JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

根性無しを反省せねば

2008年05月24日 | y-その他

今日はどんより曇り空、この終末はあまりお天気には恵まれないようで、明日『ヤナイ珈琲』のヤナイさんとS君は、わざわざ東京くんだりまで何件かのコーヒー店を梯子するために行かれるとのこと、
「ざまぁみろ!雨だよーだ!」
だって、S君にお土産をねだったら、
「なんで、あんたにお土産買ってこなくちゃいけないの?」
って言われたんだも~~~ん。(笑)
・・・・・うそうそ、ゆっくり珈琲ツアーを楽しんできて下さい。

今日は昨日の予告通り、またまた本がらみのお話でありまして・・・

夏目房之介著書『あの頃マンガは青春期だった』に1960年代後半から70年代にかけての「ジャズ喫茶」をさして、こんな一節があります。

この時代、鬱状態(うつじょうたい)の青年にこれほど似つかわしく親しげな空間はなかった。暗い店内に入ると目の前に帯状にたなびく煙草の雲、頭が痛くなるほどの音の洪水、クソまずい煮出したコーヒー、ジャズ神殿の司祭のように気むずかしく無愛想な店主、フーテンっぽいウェイトレス、鋭くさぐるような常連の視線。

読んでいて、目に浮かんできます。もちろん私は60年代に「ジャズ喫茶」へ通うほどマセてはおりませんでしたから、ある意味その当時の生き残り残党に憧れていた世代、それでもこの文章は、「ジャズ喫茶」の雰囲気をじつに良く表した一節だと思ってしまいました。

60年代から70年代といえば、最も「ジャズ喫茶」が生き生きとしていた時代、私が実際に体験したのはその最も後期であったわけで、もし私が、フーテンと文化人の混在、学生活動家がたむろし、ある意味「文化の拠点」といった意味合いが強かった時代のその場に、ドップリと浸かっていたなら、人生は大きく変わっていたかも知れません。

これはまた、私が触れたジャズ・シーンにも同様のことがいえると思います。
あえて今いったような時代を「ジャズ喫茶時代」と呼ばせていただければ、その後期に、しかも地方の「ジャズ喫茶」で過ごしていた私が触れるジャズは、ほとんどがレコードからであり、ほとんどが洋楽としてのジャズであったわけです。
つまり、60年代から70年代に起きた日本での若手ミュージシャン達によるフリー・ムーブメント(あきらかにアメリカやヨーロッパで起きたそれともまた違った特徴を持つ)を、感じる術を持てなかったということ。これはじつに残念なことだったと思えてなりません。

私がもしあと10年早く生まれていたら、最も多感な時期「ジャズ喫茶時代」のただ中に身を置けたら、コルトレーンの来日も間近で迎えられたでしょうし、なにより、最も活動的で変革にとんだ日本のジャズ・シーンに立ち会えたのではないか・・・・・
けっきょく日本人ジャズメンを、ほとんど聴かなくなってしまった背景もおそらくはそういった環境に起因するのだと思っています。

ジャズだけでなく、あらゆる面で「中途半端な時代に青春期を過ごした」といった感覚は、気が付かないうちに、私の根底に流れるコンプレックスとなっていたのかもしれません。
そしてそれは、そんなことに言い逃れをする、つまり「中途半端な時代にしていたのは自分自身だろう」といった発憤材料にも出来ずにいた不甲斐なさ、私が根性無しのバカヤロウだった(いや「だ」ですね)という証でもあるわけです。

あれ?なんの話でしたっけ?
そうそう、『あの頃マンガは青春期だった』の話でしたっけ?
ともかく、「一節から思いを膨らます」、中年オヤジがたまにやらかす病気みたいなものだと思って聞いて下さい。
ちなみに、そんな時代を文章で知ろうとしたら、植草甚一や相倉久人、以前紹介したマイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化』、ちぐさのオヤジさん吉田衛が書き残した『横浜ジャズ物語』、そして副島輝人の『日本フリージャズ史』あたりをお読みになってみると良いかもしれません。
私は、当時の日本ジャズをCD等々で入手しつつ、改めて聴き直していこうかと思っています。

さて、ということで今日の一枚は、富樫雅彦です。
本当に私の所有和物は少ないんですよねぇ。やっと見つけ出したのがこの1973年、新宿で二週間にわたってくりひろげられたフリー・ジャズ・フェスティバル「インスピレーション&パワー14」でのライブ盤です。

昨年惜しまれつつ亡くなられた富樫雅彦、これは事故で下半身不随になって初めてのライブ盤であったと思います。
リハーサル無しのぶっつけ本番で演奏された内容は、足は無くしたとはいえオフ・ビートの感覚を完全に体にしみ漬けた富樫と、多彩なピアニスト佐藤允彦の、日本的「間」を感じ取れるような息の合ったディオを聴くことが出来ます。
もちろん、そこはグレコノーマンではなくフリースタイルですから、万人向けジャズとは言いがたいものですけどね。

双晶
1973年7月7日録音
富樫雅彦(perc) 佐藤允彦(p)

1.輝き
2.再び活発に
3.往事を回想して

おまけ、
昨晩、東京の友人Sh君から10時過ぎに電話がかかってきました。
「今日は何処で飲んでんの?」開口一番その質問もひどいと思いません?
「昨夜飲み過ぎたから、今日は自宅だよ。」(あははは、報告しませんでしたが、一昨日の晩は、またMさんに誘われ、遅くから飲みに行ってしまったのですねぇ)

どうも、ひとの酒を心配しているわりには、ろれつが回っていません。
「今ね、F(同級の女性です)なんかと横浜で飲んでんだけどさ、Fがね「中学、高校と、バブはとても優しくしてくれたけど、なんで恋心には発展しなかったのかな?」っていうから電話した。」
って、おいおい、そんなつまんねぇ話で・・・・しかも、あたしゃ自宅で一人寂しく飲んでるときに、いかにも楽しそうに・・・・
「今、Fに代わるから」
「あら、バブ君、ごめんね、Sh君が勝手に電話しちゃったのよ。・・・ねっ、どうして恋まで行かなかったんだろ?」
当然、社交辞令ですので
「俺はしっかり、いだいてたよ恋心」
「こんど田舎に帰ったら、またいっしょに飲みに行ってくれる?」
「ああ、いつでもいいよ」

バカヤロウ!つまんねぇことで楽しそうな電話かけてくんじゃねぇよ!うらやましいだろ・・・・・・・・・・!?

あはは、今日は最初と最後、うらやましい話でおしまいです。