JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

体格を恨むな

2006年01月31日 | g-i

今日は珍しく休肝日にしようと、この時間まで我慢をしております。あとは風呂上がりの誘惑に負けなければ何とかなるでしょう、なると思う、大丈夫、だいじょうぶ。

私には2人の子供がおりますが、ときおり、兄弟なのにこんなにも違うのかと思うときがあります。

上は男の子で、小さいときから、きょくりょく音楽に親しませようと努力したのですが、まったく興味を持たず、しかも今どき珍しいほどの音痴。背と足だけは誰に似たのかすくすくと育ち、気が付けば小中高校とバスケをやっておりましたし、足もそこそこ速く、小学校時代は、リレーの選手を卒業まで続けておりました。

対照的に下の女の子はどうにもこうにも背が伸びず、足の速さも中の中、いかに親バカでも運動能力が高いとは言えません。
ところが、小さいときから音楽が好きで、習わせたわけでもないのに、家にあったキーボードもどきを弾き、中学にはいると迷わずブラスバンドを始めました。おもえば、小さいときに私の膝の上でいっしょにリズムを刻んでくれたのは、下の娘だったように思います。
小学生の頃、私がたまたま手伝っていたアマチュア・コンサートを見に来て
「お父さん、私いつかこれにでたい」とも言ってくれました。(あの頃は可愛かった...しくしく)

兄弟とはいえ、かくも違うものなのですね、我が子ながら最近つくづく考えさせられます。おそらく、酒も下の方が強くなりそうで心配しておりますが、

おっと、唯一共通点が.....学習能力の低さは、親ゆづりであります。

さて、何故こんな話をしだしたのか?
それは、今日の一枚に原因があります。
ジョニー・グリフィンといえば、「リトル・ジャイアント」と呼ばれ、とても小柄なテナーマンでした。お父さんはコルネット奏者、お母さんは歌手という、音楽一家に生まれたグリフィンでしたが、「テナー・サックスを吹きたいよぉ」と言っても、大きなテナーを持つのは無理だと、背が低いことが原因で、泣く泣くアルト・サックスを手にしました。

ここ、ここですよ。我が娘と重なるんですねぇ、(しくしく)
おやじがテナーを好きなことをしってかどうかは、わかりませんが、娘も本当はテナー・サックスをやりたかったらしいのです。ところがテナーを手にした瞬間に思ったそうです。「楽器を持ってるんじゃなくて、持たれてるみたい」
それで、しかたなくアルト・サックスを選びました。

話を戻しましょう、グリフィンは17歳でライオネル・ハンプトンのオーケストラに誘いを受けます。そして念願のテナーを手にするのでした。10年後、彼は小さな体で大きなテナー・サックスから「ガン・ファイター」と呼ばれるほど、凄まじい早さで吹きまくるテナーマンになっていました。

こう話したら「CHICAGO CALLING」だろう、と言われそうですが、今日はあえて「A BLOWING SESSION」にしてみました。
テナー3本、トランペット1本、4管編成で、なんとも凄い組み合わせ、しかもリズムセッションも、そうそうたる面子です。そのわりにはまとまりすぎかなぁという気もしますけど、それでも私は好きな一枚です。

A BLOWING SESSION / JOHNNY GRIFFIN
1957年4月6日録音
LEE MORGAN(tp) JOHNNY GRIFFIN(ts) JOHN COLTRANE(ts) HANK MOBLEY(ts) WYNTON KELLY(p) PAUL CHAMBERS(b) ART BLAKEY(ds)
1.THE WAY YOU LOOK TONIGHT
2.BALL BEARING
3.ALL THE THINGS YOU ARE
4.SMOKE STACK

おまけ、
我が娘が、未だにテナーに未練があるのか? 最近、会話をしてくれない私には、確かめようもありません。(えーーん、泣いちゃうぞ!)

あらまぁ、立派な馬鈴薯!

2006年01月30日 | p-r

今日はとても暖かい一日でしたが、我が家の夕食のメニューは、何故か『おでん』。
「おい、どうせならもっと寒い日にすれば」
「イヤだったら、魚でも焼いて食べれば」
「イヤなんてとんでもない、熱々の『おでん』を美味しくいただかせて頂きます。はい」
ということで、こんな暖かい夜に、熱々の『おでん』で一杯ということになってしまいました。

『おでん』の具で、私が一番好きなのは大根でしょうかね、飴色にだしがしみた大根は最高です。「あれ?まだ真っ白なんだけど....」文句は言うまい。
ところで、大根はさいしょ「おおね」と呼んでいたというお話しをご存じでしょうか?
大根というのは、日本書紀にもでてくるほど古くから食べられていた野菜だそうで、日本書紀には「於朋泥(おほね)」と記され、「大きな根」という意味だったそうです。つまり「おほね」→「おおね」となり、これに漢字をあてて「大根」、いつしか訓読みに変わってしまったというわけ、
ちなみに私が通っていた大学の最寄り駅は、「大根」と書いて「おおね」という駅でありました。(いまは大学名が駅名になっているそうですが)

次に欠かせないのは「はんぺん」ですかね、
はんぺんはんぺんって「おーい、はんぺんは?」
「はんぺんは入ってないよ」
ガッガーアン!.....(ほんとはあったんだけど食べちゃったんじゃないの?)
元禄時代、江戸は日本橋「神茂」で初めて造られたという、あのホワホワの物体、当初は半月形をしていました。これは、お椀の蓋の半分にすり身をのせて整形したせい、そこから「半片」→「はんぺん」となったという...あーあ、今日は「はんぺん」無しかいな

「あら?ジャガイモが、まるのまんま入ってるよ」
これがけっこう旨い。
「ジャガイモ」は文字通り、「ジャガタラ(ジャワ)からきたイモ」で「ジャガタライモ」→「ジャガイモ」となりました。
じゃあ、「馬鈴薯」はどこからきた言葉か?これが面白い。
もともとは中国でできた言葉ですが、「薯」はイモの意味ですからそのまんま、問題は「馬齢」です。そのまま考えれば、馬の鈴ということになります。
「牛でいうところのカウベルかい?」さにあらず
振っても音のでない鈴であります、じつをいうと、♂の一番大事なところ(もの)、矛じゃないほう、ふたっちゅぶら下がってるヤツ、あれのことであります。
馬にお会いになったときに、はたしてジャガイモに似ているかどうか、ぜひともお確かめ下さい。

そんなこんなで、日本酒をいただきながら、おやじの夕餉は過ぎていきましたとさ。

さて、今日の一枚は、ロリンズにしてみました。
自分のプレーに自信が持てなくなってしまったロリンズは、プレーボーイ・ジャズ・フェスティバル出演を最後に、またしても雲隠れしてしまいました。彼が姿をあらわしたのは、1961年11月13日、ブッカー・リトルの追悼セッションであります。この間、全てを1からやり直そうと考えたロリンズは、毎日のように、イースト・リバーにかかるウィリアムズバーグ・ブリッジの上で、練習を続けていました。復帰をはたしたロリンズは、RCAビクターと契約、1962年1月30日、ジム・ホールを加えた新しいグループで録音、練習を続けた橋を思わせるオリジナル「THE BRIDGE」をタイトルとしたアルバムとして発売されました。

THE BRIDGE / SONNY ROLLINS
1962年1月30日, 2月13、14日録音
SONNY ROLLINS(ts) JIM HALL(g) BOB CRANSHAW(b) BEN RILEY(ds) 5のみH.T.SAUNDERS(ds)
1.WITHOUT SONG
2.WHERE ARE YOU
3.JOHN S.
4.THE BRIDGE
5.GOD BLESS THE CHILD
6.YOU DO SOMETHING TO ME

待ち合わせデート

2006年01月29日 | m-o


昨晩は、夕刻の呼び出しをこれ幸いと、このブログにもときおり遊びに来て頂いている「おーくのママ」のお店へ
「今日は飲み過ぎないようにしよう」と言うと
「ほんとに~~~~?」と突っ込まれてしまい、結局はいつものように、いつもの量をいただいてまいりました。

いい気分で飲んでいると、以前にもお会いしたお客様が、私より二回りも年上とおっしゃる素敵な女性同伴で入っていらっしゃいました。
訊けば、以前にとあるお店で知り合われ、同じ北海道出身ということで意気投合。
「息子みたいに若い人と、今日は待ち合わせをしたのよ」
「お母さんのお話を聞いていると、楽しくて」

初めてあったその場で、1月28日の7時に待ち合わせをしましょうと約束をされたそうで、お母さん(そう呼んでいらしたので)は、その日が来るのをとても楽しみになさっていたそうです。
「遅れちゃいけないと思ってたら、嫁が息子に頼まれていたって送ってくれたのよ。私は待たせるのが嫌いだから、先にお店に着いたんだけど、お客さんが一杯で....そしたらね、カウンターに予約って札が置いてあって、マスターが私達のために席を取っておいてくれたのよ、粋よねぇ!」とても楽しそうにお話し下さいました。

「そういえば待ち合わせのデートなんて、俺、何十年してないだろ? なんかとっても良いなぁ」と私、

「○月△日の7時に、○○で待ってるから」そんなこと言っちゃって、その日が来るのをドキドキしながら待っている....いいなぁ
だれか、私と「待ち合わせデート」をしませんか?

さて、今日の一枚は、またまたモンクであります。
先日亡くなった、プレスティッジのボブ・ワインストックは、ミュージシャンへの支払に関しては、あまり「きれい」なほうでは無かったそうで、音楽面ではなく、この点でモンクにも不満があったようです。1955年「モンクがプレスティッジを離れたがっている」という電話がリバーサイドのオリン・キープニュースのもとにはいりました。キープニュースは、108ドル27セントをモンクに渡し、プレスティッジに前払い超過分として返却させ、無事モンクをリバーサイドに迎えることに成功しました。

キープニュースはモンクの「難解なピアニスト」というイメージを打ち破るべく、契約第一作目に「デューク・エリントンの作品集」なる企画をぶつけます。
モンクがリバーサイドに移籍して初のアルバム、それが今日の「THELONIOUS MONK PLAYS DUKE ELLINGTON」です。
モンクのオリジナルは当然1曲も入っていません。あまり評価されない一枚ですが、エリントンの曲も、モンクにかかれば「やっぱりモンクだぁ」となっております。

THELONIOUS MONK PLAYS DUKE ELLINGTON
1955年7月21, 27日録音
TELONIOUS MONK(p) OSCAR PETTIFORD(b) KENNY CLARKE(ds)
1.IT DON'T MEAN A THING(IF IT AIN'T GOT THAT SWING)
2.SOPHISTICATED LADY
3.I GOT IT BAD AND THAT AIN'T GOOD
4.BLACK AND TAN FANTASY
5.MOOD INDIGO
6.I LET A SONG GO OUT OF MY HEART
7.SOLITUDE
8.CARAVAN

おまけ、
ちなみに、エリントンはモンクにとってアイドルの一人だったそうです。この企画にのったのもそんなことが関係していたのかもしれません。
それと、「BABU HOUSE」いくつかのコーナーを更新しましたので、よろしければご覧下さい。


ワ~レ~ワ~レ~ハ~ ウ~チ~ュ~ウ~ジ~ン~ダ~~~~

2006年01月27日 | g-i


今日は、風邪をぶり返さないよう、途中、寄り道をせずに帰ってまいりました。
これから、風呂にでも入り、家でゆっくり飲むことにいたします。

さて、みなさんは『宇宙考古学』なる学問(?)をご存じでしょうか?
今日、コーヒーを飲んでいると、うちの若いのが突然
「バブさん、デニケンって知ってる?」
「デニケン?(まさかあのデニケンではあるまい) なんだ、電気関係の検定か?」
「違いますよ、いえね、昨夜飲み屋でヘンなヤツといっしよになりまして....」

デニケンとは、私がまさかと思ったエーリッヒ・フォン・デニケンでした。1960年代後半のオカルト・ブームのさなか『未来の記憶』なる本がベストセラーとなったことがありましたが、その著者がこのデニケンであります。
今どきの若者から、エーリッヒ・フォン・デニケンの名が出て来るとは.....

「じつはね、あの一夫多妻のハーレムおやじ話から催眠術の話になって、そしたら隣のお兄ちゃんがのってきちゃいましてね」
ふむふむ、催眠術の話が、オカルトっぽい話になり、どんどん話はそのヘンなお兄さんの独壇場になったのだそうで、ついにはUFO、古代遺跡、宇宙考古学の話まで出てきたのだそうであります。
「う~ん、それも一種のオタク君なのかなぁ?」

『宇宙考古学』なる学問(?)は、まさにデニケンがとなえた説で、いわゆる古代の大規模建築物や、オーパーツと呼ばれる古代には考えられないほど進んだ知識や技術、はては聖書に書かれた奇跡までも、全てが宇宙人の仕業だとする無茶苦茶な説であります。
だから、学問と呼べる代物かどうか?(いやいや、その彼なんかにすれば立派な学問ということになるのでしょうけど)


何故ゆえに、私がこんな話を知っているのか? 何故、デニケンの本まで所有しているのか?
それは大学時代のサークル活動に由来するのですが、そのお話はのちのち

「デニケンに興味があるんだったら、本貸してやるぞ」
「いやあ、いいですよ、それよりハーレムおやじの呪文のほうが、興味あります。」

今日の一枚は、催眠術にも、宇宙人にも、まったく関係ありませんが、昨晩のコルトレーンとはコロッと雰囲気を変えて、ガーランドにしてみました。
私は、この「サマー・タイム」と、ローランド・ハナの同曲(ジョージ・ムラーツがリーダーの「PORGY & BESS」)を聞き比べる、なんてことをやったことがありました。
ガーランドとハナじゃ比べる対象が違うかもしれませんが、この2曲に関しては、ちょっと面白みがあるんじゃないかなぁ、なんて思うのですよ、いかがでしょうか?

ALL KINDS OF WEATHER / RED GARLAND
1958年11月27日録音
RED GARLAND(p) PAUL CHAMBERS(b) ART TAYLOR(ds)
1.RAIN
2.SUMMERTIME
3.STORMY WEATHER
4.SPRING WILL BE A LITTLE LATE THIS YEAR
5.WINTER WONDERLAND
6.'TIS AUTUMN

おまけ、
チャリンコ、見てる? デニケンだってよ、デニケン。笑っちゃうね。


大都会を闊歩

2006年01月26日 | a-c


やっぱりインフルエンザ・ウイルスも宿主を選ぶ権利があったようで、昨日までの不調はどこへやら、「バブ復活!」であります。

帰宅途中、スイング・ジャーナルの立ち読みでもしようと、書店を覗くと、月刊プレーボーイの表紙が目に入りました。もちろんグラマラスなプレイ・メイトの表紙ではなく、ブルー・トレーンのジャケット写真が使われた表紙ですよ。
昨年から、コルトレーン特集を月刊プレーボーイでやることは知っていました、買うかどうかはパラッと内容を見てからと思っていましたが、いざ表紙を見てしまうとやっぱり買ってしまいますね。そういえば昨年のビル・エバンス特集号も買っちゃったもんな。


「ジャズに命を捧げた聖者」と名付けられた特集は、中山康樹氏監修で、なかなかの内容でありました。
中山氏の「コルトレーン、2大ライブ名盤の洗礼」を読んでいると、話は「SELFLESSNESS」と「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」なのに何故か「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN」の時の写真が、むろん「これは5年後の....」という注意書き付で使われておりました。

とりあえず、夕食を済ませ、ひととおり読み終えたとき、
「うーん、『LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN』のマイ・フェイヴァリット・シングスを、久しぶりに聴いてみようかな.....けっこう力がいるぞ」

聴きました...バーボンを一杯用意しましたが、口も付けずにいっきに聴きました
「フー....」

「コルトレーン極めつきの30枚」という記事の中での「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN」対する田中伊佐資氏の解説
『前略.....心和らぐ美旋律とは無縁、聴くというよりも、体当たりし、知覚を総動員して激浪を受け止めよう。しかし今どきはiPodに詰めて、大都会でも闊歩すれば最高にスリリングなBGMになるかも。』

あははは、大都会を闊歩、なるほど、でもドライブは不可能ですね。

LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN / JOHN COLTRANE
1966年5月28日録音
JOHN COLTRANE(ts,ss,bcl) PHAROAH SANDERS(ts,fl) ALICE COLTRANE(p) JIMMY GARRISON(b) RASHIED ALI(ds)
1.NAIMA
2.INTRODUCTION TO MY FAVORITE THINGS
3.MY FAVORITE THINGS


ギョ!

2006年01月25日 | d-f


やはり風邪気味のようで、午前中は酒のせいで頭痛がしているのかと思ったら、微熱があり、またしてもいつもの喫茶店でしばしの休息、
「バブさん、風邪?インフルエンザじゃないだろうね、うつさないで下さいよ。」とマスター、
「そうだね、後でマスクでも買って付けるよ」

ちょっと早めのランチを食べていると、最近「二胡」にはまっているK君がやってきました。今や大人気の楽器になってしまった「二胡」、15,6年前まで「胡弓」と「二胡」は同じ楽器だと思っていた私ですら、最近は現物を手にとって観られるほどメジャーになってきました。やはり女子十二楽坊のおかげでありましょうか。
私の知り合いでも、彼を含め二人ほどこの楽器を練習しております。一人はコンサートで客に聴かせるほどの腕になりましたが

「どう?二胡の練習は進んでる?」
「いやあ、あの楽器は奥が深い、難しいですよ。この前チェン・ミンを聴きに行ってきましたけど、ギョッとしましたね音がぜんぜん違って」
「まあ、どんな楽器もそうだけど練習のたまものだね、あちらさんはそれで飯を食ってるんだから、あなたより数段上手くなくちゃ....あたりまえのことでしょ」

「ところで、バブさんギョッとしたで思い出したけど、ギョッとしたのギョってなんだか知ってます?」
「ギョッとしたのギョ?、『魚屋のおっさんが驚いた、ギョ』ってんじゃないの」

彼の話によれば「ギョ」というのは、中国、韓国の古代楽器なんだそうで、もともと演奏の終わりを知らせる楽器だったとか、その音にみんながビックリしたので、「ギョッとした」という言葉が生まれたそうであります。
まさに、「楽器の音にギョッとした」という、彼の言葉使いは大正解?

これは調べなければと、帰宅後、風邪も忘れて調べてみると、有りました「ギョ」(吾攵)なる楽器が


虎の背中のギザギザ(何故か27個だそうですが)を、竹の棒でこすって音を出すのだそうで、南米楽器の「ギロ」を思わせるようなものなのでしょうか。
「K君、ありがとう、また一つお利口になったよ」

さて、今日の一枚ですが「ギョ」も「ギロ」も関係がない、ブッカー・アーヴィンのアルバムです。チャールス・ミンガスのグループで名をあげたアーヴィンですが、なんともアクの強いテナー・マンであります。
このアクが、私は嫌いじゃないんですね、39歳で亡くなってしまった彼、「THE SONG BOOK」は、絶頂期のアルバムだと思います。

THE SONG BOOK / BOOKER ERVIN
1964年2月27日録音
BOOKER ERVIN(ts) TOMMY FLANAGAN(p) RICHARD DAVIS(b) ALAN DAWSON(ds)
1.PAVANE POUR UNE INFANTE DEFUNT
2.COME SUNDAY
3.ALL THE THINGS YOU ARE
4.JUST FRIENDS
5.YESTERDAYS
6.OUR LOVE IS HERE TO STAY

おまけ、
夜になり、熱も下がり、頭痛も治まってまいりました。今夜は酒の代わりに薬を飲んでおとなしく、就寝しようと思っています。
どちら様も、体調にはくれぐれもご注意下さい。


呪術

2006年01月24日 | d-f

昨夜からどうも気分がすぐれません。
熱があるとか、どうのこうのでもないのですが......
飲み過ぎ?それとも風邪でしょうか?それともそれとも、誰かが私に呪いでもかけているとか.....

「オレ、呪いかけられるほど、誰かに恨まれてたかなぁ?」
「何言ってんの、誰かに恨まれるほど仕事してれば、もう少し出世したでしょ」
「たしかに」

でも、なんだか頭の中で、コルトレーンの「OM」が、ずーーとながれているような。今日もこれからお出掛けだというに大丈夫でしょうか?
とりあえず、葛根湯を飲んでみましたが....
酒を飲めば、まあ大丈夫でしょう。

「バブさん、何か肩のあたりに黒ーいものが.....水子か?」
「バカヤロウ!」

コルトレーンが脱退後、マイルスは彼に代わるサックス奏者を、待ち続けました。そして、やっとついにウェイン・ショーターを得たのでした。
ライブ活動を続けていたマイルスは、久しぶりにスタジオへ戻ってきます、「ブラック・マジック4部作」の録音です。
ショーターの独特なサックスを「呪術的」とよんだのは誰だったのでしょうか?

ともかく、今日の1枚「E.S.P.」から「MILES SMILES」、「NEFERTITI」、「SORCERER」と、全ての曲をメンバーのオリジナルで固め、ジャケットすらそれまでとは感じの違う、何かにとりつかれたマイルスがここにスタートします。
はたして、ショーターの「呪術」だったのか、ロックに対する「危機感」であったのか、これ以降、私からマイルスは徐々に離れていってしまいました。

E.S.P. / MILES DAVIS
1965年1月21,22日録音
MILES DAVIS(tp) WAYNE SHORTER(ts) RON CARTER(b) HERBIE HANCOCK(p) TONY WILLIAMS(ds)
1.ES.P.
2.81
3.LITTLE ONE
4.RJ
5.AGITATION
6.IRIS
7.MOOD

おまけ、
今晩も酒におぼれる私ですが、もしどこかに私を恨んでいる方がいらしたら、「呪い」などかけずに、直接お話し下さい。けっこう聞きわけがよいと思いますよ(笑)




いろはにほへと...

2006年01月22日 | d-f

先日もちょっとお話ししましたが、今日は日曜日だというのに仕事が入り、それでも3時前には終わったので、一度飲んでみたかった自家焙煎のコーヒーを仕入、自宅でジャズ喫茶きどり、いい気分でコーヒーを楽しんでいました。
「夕飯はどうする?」
(エッ?今日は仕事だったんだけど....ひょっとして、それでも私に夕食を作れとおっしゃるの?)

男性のみなさんに一言
「料理なんざぁ、調子に乗って作るもんじゃありません。知らぬ間に作ることがあたりまえになり、知らぬ間に義務と化します。」
結局は、今日も私が夕食を作ることになってしまいました。(笑)

ここ数日は「○○ショック」の話で、新聞も、ニュースも、出先でも持ちきりです。
今日お会いした、とある会社の社長が
「○△モンは、もうダメだな。今は、地道にじっくりやるなんてのは、時代遅れかもしれないけど、俺なんかみたいに我慢しながらやってるヤツは、打たれ強いからね。だけどああやって、紙っぺらでホホホイって儲けちゃったりすると、弱いんだよ、あんがい」
ふむふむ、なるほどそうかもしれません。

 色は匂へど散りぬるを
 わが世誰ぞ常ならむ
 有為の奥山けふ超えて
 浅き夢見じ酔いもせず

何故に突然「いろは歌」か

「花は美しく咲いてはいても、一陣の風で散ってしまう、同じように楽しく生きている人もその栄華は続くことがない、悲しいことばかりが続く人生の山を越えてはきたけど、おもえばそれは、酒を飲んで眠ったときに見る浅い夢のようにはかないものだ。」とそんな意味でしょうか?
それにしても、七五調で上手いこと作ったもんです。

そうじゃなくて、何故に突然「いろは歌」かでした
死人までも出してしまった「○○ショック」、渦中の方に「いろはにほへと..」と読んで頂ければとふと思ったわけで
ゲームのようにつかんだ栄華の後の悲しみは、ほろ酔いで見る夢より、ずっと辛いものなのでしょう。でも、普通の人は悲しみ苦しみを頑張って乗り越えるから、楽しみもあり、振り返れば苦しみも夢のようなものになっていく、古い教えをバカにしちゃいけない。本当の喜びはそこにあるものなのですよ。

うんうん、今日はみょうに社会派だ。

さて、今日の一枚ですが
HPの「四方山話」で、ジャズ・レーベル、インパルスについて書いてみました。それで、ふと頭に浮かんだのがこのアルバムです。
久しぶりに聴いてみました。ギル・エバンスというとマイルスとの一連のお付き合いとアルバムを思い浮かべますが、じつをいうとこのアルバムも含めて、私はあまり得意な雰囲気じゃないんです。
「じゃあ、なんで紹介するんだ!」ってですか?
今日、何年かぶりでこのアルバムを聴いてふと思ったことがあります。
「へぇ~、1960年の録音なのに、なんだかとっても新しい」
古さを感じさせないんです、きっとこれがギル・エバンスの魅力なのでしょう。

OUT OF THE COOL / THE GIL EVANS ORCHESTRA
1960年11月18,30日,12月10,15日録音
KEG JOHNSON,JIMMY KNEPPER(tb) TONY STUDO(btb) BILL BARBER(tuba) CHARLIE PERSIP,ELVIN JONES(percussion) JOHN COLES,PHIL SUNKEL(tp) RAY BECKNSTEIN,EDDIE CAINE(as,fl,piccolo) BUDD JOHNSON(ts,ss) BOB TRICARICO(basson,fl,piccolo) RON CARTER(b) RAY CRAWFORD(g) GIL EVANS(p)
1.LA NEVADA
2.WHERE FLAMINGOS FLY
3.BILBAO SONG
4.STRATUSPHUNK
5.SUNKEN TREASURE



がんばれ!

2006年01月21日 | p-r

今日は「センター試験」、私が受験した頃に比べ、大学入試も大きく様変わりいたしました。
雪の影響は多少あったようですが、大きな問題は無かったようで、受験生は大変でしょうが頑張ってもらいたいものです。

毎年、新聞紙上に掲載される「センター試験」の問題を、
「ようし、挑戦してみるか」と、見たときには思うのですが、1,2問やると
「ダメだこりゃ」とすぐに、いかりや長介になってしまいます。
問題が難しくなってしまったのか、私の脳が退化してしまったのか、推して知るべしといったところでしょうか。

人間、一生の間に何度かの岐路が存在します。大学受験もその一つでしょう、ただここで躓いても、これから何度もある岐路に比べれば、小さいことかもしれません。

頑張っている受験生にソニー・レッドのお話しなどいかがでしょうか。
1950年代後半、アメリカ・ミシガン州デトロイトという町の若いミュージシャン達は、ニュー・ヨークに出て一旗揚げることが最大の目的でした。
1957年春、バリー・ハリスのコンボで働き、54年にはアート・ブレーキーのコンボでもプレイしたことがあったソニー・レッドは、カーティス・フラーと共に、大きな野望をいだいて、デトロイトからニュー・ヨークへやってきました。

ところが、すぐに仕事にありつけたのはフラー、トロンボーン奏者が比較的少なかった事が幸いしました。それに比べ、アルト・サックス奏者は掃いて捨てるほどの数がニュー・ヨークにはあふれていました。当然、ソニー・レッドも仕事にあぶれ、さらに運が悪いことに父親が亡くなり、1年少々でデトロイトに帰ることになってしまいます。
同じ野望をいだいてニュー・ヨークにやってきた二人の若者は、かたや順調な道を、かたや野望果たせず、故郷へ帰るというまったく違う道を進むことになってしまいます。

でも、でもですよ、ソニー・レッドは「夢」だけは捨てずにいました。1959年彼は再びニュー・ヨークに戻ってきます。
「たとえ煉瓦を食わなければならなくても」という強い意志を持って

そんなソニー・レッドに目を留めたのがブルーノートのアルフレッド・ライオンでした。
こうして、「夢」をあきらめなかったソニー・レッドが、ブルーノートから出したリーダー・アルバムが今日の「OUT OF THE BLUE」であります。

受験生諸君、目の前の難関を越えることも大切なことです。しかし「夢」を忘れずに立ち向かえば、みなさんの前にどんな岐路が出現しようとも、必ずや進むべき道を見つけられるでしょう。
「がんばれ!受験生」

OUT OF THE BLUE / SONNY RED
1959年12月5日,1960年1月23日録音
SONNY RED(as) WYNTON KELLY(p)
SAM JONES(b) JIMMY COBB(ds)[7,8]
PAUL CHAMBERS(b) ROY BROOKS(ds)[1~6]
1.BLUESVILLE
2.STAY AS SWEET AS YOU ARE
3.I'VE NEVER BEEN IN LOVE BEFORE
4.NADIA
5.BLUES IN THE POCKET
6.ALONE TOO LONG
7.THE LOPE
8.STAIRWAY TO THE STARS

憶える気

2006年01月20日 | a-c

訃報続きの昨今ですが、我が家の固定電話機もついにその時がやってきました。

昨年、近所へ落雷があり、我が家の電化製品にも多少なりとも影響が出たことがありました。
電話機もその一つで、それ以来ときおり雑音が入ったり、親機の呼び出し音が鳴らなかったり、それでもゴマカシゴマカシ使っておりましたが、ついに相手の声がまったく聞こえなくなってしまったのです。

早々に近くの量販店で仕入れてまいりましたが、ここからが大変、うちの母はテレビのリモコンですら使い方をマスターするのに、何日もかかったという世話のやけるお方で、壊れた電話機のメモリー・ダイヤルを使えるようになったのが、なんと昨年というありさま。
「せっかく、電話簿見ずにかけられるようになったのに」
「大丈夫、こんどの電話機もメモリー機能があるから」と言っても
「また、使い方が違うんだろ」

明日は、ダイヤル・メモリーの登録作業と母への使用方法の特訓を、しなければいけません。極力機能の少ない単純な電話機を探してきましたので、
「母、頼むから憶える気(!)をだしてくれ」

最近の技術の進歩には、私ですらついて行けないこともあります。今使用している携帯電話も、全ての機能を私は把握していません。「宝の持ち腐れ」なのか「いらぬ機能を付けすぎ」なのかはわかりませんが、価格に含まれているかとおもうと、ちと腹が立ったりしてしまいます。

ブルーノートが新技術、ステレオ録音を導入したのは、アート・ブレーキーの「ORGY IN RHYTHM」(1957年3月7日録音)からでした、しかし、モノラル録音も併用して行っていたため、ステレオ盤の発売をすぐに始めたわけではありません。初のステレオ盤を出したのは、その録音から2年以上後の1959年8月のことです。アルフレッド・ライオンも、やはり新技術には一抹の不安があったのでしょうか?

そのくせ、ライオンは演奏の切り貼り(編集)によって、アルバムを作る技術は、すでに行っていました。
今日の一枚、「SONNY'S CRIB」もそんな一枚です。
1曲目「WITH A SONG IN MY HEART」は、テイク10の演奏から、ソニー・クラークのピアノ・ソロをカットし、テイク9のピアノ・ソロをはめ込みました。
2曲目「SPEAK LOW」も、テイク7の演奏からトランペットとピアノのソロ部分をテイク6のものに差し替えてあります。
完璧主義のライオンにとっては、迷わずこの技術を活用したのでしょう。

さて、母の「機械音痴」も困ったものですが、私ももう一度携帯の取説を読み直してみましょうか。

SONNY'S CRIB / SONNY CLARK
1957年9月1日録音
SONNY CLARK(p) DONALD BYRD(tp) CURTIS FULLER(tb) JOHN COLTRANE(ts) PAUL CHAMBERS(b) ART TAYLOR(ds)
1.WITH A SONG IN MY HEART
2.SPEAK LOW
3.COME RAIN OR COME SHINE
4.SONNY'S CRIB
5.NEWS FOR LULU

おまけ、
A面はスタンダード、B面はオリジナル、A,B面がはっきりと分かれているアルバムです。「ブルー・トレイン」録音から1ヶ月、やっぱコルトレーンはイイ!