜景を楽しみながら一杯飲む」てな贅沢はやってみたいわけで、かといってシングル一杯2310円を三杯も飲んで、つまみの一つも頼めばあ~た、その酒の量じゃ私のペースでいくと30分ぐらいのもの、たかだか30分でチャージ・サービス料含め万札一枚以上がぶっ飛ぶというのは・・・・・・
だからこそ、昔、ちょっとしたバーに出掛けると最も安いジン・ロックばかり飲んでいた私にとっては、そのへんの情報が欲しかったですねぇ。
えっ?それでもあんたの飲み方じゃ金がいくらあっても足りないって?
いやいや、そりぁ、雰囲気を楽しむんですからセーブしますよ。
「ははははは、セーブ?あんたにアルコールのセーブが出来るんだったら人生変わってたと思うよ。」
「・・・・・・・・た・し・か・に」
所詮、庶民バブにはセーブは無理?ストッパーは勤まらないということでしょうか?高級バーへの出入りは、阪神の藤川球児ぐらいまでセーブできるようにならないと無理かな。(笑)

さて、今日の一枚は、フレディ・ローチです。
たまにはソウルフルな(「THE MIDNIGHT SUN WILL NEVER SET」はちと違うかな?)こんなアルバムも良いかなぁなんてね。おもわず腰を振ってさらに痛めてはいけませんけど(笑)

ブルーノートでの4作目は前3作と比較すると、ローチの雰囲気がいくぶん変わったように感じ取れます。これは、らしさがやっと出たと取るべきなのか、乱立するオルガン奏者の中で、ジミー・スミスのような確固たるスタイルを見いだせずにいたローチの一つの答えなのかは分かりませんが、活き活きしたローチが聴ける一枚であるとは思います。
前作までは遠慮をしてたんでしょうか?(逆にここではジョー・ヘンダーソンにその気が見え隠れするような)
ただ、ブルーノートというカラーにその変化が合致しているかどうかは、それぞれに思うところが違うかもしれません。

私にとっては好んで聴くとは言い難いところがあるこのアルバムですけど、こうしてたまに聴くと腰の調子も良くなりそうな気がしたりもします。

BROWN SUGAR / FREDDIE ROACH
1964年3月18,19日録音
FREDDIE ROACH(org) JOE HENDERSON(ts) EDDIE WRIGHT(g) CLARENCE JOHNSTON(ds)

1.BROWN SUGAR
2.THE RIGHT TIME
3.HAVE YOU EVER HAD THE BLUES
4.THE MIDNIGHT SUN WILL NEVER SET
5.NEXT TIME YOU SEE ME
6.ALL NIGHT LONG

おまけ、
いかに腰が痛かろうと料理当番を避けることはできませんでした。
『料理当番、今日の一品』です。

秋刀魚もそろそろ食べ納めが近いですかね、今日は三枚におろした秋刀魚で梅たたきを挟み巻きにして揚げてみました。

こちらは単純に茄子とネギ納豆を忍ばせた揚げを網焼きにしました。


色気づく頃

2008年10月24日 | g-i

久しぶりのまとまった雨にズボンの裾が濡れて、
「あ~あ、線が無くなっちゃうよ」
さらには
「あれ?靴の中が妙にグジュグジュするんだけど、しかも右足だけ????」
完全な水漏れです。よくよく靴底を見るとヒビのようなものが、
「あらら、こりゃ穴あき寸前だわ」
長きにわたり我が軽からぬ体重を支えてきてくれたお気に入りの靴も、そろそろ寿命のようで買い換えなければいけませんかね。
「ご苦労さん、ご苦労さん」

それにしても、最近は私の靴へのこだわりはほとんど無くなってしまったように思えます。いやいや、靴だけじゃありません、背広もシャツも「着れりゃぁいいや」的考えが服装思考の大半を占めるようになってしまいました。何とか維持しようと粘っているのはネクタイの趣味くらいなものかな?

男も女も「色気づく頃」ってぇのがあるじゃないですか。こんな私でもそれらしき時期はあったんですよ。
私の頃は、やっぱアイビーだったですかねぇ・・・・
まっ、そのへんのお話はブログ仲間の67camperさんあたりがお詳しくて、私など口を挟むのもおくがましいのですが、

靴に関しても、中学生の時は指定のスニーカーが決まっていましたからなんでしたけど、高校生になって始めて革靴を履こうって時は「リーガルのローファーじゃなくちゃヤダ!」てなこと言ってました。
結局は「なに贅沢言ってんの!」と、メーカー名も分からないようなローファーを履かされましたっけ、それでも、下宿生活を始めアルバイトを続けてそこそこお金も貯まってくると、いろいろ買いましたねぇ。
最初に買ったのは、シルバーのジッポーだったかなぁ(・・・って、それは靴じゃねぇだろう)
おっと失礼、靴でしたよね。
始めて自分で買った靴は・・・・リーガルでもローファーでもなかったんですねえ(笑)
デザート・ブーツです。しかもクラークスの裏皮のヤツじゃなくて、なんと表皮のヤツ。


こんなのこんなの、色は茶系でしたけどね

じつはね、その頃、「色気づく頃」でもあったのですが、みんなと同じっていうのがどうにも嫌だという反骨精神も芽生えた頃でして(笑)、そのくせ冬場のコートはVANのステンカラーだったりしたんですけどね。

そうそう靴靴、私が始めて足を通したリーガルは、黒のウィングチップでした。いわゆる「おかめ」ってヤツです。
高校2年の時に姉が結婚をしまして、式に出るのに「学生服で良いよ」って言われたんですけど、そこはそれ「色気づく頃」ですから、スーツを買いそろえまして、
当時、アイビー・スーツなんて代物もあった中、何故か私はトラッドに走ったのですねぇ(笑)買ったのはKentの紺のスーツでした。
これに合わせるのに買ったのが黒のウィングチップだったというわけです。
これは大事に履きましたよぉ、だって就職してもしばらく履いてましたもん。


私のは皮底でした。

それから、思い出に残っている靴はぁ、ワラビーでしょ、デッキシューズでしょ・・・・・・・
あははは、私の靴の話をしてもな~んも面白くありませんよね。ほんと、つまらないお話になってしまいました。
ただ、穴が空きそうになった靴底を見ているうちにそんなことを思いだしたのですよ。

おっと「色気づく頃」の話で、今の若いお方に一言。
我が息子も高校生の頃そうでしたが、あの過剰なまでのコロンの香り、あれだけは止めなさい!
息子のピアスにも、服装にも、流行を追うのは「色気づく頃」だからしょうがないと、理解を示した私も、あのコロンだけは許せませんでした。(一度など、口で言っても分からないので捨ててしまったこともありましたっけ...笑)
過剰なコロンは、あの「親父の整髪料」(私は使っちゃいませんが)と香りは違っても、不快感は五十歩百歩、あれを素敵と言う女性がいたら趣味を疑った方が良いと思うよぉ。
あれ?余計な話だったかな?????(笑)

さて、今日のアルバムは、ウイルバー・ハーディンです。
とは言っても、もちろん私がこのアルバムを買ったのはコルトレーンが参加しているからという理由です。

このアルバムも含め3日間のレコーディングについては、以前「COUNTDOWN」を紹介したときに触れていますので、ここでは割愛させていただくとして。
ハード・バップのまさに主流といった一連の演奏は、どのアルバムをとっても必聴であると私は思っています。
まっそれもメンバーと時期を考えれば当然なのかもしれませんが、それぞれの安定感あふれるソロ、さらには洪水のごとく迫り来るコルトレーンのテナー、特にこの時期のコルトレーンが大好きという方は、これを聴き逃しちゃイカンと思いますよ。
「GOLD COAST」なんか聴いた日にゃあ~た(笑)
分散アルバムのため全体の演奏時間が短いのはちと損した気分になるかもしれませんが、それ以上に内容のあるアルバムだと思います。

JAZZ WAY OUT / WILBUR HARDEN
1958年6月24日録音
WILBUR HARDEN(tp,flh) CURTIS FULLER(tb) JOHN COLTRANE(ts) TOMMY FLANAGAN(p) AL JACKSON(b) ART TAYLOR(ds)

1.DIAL AFRICA
2.OOMBA
3.GOLD COAST


誰も悪くない人災?

2008年10月23日 | g-i

今日は二十四節気の一つ「霜降」霜が降り始めるころ、というわりには何だか変に暖かい(?)一日でした。そのせいではないでしょうけど、なんだか体調が良いんでありまして、それもこれも昨晩飲み過ぎたおかげでしょうか。(笑)

冗談はさておき、またしても「妊婦のたらい回し事故」が起きてしまいましたね。しかも、我々の住んでいる田舎ではなく大東京でですか、まっ、じつに卑屈な言い方をすれば、田舎では回すにも回すほど病院が無いとも言えるのですけど・・・・

それにしても、医療体制は完全に崩壊が近づいているように思うのは私だけではないでしょう。今回の事にしても受け入れなかった病院が悪いだの、誰が悪いだのの問題ではなく、医療体制そのものの不備が露呈したにすぎないわけで、犠牲者の涙が虚しく乾くのを待てば全てがお終いといった事ではありませんよね。
「誰も悪くない人災?」
そんなことが起きて良いのでしょうかねぇ?
根本的に何処かが狂ってきているのですから、目先ではなく将来を見据えた対策を速急に整えていくべきだと思います。

さらには、今回のように小さな命が助かったことは一つの救いではありますが、残された御主人とその小さな命が今後生きていく上で、どれほどの苦労をなさるだろうかと思うと心痛むばかりです。
彼らをケアーできる社会体制があるかと考えると、そちらもいささか不安に思うのは老婆心でありましょうか?

子供を産むにも育てるにも大きなリスクのある社会、疲弊していく姿しか想像できないなんてじつに不幸なことですし、あってはならぬことなのでしょう。しかし、それが現実になりつつある、我々に何が出来るかと訊かれれば「こまめに電気を消す」てな単純な答えが出るわけもなく・・・・
う~~~ん・・・・そう、しいて言えば、思いやりを取り戻すことでしょうか。

私も若い頃、「親戚付き合い」とか「近所付き合い」といった昔からのコミューンを、うっとうしい、煩わしいと何処かで否定してきた一人であったように思います。
「自分さえ良ければそれでいい、俺は一人でも生きていける」
あの奢り高ぶりが現代のこんな乾ききった社会を作り上げてきた要因だとするなら、素直に反省すべきですし、一気に取り戻すことは不可能でも、一つ一つまた作り上げていく努力が必要なのでしょうね。

「よし、そうとなれば、どっかの誰かさんのように、高級ホテルのメインバーででも酒席を持って互いに理解を深めよう!!!」
って、だめだこりゃ

ともかく、妊婦、子供だけでなく、私にとってすぐ目の前に迫っている前期・後期高齢者への医療だってガタガタになりそうですので、しかるべきお立場の方々には、なんとか手当を急いで欲しいものだと思います。

さて、今日の一枚は、ジミー・ヒースです。
ジミーはバリバリのテナー奏者というより、名作編曲者とのイメージが、このアルバムからもうかがえますよね。(服役も含め6年というブランクがあったことも大きいですが)
以前紹介した「THE QUOTA」と同メンバーの演奏で、ヒース三兄弟そろい踏み「凡才じゃない兄弟が集まれば・・・・」このアルバムでも感じ取れます。

テナーの名作編曲者というとベニー・ゴルソンが私などは頭に浮かんでくるのですが、彼とジミーは全く違うように思えます。1965年からジミーが参加したアート・ファーマーのクインテットをジャズテットと比べると・・・・これは、後の話に取っておきましょう。

ドンと腰を据えて「さぁ、聴くぞう!」というタイプのアルバムではありませんけど、かけていてとても心地よいアルバムだと思います。
そうですねぇ、パンチの効いた肉料理ではありませんが、味の良いお漬け物みたいに飽きが来ない、そんな印象でしょうか。
ジミーの癖の無さが光る(?)このアルバムは、ここ何日間か聴き続けていたフリー・スタイル感覚を一度冷却してくれる格好の一枚かもしれません。(残念ながらCD所有です。)

TRIPLE THREAT / JIMMY HEATH
1963年6月7日録音
JIMMY HEATH(ts) FREDDIE HUBBARD(tp) JULIUS WATKINS(frh) CEDAR WALTON(p) PERCY HEATH(b) ALBERT HEATH(ds)

1.GEMINI
2.BRUH SLIM
3.GOODBYE
4.DEW AND MUD
5.MAKE SOMEONE HAPPY
6.THE MORE I SEE YOU
7.PROSPECTING


今こそアクティブな会話?

2008年10月21日 | a-c

今日も秋晴れ、気持ちは良いのですが、若干の寝不足に午前中はアクビが止まりません。いけません、たるんでる証拠ですねぇ、緊張を持って仕事をせねば・・・・・・(だれだ!?そこで笑っているヤツは!)

体力もそうですが、最近会話の内容も妙に年寄り臭くなってきたように思えてなりません。
やれ、健康診断で何が引っ掛かっただの、寿命がどうだの、もっとこう、アクティブというか、活きを感じ取れるというか、そんな話題を持ち出せないものかと・・・・・
思えば、夢や仕事の事を真剣に話した時代もありましたし、なんだかカッカ燃えていましたよねぇ、それが、いつからこんなに冷え込んでしまったのか?
こと恋愛話にしても、息子の結婚はどうだとか、娘に彼氏が出来たらしいとか、自分たちの話などとんと語ることもなく、恋だの愛だのを真面目に語り合った若かりし頃が懐かしいばかりです。

昨日の昼食時

「○○さんの旦那さんが、亡くなったんだって」
「えっ?!だって、奥さんがこの前亡くなったばかりじゃなかったっけ?」
「そうそう、お二人ともまだ50代だったのよ、ちょっと早すぎるわよねぇ」

そんな話を中華屋の隣のテーブルでおばさま達が話しておられました。するとその話を聞いた同僚が
「バブさん、どうして男は奥さんが亡くなると長生きできないんですかね?」
「知らんよ、そもそも、旦那が年上っていうパターンが多くて、なおかつ男の寿命が女性より短いんだから、結果そうなるってだけなんじゃないの」
と答えつつ頭に浮かんだのがなぜか、美術史学者、小林太市郎氏の「魂の解脱」がどうのこうのという話でした。
もちろん、その場でその論理を語るほど私には知識がありませんので、
「あっ、でも小林太市郎っていう人が、それに関して何か言ってたような・・・・よし、今日帰って調べてみんから」
べつに調べるほどの問題かどうかは別としても、私自身、ふと頭に浮かんだ小林氏が気になってしまい昨晩12時過ぎに本棚をあさるハメになったのです。

そもそも、私は小林氏の著書をおそらくは読んだこともないのに、何故、彼の名を思い出したのでしょうか?
見つかりました、その原因となったのがこちら

吉田敦彦著「天地創造神話の謎」という、美術史も哲学も旦那と奥さん云々もなんも関係ないような本です。
「霊魂は何故生まれたのか」というなんともおどろおどろしい章の後部に小林市の『王維』の内容が少し紹介されている部分がありまして、私が読んだときによほど気になったのでしょうかしっかり赤ボールペンでラインが引いてありました。(記憶には無いのですが)
だから、急に小林太市郎なんて名前を思い出したのですねぇ

けだし、魂が飛揚するとき、それひとりとするのではない。かならず相愛し共鳴する魂とつれだち、あるいはまた魂を救うて魂としてともなってゆく。・・・・・・

いかんせん小林氏の文章は難しくていけません。要約すると女性は本性的にこの世に執着する傾向が強く、解脱することが難しいばかりか、男の解脱までもさまたげる、そしてそのような女を、愛の力によって鈍化し、ともに本来の故郷である天界に連れ帰ることが、恋愛術アルス・アマトリアの奥義だという・・・・・
これでも、何のことだか今ひとつ分かりません、さらに、一種男女差別的雰囲気も感じられるし、奥さんを亡くした旦那が早死にする事とは何の関係もなさそうに思えますが、
その後の吉田敦彦の解釈が頭に引っ掛かっていたのだと思います。

「小林説を裏返せば」との条件で
女性の束縛に身を委ね、それによってこの世の安住の境地を得ていないような男は、いつどんな突飛な行動に走るかもしれず、世間的にはまったく信用できぬだめな人間だということになる。この世から解脱するため、女は男の愛に助けられる半面、この世で生きるためには、男には、女の支えが不可欠なのだ。夫婦の意味は、ここにある。
男女の肉体の形が違っているように、魂もまた男と女で、成りあまれるところと成りあわぬところの関係が逆になっていると認めても、けっして女性を蔑視したことにはならないだろう。

というものでありまして、いくぶんこの解釈でも男女差別的雰囲気を完全に払拭は出来ぬ気もしますが、つまり、男がこの世で生き抜くためには、肉体的だけでなく魂の域においても女性が不可欠であり、それを最も明確に表す単位が夫婦であって、夫にとって妻を亡くすことは、この世での支柱(女性は本性的に持ち合わせているけど、男性は持ち合わせていない)を失うことであり、生きる術を失うことに等しということ、逆に女性はこの世において自分自身が支柱であるが故に、生きる術を失うことはないから、奥さんを亡くした旦那が早死にするのはそこに起因するのでは??????
まっ、これはまったくアテにならない私の解釈ですが(笑)

それにしても、男女の問題は歳に関係なく不可解であります。
はて?これはひょっとして、
恋だの愛だのを真面目に語り合った若き頃には戻れなくとも、じつに大人っぽい男女の話が、我々だからこそ出来るということもあるのかもしれません。
まだまだ、投げちゃいけません。この歳だからこそ出来るアクティブな会話、可能性は充分にありますよね。

さて、今日の一枚は、ドン・チェリーです。
どうも今年の秋は「フリー系を素直に聴ける寂しさ」が私の中に宿っておりまして(笑)このチェリーのブルーノート2作目を紹介します。

曲の構成は、A,B面それぞれ四つの楽章で成り立つ連続演奏で、「ピー・プー・ヒェー」といったある種雑音とも取られかねない(人によってはこれがフリー・ジャズの特徴と思っているかも知れませんが)異様な音は、ビックリするほど入っていません。
エドワード・ブラックウェルのドラムが、まさにチェリーの描かんとする世界を強烈に演出して、フリーなシンフォニー(?)、私の中では最もフリーらしい演奏を聴かせてくれる一枚だと考えています。

マイナー調で始まるB面をじっくりとお聴きになってみて下さい。20分という時間が違和感なく、いや短くも思えたら「フリー系を素直に聴ける寂しさ」があなたにも宿っているかもしれませんよ。

SYMPHONY FOR IMPROVISERS / DON CHERRY
1966年9月19日録音
DON CHERRY(tp) GATO BARBIERI(ts) PHARAO SANDERS(ts,piccoro) KARL BERGER(vib,p) HENRY GRIMES(b) JEAN FRANCOIS JENNY CLARK(b) EDWARD BLACKWELL(ds)

1.SYMPHONY FOR IMPROVISERS
2.NU CREATIVE LOVE
3.WHAT'S NOT SERIOUS
4.INFANT HAPPINESS
5.MANHATTAN CRY
6.LUNATIC
7.SPARKLE PLENTY
8.OM NU


結果なんて[どう]でもいい

2008年10月19日 | g-i

じつは今日は朝からソワソワしておりまして、というのは全日本吹奏楽コンクール高校の部、その当日なのです。えっ?だ・か・ら、我が世界にたった一人の恋人の決戦の日なのですよ。(あははは、娘ですよ)

残念ながら会場で演奏を聴きながらの応援はかないませんでしたが、遠い空のもとひたすら父は娘の頑張りを祈るのでありまして、(演奏の様子は後でDVDで見られることになりましたので良しとしましょう。)
「そろそろ、演奏時間かな?大丈夫かなぁ?ソワソワ」てなもんですよ

そんなこんなで、気が付けば早夕刻、料理当番の時間となってしまいました。
「なにやってんだろ、連絡もよこさないで・・・・」
やっとメールが入ったのは6時過ぎ、しかも
「全国の壁高し、銅賞」
って、これだけですよ。
「電話くらいよこせってんだい!」

まっ、ともかく娘の高校最後の挑戦は「全日本吹奏楽コンクール銅賞」という結果で幕を閉じたのでありました。
娘達が納得いく演奏が出来たのかどうかは分かりませんが、精一杯の演奏であったことは間違いないでしょう。その結果がどうであろうと(シャレですよシャレ....真面目にやれ!)私は拍手を贈ってあげたいと思います。
「おめでとう、よく頑張った!」
そんなわけで、おそらくは悔しがっているであろう娘をよそに、祝杯を挙げる父でありましたとさ。(笑)

必然的に本日の『料理当番、本日の一品』は、祝杯用の酒の肴に終始しました。(最初からそのつもりだったんだろうって?・・・ご名答!)

まずは、鯵の黄身酢がけです。
黄身酢は、卵黄をといて湯煎にかけながら酢とミリンを少しずつ加えたものです。(今日はちょっと固めに作ってみました。)これを、酢〆にした鯵に添えました。日本酒にはバッチリです。

こちらはタコ大根、短時間に作ったわりには味も染みて美味しく出来上がりました。

さて、今日の一枚は、ボビー・ハッチャーソンの、ブルーノートに残るリダー盤第一作です。(じつをいえば、1963年に一度録音はしているものの、これはボツになっています。)

何故に突然ハッチャーソンかといえば、今日の午後、ソワソワしながら映画「ラウンド・ミッドナイト」を見ておりまして、ほら、ハッチャーソンが出てるじゃないですか、それでこの紹介になったというわけです。

1963年からこの1965年まで、ハッチャーソンはアンドリュー・ヒルの「ANDREW !!! 」「JUDGMENT !」、エリック・ドルフィーの「OUT TO LUNCH !」といったアルバムにサイドメンとして参加していますが、このアルバムには、そういった経験が充分に活かされているように思えます。

リーダー盤といっても、ハッチャーソンのオリジナル曲は一曲もなく、ヒルとジョー・チェンバースの曲で構成されています。ヒルの曲「LES NOIRS MARCHANT」など聴くと、たんに自由に走るのではなく、一つの形式をふまえた上に成り立つ自由、つまり、ドルフィー的感性があるように私には思え、二人との共演がハッチャーソンのこのアルバムに多いに影響を及ぼしている感じがします。
逆にそれが保守的なものに感じ取れるとも言えなくもありませんけど・・・・う~~ん、私は好きです。

ドルフィーにしても、ヒルにしても、そしてハッチャーソンにしても、何処かにとても知的な部分を感じてしまうのは、私だけの感覚でしょうか?
それを良しとするかいなかは、リスナーそれぞれでしょうけどね。

DIALOGUE / BOBBY HUTCHERSON
1965年4月3日録音
BOBBY HUTCHERSON(vib,marimba) FREDDIE HUBBARD(tp) SAM RIVERS(ts,ss,b-cl,fl) ANDREW HILL(p) RICHARD DAVIS(b) JOE CHAMBERS(ds)

1.CATTA
2.IDLE WHILE
3.LES NOIRS MARCHANT
4.DIALOGUE
5.GHETTO LIGHTS


万葉人は庶民的?

2008年10月18日 | s-u

今日も秋晴れ、眩しいばかりの日差しは汗ばむほどです。それでも、先日まで直接カップに注いでいた珈琲が、カップを温めないとぬるくなってしまう、そんな時「あ~~秋は深まっているんだなぁ」なんて思ってしまうのであります。

朝なぎに 来寄る白波見まく欲り
我はすれども 風こそ寄せぬ
           (作者不明)

朝の凪に寄せて来る白波のような恋人を見たいと思いはするけど、風は波を寄せては来ない・・・・
「あ~あのお方にお逢いしたいけど、どうにもこうにもそのチャンスはやって来ない、それでもやっぱり逢いたいわ」
てなところでしょうか?
万葉集巻7に載る作者不明の歌だそうですが、いかにも万葉の恋歌でありますねぇ・・・
いやいや、そういう話題ではなく、
その珈琲を飲みながら新聞を読んでおりますと、カワイコチャン綾瀬はるかに関する「ゾクゾクする絶対美人」という記事も気になりながら、社会面に載っていた「最古の万葉歌木簡」との記事に目が留まりました。

奈良県明日香村の石神遺跡(飛鳥時代)から出土した7世紀後半の木簡に、国内最古の歌集、万葉集の歌が記されていたことが、森岡隆・筑波大准教授(日本書道史)の調査でわかった。

のだそうで、
その木簡に記されているのが、この「朝なぎに 来寄る白波見まく欲り・・・」であるというのです。
木簡は7世紀後半のものと推定され、万葉集巻7成立時期より少なくとも半世紀以上古い時代の物なのだそうですよ。
って、あはは、じつは私はそんなことはどうでもいいというか、「半世紀違ったからって、なんなんじゃい」といった感じなのですが、この木簡に書かれた文字がこの歌だろうと推定する過程に興味が湧きました。

森岡教授によれば、通常木簡は右から書く例が多かったため今まで意味が判明できなかったけど、土器に左から歌を書く例があったことから判断したんだそうですが、なんとこの文字には万葉仮名の誤字となまりがあるのだろうというのです。
木簡の写真と書いてあった文字はこちらで確認できますので、ご覧いただければと思いますが、
「朝なぎ 来寄る」の「きよる」の部分が「きやる」になっているのはなまり、「白波」の部分が「しらなに」と書かれているのは「弥(み)」という字を「(あ~~ん、字がない)」にんべんに尓の字を着けたような字なんですが、その「に」と読む字と間違えたのだろうという推測で・・・・

万葉の時代の誤字となまりって、なんだかとっても嬉しくありません?楽しくありません?そんなふうに思うのは私だけかなぁ????????

この木簡に書いた人ってどんな人なんだろうって思っちゃうんですよねぇ。
そんでもって、これはかなりの飛躍ですが、東北人としちゃぁですね、もともとこの歌が
「おら、はぁ、にしゃに逢いだくて逢いだくてしかたねぇげんども、ちっともそんだらふうになんねぇんだぁ」
みたいなんだったら笑っちゃうし(絶対に東北弁ということはあり得ませんが)
さらに、誤字でしょ、14世紀も昔の人ですけど、へんに親しみが湧いてくるんです。(笑)

「へへへへへ、誤字だって、笑っちゃうね」って、この木簡を書いた人に言ったら
「誤字脱字の天才には、言われたかないね」って、切り替えされるでしょうけどね。

ちなみに、ネット上のasahi.comの記事には

■「はやり歌」の可能性
 上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話 木簡の歌は、万葉集が完成するかなり前から詠み継がれてきた「はやり歌」の可能性がある。口頭で歌われたものを書きとめたため、一部に間違いもあるのだろう。万葉集は訓読みの漢字や万葉仮名で書かれた後世の写本しか残っていないが、7世紀後半の時点で万葉仮名で歌が書かれていたことがわかり、非常に意義深い。

とありましたので、今でいえば、歌詞カードがない歌を覚えたくて、音源を聴きながら一生懸命歌詞を書き取って、完全に覚えたつもりでカラオケで歌ったら、歌詞が微妙に違ってたみたいな、なんともこれまた親しみの持てる原因がそこにはあったのかもしれないわけで・・・・
「うん、万葉人良い、とっても庶民的」
そう思ったのでありました。

さて、今日の一枚は、セシル・テイラーです。
昨日、「キース・ジャレットをジャズと感じることが出来ない」などと書いておいて、「おいおい、セシル・テイラーこそ」と言われる方もおるやもしれません。

ブルーノートの前作「UNIT STRUC TURES」ほどの衝撃がない分、本アルバムの方が聴きやすい一枚であるとは思いますが、昨日私がこだわっていたインパクトといった面では、充分伝わってくるものがあります。

特にブルーノートの真髄である綿密なリハーサルが、オーケストラ的サウンドの中で、じつは繊細で緻密なテイラーのピアノを強調しているという感じを受けます。
テイラーというピアニストを好きかと訊かれれば、正直「?」と考える私ですが、たまにこの世界に入り込むのも悪くありません。
そんな時、最も入りやすいアルバムがこれかもしれません。

CONQUISTADOR / CECIL TAYLOR
1966年10月6日録音
CECIL TAYLOR(p) BILL DIXON(tp) JIMMY LYONS(as) ALAN SILVA, HENRY GRIMES(b) ANDREW CYRILLE(ds)

1.CONQUISTADOR
2.WITH


時代は変わったんだねぇ

2008年10月17日 | j-l

「バブちゃん、今朝キース・エマーソンがテレビに出てたよ」
ランチを食べに行ったら、マスターがすかさずこう言ったのであります。
「えっ?キース・エマーソンって、あのキース・エマーソン?・・・・何に出てたのよ?」
マスターの話によれば番組はフジテレビ系の「とくダネ!」
「えっ?!小倉智昭のやつ?何々?来日コンサートの模様か何か?」
そうではなくて、来日公演のさなか生で本人がヒョコヒョコ出てきたんだそうで
「マーク・ボニーラと二人で出てきて、生演奏もやってたよ」
「なにそれ?」

以前もお話ししましたが、中学、高校時代、私はエマーソン・レイク・アンド・パーマー、ELPの大ファンで、LPはもちろん、エアー・チェックも欠かさず行っていました。(ジャズ喫茶に通い、アルバイトしながらも...笑)

もちろん、コンサートなんかにゃ行けませんから、始めてNHKの・・・ん~~~~何だっけなぁ・・・・・ヤング・ミュージック・ショー?(ローリング・ストーンズもクリーム時代のクラプトンも、動く姿はあの番組で始めて見たような・・・・・)
ともかく、映像を見て
思う以上の美少年だったグレッグ・レイクの美声にうっとり、カ-ル・パ-マも若いわりには迫力ありましたし、もちろんキース・エマーソンだって
「かっちかちやねん、かっちかちやねん」
みたいに楽器にナイフ刺したり、乗っかったり、下敷きになったり
「そりゃもうビックリさ」
てなもんですよ。(笑)

「キース・エマーソンって、今いくつなんだろ?」
「さぁ????でもずいぶんポッテリしてたよ」とはマスター
調べてみたら1944年生まれといいますから、六十三、四、そりぁメタボっていても仕方がない歳ですよね。
もう「かっちかちやねん、かっちかちやねん」は無理だろうなぁ

それにしても、朝の情報番組にキース・エマーソンが生出演して、しかも生演奏まで聴かせるなんて・・・・・・時代は変わったのですねぇ
キースはもちろん、私だって歳をとるわけだわ。(納得)

さて、今日の一枚は、キースつながりでキース・ジャレットです。(かなり無理矢理ですが)
アンチ・キース・ジャレットの私が、そこそこ彼のアルバムを保有していることは、以前も話しましたよね。アンチ・ジャイアンツと同じで、裏を返せば、どうしても気になってしまう存在、じつは彼のファンなのかもしれません。(笑)

私をアンチ・キース・ジャレットにした最大の原因は、「THE KOLN CONCERT」の聴かされ過ぎであったことも確かですが、当初のリーダー・アルバム(この盤も含む)に、さほどの印象を持たなかった点にもあります。
このアルバムの最大の聴き所をボブ・ディランの「MY BACK PAGES」だと称するのが一般的?だけど私にはそれほどのインパクトを与えてくれるものではありません。むしろ鼻につくようなところもあって(キース・ファンには、ほんとにほんとにすいません。アンチの言葉としてお許し下さい。)
むしろ「FOREST FLOWER」でのキースの方が、印象的だったと言っても良いくらいです。
だって、ジャズっぽくないっていうか(あくまでわしの私感ですよ、何がジャズっぽいかなんて規定は無いんですから)、面白味が無いんですよねぇどうしても、タイトル曲「SOMEWHERE BEFORE」を「彼がいかにジャズ・ピアノの伝統を大事にしているかということがわかるでしょう」とか中野宏昭氏に言われても、私にはちっともわかりません。(笑)
チャーリー・ヘイドンのベースも目立ってはいるんですけど、バーン!って響くところがないし・・・・

世間一般にはそこそこの評価を受けているこのアルバムなのですが、ごめんなさい、私は、こうして久しぶりに聴いてもやっぱりダメです。
なら、なんで持っているのかって? そこがアンチたる所以です。

SOMEWHERE BEFORE / KEITH JARRETT
1968年10月30,31日録音
KEITH JARRETT(p) CHARLIE HADEN(b) PAUL MOTION(ds)

1.MY BACK PAGES
2.PRETTY BALLAD
3.MOVING SOON
4.SOMEWHERE BEFORE
5.NEW RAG
6.A MOMENT FOR TEARS
7.POUTS' OVER (And The Day's Not Through)
8.DEDICATED TO YOU
9.OLD RAG

追伸、
NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」っていうのは、今考えると画期的な番組だったですよね。
私は下宿生活を始めるまでですから中3まで、不定期だったあの番組をチェックして見ていました。今のように録画機器があれば間違いなく映像を保存していたでしょうねぇ、いや、無かったからこそ逆に強い印象が残ったのかもしれないなぁ。
ともかく、ジャズにしてもロックにしても音楽全般に対し「聴こう観よう」という姿勢は、現代の若者には絶対に負けなかった、そんな気はしますね。