JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

訊く人間違ってると思うよ

2008年05月19日 | y-その他

風の向きが変わって今日は曇り空、間もなく雨も落ちてくる予報です。

漏れ聞くところによれば、サザンオールスターズが来年から活動を休止するそうで、若い世代と私とをつなぐ唯一と言っていい共通項だっただけに、少々残念に思います。
まぁ、それはそれだけ長く活動をしてきたおかげでもあり、よくぞここまでやってくれたと感謝すべきことなのでしょうけど

学生時代からお付き合いをし、結婚まで考えていた女性を、始めて田舎の家へ連れてきたのはいつだったでしょう。(結局別れてしまいましたけどね)
当時、私は横浜でのアパート住まいで、当然車など持っておりません。父の車を借りて田舎のあちこちに彼女を連れて歩いた覚えがあります。(SSSのブルーバードだったと思います...笑)
当然といえば当然ですが、当時父の車に積んであったカセットテープは演歌や懐メロ(当時の)オンリー、さすがにそれはつまらないとガソリンスタンドでカセットテープを一本買ったのでした。(これも時代ですね、コンビニじゃないところがいい)
そのテープが、たしかサザンの「ステレオ太陽族」じゃなかったかなぁ・・・とすると何年だ?

ジュリー(沢田研二)好きの彼女とジャズ好きの私では、音楽の好みの溝が埋まることはありませんでしたが、サザンだけは例外で、楽しいドライブが出来ましたっけ

♪ 彼女が髪を指で分けただけ それがシビれるしぐさ
  心にいつもアナタ だけを映しているの ・・・・・ ♪

まさに、私もそんな感じの時だったんですよ・・・・・・・・・

「おいおい、何浸ってんだよ!」

まっ、ともかく休止は残念ではありますが、その間もそれぞれにご活躍されることを期待しましょう。

ところで、話は大きく変わるんですが、とある方にこんなことを訊かれました。
「バブさん、MJQについて教えて欲しいんだけど、特に結成時あたりについて」
いまさらMJQが好きになっちゃったって人も珍しいですが、そう訊かれてもねぇ、あたしゃ特別MJQ大好き人間でもありませんし、
「いやぁ、それは訊く人を間違ってると思うけどなぁ」
とは言ったのですが、私が知ってる範囲でいいというので、ブログに書く約束をしてきてしまいまして

え~前もって言っておきたい言い訳を一つ、私はジャズの評論家でも、ジャズ史研究家でもないので、間違ったことを口走る傾向があることをご理解下さい。(笑)

MJQ、THE MODERN JAZZ QUARTETといえば、当時ディジー・ガレスピー楽団に所属していたミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス、パーシー・ヒース、ケニー・クラークによって1951~52年にかけ結成され、長期間活動を続けたモダン・ジャズを代表するグループ、といった紹介が一般的でしょうか。
でも、結成当初は、誰かが「ようし、MJQってコンボを組もうぜ」と言って始まったものではありません。たんに仕事の依頼があれば、それに合わせてコンボを組む、MJQの前身もそれであったわけです。
つまり、ガレスピー楽団でいっしょなら、気心も知れてるし集めやすい、そんな乗りだったのではないでしょうか。

MJQ誕生に一つ大きく影響したのは、1951年7月23日のブルーノートでのレコーディングであると言われています。
録音を依頼されたジャクソンは、ルイス、ケニー、そしてレイ・ブラウンに声をかけます。
ところがブラウンは奥様(当時の)エラ・フィッツジェラルドにお熱過ぎたんでしょうね、結局、ベーシストにはヒースが加わることになりました。(げんに一ヶ月後に録音されたサボイでのレコーディングにはブラウンが参加しています。「THE MODAN JAZZ QUARTET」に収録)

この時、ジョン・ルイスがこのグループに大いなる野望を抱いたのだと思います。
野望というのは少し嫌な言い方ですが、ルイスはご存じマイルスの「BIRTH OF THE COOL」のメンバーとして編曲も担当しました。ここに参加したもの全てがそうであったように「あまりに身勝手に進みすぎるバップにおいてのアドリブに、いかに統一性を持たせるか」という命題を持ち、ルイスもまたこだわりを持っていたのでしょう。(それ故、統一性を必要とするビッグ・バンドの編曲も手がけていたのだとも思います。)
そして、彼なりに思う試みを実現しうるメンバーを欲していたのだと思います。
これに合致したのがこの時のメンバーであり、ジャクソンが声をかけたグループではあったものの「面倒なリーダーはやりたくない、このグループはみんなの音楽を演るんだ」とのジャクソンのことば通り、いずれルイスが編曲全てを、そして実質的リーダーへとなっていくわけです。
ただし、これに反発するメンバーが一人だけいました。そうケニー・クラークです。結局彼は1955年にグループを去り、以降コニー・ケイがドラムスを勤めます。
つまり、それ以外のメンバーは、以降長期にわたってジョン・ルイスの示す方向へ反発を見せなかったと言うことでもあり(最後にジャクソンはどうであったかは別として)、私が、「ジャクソンは、MJQ内でどうにも縮こまった演奏をせざるを得ない。ジャクソンは苦しいんだろうな」との評価が、好み云々は別として、当たっていたとは思えない理由でもあります。

1951年といえば、アート・ブレーキーとホレス・シルバーがジャムリ始めたとき、つまりもう一つの長期グループ、ジャズ・メッセンジャーズが生まれようとした年代でもあり、さらにそれ以降起こっていくイースト・コーストでの新たなムーブメントが種火のごとく燃え始めた時期でもあります。
しかし、MJQはそれらとは全く違った、バロック時代からグループ形態、対位法といった技法を借りてきてジャズと結びつけるという、独自の方法で活動を続けていくことになります。
話をまた戻すようですが、ミルト・ジャクソンの活動を見ていると、彼はじつに貪欲な人だったのではないかと想像するんです。つまり、いわゆるイースト・コーストでの新たなムーブメントにも身を置き、更に、それとは一線を画すMJQの音楽性にも身を投じ、バイヴという楽器の可能性を追いかけてみる、そんなルイスとはまた違った野望を持ってたんじゃないか、なんてね。

え~~~長くなりました。
MJQとは「クール・ジャズ以降、唯一イースト・コーストに留まり、クール・ジャズに与えられた命題を追い続けたグループ」あはははは、私はこんなふうに捉えています。

こんなんで勘弁してください。

さて、ということで今日の一枚は、とうぜんMJQということになります。
アトランティックに移籍して最初のアルバムです。
「VERSAILLES」とか「FONTESSA」なんていかにもいかにもで、「このヨーロッパかぶれめ!」とジョン・ルイスに突っ込みを入れたくなりますけど、この全体に流れる美しさというか、落ち着きというか、これがMJQの魅力なんでしょう。
ちなみに「WOODYN YOU」はウディ・ハーマンに捧げられた曲です。

FONTESSA / THE MODERN JAZZ QUARTET
1956年1月,2月14日録音
MILT JACKSON(vib) JOHN LEWIS(p) PERCY HEATH(b) CONNIE KAY(ds)

1.VERSAILLES
2.ANGEL EYES
3.FONTESSA
4.OVER THE RAINBOW
5.BLUESOLOGY
6.WILLOW WEEP FOR ME
7.WOODYN YOU