JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

良いお年を

2007年12月31日 | y-その他

いよいよ大晦日、おかげさまで、本年も駄ブログを一年間続けることが出来ました。これもこんな酔っぱらいオヤジのくだらない話にお付き合いいただいた皆様のおかげと、心より感謝いたしております。本当にありがとうございました。
懲りもせず、来年ももうしばらく続けていく予定でおりますので、見捨てずにお付き合いいただければと思います。

「バブ、ところでJATPって何なんだよ?」
別件で電話をよこしたO君、彼もまた我が駄ブログを読んでいてくれているようで、昨日のオスカー・ピーターソンの話をはじめ、我がブログにも幾度となく出てきたJATPとは何なのか知りたいというのです。
「今日のブログを読んでみて」

そこで、そこそこのジャズ・ファンであれば改めて説明するほどのことでもないかと思いますが、今日はJATPを簡単に紹介しようかと思います。

JATP(Jazz At The Philharmonic)は、1944年、クラシック専用の演奏会場であった「フィルハーモニック・オーディトリユウムを貸し切って行われたジャズ・コンサート名であり、この公演の一切を仕切ったのがノーマン・グランツその人でありました。

ノーマン・グランツはご存じジャズ・レーベル「ヴァーヴ」の創始者であり、ジャズ界の名物プロデューサーでもありますが、他の多くのジャズ・レーベル創始者同様、最初は熱心な一ジャズ・ファンにすぎませんでした。「ただ、一つ違ったのは、奥様は魔女だったのです。」ってそうじゃなくて、彼はもともと企業家的、あるいは興行師的資質を多分に持ち合わせていた男であったのだと思います。それが、この公演に多大な利益を生む影を見出した理由だったんじゃないでしょうか。

当時のアメリカでのジャズはどんな環境下にあったのか?
著作権者・出版社協会(ASCAP)と放送音楽協会(BMI)との間で大きく成長したメディアとそこで利用される作品の権利保護をめぐる闘いが勃発、1942年の8月1日にはアメリカ音楽家協会(AFM)が、ミュージシャンを保護するという目的でストライキを宣言、これによってアメリカ中のスタジオ音楽家がレコーディングをボイコット。このストは1944年11月まで続きました。レコード業界はこういったいざこざの中で大きな混乱を起こしていた時期なのです。
この時代背景は、ジャズメン達に決まった仕事しかはいらないという状況を生み出し、その仕事は商業化されたダンス音楽、スイング・ジャズ・バンドでしかなかったわけです。
これが一部若手のジャズメン達の不満をあおり、正規の仕事を終えた後、夜な夜なハーレムの店に集まり、ジャム・セッションに不満をぶつける、つまりはビ・バップの創世へとつながるということになります。

話を戻しましょう、それまでのジャズ・コンサートといえば、ほとんどがスイング・ジャズ・バンドのものであったのは、これでおわかりかと思います。「ハーレムで行われていたジャム・セッションのコンサートをやっちゃおう!」というのが、JATPだったわけです。

「興行的にこれはいける」というグランツの思惑と、ビ・バップを一般の人の前で演奏したいというジャズメンとの思いが一致し、JATPはノーマン・グランツのもと全米、あげくは全世界を巡るジャズ・コンサート・ツアーへと変貌していったのでした。

グランツは企業家的資質があるといいました。とうぜん、JATPでの演奏も録音しレコード化していきます。
最初の1944年時点でヴァーヴはまだ創設前でした。この時の録音はASCAPやBMI、AFMらの争いのために、国防省(当時、軍向けの放送媒体としてレコード化の権限を持っていた)にありましたが、一度他のレーベルに売却されてしまいました。1946年以降は、マーキュリーがシリーズ化(もちろんプロデュースはグランツです)、当のグランツは1951年自身のレーベル「クレフ」を立ち上げ、1954年には「ノーグラン」を立ち上げました。そして三度目に立ち上げたのが「ヴァーヴ」ということになりますけど・・・・・
少々ややっこしいのは、「クレフ」「ノーグラン」で発売されたJATPの12インチLPも後に「ヴァーヴ」で発売になっており、ほぼこの三レーベルは同じものだと考えても良いのかもしれません。(レーベルを追い続けている方には文句を言われそうですが)

結論を言いますと、JATPは1944年のコンサートが発端であり、グランツしいては「ヴァーブ」の根幹を成すビック・ジャズ・コンサート・プロジェクトとでも言いましょうか、そういうものです。

だははははは、これで説明になっているのでしょうか?
ともかく、O君、こんなもんで勘弁してください。

ちなみに初期のJATPの様子を知りたいのであれば、12インチのLPを探すのは大変でしょうから、「NORMAN GRANZ' JAZZ AT THE PHILHARMONIC '40's-'50's」なんていうLP・・・・これも難しい、それじゃ「COMPLETE JAZZ AT THE PHILHARMONIC CONCERTS ON VERVE 1944-1949」なんていうCDも出ていますので参考までに

さて、今日の一枚ですが、JATPの1953年ジャパン・ツアーです。
オスカー・ピーターソンが、秋吉敏子を発見(笑)したその時のJATPですよ。

この時のジャパン・ツアーも、前年に来日したジーン・クーパーが
「グランツさん、グランツさん、アメリカじゃJATPも少々落ち目になりつつありますけど、日本じゃ今がまさにビ・バップ革命のまっただ中、うけますぜぇ」
と進言して、儲かるならとグランツが決めたという話がありますけど、ほんとですかねぇ?

ともかく、熱狂した日本でのコンサートの様子がよく伝わってくるアルバムだと思います。

ちなみに、私は三枚組で発売されたLPは所有しておりません。本日はCDでの紹介です。

J.A.T.P. IN TOKYO
1953年11月4, 7, 8日録音
ROY ELDRIDGE, CHARLIE SHAVERS(tp) BILL HARRIS(tb) WILLIE SMITH, BENNY CARTER(as) FLIP PHILLIPS, BEN WEBSTER(ts) OSCAR PETERSON, RAYMOND TUNICA(p) HERB ELLIS(g) RAY BROWN(b) J.C.HEARD, GENE KRUPA (ds) ELLA FITZGERALD(vo)

DISC 1
1.TOKYO BLUE ・・・・ All-Stars
2.COTTON TAIL ・・・・ All-Stars
3.THE NEARNESS OF YPU / SOMEONE TO WATCH OVER ME / FLAMINGO / I SURRENDER DEAR /SW ・・・・ All-Stars 
4.THAT OLD BLACK MAGIC ・・・・ Oscar Peterson Trio
5.TENDERLY ・・・・ Oscar Peterson Trio
6.UP ・・・・ Oscar Peterson Trio

DISC 2
1.SUSHI BLUES ・・・・ Oscar Peterson Trio
2.ALONE TOGETHER ・・・・ Oscar Peterson Trio
3.SWINGIN' TILL THE GIRLS COME HOME ・・・・ Oscar Peterson Trio
4.(Back Home Again In) INDIANA ・・・・ Gene Krupa Trio
5.COCKTAILS FOR TWO ・・・・ Gene Krupa Trio
6.DON'T BE THAT WAY ・・・・ Gene Krupa Trio
7.STOMPIN' AT THE SAVOY ・・・・ Gene Krupa
8.ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
9.BODY AND SOUL ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
10.WHY DON'T YOU DO RIGHT ? ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
11.OH, LADY BE GOOD ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
12.I GOT IT BAD (And That Ain't Good) ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
13.HOW HIGH THE MOON ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
14.MY FUNNY VALENTINE ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
15.SMOOTH SAILING ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
16.THE FRIM FRAM SAUCE ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
17.PERDIDO ・・・・ All-Stars

追伸、
正月料理の準備もほぼ終わり、あとは盛りつけのみです。
明日その出来映えは発表したいと思いますので、こうご期待。
えっ?誰も期待してないし、見たくもない?
そうおっしゃらずにお付き合い下さいよぉ(笑)

とにもかくにも、皆様も良きお正月をお迎え下さい。良いお年を。


けっきょくは触れてしまいます。

2007年12月30日 | p-r

やはり予報どおり、夕方あたりからグッと冷えてまいりました。地域によっては大雪の予報も出ておりますのでじゅうぶんご注意下さい。

この年末に来て訃報が飛び込んできたのは12月の23日、オスカー・ピーターソンが腎不全でお亡くなりになったというものでした。脳卒中も克服して最後まで演奏活動を続けたピーターソン、83歳であったそうですがご冥福をお祈りいたしましょう。

今日の昼、昼飯おごるから手を貸して欲しいと電話をしてきたS君と、その昼食を食べていたときでした、
「バブ、つい何日か前にジャズのピアニスト死んだろ」
とS君、
「オスカー・ピーターソンのこと?」
「そうそう、その人」
今日の地方紙に特集記事が載っていたのだそうで、残念ながらその地方紙を私はとっておりませんので内容まではわからないのですが、しばしピーターソンの話で盛り上がりました。

じつは、以前も言ったとおり、私は「ピーターソンを好んで聴いていた」ということもなく、あえてここでは訃報にも触れずにいようかとも思っていたのです。
しかし、今日S君と話していて、50、60年代を中心に紹介している『いちおうジャズ・ブログ』としては、やっぱり触れなくちゃいけないのではと・・・・・

オスカー・エマニュエル・ピーターソンは、1925年8月15日、カナダのモントリオールで生まれ、6歳の時にはすでにクラシック・ピアノを弾いていたそうです。その後地元のアマチュア・コンテストで入賞、ラジオ・ショーにも出演して、
1944年、カナダのジョニー・ホームズ・オーケストラで演奏、しばらくトロントのナイト・クラブで演奏をしていました。
その時、たまたまJATPでカナダを訪れていたノーマン・グランツの目に止まり、1949年9月にJATPのメンバーとなり、ニューヨークへ進出、初レコーディングはグランツのもとで1950年に行われています。
親しみやすいピーターソンのピアノ・トリオは、一時期『唯一客を呼べるピアノ・トリオ』とまで言われ、その人気はついに衰えることはなかったのだと思います。

いやぁ、ダメですねぇ、ピーターソンに関しては知識も聴き込み量も少なすぎます。
完全に真面目にピーターソンを聴き出した時期が私は遅すぎましたね。素直にもっと早くから聴いていれば良かったと反省するばかりです。
「優等生で、万人受けしていて、ちょっとだけ古いスタイル」的なことを考え敬遠するなど愚の骨頂でありました。
彼の死をきっかけに、改めて彼の功績を聴き返そうと思っています。

今年も多くのジャズメンの死がありました。マックス・ローチ、マイケル・ブレッカー、アリス・コルトレーン、アンドリュー・ヒル・・・・・・今となっては「古いスタイル」と言われる側となってしまった私としては、またひとつ、またひとつと灯が消えていくようでじつに寂しい思いです。

さて、今日の一枚は、もちろんオスカー・ピーターソンです。
1951年の録音ですから初レコーディングの翌年、二代目(初代はギターがアホビング・アシュビー)トリオにドラムのアルヴァン・ストラーが加わったカルッテトによる演奏で、「ヴァーブ不滅のジャズ・シリーズ」として企画発売になった一枚です。

ピアノで無理矢理ホーン的演奏をするのではなく、ピアノをピアノらしく弾くピーターソン、粒ぞろいの一音一音が余裕を持って奏でられるそのスタイルを聴き取れるアルバムだと思います。

ジャケット・デザインは「AMAZING TOSHIKO AKIYOSHI」のときに紹介したデヴィット・ストーン・マーチンの作です。

IMMORTAL JAZZ ON VERVE Ⅲ Vol.2 / OSCAR PETERSON QUARTET #1
1951年12月録音
OSCAR PETERSON(p) BARNEY KESSEL(g) RAY BROWN(b) ALVIN STOLLER(ds)

1.THE ASTAIRE BLUES
2.STOMPIN' AT THE SAVOY
3.BODY AND SOUL
4.OH, LADY BE GOOD !

おまけ、
一昨日、餅つきが出来ませんでしたので、本日朝一番に行いました。(機械ですよ)
まずは『鏡餅』用の餅を丸めましたが、杵つきほどの腰がないもので、どうにも形になりません。それでも昨年よりは良くできたように思うのですが、いかがでしょうか?



感謝して呑みます

2007年12月29日 | a-c

昨夜から今朝にかけてはかなりの雨が降っていましたが、日中は曇り空、なにしろ暖かいのにはビックリしてしまいました。明日からは強い冬型の気圧配置でグッと寒くなるそうですから、年末も年末ここに来て風邪もひいていられませんし、新年早々というのもいただけません。お互い注意いたしましょうね。

休み初日は、掃除やら父の墓参り(母のたっての願いで)やら料理の仕込やら、そこそこ忙しい一日でした。
二時ごろになって
「もう買い忘れはないよね?」
「????????」
あたしに訊かれてもねぇ
「だって料理は全部やるんでしょ」
「・・・・・・・」
けっきょくは何品かの買い出しへ行かされました。まぁ、休み中にキレると私にとっては致命傷になる珈琲と酒も心配な量でしたので、買いに行かなければいけなかったんですけどね。

「バブさん、今日は何を仕込んだんですか?」
たまにブログも覗いていただいている「ヤナイ珈琲」の奥様も、私が正月料理を作る役回りであることはよくご存じで
「今日は黒豆と巻いてない伊達巻き風卵焼きぐらいかなぁ、明日、明後日が本番ですから」
「バブさんだからキッチリと作るんでしょうねぇ」
てなお世辞までいただいてしまいました。

私が自分で料理をする最大の理由は何だと思います?
第一は「食べたいものだけを揃えられる」から
だって、例えば重箱入りのお節料理を高い金を出して頼んだら、中には嫌いなものが入っていて、それだけが残っちゃうなんてことがあるじゃないですか。
第二に「好きな味付けに出来る」から
何たって既製品はあくまで既製の味でしょ、極端に不味いものは無いにしても、変に甘かったり減塩だったり、好みの味は自分で出すのが一番でしょ。仮に味付けに失敗しても、自分で作れば責任もって食べちゃいますしね。(笑)
第三に「酒の肴系を多く揃えられる」から
私にとっての『お節』は、神様に捧げる料理でも客をもてなす料理でもなく、たんに三ヶ日美味しく飲める肴であるわけですから、既製品ではねぇ(笑)

既製品を買われるお宅も、三の重までキッチリ作り上げるお宅も、否定するわけじゃありませんよ。
黒豆、数の子、田作り、たたき牛蒡、きんとん、伊達巻き、煮しめ、昆布巻き、紅白なます、とそれぞれの意味と願いを子供たちに語り聞かせる。そんな素敵な元旦があればベストだと思いますし、本来の「節句に捧げる供物」としての伝統を守るのも素敵なことだと思います。
そんな家庭なら「親殺し子殺し」みたいなことは起きないでしょうしね。

我が家では、重揃えの『お節』は作りませんし、そういった素敵な家庭を今から作るにはちと遅すぎますけど、神様に捧げる供物を、一年間健康で幸せに暮らせるようにと願いを込めて、そして先人が作り上げてきた福を呼ぶ知恵を受け継ぐつもり、感謝しながら食べなくちゃいけませんよね。

「ようし、元旦は感謝と願いを込めて、真っさらな心に魂を吹き込むごとく、オレの若水、お酒をいただきましょう!!」
「やっぱりそれかい」

さて、今日の一枚は、アンソニー・ブラクストンです。
1965年にムハール・リチャード・エイブラムスによって設立されたAACM(The Association For The Advancement Of Creative Musician)、このシカゴに生まれた前衛ジャズ集団はシカゴに旋風を巻き起こすわけですが、そんなAACMに参加したブラクストン、その時代の「3 COMPOSITONS OF NEW JAZZ」と並ぶ傑作と言われる一枚です。

ブラクストンは「もっともっと聴き込むと私は絶対にのめり込んだジャズメンだったのではないか」と思っています。ただ残念ながら聴き込みが足りず未だのめり込んではいませんけど。(笑)
ともかく「3 COMPOSITONS OF NEW JAZZ」は別としても、今日のアルバムには衝撃を受けました。
今、全曲をぶっ続けで聴く元気はないかもしれませんが、アルト一本でこれほどの表現が可能であることには何度聴いても感心するばかり、「TO ARTIST MURRAY DE PILLARS」なんてたまらない一曲です。
もちろん前曲、前編即興演奏ではありますが、感情だけに押し流されないコントロールされた表現は素晴らしいもので、前衛が苦手だという方にもぜひ一度聴いてみてもらいたい一枚でもあります。
年末年始の面白くもないTVをみているより、こんなアルバムをじっくり聴いてみるのも良いと思いますよ。(面白くないと思っているのは私だけかな...笑)

FOR ALTO
1968~69年録音
ANTHONY BRAXTON(as)

1.DEDICATED TO MULTI-INSTRUMENTALIST JACK GELL
2.TO COMPOSER JOHN CAGE To Composer
3.TO ARTIST MURRAY DE PILLARS
4.TO PIANIST CECIL TAYLOR
5.DEDICATED TO ANN AND PETER ALLEN
6.DEDICATED TO SUSAN AXELROD
7.TO MY FRIEND KENNY McKENNY
8.DEDICATED TO MULTI-INSTRUMENTALIST LEROY JENKINS

おまけ、

先ほど風呂にはいると、湯船にプカプカ柚子が浮かんでおりまして、
「お~~い、今日って冬至だっけ?」
もちろん、すでに冬至など過ぎているのは知ってるんですよ。
「えっ?冬至のわけないでしょ!」
何だか知りませんがいっぱい柚子をいただいたのだそうで
「別に冬至以外は柚子湯にしちゃいけないって法律ないでしょ!」
そりゃそんな法律があったら困ってしまいますが、なにも今夜みたいに暖かい晩にしなくてもねぇ・・・・・
「うるさい!」


仕事納めの夜に

2007年12月28日 | m-o

最後の忘年会も無事に終わり、仕事も終わり(仕事があとになるあたり私らしいでしょ...笑)、いよいよ今年も終わりが近づいてきましたが、お正月の準備は進んでいますか?
今日は飲み疲れもあるのに帰ってくるなり
「神棚の掃除しちゃってよ、お飾りもつけてね」
と矢継ぎ早に仕事を仰せつかり、忙しく動くはめになってしまいました。
明日は29日、『九飾』『九餅』は禁物ですから、これもしかたのないことですね。

神棚のお札とともに氏神さまから来年の暦も届いていました。
『吉神・吉方』も『凶神・凶方』も『八方塞』『鬼門』『病門』も「そんなの関係ねぇ」って生きてきましたし、『二十八宿』だって『十二直』だって気にしない気にしない、せいぜい『六曜』(いわゆる大安とか仏滅、友引っていうあれですけど)をほんの少し気にする程度、『九飾』を気にして神棚掃除をしても御利益は望めないかもしれません。
ちなみに来年の恵方は丙の方(巳の間)ですから、南南東ということでしょうか?????
ほら、節分の時「恵方巻き」をどっち向いて食べたらいいかわからないとねぇ。
それにしても、暦の読み解きっていうのは難しすぎます。(笑)

ここで豆知識ですが、六十歳を迎えると赤いチャンチャンコきて還暦のお祝いってやりますよね。あれは、中国起源の10周期の『十干(じっかん)』という五陰五陽に十種類の文字あてたものと12周期の『十二支』を組み合わせた60周期の『六十干支』(略して『干支(えと)』)を歳にあてはめ60歳で『干支』が一回りして最初に戻る、つまり暦を還(かい)すので、「もう一度生まれ変わってやり直す」という儀式であります。
もともと、『十干』『十二支』にあてた字もそれぞれ意味を持った文字なのですが・・・・

こんな話を簡単に知りたければ毎年の暦の前の方に書いてありますし、詳しく知りたければ、本もたくさん出ていますので、お読みになってみて下さい。(そう興味ある人は多くないと思いますが..笑)

ともかく、そんなこんなで『九飾』をさけ正月飾りを取り付け、神棚掃除を済ませたあと、昨夜あれだけ飲んだにもかかわらず一杯ひっかけながら、分かりもしない暦を眺め、明日からは正月料理の「仕込でも始めようかなぁ」なんて考えている仕事納めの夜でした。(なんじゃそりゃ)

さて、今日の一枚は、チャールス・ミンガスとビル・エバンスとの共演盤。
一瞬、ミンガスとエバンスというと異質の取り合わせのようにも思えますが、けして違和感がありません。
エバンスという人は共演者に合わせることも上手くて、それでいて染まってはしまわない「う~~ん、やっぱすごいんだなぁ」なんて思ってしまいます。

いかにもミンガスらしい10分にもおよぶ「WEST COAST GHOST」でのエバンスをぜひともお聴きいただきたい、「あれ?これエバンス?」と思う部分と「やっぱエバンスだ」と思う部分が、上手い具合にマッチしています。

ちなみにエバンス名義の「THE COMPLETE GUS WILDI RECORDINGS」に収められているのも同じものです。

EAST COASTING / CHALES MINGUS
1957年8月6日録音
CHALES MINGUS(b) CLARENCE SHAW(tp) JIMMY KNEPPER(tb) SHAFI HADI(as,ts) BILL EVANS(p) DANNIE RICHMOND(ds)

1.MEMORIES OF YOU
2.EAST COASTING
3.WEST COAST GHOST
4.CELIA
5.CONVERSATION
6.FIFTY-FIRST STREET BLUES


みんなあたしが悪いのよ

2007年12月26日 | j-l

冷えてます、寒いです、とうぜんこんな晩はアルコールに身をゆだねたいところですが、なっなんと今日は休肝日です。(パチパチパチパチ)

というのも明日はどうしても逃れられない忘年会が控えているからでありまして・・・・・・・
「それだけじゃないでしょ!!!」

はい、じつは昨晩、クリスマスはすでに終わったものと思っていたら、Mさんからケーキ配達のヘルプ要請がはいりましてね。
「配達終わったら、バブちゃん二人で忘年会やろうか」てな甘いお言葉をかけていただいて、またしても10時過ぎからの飲み会となったわけです。

ケーキを届けたお店を中心に、な、な、なんと計四件ですよ四件。帰宅時間はご想像いただけるかと思います。
微発泡の濁り酒で「メリークリスマス!」ワインで「メリークリスマス!」焼酎で「メリークリスマス!」この時点ですでに日にちは26日、ウイスキーで「メリークリスマス!」バーボンで「メリークリスマス!」

最後のお店では
「ワイングラス無いけど、クリスマスだからワインで乾杯しましょ」てなママのお言葉に
「めっめっめっメリークリスマス!」
完全に出来上がっておりました。

おかげで今晩は眠いんです。疲れてます。頭も回りません。こうして文章を書いていても、もともと文才もない上にボーッとしてますから、何をどう書いているのかも・・・・・こんなに寒いのにお酒も飲ませてもらえないし・・・・
「そんなのぜ~んぶ自業自得でしょ!!」
「はいはい、そのとおり、みんなみんな、あ・た・し・が悪いんです。」
もう明日の忘年会のためにも寝ま~~す。

おっと、それでもアルバム紹介だけは忘れずに
さて、今日の一枚は、サド・ジョーンズです。
サドがデトロイトからニューヨークへやって来たのは1954年の5月、カウント・ベイシー楽団の一員となるためでした。作編曲者として活躍する一方、コンボでのレコーディングもこなしていきます。
今日のアルバムは、そんなサドのブルーノートでの最初のレコーディングになります。

ブルーノートでの二枚目「THE MAGNIFICENT THAD JOMES」もそうですが、ここでも同じ「モータウン(デトロイト)」出身の仲間とともに、ニューヨークで交差しあっちゃったわけです。

奇抜なウケを狙うのではなく、オーソドックスなハード・バップを確実に聴かせてくれる、いわば優等生ハード・バップという姿勢は、いかにもブルーノートらしいとも言えますが、同時にその姿勢がサドらしいものでもあったわけで、結果、完成度の高いアルバムに仕上がったのだと思います。

今日みたいに疲れている(自業自得ですけど)夜には、こんなアルバムが一番あっているのかもしれません。

DETROIT-NEW YORK JUNCTION / THAD JONES
1956年3月13日録音
THAD JONES(tp) BILLY MITCHELL(ts) KENNY BURRELL(g) TOMMY FLANAGAN(p) OSCAR PETTIFORD(b) SHADOW WILSON(ds)

1.BLUE ROOM
2.TARRIFF
3.LITTLE GIRL BLUE
4.SCRATCH
5.ZEC


クリスマスよりお正月

2007年12月25日 | a-c

「○○、今年は昆布巻きは我慢してもらうしかないな」
「??????」
帰宅すると母が突然そんなことを言い出しました。

今日、近くに住む母の茶飲み友達に「正月の買い物に出かけるからいっしょに行かないか」と誘われたのだそうで、生もの以外の買い出しを済ませてきたらしいのですが、
「身欠きニシンが入んないんだってさぁ」
母曰く、中途半端に乾いたニシンはあるものの、カピカピ・カチカチの身欠きニシンが見あたらず、自家製昆布巻きはあきらめろと言うのです。

ちょっと待って下さいよ。たしかに昆布巻きにはあのピカピカ・カチカチの身欠きニシンじゃないとダメなのはよくわかります。だ・け・ど、けっきょく作るのは私なわけで、しかもまだ一週間もあるじゃないですか、その間にピカピカ・カチカチの身欠きニシンが魚屋に入ってくれば良いわけでしょ
「今年いっぱい入りそうもないんだってさ」
「・・・・・・」
ほんとかいな、いや、クリスマスにケーキが無いのは何ら問題ありませんが、あたしゃ冷えた昆布巻きを肴に、朝からクイッといきつつの、箱根駅伝を見いの・・・・それが正月の楽しみなんですから、
・・・・・・・探し出しますよぉ
「絶対に昆布巻きは作るんだぁ~~~~!!!!!」(笑)

 まぁ、昆布巻きを作るかどうかはピカピカ・カチカチの身欠きニシン待ちということで、料理当番としては「おせち料理もどきを何にするか?」そろそろ考えとかなくちゃいけません。
「え~~と、黒豆を送ってもらったから煮豆は作んなくちゃいけないし、青豆もあったから数の子と和えてぇ、伊達巻き風卵焼きも作っちゃってぇ、あっ冷凍の有頭エビがあったから煮つけようか、ざく煮でしょ、鶏のささみは漬け焼きにして、それから魚は何にするかなぁ・・・・」
辛い辛いと言いながら、最近はけっこう楽しんでいるふうもある料理当番、私はほんとうにこれで良いんでしょうか?

「あれ?一ノ蔵なんて誰が買って来たの?・・・へへへへ飲んじゃって良いのかなぁ」
「何言っての、それは正月用だから飲んじゃダメだよ、飲みたいんだったら自分で好きなだけ買って来て飲みな。」
正月用といってもどうせ我が胃袋にほとんどが収まるわけですし、とうぜん一本では足りませんけど、母が一本でも買って来てくれればその分我が懐も助かるわけで、三本分の出費を覚悟していた私としては
「でへへへへへ、一本浮いた分、ちょっと高級な旨いやつを仕入れてこようかなぁ」

大晦日には蕎麦をつまみに「飲み収め」、年をまたいで「飲み始め」、元旦の朝は雑煮つまみに「屠蘇」をいただいて、年賀状でも眺めながらの「お茶がわり」でしょ、一眠りして目覚めりゃ喉が渇いて「一湿り」、あっという間に夕飯時になって、元旦分の「飲み収め」ですよ、ねっ。これを最低でも二日続ければ・・・・三本で足りるかなぁ????(笑)

やっぱり、日本人はクリスマスより正月ですよね、正月。

さて、今日の一枚は、テッド・カーソンです。
一昨日の「CONSEQUENCES」を紹介してから、Fontanaレーベルのイラスト・ジャケットのことで、monakaさんから連続でコメントをいただき、このアルバムの話題も出てきました。
残念ながら私の所有盤はFontanaのイラスト・ジャケットではないのですが、大好きなドルフィーの死に対し、最も早く(死後、約一ヵ月後に録音)送られた追悼曲「TEARS FOR DOLPHY」が収められたアルバムとして印象深い一枚です。

テッドとドルフィーの関係といえば、ミンガスのワークショップがらみということになるのですが、「MINGUS PRESENTS MINGUS」の「FOLK FORMAS, No.1」での掛け合いが印象的でした。

地味で淡々とした演奏で綴られる「TEARS FOR DOLPHY」は、ドルフィーの死に対してテッドがどれほど悲しんだかがじつに良く伝わってくる名演だと思います。
monakaさんのコメントのおかげで、久しぶりに聴くこのアルバム、「TEARS FOR DOLPHY」だけでなく、他の演奏も懐かしく聴くことが出来ました。

TEARS FOR DOLPHY / TED CURSON
1964年8月1日録音
TED CURSON(tp,pocket-tp) BILL BARRON(ts,cl) HERB BUSHLER(b) DICK BERK(ds)

1.KASSIM
2.EAST SIXTH STREET
3.7/4-FUNNY TIME
4.TEARS FOR DOLPHY
5.QUICKSAND
6.REAVA'S WALTZ

追伸、
私は所有しておりませんが、Fontanaのイラスト・ジャケットはこんな感じ(ネットから拝借したので、画像が悪いですが)

もう一枚、そっくりですが中身はまったく違う、monakaさんのコメントに出てきた、ブッカー・アービンがらみのアルバムはこちら「URGE」だと思います。


主よ、願わくば・・・

2007年12月24日 | d-f

燃えるハチのように、そしてハチが群がって渦を巻いているように、星は東から西へと天をよこぎる。天と大地の間には、どこまでものびる真っ白な火の柱が一本。
その火の柱はシモンたち三人の羊飼いに話しかけた。
「おそれるな」
それは火ではなかった、巨大で美しい輝かしい人の姿、主の天使だった。
「すべての人々にあたえられる大きな喜びをつげる。今宵ダビデの町で、あなたがたのために救い主、主キリストがお生まれになる。」
そして、火のような天の軍勢がまいおり、低い空をみたし、神を賛美してグロリア(Gloria)の壮大な合唱が始まった。

天のいと高きところにある神に栄光あれ。
地では御心にかなう者に平和あれ。
われら主をほめ、主をたたえ、主を拝(おが)み、主をあがめ、
主の大いなる栄光のゆえに感謝し奉(たてまつ)る。
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。
主なる御(おん)ひとり子、イエス・キリストよ。
神なる主、神の小羊、父のみ子よ。
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。
世の罪を除きたもう主よ、われらの願いを聞き入れたまえ。
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ。
主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、イエス・キリストよ。
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。 アーメン。

クリスマス・イブですかぁ。ほとんど「そんなの関係ねぇ」状態ですねぇ。
子供たちが小さい頃は、やれツリーだ、やれケーキだ、やれケンタッキー(笑)だと大騒ぎでしたが、もともとクリスチャンでもない私にクリスマスを祝えということ自体無理があるわけで、子供たちが居なくなってしまった今、わが家にクリスマスもサンタもやって来そうもありません。(笑)

玄関の飾り付けも、去年とほぼいっしょ
「少し変化させれば」
「なに言ってんの、興味もないくせに」
おっしゃるとおりであります。
それでも、さもしい私は
「いいだろ、オレは生粋の日本人、何でもかんでもいっしょにして祝う日本人だよ。ねっ、だから今晩はクリスマスを祝って一杯いただくということで・・・・・」
「よく言うよ、クリスマスじゃなくても一杯はいただくでしょ、クリスマスにかこつけて、い~っぱいいただきたいってだけでしょが!飲むことばっかり考えてないで、年賀状仕上げちゃってよ!」
「なんだよ、クリスマス・イブに、正月の話はねぇだろうに。」
「何でもかんでもいっしょにして祝う日本人なんでしょう」
「主よ、願わくば哀れなわたしめに、い~っぱいの酒をお恵みあれ・・・それとうるさい口にチャックも」

こうして、連休最後の夜、クリスマス・イブは、いつもと変わらず過ぎていきましたとさ。チャンチャン。

さて、今日の一枚ですが、いちおうはクリスマス・ソングのアルバムをということで、先日ブログ仲間67camperさんも紹介されていた、エラ・フィッツジェラルドにしてみました。
いかにもエラらしい楽しいクリスマス・ソング集です。
このアルバムを聴いていれば「悲しいイブ」なんてぇのはあり得ませんね。(私は寂しいクリスマス・イブですけど...笑)

「ティティテッパ」って言ってんのかな?そんなバックコーラスの入った「JINGLE BELLS」が始まればもう、クリスマス気分は最高潮。
個人的には「HAVE YOURSELF A MERRY LITTLE CHRISTMAS」「THE CHRISTMAS SONG」この二曲がやっぱり好きですかねぇ。
ともかく、みんなで集まってイブを過ごしているあなた、彼女と二人でシャンパンを飲んでるあなた、そして、一人寂しくやけ酒を飲んでるあなた、エラの歌に楽しい気持ちをわけてもらいましょうよ。

え~~~ん、私も楽しいクリスマスを過ごしたいよぅ~~~~~!

ELLA WISHES YOU A SWINGING CHRISTMAS
ELLA FITZGERALD(vo) その他

1.JINGLE BELLS
2.SANTA CLAUS IS COMIN' TO TOWN
3.HAVE YOURSELF A MERRY LITTLE CHRISTMAS
4.WHAT ARE YOU DOING NEW YEAR'S EVE ?
5.SLEIGH RIDE
6.THE CHRISTMAS SONG
7.GOOD MORNING BLUES
8.LET IT SNOW ! LET IT SNOW ! LET IT SNOW !
9.WINTER WONDERLAND
10.RUDOLPH, THE RED-NOSED REINDEER
11.FROSTY THE SNOW MAN
12.WHITE CHRISTMAS

追伸、
年賀状の制作、発送は全て終了いたしました。(パチパチパチパチ)
ただし、そのせいでブログのテンプレートを作る時間が無くなってしまいました。(うそうそ、良いデザインが浮かばないだけです....笑)もうしばらくこの真っ黒テンプレートで行こうと思っています。
そうそう、昨日紹介した「CONSEQUENCES」のジャケットについて、monakaさんより「このイラストのジャケットいくつかあるましたよね。」とのコメントをいただき、二種類ですが紹介させていただきます。

左が「JAZZ REALITIES」右が「THE JAZZ COMPOSER'S ORCHESTRA」です。内容は機会があれば後々紹介しますね。


明日も料理当番?!

2007年12月23日 | y-その他

午前中は雨模様だったものの、午後には太陽が顔を出しました。気温もそこそこあって、連休の中日としてはまぁまぁといったところだったでしょうか。

ブログ仲間のウフフマンさんはご覧になっていたようですが、昨晩のBS「日本のフォーク&ロック大全集」みなさんはご覧になりましたか?
私は見ないつもりだったんですよ・・・・・・でも、やっぱり見ちゃいました。(笑)
ただ、酒も入って、ギターを抱えながら見てると、番組を見てるんだか、バブ・ワンマンショーをやってるんだか分かんなくなっちゃうのがどうしようもないところで、

「いやいやいや、懐かしいねぇ・・・・・・」って、ふとまわりを見れば誰も居ません。
「バカには付き合いきれん」と、ほったらかしにされたわけです。(まぁ、いつものことですけどね...笑)

「こうなったら飲むぞう!」とばかりに、ロックをもう一杯追加。そのままBSを見続けていると、「日本のフォーク&ロック大全集」の後番組が良かったですよ。
「黄金の洋楽ライブ アイク&ティナ・ターナー」、1971年オランダでのライブ映像でありまして

パワフルですねぇ、ソウルフルですねぇ、ティナ・タナー。
ここは英語が大得意な私としては、いっしょにはとうぜん歌えないわけですが、体が揺れる揺れる、酔いが一気に回りそう、ほったらかしにした家人への迷惑などかえりみず、ボリュームを上げて聴き入ってしまいました。

特にブルース・ナンバー「I SMELL TROUBLE」が私は好きです。アイクとの掛け合いも絶妙で
「えかったぁ・・・(笑)」
昨日見逃した方は、ネット上でも公開されている映像があるようですので、探してみてください。

そんなこんなで、ちょっとばかりちょうしに乗りすぎて、昨晩は夜中まで騒いでいたものですから、
「昨夜はずいぶんご機嫌だったみたいだねぇ・・・・おかげで寝不足気味だわ」
翌日のこの手のお言葉はけっこう重いんですよ、とほほほほほほ。
「お昼、何食べたい?オレ作んから」
けっきょくは、昼食、夕食と二食連続で私が作ることになってしまいました。

そこで『料理当番、本日の一品』であります。
まずは昼食、それほど寒くもなかったのですが「鍋焼きうどん」にしました。



夕食は、久しぶりに「鯖の味噌煮」。
先日、大叔母が送ってくれた手作り味噌をいつもの味噌にブレンドして使いましたが、美味しく出来上がりました。

これは、鶏ささみとキュウリのサラダです。

え~~~今晩は、大きな音を立てられそうにありません。
・・・・・なんちゃってね、今日の一枚を大音量でかけてやるんだも~~~んだ。

さて、ということで今日の一枚は、好き嫌いがハッキリとする一枚だと思います。昨日からするとえらいギャップを紹介している私自身が感じています。(笑)

1960年代中期燃えさかるニュージャズ旋風。その起爆剤ともいえるNY5、セシル・テイラーの流れをくむアーチー・シェップ、オーネット・コールマンとともに歩んできたドン・チェリー、そしてデンマークのジョン・チカイ、彼らの目には来たるべきフリー時代が確実に見えていたのか?
幾枚か残る彼らの演奏を聴いて、感じ取ることが出来ると思います。

フリーと聞くと、その時点で「わしゃダメだ」という方も多いと思います。あるいは私のようにあの独特のシェップの音がどうにも苦手な方もいらっしゃるかもしれません。
でも、改めてNY5を聴いてみると、いわゆるフリーとは一線を画す演奏であることが分かると思います。
まぁ、フリーになりきっていないと言ってしまえばそれまでですが、それ故に新たな世界に挑戦しようとする彼らのエネルギーがより鮮明に出ているグループのようにも思えます。
毛嫌いせずにぜひ一度お聴きになってみて下さい。

あれ?デカイ音でこんなんかけたら・・・・明日も料理当番?!

CONSEQUENCES / NEW YORK CONTEMPORARY FIVE
1963年8月23日, 11月12日録音
DON CHERRY(tp) ARCHIE SHEPP(ts) JOHN TCHICAI(as) DON MOORE(b) J.C. MOSES(ds)

 1.SOUND BARRIER
 2.WO WO
 3.CONSEQUENCES
 4.RUFUS
 5.CREPUSCULE WITH NELLIE
 6.TRIO


あの子に第四種接近遭遇

2007年12月22日 | a-c

今日はあいにくの曇り空、気温はそれほど低くはありませんでしたが、やはりこの季節、窓越しの太陽光が最大の暖房源である我が趣味部屋にとっては足下が冷える一日でありました。

なんだか知りませんが、世間はにわかに『UFO談義』でもちきりなようで、閣議でさえも話題に上がっているとか。多方面で政治決断を迫られる福田内閣にとっては、一服の清涼剤のごとくなっているようです。

以前お話ししたとおり我が青春時代といえば、テレビ映画『謎の円盤UFO』等々の影響もあり『UFO談義』華やかりし頃、著名な知識人さえも『UFO研究会』的ものをそこそこに立ち上げ一大ブームを巻き起こしておりました。
かく言う私も学生時代には『UFO超心理学研究会』なる怪しげなサークルに属し、熱心な研究を続けておりましたっけ。

って、すいません。このブログを同サークル同期の面々が(チャリンコ井上尚登といった面々ですが)覗いている可能性もあるので、嘘を言っちゃいけません。私はUFOの研究などほとんど全くしていなかったのでありました。(笑)

それでも、先輩方やもちろん同期でも熱心な人もいて「近くで目撃されたUFOがじつは車のヘッドライトではないか」とか、UFOの推進動力の一つではないかと『イオンクラフト』の研究をしたりとか、いたって真面目で、当時の「11PM」に出演して『イオンクラフト』を飛ばしたり、とある会場でサークル講演会など開いてもそこそこの人が集まるなんてこともありました。
余談ですが、私も『超心理学概論』なるものをわかったような顔をして講演したこともありましたっけ・・・・あははははは、その時真面目に聞いてくださった皆様、ほんとうに申し訳ありませんでした。

また、当時映画もそういった好奇心をくすぐるものが多かったりしたんですよねぇ、「2001年宇宙の旅」でしょ、「スターウォーズ」でしょ、そうそう、画期的だったのはスピルバーグの「未知との遭遇」だったでしょうか、技術顧問にドクター・J・アラン・ハイネックが加わっていたというのも、知る人にとっては興味を多いにあおったのだと思います。

ドクター・J・アラン・ハイネックとは、当時ノースウエスタン大の天文学部長で、最初UFO否定派であったのが、研究を進めるうちに肯定派に転じ、「UFO研究センター」か何かを立ち上げた人だったと思います。「未知との遭遇」でも使われていた「第一種接近遭遇」「第二種接近遭遇」といった形態もたしか彼が提唱したもので、UFO研究者としてはかなり有名な方だったのかな?(ごめんなさい、あまりに研究熱心(笑)だった私は、うる覚えの知識しか無く・・・・・いや、そんな私でも知っているくらい有名なUFO研究者だったのでしょう。)

わが家にこんな本も残っていましたが、今更読み返すまでの興味は湧きません。ただただ飲み明かしのサークル活動を続けていただけの私ですからしかたありませんね。(笑)

ともかく、にわかに持ち上がった『UFO談義』、私としては遠い宇宙の何処かに知的生命体は存在するであろうと思いますし、彼らが地球までやって来ているかどうかは別としても、何らかの形で宇宙探検を行っているかもしれない、そんな思いを巡らしてくれる謎の飛行物体は、いつまでも謎のままいてくれればと思うのでありました。

おっと、「てめぇら、『UFO談義』より他にやらなくちゃいけないことが山ほどあんだろ!」とは、大人の意見でしょうか。

「あのう私の場合、UFOとは「第一種接近遭遇」ぐらいで止めていただいてけっこうなんですけどね、ぜひとも何処かのカワイコチャンとは「第四種接近遭遇」なんてぇのが・・・・・・」
「こら!!!」

さて、今日の一枚は、白人テナー界を代表するテナー双頭バンド、コーン=シムス・クインテットの第一作目アルバムです。

このアルバムも、昔は聴くことの少ない一枚でした。
あまりにすんなりとノレるアルバムというのは敬遠しがちだったのだと思います。素直じゃなかったんですね。(笑)つまりは、ジャズ喫茶で難しい顔をしながら首を揺らしているアルバムを良しとして、この手のアルバムは「ミーハーだ!」「ジャズは黒くなくちゃ」とかなんとか。
でも、この歳になってみれば、気軽に聴けるこんなアルバムがとても重宝したりします。これが丸くなったというのか、今更ツッパッたところでというあきらめなのかは分かりませんけどね。

ともかくコーン=シムスあたりは、理屈をこねちゃダメなんです。素直に楽しく聴きましょう。コーンのしっかりしたアレンジは、テナー・バトルではなく心地よいアンサンブルを追求するもの、それがウエストコーストというものなのかな?

FROM A TO Z / AL COHN & ZOOT SIMS
1956年1月24日録音
AL COHN, ZOOT SIMS(ts) DICK SHERMAN(tp) DAVE McKENNA, HANK JONES(p) MILT HINTON(b) OSIE JOHNSON(ds)

1.MEDIOLISTIC
2.CRIMEA RIVER
3.A NEW MOAN
4.A MOMENT'S NOTICE
5.MY BLUES
6.SANDY'S SWING
7.SOMEBODY LOVE ME
8.MORE BREAD
9.SHERM'S TENNA
10.FROM A TO Z
11.EAST OF THE SUN
12.TENOR FOR TWO PLEASE, JACK


小さな幸せ

2007年12月21日 | d-f

忘年会から逃げていると言った私でしたが、舌の先が乾かぬうちに、昨晩は宴会出席のため更新をお休みしてしまいました。(笑)
まぁ、一度ぐらい忘年会に出るのもしかたがないでしょう。(ほんとに一回かぁ????)

明けて今日、好天にも誘われて昼食は『公園駐車場食堂』
コンビニ弁当をササッと食べ終え、昨夜の酒のせいか渇いた喉をお茶とは別に買ったトマトジュースでサーっと潤す、
車のシートを倒して、先日Mさんにお借りした『ザ・ベリーベスト・オブ 落語』、桂三木助の『芝浜』なんぞを聴きながら、煙草の煙をフーっと吐き出せば、これはこれで幸せな一時なのでして、「誰にも邪魔をされない小さな幸せ」そんなところですかね。

以前三遊亭円楽の引退の件で「最後の大噺はこれでした」と『芝浜』を紹介したことがあったかと思いますが、円朝作といわれるこの人情噺を名作と言わしめたのは誰あろう三木助でありまして、聴けば納得の噺っぷりであります。

いつだったか、いつもの喫茶店でマスターが
「バブさん、バブさんが、落語とジャズが好きだっていうのは、二つに共通点があるからだろう?」なんて言っていたことを思い出しました。
マスター曰く、
落語は、古典であれば話の内容も落ちもわかっている噺、ところが演ずる人、演じた日時で善し悪しがかわる。かたやジャズも「ジャズに名曲無し、名演あるのみ」とも言うし、これが大きな共通点だというのです。
「う~~ん、たしかにそのくせ聴いてると誰それの何時の何時が消えて、誰それは良いよねぇってなるあたりも似てるっちゃ似てるよね。でもさ、クラシックだって同じじゃねぇ?」
「いやいや、クラシックより、ジャズの方が個性が出やすいジャン。落語も個性が命ってことじゃないの。」

まぁ、落語がジャズに近いかクラシックに近いかは別としても、ここ一瞬にかける緊張感というかライブ感というか、それが魅力であることはたしかです。

そんなマスターとの会話を思い出しながら、車の中にはケニー・ドリューの「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」”朝日のようにさわやかに”が流れていました。
「そういえば、最近、『同曲の聴き比べ』をやってないなぁ」

てなことで、帰宅後夕食もそこそこに、「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」の聴き比べを始めました。
MJQに始まり、ソニー・クラーク、コルトレーン、ロリンズ、今、秋吉敏子が流れています。まだまだ、ドルフィーもあったし、オスカー・ペティフォードも、ラリー・ヤングも、ポール・チェンバースも・・・・・・こんな一時も私にとっては「小さな幸せ」なのであります。
「太郎ちゃんとすずちゃん」の最終回が始まるまでに、いくつの「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」が聴けますでしょうか?そして私が改めてどんな感想を持つのか?
その結果は、あえてここでは語らぬこととしましょう。
何故か?だって、一曲聴くたびに酒量は増すばかり、その時々の演奏者の感覚の違いもありますけど、リスナーの酔い方の違いも大きく感想に係わってきますからね、そんなものはあてになりませんもん。(笑)

さて、ということで、今日の一枚は、次の次くらいに聴こうと思っているエリック・ドルフィーです。
1961年11月、ドルフィーはコルトレーンのグループに帯同して、ノーマン・グランツが主催するJATPツアーに参加、ディジー・ガレスピーのクインテットとともにヨーロッパ各地をほぼ休みも無しに演奏して回りました。

あれ?休みもないのに・・・・・そんじゃ、この演奏はツアー・コンサートの本番録音かい?

いえいえさにあらず、メンバーが若かったせいでしょうか、時間を見つけては、行く先々のクラブ等々でジャム・セッションを行っていたようで、この録音も「スタジオ15」という録音スタジオなのかクラブなのかわからないところで収録されたものです。(これが録音スタジオでの収録であったら、音のひどさに技術力を疑いますけど)
メンバーは、基本的には親分抜きのコルトレーン・クインテットが主体。ただしエルビンの代わりにガレスピー・クインテットのメル・ルイスが参加しています。
おっと、そうは言いきれないのかな?

この時の録音は、いろんなかたちで発売になっていますが、録音が同じなのにものによってピアノがラロ・シフリンになっていたり、ベースがボブ・カニンガムになっていたり、つまりはドルフィー以外、ガレスピー・クインテットのリズムセッションであるがごとく記されたものもあります。
実際に聴いてみれば『一目瞭然』なんですけどね。真相はご自分の耳でお確かめ下さい。(笑)
その時にもう一つ注意していただきたいのは「THE WAY YOU LOOK TONIGHT」のピアノです。この曲だけはどう聴いても他のピアノと演奏者が違うように聴き取れるはずです。
ひょっとしてこれがラロ・シフリン?たまたま居合わせたジョン・ルイスだなんて話もあったりして・・・・・
「ブラインド・フォールド・テスト」にはもってこいかな?あはははは、正解がハッキリしないんじゃダメか。
ともかく、ハッキリしているのは、コルトレーン、エルビン・ジョーンズ、ガレスピーは参加していないということです。(今日は紹介アルバムに記載されたメンバーにて表記します。)

いかんせん録音状況が悪い、胸を張ってお勧めできるアルバムではありませんが、もしあなたがドルフィーに興味があるようでしたら、抑えてはおきたいアルバムだと思います。

おっと「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」の聴き比べをしてるんでした。え~と次はジューン・クリスティー、歌ものかな。(笑)

LIVE IN GERMANY / ERIC DOLPHY
1961年12月2日録音
ERIC DOLPHY(bcl) McCOY TYNER(p) REGGIE WORKMAN(b) MEL LEWIS(ds)

1.ON GREEEN DOLPHIN STREET
2.SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE
3.THE WAY YOU LOOK TONIGHT
4.OLEO

追伸、

一曲目「ON GREEEN DOLPHIN STREET」の「GREEEN」、Eが一つ多いだろうとのご指摘もあろうかと思います。あくまでも、アルバム表記どおりに書かせていただきました。
あははははは、つまりそれだけ「いい加減なアルバムだ」と言っているようですかね。
尚、この時のヨーロッパツアーでのコルトレーン・クインテットの演奏は、以前紹介したCDボックス「LIVE TRANE THE EUROPEAN TOURS / JOHN COLTRANE」で、みっちり聴くことが出来ますよ。

時間外れのおまけ、
只今時刻は11時20分、そろそろブログのデザインを変えようと思い、いろいろやってみましたがどうにも良い感じになりません。(もともとセンスの無いのが悪いのですが)
けっきょくは、定型テンプレートからとりあえず選択して、この連休にでもゆっくり考えてみることにしました。
新デザインは明日からスタートか?明後日になるのか?
      ・・・・・・それは、私にもわかりません。(笑)