JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

虎が雨は冷たい雨

2008年05月29日 | m-o

なんだか寒い一日でしたねぇ、雨だけならまだしも突然気温が下がると体調を崩す人も多いでしょう、お互い気を付けましょうね。

このあたりでは一日ずれたものの、昨日、5月28日に降る雨を『虎が雨』と言うんだそうでありまして、
これは、曾我兄弟、すなわち兄、十郎祐成(すけなり)と弟、五郎時致(ときむね)の仇討ち物『曾我物』(『曾我物語』や『吾妻鏡』を元に、歌舞伎やら浄瑠璃やら作られた話は数知れず、これを総じて『曾我物』といいます。)に由来するんですが・・・・

え~~時は建久四年、平家の世が源氏の世へと移りし頃のこと
源頼朝が権威と実力を関八州の皆々に示すべく、富士の裾野で行った大がかりな巻狩り(軍事演習みたいなもんですかね)、その仕切り役の一人であった工藤祐経(すけつね)、彼こそが曾我兄弟が何としても討ち取らなくてはいけない父の仇なのであります。
二人は「この好機を見逃すまいぞ」と仇討ちに出かけますが、いかに訓練野営とはいえ、大将の側近までたどり着くのは容易ではありません。苦労して苦労してやっとのおもい、巻狩りがあと一日で終わろうとしている5月28日、真夜中の雨を利用していよいよ工藤祐経の陣へ入り込みました。そして、
「父の恨み、我が兄弟がはたさん!!」
とばかりに斬りかかり、みごと仇討ちをはたします。
しかし、兄、十郎祐成は新田四郎忠常にその場で斬られ即死、弟、五郎時致もまた御所五郎丸に生け捕られるものの、自ら望んで斬られ死ぬという、まぁそんな話なのであります。

この時、兄、十郎祐成の恋人、虎御前が流した涙、これが雨となって毎年5月28日に空から落ちてくるのだと・・・・・あ~長かった。(笑)

「毎年って、毎年は降らねぇだろう」
ってですか?・・・う~~~ん確かに毎年は降らないでしょうが、でも、陰暦の5月28日がいわゆる『雨の特異日』Singularity(シンギュラリティ)ではあるそうですよ。でへへへへ、ですから実際の『虎の雨』は季節的にはもっと後になるんですけどね。

とにもかくにも、昨日今日の雨が涙雨なら、冷たい雨でも仕方がありませんかねぇ

そういえば『虎が雨』は夏の季語にもなってます。

責められてまた責められて虎が雨 バブ

だめだこりゃ

さて、今日の一枚は、オリバー・ネルソンです。
ネルソンというと、どうしてもプレイヤーというより、コンポーザー、アレンジャーとしてのイメージが強いですよね。
もちろんそちらの才が闌けていたからに他なりませんが、プレーヤーとして聴いてみるには、今日のアルバムなどけっこうよろしいんではないでしょうか。

全体にとてもまとまっているし、バイブとオルガンを加えた変則ワンホーン・クインテットは、なかなか面白味もあります。
プロ活動を始めてたった一年で爆死ししたレム・ウィンチェスターのバイブが聴けるところも魅力ですよね。

ただしいていうと、私はネルソンに個性をあまり感じません。
「いかにもネルソンのアルトだ」とかいう感じ?良いんですよ、じつに良いんですが「バーン!」っていう印象が無いんですよね。
・・・・・・それがネルソンらしさなのかなぁ???????
もちろん「ALL THE WAY」なんかのように、ソロで入ってバックが加わっていく、何ともお洒落な感じは「さすが名アレンジャー」と感心はするんですよ。

けなしておいてなんですが、このアルバムは好きな一枚です。
本日はCDでの紹介。

TAKIN' CARE OF BUSINESS / OLIVER NELSON
1960年3月22日録音
OLIVER NELSON(as,ts) LEM WINCHESTER(vib) JOHNNY HAMMOND SMITH(org) GEORGE TUCKER(b) ROY HAYNES(ds)

1.TRANE WHISTLE
2.DOXY
3.IN TIME
4.LOU'S GOOD DUES
5.ALL THE WAY
6.GROOVE


身から出た錆?

2008年05月28日 | g-i

「バブさん、○○ちゃんが言ってたんだけど、先週の土曜日、また飲み歩いてたんですって。しかも、女連れだったっていうじゃないですか」
「はぁ??????」

どうも夜中の1時ごろ、私が女性と二人で飲み屋街を歩いていたという、根も葉もないことを事務員達が「茶飲み話」で話していたのだそうで
先週の土曜日は飲みにも出てないし、まして女性一人を連れだっての飲み歩きなど、もう何年もした覚えもありませんから、
「そんな女性がいるんだったら、是非とも紹介して欲しいねぇ。何ていう女か調べて教えて欲しいよ。」

しかしまぁ、女性の「茶飲み話」にはほとほと感心させられますね。
江東区の殺害された女性についてやら、女子アナの自殺の真相、野球選手のドーピングといった話題から、何とかっていうお店が旨いだの不味いだの、はては私の素行まで、ともかくテレビのワイドショー顔負けの知識をお持ちのようで、何時何処からあれだけの情報を入手されるのか、御伝授願いたいほどです。
ただし、話の中身全てが確かなものかといえばそうとも思えず、ここに女性ならではのたくましき想像力が加味されて「いらぬ噂」たるものが生成されるのだろうとは容易に想像は出来ますけど。
まぁ、そんな噂が立つのも、私の日頃の悪行が原因、ある意味『身から出た錆』ともいえるわけで、厳に慎むべきは私なのかもしれませんね、反省反省。

「だれだぁ、俺が女と飲み歩いてたなんて言ったの?まったく、若い娘が夜中の1時に飲み屋街をウロウロしてるほうが危ねぇだろ、なんだったら今度は俺が二人っきりで連れてってやんから名乗り出ろ!」

さて、今日の一枚は、レッド・ガーランドです。
とりたててガーランドのお勧め盤とは思いませんが、表題曲「HALLELLOO-Y'-ALL」でガーランドのオルガンを聴けるといった点が、注目といえば注目でしょうか。
でも、聴いてみると「ガーランド君、やっぱり君はピアノを弾いているほうが良いと思うよ」って言いたくなるような、私はそんな気がします。

全体にちょっとおとなしめの曲が続きますので、酒のBGMには最適かもしれません。
ですから悪くは無いんですよ、ただこのメンバーだと過大に期待するところがあったりするわけで・・・・・
私としてはラストの「BACK SLIDIN'」が好きかなぁ。

HALLELLOO-Y'-ALL / RED GARLAND
1960年7月15日録音
RED GARLAND(p,org) SAM JONES(b) ART TAYLOR(ds)

1.REVELATION BLUES
2.I'LL NEVER BE FREE
3.EVERYTIME I FEEL THE SPIRIT
4.HALLELLOO-Y'-ALL
5.BACK SLIDIN'

追伸、
監督、俳優として活躍されたシドニー・ポラック氏が去る26日に亡くなられたそうで、73才だったそうですから、後期高齢者手前、もう少し長生きされてもよかったかもしれません。ご冥福をお祈りいたしましょう。

 ♪ Memories
     Light the corners of my mind
     Misty watercolor memories
     Of the way we were    ・・・・・・♪

シドニー・ポラックといえば、まずは映画『追憶』が、あのメロディーとともに頭に浮かびます。
バーブラ・ストライサンド、ロバート・レッドフォード、二人の引っ付いたり離れたりといった単なるラブ・ストーリーかと思って観た映画でしたが、そこには戦争、共産主義者狩(マッカーシズム)といった歴史的なバックボーンがきっちりあって「なかなか、なかなか」なんて偉そうに感心した覚えがあります。
「いずれまた追悼と称して『追憶』もテレビ放映されるかなぁ、そしたら観よう」
なんて、不謹慎なことをいっちゃぁいけませんよね。


男のバカさ、女のしたたかさ

2008年05月27日 | j-l

飲み過ぎ、寝不足のバカ者にとって、眩しすぎるほどの太陽がうらめしい。
こんな日の昼食は「海岸でゆっくりコンビニ弁当を食べる、これが一番でしょ」てんで、トマトジュースを飲み飲み、海風を浴びてきました。
「やっぱ、海っていいなぁ」
バカ者の憂鬱も吹き飛ばす海、生命の母の力は偉大だぁ(って、なに言ってんだか)

話を昨晩に戻しましょうか。
いつものようにバーでクダを巻いていると、そうですね、歳は私よりはるかにお若いでしょうが若者と呼ぶには少々無理のある(失礼な)女性一人に男性二人、3人組のお客さんが入ってこられました。
女性はかなり笹をいただいてこられたようで、見た目は片足をあっちの世界に突っ込まれたような状態、それでもまわりに大きな迷惑はかけそうもないのでかまわずおりました。
まぁ、酒を飲んで酔うのはお互い様、たまには酩酊だってしちゃうものです。

私は常連客の△さんと話などしながら知らん顔を決め込んで飲んでおりましたが、直接見ずとも何となく様子をうかがってしまうもので・・・・・

え~、ここからは想像話ですから、そのつもりでお聞きください。
まず、このお三人の関係ですけど、う~~ん同級生?雰囲気としては、同窓会で、昔、一人の女性に恋心をいだいた二人の男性が彼女と再会し、三人で飲みに出かけたみたいな感じ?若干男性二人には下心が見え隠れしているようにも思えました。

こういった時の男性というものは歳に関係なく、女性をいかに持ち上げるかに終始しますね。お一人は「もうかなり酔ってるからウーロン茶でも飲めば」と優しげに、もうお一人は肩にもたれてくるのもかまわず話の聞き役を。
この女性がいるかぎり、二人の男性は「何杯飲んでも泥酔しないぞ!」との意志がヒシヒシと伝わってまいります。(笑)

まぁ、20才そこそこの男女とは違い、節操ある大人の方々ですから、「酔わせてなんとやら」てなことはもちろん無いでしょうが、それでも期待がないかといえば嘘になる、そんなところが「男のバカさ」加減でありますね。
そして、そんな匂いをまわりにまで気付かれてしまうのも「男のバカさ」であり、これを充分に利用するのは「女のしたたかさ」でもあるのでしょう。

結局、そろそろ帰ろうかという話がまとまりかけた頃、不意に立ち上がった女性はひとり表へ、
「ほら、追っかけたほうがいいよ」とは、ママと私。

一人の男性が後を追い、しばらくして戻ってまいりました。
「どうした?」
「帰った」
「えっ?まさか歩いて?」
「いや、タクシーに乗って」
さっきまでは、隣の男性に寄り掛からなければ何ともしようがないような状態だった彼女。タクシーに乗った瞬間に、「キリッ」と正気に戻ったりして・・・・・
私の頭には、そんな彼女の姿が「ピン!」と浮かんできてしまったわけで
「やっぱ、女性は手強いわ」と心で自答して、帰るはずだった二人(男性)が、もう一度飲み直している後ろ姿に、同じ男として何故か同情してしまったのでありました、とさ。

「ねぇねぇ、酔っぱらっちゃった女と、酔わない女と、酔ったふりする女、どれが一番かわいいと思う?」
ママも△さんも無回答。あたりまえですよね女性に訊く質問じゃありません。
「そうだよね、ママも△さんも、い・ち・お・う女性だし・・・・・」(これは二人には聞かれないように言いました。....笑)

考えてみれば「男のバカさ」「女のしたたかさ」この駆け引きが、じつは一番楽しいのかもしれませんよね。私は苦手ですけど。

さて、今日の一枚は、エルビン・ジョーンズです。
「あれ?ジャケットが??????」
と突っ込まれそうですが、国内盤にこんなジャケットのがあったんですよ。
私はどちらかというと、演奏をするあの汗をかいたエルビンの顔がドーン!のほうが好きなんですけどね。持ってないからしかたがないじゃありませんか。(笑)

ザ・ジョーンズの曲「RAY-EL」が、私は好きですねぇ。このアルバムでは一番長い曲なんですが、その長さを感じさせない・・・・どちらかといえばB面を聴く機会が多いアルバムだと思います。
コルトレーン・カルテットのエルビンはもちろん良いんですが、兄貴とプレーするエルビンもまた違った魅力を感じます。

そうそう、取って付けたようですが、「そうだよね、ママも△さんも、い・ち・お・う女性だし・・・・・」なんて言ってしまったお二人に、「YOU ARE TOO BEAUTIFUL」と言い直させていただいて、今日のアルバム紹介は終わりにしましょう。

ELVIN ! / ELVIN JONES
1961年7月11,12,27日, 1962年1月3日録音
ELVIN JONES(ds) THAD JONES(cor) FRANK FOSTER(ts) FRANK WESS(fl) HANK JONES(p) ART DAVIS(b)

1.LADY LUCK
2.BUZZ-AT
3.SHADOWLAND
4.PRETTY BROWN
5.RAY-EL
6.FOUR AND SIX
7.YOU ARE TOO BEAUTIFUL

お知らせ
本日の更新は、仕事の合間にそっと○△の目を盗んで行っております。
今後、夜野暮用が増えそうで、この時間の更新が間々あるかもしれませんので、お知らせしておきます。
えっ?別にいつ更新しようが関係ないって?
いやいや、ただ目を盗んでまで更新を続ける、その心意気を汲み取っていただこうかと思いましてね・・・(笑)


タダが物価高を押し出し~~!?

2008年05月25日 | m-o

昨夜遅くから降り出した雨も、今日の午前中にはほぼあがり、一日中雨の日曜日を覚悟していた私には、良かったのか?悪かったのか?
「午前中の内に、買い物行っちゃおうね」
って、やっぱり買い物行かなくちゃいけないわけね・・・・・

目も耳も ただだが口は 高くつき

目で青葉を見るのも、耳で時鳥の鳴き声をきくのも、どちらも無料だけど、口で味わう初鰹だけはとんだ高いものにつく、という「目に青葉 山時鳥 初鰹」を江戸庶民がパロった句でありますが
昨今の食品の値段にもビックリしてしまいます。

このあたりでは、この季節になると、近くの漁港にもどんどん鰹が水揚げされますから、鰹自体の値段はどんどん下がり、秋の秋刀魚なみに食卓に上る機会が増えてきます。
それはいいんですが、薬味にする食材のあの値段、「ありぁなんざんしょ」って感じですよね。

「なになに、鰹四半身が約400円か、ふむふむ、えっ?ニンニク一個298円って、これに茗荷でも買ったら鰹本体より高けぇじゃん。」
ほんと、「店員さぁ~ん、ニンニク粒売りして」って言いたくなるようです。
「俺は別に中国産でもかまわねぇんだけどなぁ・・・・・・」

もちろんニンニクだけではありません、諸々の値上げは確実に家計を直撃していますよね。
「だれでもいいから、なんとかしてくれよぉ」

なんだか寂し~~~い気持ちになってしまいますので話題を変えましょう。
買い物に付き合った後は、先日借りてきていた本を返しに図書館へ出かけました。
いつものように、また何冊か暇つぶし用の本を借り、豊富すぎる(イヤミですよ)DVDライブラリーも覗いてみることに
確かに数は少ないものの、ドキュメンタリーものなどは借りても良いかなってものがチラホラあって
「ん?んんん?」
なんと、「ザ・ブルース・ムービー・プロジェクト・シリーズ」が一巻だけポロッと置いてあるではないですか!!・・・・おっと、一人で盛り上がってしまいました。

「ザ・ブルース・ムービー・プロジェクト・シリーズ」というのは、ブルース生誕100年を記念して、2003年に全米のテレビ、CD、ラジオ、書籍など様々なメディアで展開された記念事業の最終目玉として、パブリック・ブロードキャスティング・サービス(PBS)にて7夜連続で放送された長編ドキュメンタリーのことでありまして、『ラスト・ワルツ』のマーティン・スコセッシ製作総指揮のもと、ヴィム・ヴェンダース、マイク・フィッギス、リチャード・ピアース、チャールズ・バーネット、マーティン・スコセッシ、マーク・レヴィン、クリント・イーストウッドという総勢たる7名の監督が、ブルースへの想い、情熱を込めて一夜ずつを担当したという、じつに面白いシリーズ作品なのであります。(日本では日活配給の元、幾つかの劇場で映画として上映されたのですが、当然、我が田舎ではございませんでした。)

このブログでも三年前に、レンタル屋さんにDVDがあったことをきっかけに、なん作品か紹介したことがありました。
ところが、ところがです。そのレンタル屋さんに全てが揃っていなかったこともあって、私は二夜分、二作品を未だ見ていなかったのです。
それがあ~た、その内の一作品イーストウッドの「ピアノ・ブルース」が、我が市立図書館が誇る豊富なライブラリー(しつこい!)の中にあったのですよ。
もち、即座に借りてまいりました。(一度WOWOWで放送されたようですが、これも見逃しておりました。)

珈琲を飲みながら堪能いたしましたよ。

レイ・チャールズ、デイヴ・ブルーベック、マーシャル・ボール、パイントップ・パーキンス、ドクター・ジョン、ピート・ジョリー、ヘンリー・グレイ・・・・ジェイ・マクシャンなんて、あ~た、1940年代前半に若かりしチャーリー・パーカーが演奏していたバンドのリーダーですよ。その爺が、いや、その御大が演奏までして、インタビューしているイーストウッドがただただ楽しそうで、うらやましいぞ!
パイントップ・パーキンスやジェイ・マクシャンの前でなんか、イーストウッドも小僧っ子ですね。

インタビューの合間に流れる古い映像もたまらんですねぇ
全盛期のオスカー・ピーターソンの左手、ありゃ何でしょう?
おー!私の大好きなフィニアス・ニューボーン・Jr.がピアノ弾いてるよ。(って、サックス吹いてるわけないんですが...笑)
オーティス・スパンなんて、たまらんですよ。
アルバート・アモンズ、ドロシー・ドネガン、ビック・ジョー・タイナー、デューク・エリントン、カウント・ベーシー、ナット・キング・コール、アート・テイタム、マディ・ウォーターズ、ウィリー・ディクソン、プロフェッサー・ロングヘア、セロニアス・モンク・・・・・・
最後に、レイ・チャールズの「アメリカ・ザ・ビューティフル」が映し出されるあたりは、いかにも「アメリカの記念事業の一環だぞう~~~~!」的なところはありましたが、じつに内容の濃い96分だったように思います。

思わぬ長文になってしまいましたが、一本のDVDのおかげで、なんだか楽しい一日になったように感じます。
タダで借りてきたDVDが、ニンニクの値段の高さをちょっとだけ忘れさせてくれた、そんな日曜日でした。

さて、今日の一枚は、そのジェイ・マクシャンのバンドにパーカーが参加していた頃の録音ものです。
私がここで紹介してきたアルバムとは、完全に一線を画す一枚ではありますが、今日の楽しさを受けてということでご勘弁下さい。
ですから、細かな説明は専門家に任せるとして、
私は「そうかぁ1940年代前半に、バードはこんな演奏をしてたのね」といった、素直な気持ちで楽しむ一枚とだけ紹介しておきましょう。
もちろん、私がレコードを持っているわけもなく、再発盤CDでの紹介です。

「ブルースと他の音楽を区別したことはない。どの音楽も親戚で、いとこやはとこみたいなものさ」
「ピアノ・ブルース」の中で、ジェイ・マクシャンがこんなことを言ってました。
カッコイイなぁ・・・

EARLIEST BIRD / JAY McSHANN & CHARLIE PARKER
1940年11月30日, 12月2日, 1942年1~3月録音
JAY McSHANN(p) CHARLIE PARKER(as)
BUDDY ANDERSON, ORVILLE MINOR, UNKNOWN(tp) BOB GOULD(tb,vln) WILLIAM J. SCOTT, BOB MABANE(ts) AL TINNEY(p) GENE RAMEY, EBENEZER PAUL(b) GUS JOHNSON(ds) CLARK MONROE(vo)

1.I FOUND A NEW BABY
2.BODY AND SOUL
3.MOTENSWING
4.COQUETTE
5.LADY BE GOOD
6.BLUES
7.HONEYSUCKLE ROSE
8.CHEROKEE
9.YOU SAY FORWARD, I'LL MARCH
10.LENELY BOY BLUES
11.VINE STREET BOOGIE
12.JUMP THE BLUES AWAY
13.ONE O'CLOCK JUMP
14.BOTTLE IT
15.SWEET GEORGIA BROWN
16.WRAP YOUR TROUBLES IN DREAMS
17.ONE O'CLOCK JUMP

おまけ、
日曜日ですので『料理当番、本日の一品』

まずは、本文にも書いたように鰹ですけど、今日はたたき風の漬けにして、新玉葱、アスパラ、レタスをタップリ敷いた上へのせ、大葉を散らしてみました。
新玉葱は水にさらして、オレンジドレッシング(オレンジの絞り汁をベースに、塩、ワインオイル、ワインビネガーを加えました。)に和えました。これが思った以上に美味しくて、生ものダメ組の母用、鮭のムニエルにも添えたのですが、好評でありました。


根性無しを反省せねば

2008年05月24日 | y-その他

今日はどんより曇り空、この終末はあまりお天気には恵まれないようで、明日『ヤナイ珈琲』のヤナイさんとS君は、わざわざ東京くんだりまで何件かのコーヒー店を梯子するために行かれるとのこと、
「ざまぁみろ!雨だよーだ!」
だって、S君にお土産をねだったら、
「なんで、あんたにお土産買ってこなくちゃいけないの?」
って言われたんだも~~~ん。(笑)
・・・・・うそうそ、ゆっくり珈琲ツアーを楽しんできて下さい。

今日は昨日の予告通り、またまた本がらみのお話でありまして・・・

夏目房之介著書『あの頃マンガは青春期だった』に1960年代後半から70年代にかけての「ジャズ喫茶」をさして、こんな一節があります。

この時代、鬱状態(うつじょうたい)の青年にこれほど似つかわしく親しげな空間はなかった。暗い店内に入ると目の前に帯状にたなびく煙草の雲、頭が痛くなるほどの音の洪水、クソまずい煮出したコーヒー、ジャズ神殿の司祭のように気むずかしく無愛想な店主、フーテンっぽいウェイトレス、鋭くさぐるような常連の視線。

読んでいて、目に浮かんできます。もちろん私は60年代に「ジャズ喫茶」へ通うほどマセてはおりませんでしたから、ある意味その当時の生き残り残党に憧れていた世代、それでもこの文章は、「ジャズ喫茶」の雰囲気をじつに良く表した一節だと思ってしまいました。

60年代から70年代といえば、最も「ジャズ喫茶」が生き生きとしていた時代、私が実際に体験したのはその最も後期であったわけで、もし私が、フーテンと文化人の混在、学生活動家がたむろし、ある意味「文化の拠点」といった意味合いが強かった時代のその場に、ドップリと浸かっていたなら、人生は大きく変わっていたかも知れません。

これはまた、私が触れたジャズ・シーンにも同様のことがいえると思います。
あえて今いったような時代を「ジャズ喫茶時代」と呼ばせていただければ、その後期に、しかも地方の「ジャズ喫茶」で過ごしていた私が触れるジャズは、ほとんどがレコードからであり、ほとんどが洋楽としてのジャズであったわけです。
つまり、60年代から70年代に起きた日本での若手ミュージシャン達によるフリー・ムーブメント(あきらかにアメリカやヨーロッパで起きたそれともまた違った特徴を持つ)を、感じる術を持てなかったということ。これはじつに残念なことだったと思えてなりません。

私がもしあと10年早く生まれていたら、最も多感な時期「ジャズ喫茶時代」のただ中に身を置けたら、コルトレーンの来日も間近で迎えられたでしょうし、なにより、最も活動的で変革にとんだ日本のジャズ・シーンに立ち会えたのではないか・・・・・
けっきょく日本人ジャズメンを、ほとんど聴かなくなってしまった背景もおそらくはそういった環境に起因するのだと思っています。

ジャズだけでなく、あらゆる面で「中途半端な時代に青春期を過ごした」といった感覚は、気が付かないうちに、私の根底に流れるコンプレックスとなっていたのかもしれません。
そしてそれは、そんなことに言い逃れをする、つまり「中途半端な時代にしていたのは自分自身だろう」といった発憤材料にも出来ずにいた不甲斐なさ、私が根性無しのバカヤロウだった(いや「だ」ですね)という証でもあるわけです。

あれ?なんの話でしたっけ?
そうそう、『あの頃マンガは青春期だった』の話でしたっけ?
ともかく、「一節から思いを膨らます」、中年オヤジがたまにやらかす病気みたいなものだと思って聞いて下さい。
ちなみに、そんな時代を文章で知ろうとしたら、植草甚一や相倉久人、以前紹介したマイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化』、ちぐさのオヤジさん吉田衛が書き残した『横浜ジャズ物語』、そして副島輝人の『日本フリージャズ史』あたりをお読みになってみると良いかもしれません。
私は、当時の日本ジャズをCD等々で入手しつつ、改めて聴き直していこうかと思っています。

さて、ということで今日の一枚は、富樫雅彦です。
本当に私の所有和物は少ないんですよねぇ。やっと見つけ出したのがこの1973年、新宿で二週間にわたってくりひろげられたフリー・ジャズ・フェスティバル「インスピレーション&パワー14」でのライブ盤です。

昨年惜しまれつつ亡くなられた富樫雅彦、これは事故で下半身不随になって初めてのライブ盤であったと思います。
リハーサル無しのぶっつけ本番で演奏された内容は、足は無くしたとはいえオフ・ビートの感覚を完全に体にしみ漬けた富樫と、多彩なピアニスト佐藤允彦の、日本的「間」を感じ取れるような息の合ったディオを聴くことが出来ます。
もちろん、そこはグレコノーマンではなくフリースタイルですから、万人向けジャズとは言いがたいものですけどね。

双晶
1973年7月7日録音
富樫雅彦(perc) 佐藤允彦(p)

1.輝き
2.再び活発に
3.往事を回想して

おまけ、
昨晩、東京の友人Sh君から10時過ぎに電話がかかってきました。
「今日は何処で飲んでんの?」開口一番その質問もひどいと思いません?
「昨夜飲み過ぎたから、今日は自宅だよ。」(あははは、報告しませんでしたが、一昨日の晩は、またMさんに誘われ、遅くから飲みに行ってしまったのですねぇ)

どうも、ひとの酒を心配しているわりには、ろれつが回っていません。
「今ね、F(同級の女性です)なんかと横浜で飲んでんだけどさ、Fがね「中学、高校と、バブはとても優しくしてくれたけど、なんで恋心には発展しなかったのかな?」っていうから電話した。」
って、おいおい、そんなつまんねぇ話で・・・・しかも、あたしゃ自宅で一人寂しく飲んでるときに、いかにも楽しそうに・・・・
「今、Fに代わるから」
「あら、バブ君、ごめんね、Sh君が勝手に電話しちゃったのよ。・・・ねっ、どうして恋まで行かなかったんだろ?」
当然、社交辞令ですので
「俺はしっかり、いだいてたよ恋心」
「こんど田舎に帰ったら、またいっしょに飲みに行ってくれる?」
「ああ、いつでもいいよ」

バカヤロウ!つまんねぇことで楽しそうな電話かけてくんじゃねぇよ!うらやましいだろ・・・・・・・・・・!?

あはは、今日は最初と最後、うらやましい話でおしまいです。


十分の一でいいから

2008年05月23日 | g-i

いやいや暑い一日でした。って「夏日にもなっていないところのヤツが言うな!」と言われそうですけど、それでも日差しが強く、特に車の中はひどい暑さだったんですよ。

今日もまた、昼休みの雑談からのお話ですが・・・・

何日か前にテレビでアニメ『パプリカ』が放映されていたのだそうで(私はアニメに特別な興味を持っていないもので、当然見てもおりませんが)
「『パプリカ』の原作って筒井康隆だったんですね」とは、そのTVを見たというN君であります。
原作は1993年といいますから、私がもうすでに筒井康隆の作品をあまり読まなくなってからですので、当然未読、全く話について行けずに終わってしまいました。(笑)

私が筒井康隆を始めて読んだのは、NHK少年ドラマシリーズ『タイムトラベラー』を見た後だったと思います。(このドラマを懐かしいなぁ~~って思ったアナタ、歳がわかりますよ...笑)
ですから、最初に読んだのはドラマの原作『時をかける少女』だったのでしょう。(はっきりは覚えてないんですよ、でも『七瀬シリーズ』は全て読んだのは間違いありません。)
私と同年代の方は、あのドラマをきっかけに筒井康隆を読み始めたって方はずいぶんいたんじゃないかなぁ・・・・

筒井康隆といえば、執筆活動だけでなく、役者をやってみたり、山下洋輔と組んで「筒井康隆断筆祭」なんてイベントもやったりしましたよね。筒井康隆、山下洋輔、相倉久人、この三人は大の仲良し、山下洋輔によれば筒井康隆の楽器の腕前もそうとうなものだそうですよ。そんなつながりで『ジャズ小説』なんてぇのも書いたんでしょう。

そうそう、彼はマンガも書いてたんですよ。知ってました?
けして上手いとは言えませんが、夏目房之介なんか著書『あの頃マンガは青春期だった』の中で、「絵も構成も素人だが、ヘンに面白い。筒井だから許される、といえばたしかにそうだが」なんて筒井康隆のマンガについて評しておられました。
(夏目房之介は同書の「恋の威力とジャズ修行」てな項で、樋口太郎の『脱出』について書いていらっしゃいますが、この話もなかなか面白いので、明日にでも紹介しましょう。)

ともかく
才に闌けた方というのはじつにうらやましいかぎりですね、私にその十分の一でも良いから才があれば・・・・・・・
昼休みの話について行けなかった私は、この土日で古い筒井康隆の本でも読み直してみようか、なんて思ったのでありました。(ついでに『パプリカ』も読んでみましょうか)

さて、今日の一枚は、活かしきったかどうかは別として、こちらも才は人一倍あったアンドリュー・ヒルです。
5年ぶりにレコード復帰したヒルの第二弾アルバムです。
以前も何度か紹介したとおり、ヒルという人はどうにも大衆受けしないピアニストでありまして、たしかにブルーノートに残る彼のアルバムなど聴くと、納得いく部分もあるのですけどね。
え~~でも、これも何度も言うようですが、私はヒルを全く嫌っておりません、いやむしろ好きなピアニストです。

ここでは、リー・コニッツ、テッド・カーソンらの参加もあって、じつに意欲的な演奏を聴かせてくれていると思います。
特に「INVITATION」じつに神秘的で知的で、このコニッツとのディオは「一聴の価値有り」だと私は確信しています。

SPIRAL / ANDREW HILL
1974年12月20日, 1975年1月20日録音
ANDREW HILL(p)
LEE KONITZ(as,ss)[2,3,4,6] TED CURSON(tp,flh) CECIL McBEE(b) ART LEWIS(ds)[2,3,4]
ROBIN KENYATTA(as) STAFFORD JAMES(b) BARRY ALTSCHCUL(ds)[1,5,7]

1.TOMORROW
2.LAVERNE
3.MESSAGE
4.INVITATION
5.TODAY
6.SPIRAL
7.QUIET DAWN

おまけ、
NHK少年ドラマシリーズの話が出ましたが、同シリーズで私が最も印象に残っているのは『つぶやき岩の秘密』ですかねぇ。
原作は新田次郎、出演、佐藤陽一、厳金四郎、西口紀代子という・・・・・・
ところが、内容は良く覚えてないんですよね。
きっと石川セリの歌った主題歌「遠い海の記憶」が、あまりに印象的で覚えているってだけなのかもしれません。

 ♪ いつか思い出すだろう
   おとなになった時に
   あの輝く青い海と
     通り過ぎた冷たい風を ♪


ってね。(笑)


飛び火話は面白い

2008年05月22日 | p-r

今日沖縄では梅雨入りだそうで、天気図に梅雨前線が現れる季節になったんですねぇ、「ジメジメムシムシ」私のようなデブ族が最も嫌う季節到来、やだなぁ~~~

ところで
「話というのは、思わぬ方向へ飛び火するから面白い」てなこと感じたことはありませんか?今日の昼休みが、私にはまさにそれでありました。

 ♪ 一つとせ 人は見かけによらぬもの できそでできない ○校生
   そいつぁ○校生 そいつぁ○校生
     二つとせ 二目と見られぬその顔で 窓から手を振る ●校生
    そいつぁ●校生 そいつぁ●校生
     三つとせ 見れば見るほどいい女 陰で何する △女生
    そいつぁ○女生 そいつぁ○女生
     四つとせ 夜の夜中に抜け出して 温泉通いは □校生
    そいつぁ□校生 そいつぁ□校生 ・・・・・・・♪

延々十番まであるこの『かぞえ歌』は、このあたりの高校に伝わっていた(各高校で少々歌詞も違いますし、現在は伝わっているかどうかわかりません)『高校かぞえ歌』です。

まさか、昼飯を食べた後にこの『高校かぞえ歌』の話になるとは思ってもいなかったのですが、さらに話は進み
「いやぁ、バブちゃん良く覚えてんねぇ、俺なんか昔教えてもらったような気がするけど良く覚えてないよ。」
すると茨城の高校出身の方が
「そういや、うちの高校にもあったなぁ、そんなの・・・・たしか曲は同じだったような」
すると、博識な方がいらっしゃるもので
「それの本歌は『豪気節』だな、旧制高知高校の寮歌だよ」
「おお~~~」(思わずメモを取っちゃったりして...笑)

 ♪ 一つとせ 一人あの娘(こ)が恋しけりゃ 潮吹く鯨で気を晴らせ 
  そいつぁ豪気だね
  二つとせ ふるさと忘りょか若き身に 桂の浜に星がとぶ
  そいつぁ豪気だね
  三つとせ 南の御国は土佐の国 革命と自由の生まれし地
  そいつぁ豪気だね  ♪

彼の話によれば、大正時代に余田弦彦という方がお作りになった歌なんだそうで、これが全国の旧制高校に広まり、各地で『かぞえ歌』が出来たんだとか。

「へぇ、その与太郎じゃなくて、余田なんとかって人は、どういう人だったんですか?」
「いわゆるバンカラだったんだと思うけど、詳しくはねぇ・・・・そうだ、石田一松って知ってる?」
また、新たな名前が出てきてしまいましたが、タレント議員第一号とされる吉本興業所属の演歌師で、戦後衆議院議員をお務めになった方だそうで、
「石田一松が流行らした歌に『酋長の娘』ってぇのがあんだけど、知らねぇかなぁ?」

 ♪ 私のラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人
  赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊る
  踊れ踊れ どぶろくのんで 明日は嬉しい 首の祭り ・・・・・♪

「おいおい、マスターが知ってるよ」
「あっ、でも聞いたことあんなぁ、その歌」
(帰ってから検索したら、なんとYou Tubeに、ドリフの番組でキャンデーズなんかが歌ってる映像がありました。)
「その『酋長の娘』の原曲といわれる『ダクダク踊りの歌』っていうのも、旧制高知高校の歌、余田弦彦が作ったんだよ。」
「ほう~~~すげ~~~物知り~~~~」
「高知の桂浜には、『豪気節』の碑が建ってるから、行く機会があれば観てきてくださいよ。」

きけば、その方は高知出身なんだそうで、これって高知では常識範囲のお話なんでしょうかねぇ????

「ついでに、もう一つうんちくを、『豪気節』は余田弦彦の作詞作曲とも言われるんだけど、じつは曲は自由民権運動家、植木枝盛の『民権かぞえ歌』から取ったものだとも言われてます。これほんと」
「へへ~~~ 恐れ入りやした(笑)」
こんな田舎の『高校かぞえ歌』が、はては自由民権運動にまでつながっていくとは・・・・
ほらね、話が飛び火すると何だか面白いことになるでしょう。
(ただし、話を聞きながらメモってきたもので、個人名の漢字を一部間違っている可能性もあります。笑)

さて、今日の一枚は、レオ・パーカーです。
バップ期に活躍したバリトン奏者も、結核に冒され、7年ぶりに再起したのが1961年、今日のアルバムででした。しかも、翌年には37歳という若さで亡くなってしまったわけで・・・・ともかく、録音源が少なすぎて聴き込むまでは、どうしてもいかないプレーヤーです。


私の持っていない「BACK TO BACK BARITONES」

J.J.ジョンソンの「J.J. JOHNSON'S JAZZ QUINTETS」で、以前の演奏を聴くことが出来るのですが、どうにも特徴がつかめませんし、未だ、未聴である「BACK TO BACK BARITONES」を、是非とも聴いてみたいと思ってみてもなかなか巡り会えず、結局は今日のこのアルバムともう一枚、一度はお蔵入りになったブルーノート盤「ROLLIN' WITH LEO」で、彼を感じるしか私には手だてがありません。
ただ、ジェリー・マリガンとも、ブルー・サージとも、ブリブリ、ゴリゴリで同じようかなぁなんて思うペッパー・アダムスとも、全く違うバリトン奏者であることには間違いありません。

この二枚のアルバムを聴くかぎり、結核あがりだというに、バリトンにはあるまじき音量であるように思うし、おそらくは病気欠場(笑)前は、もっとギトギトのブリブリ・バリトンを聴かせてくれていたのではないか、との予想はつきます。
もちろん、このアルバムでも、ゴスペル調のノリもじつに良いし、バリトンのパーカー(チャーリー・パーカーの意)は確かに健在ではあります。
それだけに、私としてはもう少し「病欠前の録音がもう少し残っていてくれれば」と思ってしまうバリトン奏者です。

LET ME TELL YOU' BOUT IT / LEO PARKER
1961年9月9日録音
LEO PARKER(bs) JOHN BURKS(tp) BILL SWINDELL(ts) YUSEF SALIM(p) STAN CONOVER(b) PURNELL RICH(ds)

1.GLAD LAD
2.BLUE LEO
3.LET ME TELL YOU 'BOUT IT
4.PARKER'S PALS
5.LOW BROWN
6.TCTB

おまけ、
帰ってから『民権かぞえ歌』も調べたら、歌詞がありましたので紹介しておきます。

『民権かぞえ歌』植木枝盛 作詞作曲
 一つとせ 人の上には人ぞなき 権利にかわりがないからは
 コノ人じゃもの
 二つとせ 二つとはない我が命 すてても自由のためならば
 コノいとやせぬ
 三つとせ 民権自由の世の中に まだ目のさめない人がある
 コノあわれさよ
 四つとせ 世の開けゆくそのはやさ 親が子供におしえられ
 コノきをつけよ
 五つとせ 五つにわかれし五大洲 中にも亜細亜は半開化
 コノ悲しさよ
 六つとせ 昔おもえば亜米利加の独立なしたるむしろ旗
 コノいさましや
 七つとせ なにゆえお前がかしこくて 私らなんどは馬鹿である
 コノわかりやせぬ
 八つとせ 刃で人を殺すより 政事で殺すが憎らしい
 コノつみじゃぞえ
 九つとせ ここらでもう目をさまさねば 朝寝はその身のためでない
 コノおささんせ


アナログ人間の余裕

2008年05月21日 | v-x

今日のこの晴天も『台風一過』と言って良いものかどうか?ともかく嵐が去って気持ちよい青空が拡がりました。
中国やミャンマーの災害報道を聞くにつけ、天災の恐ろしさと天災には常に人災がセットされてくるのだという教訓、なにより追い詰められた人間の本性の怖さを感じずにはいられません。

昨日は丸一日、なんと一度もPC画面を見ずに過ごしました。よく考えてみれば、これってじつに久しぶりのことです。
昨今、子供たちの携帯電話使用に関して、そこら中でケンケンガクガクなさっているようですが、子供たちだけでなく
「えっ?15分間内に返事をしないと仲間はずれ? えっえっ?夜中でもなんでも?」
と驚いている大人の私が、携帯メールは別としても、PCにはかなり依存している感はゆがめないように思います。

「バブ、これからK君のところにいっしょに行ってくんねぇかなぁ」
との連絡で出かけたのは、一昨日、ログ更新を終えたばかりの時間でした。
理由は「PCメールの受信がどうもうまくいかないから診て欲しい」というものでしたが

「別にメールが出来なくても不便は無いんだけどさぁ」とはK君
「えっ?だってちょっとした業者だって、資料をメールで送ってくるとか、メールで送ってくれとかいうのあんだろうが」とは、私を連れ出したS君
「俺なんか、メールで送れって言われたときは、『封書で送んから、一日待ってろ!』って言ってやんもん、だって一日ぐらい待ったって仕事に支障ないものがほとんどだよ」

あれほどメールが苦手だったS君も、最近はメールの便利さに気付き、資料のやり取りはほとんどメールでやるようになったそうで、
「だって、メールのほうが早いし、安いし・・・・便利ジャン」
「いやいや、へんに早くて便利なんていうものを使い始めるとね。例えば、見積もりにあと一日かかりそうだなんて時があんじゃん。そういう時に相手には『今晩中には出来ますので、明日中には郵送します。』って答えてだよ。じつは発送が翌々日の朝になっちゃっても、それはそれで許されるだろ、そういう余裕ある回答がメールじゃ出来なくなっちゃうんだなぁ、これが」

いやぁ、私には一理も二理もある意見のように思えました。
便利とは、どんどん時間を短縮させ凝縮することでもあるわけで、逆に多くの処理を短時間で出来ることが、やらなければいけないことをやたら増やしたりして、自分で自分の首を絞めていく実態が、少しずつ弊害を生み出しているのもたしかですものね。

「あれ、このボタンってなんのボタンだっけ?」
もう2年以上使い続けている携帯電話に、未だかつて押したことのないボタンがあることに気づいたのはほんの一週間ほど前でした。(いかにマニュアルを見ていないかということ...笑)
こういう時には「勇気を持って押す」私はそういう性格でありまして
「ほれ、プチッとな」
ピッ!

なんと、ヘルプ画面、つまり簡単な取説が出てきたではありませんか。
誰ですか、そこで笑っている人は。ヘルプ画面が携帯にあることなんざぁ、みなさんはとうにご存じなのでしょうけど、あたしゃ知らなかったんですよ~~だ。

これに象徴されるように、私は携帯の機能をほとんど利用しきれていません。これはPCもしかりで、きっと今の何倍、いや何十倍も活用する幅が残されているんでしょうね。
・・・・・・・でも、残りの活用法をあまり知らなくてもいいかなぁ、なんて思うんです。
人間の脳や能力もかなりの部分で使わずに一生を終えるというじゃないですか、特に私なんか他の人にも増して使っていそうもないというに、PCの能力をこれ以上引き出したところで、私自身がついて行く余裕がないでしょう。
所詮はアナログな人間なんですから

K君のように、せめて一日くらい余裕を持った約束が出来る、そのほうが精神衛生的にもよろしいと思いませんか?
結局、三人で飲みに行ってしまった一昨日、そんなことを思ったバブ君でありましたとさ。(笑)

さて、今日の一枚は、ボーカルものサラ・ヴォーンです。
というのも、昨晩、WOWOWの「JAZZ FILE」で、取り上げられていたのがサラだったわけで、1958年のオランダとスウェーデンでの、そして1964年スウェーデンでの歌声が放映されていました。

1964年のものは、カーク・スチュアートのピアノ・トリオ(そういえば彼はビリー・ホリデーの伴奏ピアニストもやってましたよね。)1958年は、今日のアルバムと同じロンネル・ブライトのピアノ・トリオがバックを勤め(ドラムスだけはメンバーが違いますが)、ともに少人数の伴奏を好む私にはうってつけの演奏でありました。
ロンネル・ブライトというとケニー・バレルとのドラムレス・トリオ「BRIGHT'S SPOT」なんて、なかなかのアルバムですよね。おっと、今日はサラ・ヴォーンでした。

ともかく、そんななか、1958年のスウェーデンで、このアルバムをサラ本人が紹介していたものですから、また今晩も聴いているというわけです。

同じ三大女性ボーカリストと称されるエラ・フィッツジェラルドに比べ、サラのライブ・アルバムは特別少ないように思うのですが・・・ボーカルを聴き込んでいない私だからそう思うのでしょうか?
ともかく、そんなサラのライブ録音としては、じつに気持ちの良い一枚だと思います。シカゴのクラブ『ミスター・ケリーズ』この場に私がいたら、いったい何杯の酒をあおっていたことでしょう。(笑)
マイクを倒してしまう様子なんかも聞こえてきて、リラックス・ムード満点、お客さんは素敵な夜を過ごしたのでしょうね。
昨晩のTVでの「SEPTEMBER IN THE RAIN」と、このアルバムの同曲。
『5月の大雨』の後に聴くと、どちらの『9月の雨』が心に響きますか・・・・・・?

AT MISTER KELLY'S / SARAH VAUGHAN
1957年8月8日録音
SARAH VAUGHAN(vo) JIMMY JONES(p) RICHARD DAVIS(b) ROY HAYNES(ds)

1.SEPTEMBER IN THE RAIN
2.WILLOW WEEP FOR ME
3.JUST ONE OF THOSE THINGS
4.BE ANYTHING BUT DARLING BE MINE
5.THOU SWELL
6.STAIRWAY TO THE STARS
7.HONEYSUCKLE ROSE
8.JUST A GIGOLO
9.HOW HIGH THE MOON

追伸、
同盤のCDは、20曲を収録しているようです。今日は『アナログ』の話ですので、LP盤での紹介としました。


訊く人間違ってると思うよ

2008年05月19日 | y-その他

風の向きが変わって今日は曇り空、間もなく雨も落ちてくる予報です。

漏れ聞くところによれば、サザンオールスターズが来年から活動を休止するそうで、若い世代と私とをつなぐ唯一と言っていい共通項だっただけに、少々残念に思います。
まぁ、それはそれだけ長く活動をしてきたおかげでもあり、よくぞここまでやってくれたと感謝すべきことなのでしょうけど

学生時代からお付き合いをし、結婚まで考えていた女性を、始めて田舎の家へ連れてきたのはいつだったでしょう。(結局別れてしまいましたけどね)
当時、私は横浜でのアパート住まいで、当然車など持っておりません。父の車を借りて田舎のあちこちに彼女を連れて歩いた覚えがあります。(SSSのブルーバードだったと思います...笑)
当然といえば当然ですが、当時父の車に積んであったカセットテープは演歌や懐メロ(当時の)オンリー、さすがにそれはつまらないとガソリンスタンドでカセットテープを一本買ったのでした。(これも時代ですね、コンビニじゃないところがいい)
そのテープが、たしかサザンの「ステレオ太陽族」じゃなかったかなぁ・・・とすると何年だ?

ジュリー(沢田研二)好きの彼女とジャズ好きの私では、音楽の好みの溝が埋まることはありませんでしたが、サザンだけは例外で、楽しいドライブが出来ましたっけ

♪ 彼女が髪を指で分けただけ それがシビれるしぐさ
  心にいつもアナタ だけを映しているの ・・・・・ ♪

まさに、私もそんな感じの時だったんですよ・・・・・・・・・

「おいおい、何浸ってんだよ!」

まっ、ともかく休止は残念ではありますが、その間もそれぞれにご活躍されることを期待しましょう。

ところで、話は大きく変わるんですが、とある方にこんなことを訊かれました。
「バブさん、MJQについて教えて欲しいんだけど、特に結成時あたりについて」
いまさらMJQが好きになっちゃったって人も珍しいですが、そう訊かれてもねぇ、あたしゃ特別MJQ大好き人間でもありませんし、
「いやぁ、それは訊く人を間違ってると思うけどなぁ」
とは言ったのですが、私が知ってる範囲でいいというので、ブログに書く約束をしてきてしまいまして

え~前もって言っておきたい言い訳を一つ、私はジャズの評論家でも、ジャズ史研究家でもないので、間違ったことを口走る傾向があることをご理解下さい。(笑)

MJQ、THE MODERN JAZZ QUARTETといえば、当時ディジー・ガレスピー楽団に所属していたミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス、パーシー・ヒース、ケニー・クラークによって1951~52年にかけ結成され、長期間活動を続けたモダン・ジャズを代表するグループ、といった紹介が一般的でしょうか。
でも、結成当初は、誰かが「ようし、MJQってコンボを組もうぜ」と言って始まったものではありません。たんに仕事の依頼があれば、それに合わせてコンボを組む、MJQの前身もそれであったわけです。
つまり、ガレスピー楽団でいっしょなら、気心も知れてるし集めやすい、そんな乗りだったのではないでしょうか。

MJQ誕生に一つ大きく影響したのは、1951年7月23日のブルーノートでのレコーディングであると言われています。
録音を依頼されたジャクソンは、ルイス、ケニー、そしてレイ・ブラウンに声をかけます。
ところがブラウンは奥様(当時の)エラ・フィッツジェラルドにお熱過ぎたんでしょうね、結局、ベーシストにはヒースが加わることになりました。(げんに一ヶ月後に録音されたサボイでのレコーディングにはブラウンが参加しています。「THE MODAN JAZZ QUARTET」に収録)

この時、ジョン・ルイスがこのグループに大いなる野望を抱いたのだと思います。
野望というのは少し嫌な言い方ですが、ルイスはご存じマイルスの「BIRTH OF THE COOL」のメンバーとして編曲も担当しました。ここに参加したもの全てがそうであったように「あまりに身勝手に進みすぎるバップにおいてのアドリブに、いかに統一性を持たせるか」という命題を持ち、ルイスもまたこだわりを持っていたのでしょう。(それ故、統一性を必要とするビッグ・バンドの編曲も手がけていたのだとも思います。)
そして、彼なりに思う試みを実現しうるメンバーを欲していたのだと思います。
これに合致したのがこの時のメンバーであり、ジャクソンが声をかけたグループではあったものの「面倒なリーダーはやりたくない、このグループはみんなの音楽を演るんだ」とのジャクソンのことば通り、いずれルイスが編曲全てを、そして実質的リーダーへとなっていくわけです。
ただし、これに反発するメンバーが一人だけいました。そうケニー・クラークです。結局彼は1955年にグループを去り、以降コニー・ケイがドラムスを勤めます。
つまり、それ以外のメンバーは、以降長期にわたってジョン・ルイスの示す方向へ反発を見せなかったと言うことでもあり(最後にジャクソンはどうであったかは別として)、私が、「ジャクソンは、MJQ内でどうにも縮こまった演奏をせざるを得ない。ジャクソンは苦しいんだろうな」との評価が、好み云々は別として、当たっていたとは思えない理由でもあります。

1951年といえば、アート・ブレーキーとホレス・シルバーがジャムリ始めたとき、つまりもう一つの長期グループ、ジャズ・メッセンジャーズが生まれようとした年代でもあり、さらにそれ以降起こっていくイースト・コーストでの新たなムーブメントが種火のごとく燃え始めた時期でもあります。
しかし、MJQはそれらとは全く違った、バロック時代からグループ形態、対位法といった技法を借りてきてジャズと結びつけるという、独自の方法で活動を続けていくことになります。
話をまた戻すようですが、ミルト・ジャクソンの活動を見ていると、彼はじつに貪欲な人だったのではないかと想像するんです。つまり、いわゆるイースト・コーストでの新たなムーブメントにも身を置き、更に、それとは一線を画すMJQの音楽性にも身を投じ、バイヴという楽器の可能性を追いかけてみる、そんなルイスとはまた違った野望を持ってたんじゃないか、なんてね。

え~~~長くなりました。
MJQとは「クール・ジャズ以降、唯一イースト・コーストに留まり、クール・ジャズに与えられた命題を追い続けたグループ」あはははは、私はこんなふうに捉えています。

こんなんで勘弁してください。

さて、ということで今日の一枚は、とうぜんMJQということになります。
アトランティックに移籍して最初のアルバムです。
「VERSAILLES」とか「FONTESSA」なんていかにもいかにもで、「このヨーロッパかぶれめ!」とジョン・ルイスに突っ込みを入れたくなりますけど、この全体に流れる美しさというか、落ち着きというか、これがMJQの魅力なんでしょう。
ちなみに「WOODYN YOU」はウディ・ハーマンに捧げられた曲です。

FONTESSA / THE MODERN JAZZ QUARTET
1956年1月,2月14日録音
MILT JACKSON(vib) JOHN LEWIS(p) PERCY HEATH(b) CONNIE KAY(ds)

1.VERSAILLES
2.ANGEL EYES
3.FONTESSA
4.OVER THE RAINBOW
5.BLUESOLOGY
6.WILLOW WEEP FOR ME
7.WOODYN YOU


身の丈オーバーは要注意

2008年05月18日 | p-r

今日もじつに良い天気で、「ゴールデンウイークは避けて、今週末に一遊び」てな方は大正解でありましたね。

そんな日曜日の私といえば、いくら良い天気でも二日連続でカメと戯れるというのもなんですし、
「何しようかなぁ・・・・とりあえず珈琲でも飲みながら考えよ」
その時、携帯電話が私を呼んでいます。
「むむ、このパターンは・・・・・」
珈琲とビールの差はあるにせよ、一昨昨日の呼び出しパーターンによく似たり・・・
あんのじょうS君からの電話でありました。
「バブ、暇か???暇ならさぁ、B5の用紙一枚分ぐらいの簡単な書類なんだけど、バブなら30分位でできんじゃないかなぁ~~なんて・・・・」
「つまり、事務所に来て、書類作りを手伝ってほしいってんだろ」
「はい」
まぁ、暇なことですし、昼飯を条件に手伝いへ行ってきました。(笑)

 だまされて、いるのが遊び
 なかなかに、だますお前の手のうまさ
 水鶏(くいな)聞く夜の酒の味
            岡野知十

「なんだ突然」でありますか?
いえね、その昼食を食べているとき、S君が
「バブ、一度ぐらいは自分の金で『高級店での芸者遊び』ってぇのやってみたくない?」
てなこと言い出したわけですよ。
このあたりではそんな遊びも難しいから、東京にでも遊びに出かけるかと、まぁそんなはなしなんですけどね。

「だけどねぇ、俺たちみたいな遊び方を知らない連中は、どっかのお大臣にでも指南を受けながら行かないと遊べないと思うよ。」とは私。
それでも遊びに行きたいというS君は、よほどの仕事の忙しさからか、はたまた優しい奥様(え?皮肉に聞こえる?・・・とんでもございません。)のせいか、気分転換をしたい思いが強いようで、
「人間、たまにはつまんない遊びでバカ金を使わず、本当の意味でのガス抜きをしないとダメなんだよ。」
なんて言うんです。

でもね、それほど別世界の遊びをしたいと思うなら、岡野知十じゃないけれど、だまされているのを知りつつも、嘘を嘘と見抜いていても、芸と色に酔えるほどの器量と度量が、遊ぶ我々にも必要なわけで・・・・
その気になってホイホイ出かけても、我々なんざぁ遊んだとも思わぬうちに、身ぐるみ剥がれて終わるのがオチ、
「俺たちに、その器はねぇと思うよ」

S君、
そこらの飲み屋でのガス抜きならいつでもお付き合いするから、ね、身の丈に合った遊びで抜ききれる位の時に、ガスは抜いといたほうがいいよ。背伸びなんかすると、また違うガスがたまったりもするしね。
いい旦那はね、「少々ぐらいの浮気はいい、そのかわり、俺と逢ってる間だけ、色っぽく、容姿よくやってくれりゃぁそれでいい」ってくらいのために大金を使うお方よ。S君もそれほどの旦那衆になったら、俺を太鼓持ち代わりに連れてってちょうだいよ。

夢物語はそのへんにして、本日は日曜日、『料理当番、本日の一品』の時間であります。

まずは「お造り」といっても、こちらも身の丈に合わせて、カンパチの半身を刺身に、残り半分を「生ダメ人間」のために塩焼きにしました。
山芋を巻いてあるのは漬け鮪です。

   

こちらは、今日カブをお漬けにしたもんで、葉の部分とモヤシをちょいとごま油で炒め、納豆とあえてお揚げに詰めて焼いてみました。

さて、今日の一枚は、ソニー・ロリンズです。
このアルバムはロリンズのMJQ共演ライブから4曲、テディ・エドワーズのスタジオ録音が2曲という、じつにわけのわからない組み合わせの一枚ですが、だからといって捨て置くにはもったいないアルバムでもあります。

ロリンズとMJQのリズム・セッションとの共演は、完全にいわゆるMJQカラーは吹っ飛んでますね。この時期のロリンズは誰も止められないといった感じ、説得力抜群です。
しかも、4曲のうち2曲は、ジョン・ルイスにお休みいただいたピアノレス、MJQカラーなど出せるわけもありません。(コニー・ケイのドラムはけっこう輝いてますけど)

もっとかわいそうなのは、テディ・エドワーズですよね。なんでロリンズのおまけみたいにここへ突っ込まれたんでしょう?
絶頂期のロリンズにぶつけられたら影が薄れて当然、本当に意味がわかりません。

いずれにしても、この時期のロリンズは、どれをとっても間違いなしといった時、このアルバムも組み合わせに惑わされずにお聴きになるべき一枚だと思います。

そういえばロリンズは、またまた来日して元気なところを見せているようで、訃報ばかり続く昨今、いかに絶頂期の冴えはなくとも、ジャズ・ジャイアンツ、ロリンズにはまだまだ活躍をして欲しいものだと思います。

SONNY ROLLINS AT MUSIC INN
1958年8月3日[1~4], 1959年[5,6]録音
SONNY ROLLINS(ts) PERCY HEATH(b) CONNIE KEY(ds)[1~4] JOHN LEWIS(p)[1,4]
TEDDY EDWARDS(ts) JOE CASTRO(p) LEROYVINNEGAR(b) BILLY HIGGINS(ds)[5,6]

1.JOHN'S OTHER THEME
2.LIMEHOUSE BLUES
3.I'LL FORROW MY SECRET HEART
4.YOU ARE TOO BEAUTIFUL
5.BILLIE'S BOUNCE
6.A FOGGY DAY